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永遠の救い(2020.2.23)

宣教題 「永遠の救い」          宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 ルカ21章25~38節

 イエス・キリストを救い主と信じている者は、神が一人ひとりにご計画をもっておられるゆえに将来への望みがあり、世界が聖書の語る通りに進んでいくという安心を持っています。そこで、今日の聖書箇所では、次のことを問いかけています。

1.世界の終わりが見えていますか  25~33節
 聖書は、この世の終わりについて直截に語ります。世界大の規模で異変が起こり、人々が気を失うほどの混乱に陥れるものです(25~26節)。そのようなことが起こるなら、神の永遠のご支配が近づいていることを知ることになり、それを「決して滅びない」神の御言葉によって確かめることができます(29~33節)。
 そしてその時、再臨される主イエスを全ての人が見ることができるのです(27節)。それは、魂も体も罪と死から完全に解放され、大いなる神の救いの完成がもたらされる時です(28節)。

2.あなたの将来が見えていますか  34~36節
 それに対して、私たちはどのような備えをしていればよいのでしょうか。神を見失った生活に対して心が鈍くなり、その虜になってしまうことのないように気をつけ、審判者である主イエスの前に立つことのできるように、「いつも目を覚まして」祈ることです(34~36節)。
 そのような備えをしている者は、人間は死んで終わりではなく、死後にさばきがあることを知っています(ヘブライ9章27節)。ですから、十字架と復活によって罪と死に勝利された主イエスを信じるのです(ヨハネ3章16節)。それは、永遠の滅びから救い上げて、神の永遠の栄光にあずからせる救いです。

聖書朗読(0.9MB)

メッセージ(9.3MB)

その時、あなたは(2010.10.31)

宣教題  : 「その時、あなたは」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : マルコ  13章14節~27節
聖書は、神の約束どおりにキリストの初臨が成就したように、キリストの再臨があることを約束しています。時は、この約束の成就に向かって確実に縮まっています。私たちは、そのことを自覚して、それにふさわしく生きることを忘れてはなりません。

1.苦難の時に  14~23節
「それらの日には・・・今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである」(19節)とは、紀元後70年にロ-マ軍によるエルサレムの町と神殿の破壊や民への虐殺また飢餓が起こること、偽キリストや偽預言者がクリスチャンを惑わしたりすることの預言です。
こうしたことは、世の終末にも起こることであり、とりわけクリスチャンの信仰を脱線させようと試みる者がいるので、毅然としているようにと警告されたのです。そして、主イエスは、こうした苦難の中にあるクリスチャンたちを「主はご自分のものとして選んだ人たち」と呼ばれて、彼らを忘れることなく、最後まで責任をもって守られることを約束されました。
私たちは、主なる神に選ばれているとの揺るぎない根拠があるので、苦難に耐えることができるのです。

2.主の再臨の時に  24~27節
このような苦難の後の終末には、天体の大異変とキリストの再臨があります。この時、キリストによって選ばれたクリスチャンたちは、呼び集められてキリストのもとへと引き上げられるのです。この再臨のキリストこそが、真の審判者であり、私たちの真の望みです。
再臨の主を待望する私たちは、神の恵みだけを頼りにして、凛としてキリストを仰ぎ続けて生きるのです(ルカ21章28節)。そのように生きるならば、「かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまわん」との使徒信条が、生きた告白となるのです。

主のみ手に支えられて(2010.10.3)

宣教題  : 「主のみ手に支えられて」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : マルコ  13章1節~13節
主イエスは、神殿が崩される時がくることを語りつつ、「世の終わり」の時について予告しておられます。そして、それが起こる時の前兆について語られ、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と励まされました。私たちが耐え忍ぶことができるのは、主イエスのみ手に支えられているからです。

1.しっかりと立つ  5~9節、12~13節
終わりの時には、偽キリストの出現、戦争や民族間・国家間の対立、自然災害の徴が現われ、誤解や無理解ゆえにキリスト者への迫害が増します。そうした時、私たちは「人に惑わされないように気をつけ」、また「自分のことに気をつけ」ていなければなりません。
ところで、このような事態に際して、誰が耐え忍ぶことができるでしょうか。主の弟子たちは、十字架を前にして主イエスを捨ててしまい、最後まで耐え忍ぶことができませんでした。忘れてならないことは、主イエスのみ手に支えられて、聖霊の助けをいただくことによって(1ペトロ4章12~14節)、しっかりと立つことができるのです。

2.福音を宣べ伝える  9~11節
主イエスは、試練や迫害の中にあって、「福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない」と語られました。主イエスの十字架と復活は、成し遂げられねばならないことでした(マルコ8章31節)。そして、その福音は伝えられなければならないし、人はその救いに与からなければならないのです(ヨハネ3章3節、5節)。世界聖餐日は、世界中の教会が一致のしるしである聖餐を共にすることによって、世界に対する宣教の責任を果たしていくことを覚える日でもあるのです。
この福音宣教が推進されていく力の源泉は「聖霊」です。私たちは、主のみ手に支えられて、聖霊によって与えられる喜びをもって福音を証しし、宣べ伝えていくのです。