エフェソ」カテゴリーアーカイブ

キリストの体として歩む(2024.1.7)

聖 書

キリストによって、体全体は、支えとなるすべての節々でつなぎ合わされ、一つに結び合わされて、それぞれの部分は分に応じて働いて、体を成長させ、愛の内に造り上げられてゆくのです。(エフェソの信徒への手紙 4章16節)

礼拝音源(30.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編100編1〜3節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 55 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編75編
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソの信徒へ手紙 4章1〜16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「キリストの体として歩む 仁科共子牧師
祈  祷
1月誕生者祝福 ヨハネの手紙 三 1章2節
賛  美 411 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 霊によって一致して歩む
キリストの体として一人一人が結び合わされて、一致して歩むことを教えています。それは、キリストの体は一つだからです。イエス・キリストを信じた人は、キリストの体である教会の部分として生きていきます。そして、一つの聖霊によって一つにされ、キリストの体である教会としての歩みをしていくのです。

2. 違う賜物が与えられて一つにされる
「キリストの賜物の秤に従って」それぞれに賜物が与えられます。そして、違う務めを与えられます。その一人一人が結び合わされて、それぞれの働きをしてキリストの体が造り上げられていきます。一人一人に違う賜物が与えられるのは、それらが体全体を成長させるために、必要だからです。そして、その違いが結び合わされるときあらゆる点で成長していきます。

3. 愛の内に造り上げられてゆく
キリストによって、一人一人は結び合わされます。違っている部分はそれぞれの分に応じて働いて体を成長させていきます。それが、キリストにあってキリストのものとされた私たちにふさわしい歩みです。このような歩みは聖霊によってできることです。私たち一人一人が結び合わされて、キリストの体として歩ませていただきましょう。

キリストは今、どこにおられるのか (2021.5.16)

聖 書

神は、この力ある業をキリストの内に働かせ、キリストを死者の中から復活させ、天上においてご自分の右の座に着かせ、(エフェソ1章20節)

礼拝音源(22.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨエル書3章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編126編
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ1章20~23節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストは今、どこにおられるのか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 390 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主の愛の御手に触れられた者は、その愛に信仰の手を伸ばして応答し、隣人にも交わりの手を差し出す誠実な心と歩みがつくられていきます。このことを「手」との言葉を題目にしつつ、御言葉から聴いていきます。

キリストは今、昇天され神の右に着座されています(20節、使徒言行録1章11節)。このキリストによって私たちの信仰は確かにされ、力を増していくのです。

1.キリスト、すべての頭として  1章21~23節

神は、信じる者に力強く働く神の力をキリストの内に働かせて、十字架の死から復活させ、昇天させて神の右に着座させ、神とキリストが一つであることを明らかにされました(19~20節)。それによって、キリストはすべてのものを将来にいたるまで支配され、その上に立つ頭となられました(21~22節)。ただ、今の現実の全てが、キリストの支配に服しているのではありません。

なお、キリストは教会の頭として満ち満ちておられ(22~23節)、教会においてキリストのすべての恵みを受け取ることができます。それゆえに、私たちは「イエス・キリストは主である」との信仰告白へと導かれるのです(フィリピ2章6~11節)。

2. キリスト、私たちの内に  3章16~19節

キリストは今、主のものとされた者の「心の内に住んで」くださり、住み続けてくださり、一つになって生きていてくださいます(17節a)。そのために、神はご自分の力をもって「内なる人」を強くしてくださり(16節)、キリストの愛に満たされた歩みをさせてくださいます(17~19節)。

ところで私たちは、現実に弱さを覚えて恐れを抱き、祈れなくなることがあります。しかし、キリストは恐れなさらないお方です。私たちは、このキリストを信頼し、内に住み続けていただいて全てを支配していただくことが大切なのです。

 

聖なる交わり(2020.10.4)

聖書

恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。(エフェソ6章24節)

礼拝音源(28.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1テモテ1章15節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 67編1~8節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ6章21~24節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 83 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖なる交わり」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖餐式 新49
10月誕生者祝福 2コリント12章9節a
賛  美 390 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

エフェソの信徒への手紙の最後の部分です。本文を語り終え、終わりの挨拶と祝福で閉じられています。そこには、「聖なる交わり」が溢れています。

1.恵みを分かち合う交わり  21~22節
パウロは、獄中という試練の中で、礼拝と祈祷の時と伝道に勤しんでいたことをエフェソの信徒たちに伝えました(使徒言行録16章25節、28章30~31節)。パウロにとって、そこがどんなに神の恵みが働いていたかを伝えたかったのです。そうすることによって、エフェソの教会がパウロと同じ恵みに与って、励ましを受けてほしいと願ったのです。それを取り次いだのか、主のものとされ、忠実に仕えるティキコでした。
パウロとティキコとエフェソの信徒たちが、神の恵みを分かち合ったように、私たちもこの神の恵みを分かち合うところに、聖なる交わりが造られていくのです。

2.恵みを祈り合う交わり  23~24節
最後は、神に対する祈り、神の祝福と導きを求める祈りで結ばれています。その祈りは、「兄弟たちに」「すべての人と共にあるように」と誰にでも当てはまる内容です。そして、イエス・キリストの救いの恵みが、私たちのうちに信仰を起こさせ、平安と愛という実を結ばせることを祈り合う聖なる交わりが造られるようにとの、教会の祈りです。
ところで聖餐は、キリスト贖いの恵みに対する「感謝の祈り」の時、「記念として」キリストの救いを想起する時、「主が来られるときまで」主を讃える時です。そして、キリストとお互いの「聖なる交わり」が造られていくことを確認する時です。

 

 

 

 

神の偉大な力を身にまとい(2020年9月6日)

聖書

最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。(エフェソ6章10節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 65編1~14節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ6章10~20節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 18 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神の偉大な力を身にまとい」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
9月誕生者祝福 イザヤ書63章9節
賛  美 536 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

パウロは、この手紙で、キリストと共に恵みの座に着き(2章6節)、歩み(同4章17節以下)、この箇所では、悪魔に立ち向かうように語っています(10~11節)。そのためには、主の偉大な力によって強くされ、神の武具を身につけるように命じています。

1.世の現実に送り出される身である  11~12節
信仰者が送り出されていく世の現実は、罪の力に支配されている世界です。したがって、信仰者はその戦いの装備を身に着け、心を定めて送り出されていくのです。
それは、信仰者の戦う相手が、血肉すなわち人間ではなく悪魔であり、その策略に対抗するためです。悪魔は、敵が悪魔であることを見破られることを恐れます。また、悪魔の存在を信じさせないようにしてきます。
このように、信仰者は、不信仰との戦いであること知って、神に敵対するものの前にいることを忘れてはならないのです(詩編23編5節a)。

2.神の御前に自らを置く身である  13~20節
信仰者は、この戦いに挑むに際して、臨在される神に目を向け、その神の御前に立つのです。そして、真理の帯、正義の胸当、平和の福音の履物、信仰の盾、救いの兜、霊の剣という、神が信仰者に与えてくださる「神の武具を身に着け」させていただくのです。霊の剣こそ「神の言葉」であり、人に神の救いに与らせる御言葉です。

このように、信仰者は福音の戦いのために神に全面的に依存しているのですから、祈りをもって戦いをなし、すべての聖なる者たちのために祈り、福音を大胆に語り続けられるように祈り合うのです。ひざまずき、立ちあがらせていただきましょう。

 

 

神をほめたたえる(2020.8.16)

聖書

わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。(エフェソ1章3節a)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ12章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 50編1~23節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ1章1~14節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 351 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神をほめたたえる」 池口輝雄神学生
祈  祷
賛  美 475 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

パウロが本書を書いたのは、牢獄の中です。にも拘らず、挨拶の後すぐに神への賛美を献げています。彼は自分が賛美している神が、どのような方かを知っていたからです。パウロが知っていたのはどのような方なのでしょうか。

1. 天地創造の前に、あなたを選ばれた方
神様は、天地創造の前に、あなたを心に留めてあなたを選ばれました。さらに、イエス・キリストによって神の子にしようと前もってお定めになりました。神様はイエス様を子として、子であるが故に愛されています。そして、このイエス様によって、イエス様を信じるあなたをご自分の子どもとし、あなたにも同じ愛を注ごうと決められ、そのような交わりへとあなたを招き入れられました。

2.ゴールまであなたを導かれる方
4節の「御自分の前で聖なる者、汚れのない者」とは、私たちの最終的な姿です。これまでのあなたがどんな人であろうと、今のあなたがどうであろうと、これから先にあなたに何が起ころうと、天地創造の前からあなたを選ばれた神は、あなたを「聖なる者、汚れのない者」へと責任をもって完成させてくださいます。

3.未来の先取りとしての賛美
今神様を賛美することは、私たちがこの神様の計画の中にあるという証しであり、未来の先取りです。今朝の礼拝も、やがて完全なかたちで献げられる時が来ます。そのことを覚えつつ、心から神様に賛美していきたい。そのように願います。

 

 

 

キリストが私たちの主(2020.8.2)

聖書

あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人が天におられ、人を分け隔てなさらないのです。(エフェソ6章9節c)

礼拝音源(30.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ガラテヤ3章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 42編1~12節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ6章5~9節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 13 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストが私たちの主」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
8月誕生者祝福 ヨハネ14章27節
賛  美 411 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

奴隷と主人については、これまでと同じように、互いに仕え合う関係として語られています(5章21節)。この世の仕組みの中で生きる奴隷と主人は、キリストにあって何を「知っている」かを問いかけています。

1.同じ主に従う僕である 9節
奴隷たちには、キリストに従うように主人に従い、主に仕えるように主人に仕えることを命じています。そうするのは、キリストの十字架の贖いによって自由にされているからであり、それも一貫して誠実に喜んで仕えることを求めています(5~7節)。
主人たちは、人を分け隔てなさらない、奴隷たちと同じ主に仕える僕です(9節)。彼らは、そのことを体験的に自分のこととして「知っている」のです。したがって、互いに足を洗い合うようにして、仕え合うのです(ヨハネ13章14節)。
同じように私たちは、主に従う僕として、この世の仕組みの中で生きるのです。

2.主から同じ報いを受ける  8節
主に従う僕は、奴隷であっても自由な者であっても、同じ報いを受けることを「知っている」のです。その報いは、すぐに与えられる主からの賜物だけでなく、主から御国を受け継ぐという報いです(コロサイ3章24節)。この報いを期待するのは、この地上の事だけを考えて生きるのではなく、天に目を注いで生きるからです。
年老いたパウロは、脱走奴隷オネシモを主人のフィレモンに返すに際して、和解の賜物を受けることを経験して知りました(フィレモン16~17節)。私たちは、生涯にわたって神の学生のようにして、キリストを私たちの主と告白しつつ歩むのです。

 

 

キリストを中心として(2020.7.5)

聖書

子どもたち、主にあって両親に従いなさい。それは正しいことだからです。(エフェソ6章1節)

礼拝音源(29.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編46編10節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 32編1~11節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ6章1~4節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 396 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストを中心として」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
7月誕生社祝福 詩編100編1~2節
賛  美 546 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

教会は、あらゆる違いを超えて兄弟姉妹とされた者たちが集められています。支配者と被支配者を作り出すところではありません。ですから、妻も夫も、子供も両親も互いに兄弟姉妹と呼び合い、愛の関係を築き合うのです。

1.主にあって  1~3節
子供と両親の関係は、世の中の親子関係ではありません。キリストを中心として、兄弟姉妹の関係に生きるように召されています。ですから、子供に「両親に従いなさい」と命じるのです。それは、両親を敬って、両親が語る言葉に聞き従う姿勢を表しています。「それは正しいこと」だからです。
このように両親に従うことは、有無をも言わさない服従を意味しているのではありません。主イエスが天の父を愛し敬う仕方で天の父に聞き従われたように、子供は「主に結ばれている者」すなわち「主にあって」両親に向き合い聞き従うのです。それが、幸いをもたらす生き方であり、神のご厚意から与えられるのです(3節)。

2.主がなさったように  4節
同様に両親も、主にあって子供に向き合うのです。そして、特に父親は、信仰に基づく信念をもって、教え導くのです。それが、威圧的で独善的であれば、子供に反発と怒りを抱かせるでしょう。「主にあって」とは「主がなさったように」との意味があり、父親は、主の仕方を意識し、主の愛に倣おうとする姿勢が求められます。

こうした親子の関係は、兄弟姉妹の関係においても同様です(5章21節)。そこには、共に十字架のもとにひざまずき、天の御国を目指して旅する神の民の姿があります。

 

 

キリストへの畏れをもって(2020.6.14)

聖書

キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。(エフェソ5章21節)

礼拝音源(32MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編100編1~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 19編1~15節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ5章21~33節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 361 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストへの畏れをもって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 505 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

愛の主キリストは、ご自身への「畏れ」をいだく者たちに、さまざまな「恐れ」から解き放って新しい生活へと歩み出させてくださいます。ここでは、キリストへの畏れをもって「互いに仕え合いなさい」と命じています(21節)。

1.妻も夫も互いに 

キリストにおいて一つの体とされたお互いは、キリストにあって兄弟姉妹です。それは、妻と夫の関係においても同様であり、互いに仕えることが求められます。

そこには、まずキリストが十字架の死に至るまで私たちを徹底して愛して、仕えてくださった事実があります。それゆえに、妻は「主に仕えるように」、夫に仕えるのです。夫はキリストが「教会のために御自分をお与えになったように」、妻を愛して仕えるのです(22~25節)。

こうして、妻と夫は、キリストの愛に対する深い感謝と信頼を抱きつつ、畏敬の念をもって互いに仕え合うのです(33節)。

2.キリストの体に連なる互いが 

このように、パウロは妻と夫が互いに仕え合うことを語りつつ、信仰者がキリストの体に連なることによって、互いが仕え合うことを通して教会が造り上げられていくことを勧めています(26~32節)。

エフェソにある教会が、初めの愛から離れてしまったために、悔い改めて初めの行いに立ち戻るように命じられています(ヨハネの黙示録2章1~7節)。これは、今の私たちへの問いかけでもあります。キリストへの畏れをもって応答していきましょう。

 

緊急の必要(2020.5.31)

聖書

酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、(エフェソ5章18節)

礼拝音源(29.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編51章12~14節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 16編1~11節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ5章18~20節
使徒信条 93-4 1A 一同起立
賛  美 342 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「緊急の必要」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 529 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主の弟子たちが、主イエスの十字架と復活の期間また昇天と聖霊降臨の期間に不安と恐れを抱きました。それは、主の再臨待望信仰に生きる人たちでさえ、いろんな機会に同じような経験をするものです。そうした時、聖霊に満たされていることが、緊急の必要となります(18節、ヨハネ14章16~18節参照)。

1.聖霊に満たされ続けよ  18節
私たちは、酒のみか、仕事、学び、遊びなどに酔わされて、自分を失ってはなりません。むしろ、今も常に聖霊に満たされ続けよと命じられています。それは、聖霊に支配され、聖霊に導かれていることです。
聖霊に満たされ続ける秘訣は、ペンテコステ後の主の弟子たちのように、一人ひとりが主イエスに主導権を明け渡し、主のものになることです。教会は、聖霊に満たされ続けることにより、主の恵みに満ちあふれ、主の命に活き活きと生きる聖徒の群れとなるのです。

2.キリストの支配に生きる  19~20節
聖霊によって「イエスは主である」(1コリント12章3節)と告白することは、心と人生の中心をキリストのご支配をいただいて生きることです。
そこから、信仰の仲間とともに、歌が語り合う言葉となり、「主に向かって心からほめ歌う」賛美が出てきます。そして、ついには「いつも、あらゆることについて」父である神に対して感謝が出てくるのです。
私たちは、日々の歩みの中で、聖霊に満たされ、キリストの支配に生きることに捉えられていることが大切です。その人生に区切りを与えるのが、聖日礼拝です。

 

光の子として歩みなさい (2020.4.26)

聖書

あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。(エフェソ5章8節)

礼拝音源(21.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エフェソ5章14節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 8編1~10節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ5章6~11節
使徒信条 93-4 1 A 一同起立
賛  美 484 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「光の子として歩みなさい」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 503 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

物事には、天地創造の時から神による区別がありました(創世記1章4節)。ところが、私たちの世界には、多くの分野で物事の区別がつきにくくなっています。憂えることは、神と人、善と悪、聖と俗といったことが曖昧になり、信仰の世界での区別がつきにくくなることです。

ここに、暗闇と光が明確にされています(8節)。これをどう聞くのでしょうか。

1.今や、光となっている

私たちは、暗い事件、おぞましい犯罪、自然災害また疫病などの恐ろしい出来事が続くことに不安を覚え、心に恐れが広がっていきます。このような暗闇に取り囲まれることは過去にも繰り返してきましたし、初代教会も経験したことでした。

暗闇は、このような外側からのものだけではなく、人々の内側に広がり取り囲こまれることによって経験します。それは、「あなたがたは、以前には暗闇でした」とあるように、私たちの姿でした(6節~8節)。そして、無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしり、悪意、いろいろな汚れたこと、貪欲といった(4章31節、5章3節)「実を結ばない暗闇の業に加わらない」ように警告しています(11節a)。

しかし、今はそうではありません。暗闇の業は斥けられました。「今は主に結ばれて、光となっています」と明言しています(8節)。ダビデが「主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう」(詩編27編1節)と語ったことが、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ」(ヨハネ8章12節)とあるように、今やキリストに信仰によって結ばれた者の内に成し遂げられたのです。

2.だから、光の子として歩みなさい

キリストに結ばれた者は、「光の子として歩み」、光に属する者として暗闇の中で輝くのです(8節)。それは、神の光を輝かせて歩むことであり、その生き方と関係してきます。「善意」という親切さや憐れみの行い、「正義」という神の目に正しいとされる歩み、「真実」で誠実な信頼するに足る歩みという実を結ぶのです(9節)。

このような生き方は、「何が主に喜ばれるか吟味」することによって整えられます(10節)。すなわち、信仰とその言動が試されることを通して、何が主に喜ばれるかをわきまえ知ることができるのです(ローマ12章2節参照)。さらに、「実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出」すという大胆な証しをすることによって確かなものとされます(11節)。このように、光であられるキリストに向かい合って生きることなのです。

「主はわたしの光」と証しし続けたダビデは、一時的であるにせよ、自分の欲望と自分の安泰を優先させて罪を犯し、失敗した人でした。彼の信仰は試され、徹底して砕かれ悔いる心とされて、回復の恵みに与りました。その苦い経験から、遺言のような意味合いで、光とされた幸いを証ししています(サムエル記下23章3~4節参照)。

私たちは、ささやかであったとしても、光に属する者として歩み続けるのです。

聖なる者にふさわしく(2020.3.29)

宣教題 「聖なる者にふさわしく」      宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 エフェソ5章1~5節

 初代教会は、迫害や自然災害や疫病といった問題のみか、不道徳や不一致や異端といった問題に遭っていました。そうした中にあって、すでに主イエスによって聖なる者にさているのですから、それにふさわしく歩むように命じています(3節)。

1.神の愛によって生かされるように  1~2節
 神に倣う者とは、神に愛されている神の子として、その愛によって生かされ、その愛を手本として愛することです(1節)。そして、主イエスが、ご自身を「いけにえ」として神に献げてくださるまでに私たちを愛してくださった、その愛に生かされて愛のうちを歩むのです(2節)。
 教会は、今日に至るまで、永遠の命が与えられているという確信のともなった希望をいだいて、信仰に基づく愛の共同体としての歩みをしてきました。いつまでも残るものは、この信仰と希望と愛に生きることです(1コリント13章13節)。

2.神を感謝して生きるように  3~5節
 続いて、聖なる者にふさわしくない言葉を口にしないことを命じています。それは、人を卑しめたり、自分をおとしめたりする不品行な言葉、神の不名誉となるような言葉を口に出してはいけないということです(3へ4節a)。そうでないと、偶像礼拝者となり、キリストと神の国を継ぐことができないからです(5節)。
 そこで積極的に口にする言葉は、神が備えて与えてくださるすべてのことに対して、神を感謝することです(4節b)。神が生きて働いておられることを信じて感謝し、神は変わることのないお方であることに望みをおいて感謝し、神が愛していてくださることを感謝するのです。

聖書朗読(0.5MB)

メッセージ(11MB)

神の恵みに戻る(2020.3.1)

宣教題 「神の恵みに戻る」         宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 エフェソ4章25~32節

 私たちが心の底から新たにされ続けるならば(4章23~24節)、その生活に変化が生じます。そして、その恵みに生きる生き方を見た人々にも変化をもたらします。

1.恵みを与える  25~31節
 主の恵みによって新しい人を身に着けていることにより、その言動が新しくされます。実際的には、次のように勧められる生き方です。
偽りを捨てて、愛の真実の言葉を語りなさい(25節、4章15節)。悪魔は、その愛の言葉を語ることを壊そうと隙を狙ってくるので、怒ることがあっても、罪を犯してはなりません(26~27節)。正当な働きで収入を得ることによって、困っている人々に分かち与えなさい(28節)。悪い言葉を口にしないで、人を造り上げる言葉が語られ、神の恵みが伝えられるようにしなさい(29節)。聖霊による救いの保証をそこなうような言動で、聖霊を悲しませることにないようにしなさい(30~31節)。
恵みを与える生き方に変えられ続けている教会でありますように。

2.恵みを与え合う  32節
 新しい人を身に着けた人たちは、「互いに」親切にし、憐みで接するようになり、何よりも「互いに」赦し合う生き方に変えられます。
 赦すことができたことは大きな恵みです。神と人に赦していただいていることを知ることも大きな恵みです。それは、互いに恵みを与え合う交わりから生まれます。そのようにさせていただくことのできるのは、キリストの十字架の事実によって、神が一人ひとりを赦してくださっていることを体験しているからです。

恵みを与え合い続けることのできる教会でありますように。

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心の底から新たにされて(2020.2.2)

宣教題 「心の底から新たにされて」     宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 エフェソ4章17~24節

 キリストの体である教会に組み合わされて歩んでいる信仰者は、「古い人を脱ぎ捨て」「新しい人を身に着け」る者とされています。パウロは、それを宣誓でもするように、厳かに命じています(17節a)。

1.古い人を脱ぎ捨てる  17~19節
 古い人とは、愚かなむなしい考えで歩んでいる人です(17節b)。正しい判断ができず、心が頑なになって神の命から遠く離れた状態にあります(18節)。神の求められることに無感覚で、放縦と情欲に迷わされて滅びに向かっていきます(19、22節)。
 キリストを信じるということは、こうしたものを決断して一挙に脱ぎ捨ててしまうことです。そのために、キリストが一人ひとりの「古い人」を一切引き受けてくださり、脱いだものを着込んでくださり、まとめて十字架の上で処分してくださったのです(ローマ6章3節~4節a)。

2.新しい人を身に着ける  20~24節
 そして、同時に、決断して一挙に「新しい人を身に着け」させていただき、キリストとの生きた関係を持たせていただくのです(ローマ6章4節b~5節)。そこには、十字架に死んで復活されたキリストに結ばれて、キリストに聞き、教えられ、学びつつ歩む関係があります(21節)。
 そのようにして、日々「心の底から新たにされ」続けて、「真理に基づいた正しく清い生活」を歩み続けるのです(23節~24節)。それが、天の御国へと歩むにふさわしい装いに身を包み、その道を歩むにふさわしい態度と言葉と振る舞いを心がける日々となっていきます。

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何を目指して生きるのか(2020.1.12)

宣教題 「何を目指して生きるのか」     宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 エフェソ4章7~16節

 「キリストの体」である教会は、ユダヤ人であれ、異邦人であれ同じ神の招きを受けて一つにされ(1~6節)、その一致のうちにあって多様性をもっています。そこには、どのような目的と意味があるのでしょうか(7~16節)。

1.究極の完成を目指して 
 ここで語られるメッセージは、「ついには、わたしたちは皆」と、ただ一つのことに集約されています(13節)。それは、何を究極の希望として抱き、何を目指しながらいきているのかを明らかにしています。
 主イエス・キリストは、今、私たちと共にいて、私たちを導いておられます(9~10節)。その導きの目的は、私たちを「成熟した人間」すなわち完全な者とするためです。すなちわ、私たちが、復活の体によみがえらされて完成され、「キリストに満ちあふれる豊かさ」に与って、究極の完成された者とされることです(13節)。

2.キリストの愛によって成長し続ける 
 そのような究極の完成を目指して生かされている私たちに、今をどう生きるのかが語られています。それは、風のように変わりやすい教えに振り回されることなく、「愛に根差して」(14~15節)、一人ひとりが「キリストの賜物のはかりにしたがつて、恵みが与えられている」賜物を用い合い(7節)、「キリストの体を造り上げ」(12節)、教会の頭であられるキリストに向かって成長していくのです(15節)。
 そのために、牧師を始めとする教職と信徒が、渾然一体となって教会を建て上げる業に励むのです(11~12節)。こうして、キリストの愛によって教会が成長するとともに、一人ひとりもキリストの愛によって生かされ成長していくのです(16節)。

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一つの希望に招かれて(2019.11.3)

宣教題 「一つの希望に招かれて」     宣 教  川原﨑晃主管牧師
聖 書 エフェソ4章1~6節

 「主に結ばれて」いる私たちは、キリストの体である教会を形造らせていだいている一人ひとりです。そして、「一つの希望にあずかるように招かれて」います(4節)。どこにその根拠があるのでしょうか。

1.復活の主のご支配に置かれているから 
 「一つの希望に」あずからせていただいているのは、主キリストを信じる信仰によって神への信頼を抱き、洗礼によって主キリストと結ばれることによって、神の家族として受け入れられているからです(5~6節)。
 聖なる者たちが受け継ぐべきものは、十字架の死から復活されて、全てのものを支配しておられるキリストに拠り所を置いた歩みをします。それこそが、揺るぎない希望です(1章18~20節)。キリストは、死に勝つ命に生かしてくださり、私たちを力強いみ手をもって捉えていてくださいます。

2.キリストの体に結び合わされているから 
 キリストの体を造るように招かれている一人ひとりは、欠けてはならない、かけがえのない存在です。その一人ひとりは、キリストの体である教会につながって、キリストの命と支えと導きをいただきなが生きていくのです。
 ですから、教会の仲間のお互いが共に支え合い、補い合って歩むように招かれているのです。そのためには、一人ひとりの信仰のあり方が問われます。キリストの救いのゆえに、謙遜へと導かれていることです(2節a)。お互いが、キリストの愛のみ手によって捉えられ、互いに愛をもって受け入れ合い、平和の絆で結ばれ、聖霊による一致を熱心に保ち続けていることです(2節b~3節)。
 このようにして、違いを遥かに凌駕する同じ「一つの希望」にあずかるのです。

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