ルカ」カテゴリーアーカイブ

喜びを抱いて待つ(2020.11.29)

聖書

「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」(ルカ24章52~53節)

礼拝音源(26.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編24編9~10節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 96編1~13節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ24章44~53節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 236 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「喜びを抱いて待つ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 409 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

待降節は、救い主イエスの降誕を祝う備えをさせていただき、また再び来臨される主イエスを迎える備えをさせていただく時です。ここに語られている昇天される直前の主イエスの言動は、再臨の主イエスを待望する者の歩みを明らかにしています。

1.祝福がともなった喜びを抱いて 50~53節

ここには、良い言葉が溢れています。主イエスが良い言葉を語ってくださると、それは「祝福」となりました。そして、主の弟子たちが神に向かって良い言葉を語ると、「神をほめたたえていた」とある賛美する言葉となりました。

主の弟子たちは、礼拝をささげた後で「大喜びで」エルサレムに帰りました。その喜びは、主イエスの降誕に際してすべての人に届けられた喜びと同じです(ルカ2章10節)。

私たちは、「絶えず」主イエスの祝福に与り続け、神をほめたたえ続けて主の再臨を待ち望むのです。

2.聖霊による喜びを抱いて 44~49節

昇天された主イエスは、地上におられた時の御業を継続されました。そのために、すべての人に悔い改めと罪の赦しの福音を宣べ伝える人を用いようとされましたが、主の弟子たちはその重責を担い切ることができませんでした。そこで、彼らが聖霊に満たされて主の証人にされることによって進められたのです。その御業は、多くの主の証人によって今日にまで至っています。

福音に与るひとりの人が起こされることは、神の「大きな喜び」です(ルカ15章1~7節)。福音を宣べ伝えて神と同じ喜びに与るのが、主の再臨を待ち望む主の証人です。

 

共に食されるキリスト(2020.11.15)

聖書

一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。(ルカ24章30節)

礼拝音源(27.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編118編23~24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 91編1~16節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ24章28~43節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 120 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「共に食されるキリスト」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 218 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

二人の弟子たちと「一緒に歩き始められた」主イエスは(15節)、なお先に進み行かれました(28節)。そして、彼らの「一緒にお泊りください」との求めに答えて「イエスは共に泊ま」られ(29節)、「一緒に食事の席に着」かれたのです(30節)。

1.主は、共に交わってくださいます

主イエスは、エマオで二人の弟子と共に食され(30節)、エルサレムでは彼らの仲間たちの前で食されています(42~43節)。これは、主イエスの復活が、日々の日常生活のなかでの出来事であることを表し、その中で復活信仰に生きることを明らかにしています。

主イエスと共に食することは、主の祝福の交わりのなかに身を置くことであり、それを通して感謝の祈りが生まれてきます。私たちは、日常生活でさまざまな経験をしますが、そこで生きた復活信仰に生きるのです。

2.主よ、共にとどまってください

心が燃え始めていた二人の弟子は、「一緒にお泊りください」と、主イエスを「無理に引き止め」ました(29節)。そうすることは、主イエスご自身と御言葉とその愛にとどまることを意味しています(ヨハネ15章5節、7節、9節)。ですから私たちは、自分自身の全存在をもって、日々の歩みにおいて、「主よ、ともに宿りませ」(讃美歌21 218番)と賛美しつつ歩むのです。

二人の弟子が、明るい日中に暗い思いで歩いた道を、暗い夜中に光輝く思いで走り帰りました。それは、復活信仰に生きる信仰者と教会の姿です。

 

共に歩まれるキリスト(2020.11.8)

聖書

話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。(ルカ24章15節)

礼拝音源(29.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨシュア1章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 127編1~5節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ24章13~27節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 532 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「共に歩まれるキリスト」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
幼児成長祝福式 マタイ28章20節b
賛  美 532 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

あらゆる世代が共に生きていく教会であるためには、一人ひとりが主イエスと共に生きていることが大切です。そのために、復活の主イエスは、今も変わらずに何をしていてくださるのでしょうか。

1.今も共に歩んでくださる
エマオに向かって歩いていた二人の弟子は、十字架に死なれた主イエスに対する望みが挫かれ、魂は傷ついていました。また、主イエスが復活されたと聞いても理解できず、主イエスが分からない状態でいました。主イエスは、そのように目が遮られていた彼らに近づき、一つのかたまりのようになって一緒に歩まれたのです(15節)。
私たちは、二人の弟子のように主イエスが分からなくなる時があります。そのような時にも変わらずに、復活されて今も生きておられる主イエスは、あなたと共に歩みたいと招かれていますし、あなたと共に歩んでおられます。

2.今も共に語り合っていてくださる
共に歩まれる復活の主イエスは、ご自身の十字架の受難と復活を中心にして聖書全体を説き明かすことにより、二人の弟子の信仰を確かなものにしようとされました(25~27節)。彼らは、主イエスが共に語り合ってくださるなかから御言葉を聞き、心の燃える経験をしたと述懐しています(32節)。
今、私たち一人ひとりと教会は、様々な状況下で聖書の御言葉によって信仰を持たせていただき、保たせていただいています。今も共に歩み続けてくださる主イエスは、御言葉を語り続け、共に語り合ってくださっているからです。

 

オワコンにワンチャン(2020.10.25)

聖書

主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。(ルカ7章13節)

礼拝音源(25.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マルコ1章15節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 46編1~12節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ7章11~17節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 155 一同起立
牧会祈祷 石﨑善土伝道師
宣  教 「オワコンにワンチャン」 石﨑善土伝道師
祈  祷
賛  美 474 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

1. 題の解説
オワコンとは、終わったコンテンツの略称です。コンテンツとは小説や映画などの内容のことで、ここでは人生のことです。ワンチャンとは、元々は英語で、もう一回(ワン)チャンスがある。という事です。スポーツでピンチになったときに、励ますときに使っていたのが元のようです。

2.一人息子を無くす悲しみ
ある母親の一人息子が死にました。家族、特に若い年齢の家族が負傷したり、亡くなったりすることは大変な悲しみです。亡くなって間がない葬儀のときには、将来の心配をするどころではなく、なぜこうなってしまったのか、回避する事はできなかったのかと悲しみが満ち溢れているでしょう。その悲しみを知り、イエスも父なる神も放っておく事はできませんでした。なぜなら、イエスは一人息子として十字架の死に向かっていました。一人息子を亡くすことは、他人ごとではなかったからです。

3.悲しみをわかって下さる主
この世に命をもって生まれてきたものは、誰でも死を迎えます。死は私達が避けて通ることのできない、人生最大のオワコンです。この悲しみをわかってくださる主は、私たちに救いの手を差し伸べ、もう一度命を与えて下さいます。その力がイエスにある事を証明しているのが、一人息子を起き上がらせた事に他なりません。私達の人生は、死でオワコンではありません。主と共に歩むものには、いつでもワンチャンがあります。

 

キリストは生きておられる(2020.10.11)

聖書

「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。」(ルカ24章6節)

礼拝音源(25.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ16章24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 84編1~13節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ24章1~12節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 11 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストは生きておられる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 513 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスが墓の中に「おられない。復活なさった」ということは(6節)、主イエスはどこにでもおられ、今ここに生きておられるということです。主イエスが復活されたという事実に対して、私たちはどういうあり方であればよいのでしょうか。

1. 思い出しなさい
最初に墓に行った婦人たちは、主イエスのご遺体がないことに途方に暮れていたとき、主の使いから「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい」と聞かされ(6節)、それを弟子たちにも伝えました。思い出すことは、主イエスが十字架に架けられ、復活されるという出来事でした(7節、ルカ9章22節)。
私たちは、御言葉が解き明かされる時に、聖餐に与る時に(1コリント11章24~25節)、主イエスの十字架と復活によって、罪と死のとりことなっていたところから解き放たれたことを、思い当たることとして、繰り返し思い出すのです。

2.お会いしなさい
マタイによる福音書における並行記事で、復活の主イエスは、「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」(マタイ28章7節、10節参照)と語られました。ガリラヤは、弟子たちが最初に主イエスに出会い、主イエスに従った場所です(ルカ5章1~11節)。弟子たちは、そのガリラヤで復活の主イエスにお会いし、再献身するように招かれたのです。
私たちを信仰の原点に立ち帰らせてくださり、信仰の歩みに変革をもたらしてくださるのは、今も生きておられる復活の主イエスです。

 

 

大きな慰め(2020.9.13)

聖書

イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。(ルカ23章46節)

礼拝音源(26.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編68編20~21 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 62編1~13節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ23章44~56節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 464 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「大きな慰め」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
洗礼式 (第二礼拝) 67
長寿祝福・感謝の時
賛  美 528 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

この箇所は、主イエスの十字架の最後の場面です。その主イエスの十字架による救いは、歴史と世界に大きな変化をもたらしました。それは、イスラエルだけではなく、全ての人にもたらされた大きな慰めです(ルカ2章25節)。

1.新しい生きた道が開かれたから  44~46節

神の御子が失われるということは、全世界を暗黒に追い込むことでした(44節~45節a)。しかし、「神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた」(45節b)ことに表されているように、主イエスは十字架の死をもって、神と人との間のあらゆる隔てを撤廃してくださり、その交わりを回復してくださったのです。

そして、「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」(46節)と、主イエスは父なる神に御自分の全てを委ね切られました。それゆえに、誰でも神に近づく新しい生きた道が開かれたのです。私たちは、この主イエスに揺るがない信頼をおくのです。

2.新しい神の御業が始まるから  47~56節

主イエスの十字架によって、神の救い、神の恵みの御業が始まりました。百人隊長は、神を信じなかった者でしたが、神を信じ始めるようになりました(47節)。群衆たちは、胸を打ちながら、自分たちの至らなかったこと、間違っていたことを認め、罪深さを知らされ、悔い改めへと導かれました(48節)。ヨセフという議員は、主イエスの御姿と御言葉に接し、心が変えられ、勇気ある人に変えられました(50~54節)。

主イエスの十字架によって、私たちの全ての闇が光へと移し変えられました。ここに、私たちの慰めがあります。この慰めを人に届ける者とさせていただきましょう。

 

 

 

キリストは他人を救った(2020.8.23)

聖書

するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23章43節)

礼拝音源(28.6MB) 

礼拝順序

前  奏
招  詞 第1ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 51編1~21節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ23章32~43節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 298 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストは他人を救った」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 433 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

人は誰でも死に向かい合って生きていますが、キリストの十字架の救いの恵みによって生きるならば、その死は勝利となります。キリストは、当時の人々に「他人を救った」と嘲られましたが、それは私たちの救いと深いかかわりがあるのです。

1.キリストは十字架で命を捨てられた

自分を救うことなく他人を救われたキリストは、私たちの罪を負って神に呪われてくださったのです(イザヤ書53章3~5節)。そのようにして、自発的にご自分の命を捨ててくださったのです(ヨハネ10章11節、18節)。

そうすることによって、私たち一人ひとりの罪を赦し、失われた神との交わりを回復してくださいました(34節)。人が求めてやまない愛と平安は、キリストによる罪の赦しを受け入れることから生まれるのです。

2.キリストは罪人を救われる

神を恐れたひとりの犯罪人は、自らは十字架刑を受けることは当然だと認めつつ、キリストは十字架に架かられる必要のないことに気づきました(40~41節)。それゆえに、彼はキリストの憐れみにすがり、信頼して「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」との願いを申し出ています(42節)。そして、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」とのキリストの呼びかけに応答した時が、彼の「今日」の救いとなりました(43節)。

私たち一人ひとりは様々な状況下に置かれています。それがいかなる時であっても、キリストの呼びかけに応答する「今日」が、あなたの救いの時となるのです。

 

 

 

 

十字架を担う者(2020.8.9)

聖書

人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。(ルカ23章26節)

礼拝音源(27.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ4章23節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 46編1~12節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ23章26~31節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 297 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「十字架を担う者」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 504 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

十字架を担うとは、苦難を担うことです。キレネ人シモンは、この時まさに十字架を担っている苦難です。エルサレムの娘たちは、近い将来に十字架を担って苦難に遭う日が来ることが語られています。

1.苦難は危機の時である  27~31節

これまで主イエスと一緒に旅をしてきたエルサレムの娘たちが、嘆き悲しんでいます。沈黙してこられた主イエスは、口を開いて大切なことを語られました。それは、これまでエルサレムに危機が迫った時には警告してこられた神が(30~31節)、この後神の審きが訪れることに対して、自分自身と自分の子供たちのために泣くようにと語られました(28~29節)。

同様に私たちは、自分が罪人であることを知って悲しみ泣き、そこから主イエスの十字架によって解き放たれた者であることを感謝して涙するのです。

2.苦難は祝福の時である  26節

この時、誰一人として十字架を背負おうとする者はいませんでした。そうした中、キレネ人シモンは、主イエスに代わって無理やりに十字架を背負わされたのです(マルコ15章21節)。ところで、この思いがけない苦難が、シモンの一家にとって救いの機会となり、祝福の源となる家族となって歩み出すようになりました(ローマ16章13節)。苦難がその信仰の成熟と人格形成に大きな役割を果たしたのです。

私たちは、絶えず主イエスの十字架と復活の救いに与り続け、強いられた恵みの十字架を担う祝福に生きるのです。

 

 

 

キリストを十字架につけたのは(2020.7.26)

聖書

そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。(ルカ23章25節)

礼拝音源(29.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 40編1~18節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ23章13~25節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 287 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストを十字架につけたのは」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 441 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストは、十字架に架けられて死なれました。その醜悪さは、十字架に架けられたキリストの醜悪さではなく、人間の罪の醜悪さを表しています。

1.私(たち)の罪が

一言で「罪」と言いますが、様々な形で表れます。祭司長たちと議員たちと民衆には、ねたみと怒りと憎しみがあります。ピラトには、恐れと責任転嫁をする優柔不断さがあます。これらが、キリストを十字架に架けたのです。

キリストの十字架の場に、私(たち)は居合わせませんでした。しかし、生ける唯一の神がいては都合が悪い、罪をさばくような存在は自分には必要ない、自分の思うことは何でもしてみたいといった神への反逆と自己中心の罪が、キリストを十字架に架けたのです。十字架は、私(たち)のこの醜悪な罪が露骨に表されたものなのです。

2.私(たち)の罪の身代わりに

しかし、十字架には、悲惨な醜悪な面だけではなく、もっと本質的な意味があります。キリストは、本来十字架刑を受けるべきであったバラバに代わって十字架にお架かりくださったのです。不思議にもバラバは、キリストの十字架の意味を世界に告げ示す生き証人となったのです。

キリストは、すべての人の罪の身代わりとなって死なれました。キリストは、私(たち)の罪を誰よりも恐れ、悲しまれながら、ご自身が死に定められたことを喜んで身に引き受けられたのです。私(たち)の信仰は、このキリストの十字架の前に立って歩み出すことから始まります。そこから、新しい生活が造られていくのです。

 

 

キリストの前に立って(2020.7.12)

聖書

それで、いろいろと尋問したが37、イエスは何もお答えにならなかった。(ルカ23章9節)

礼拝音源(29.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 33編1~22節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ23章1~12節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 166 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストの前に立って」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 448 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、ユダヤ人による宗教的な罪に対する裁きと(22章66~71節、23章6~12節)、ローマによる政治的な意味を持つ裁判を受けられました(23章1~5節、13~25節)。この裁判において、主イエスは、語ることと沈黙すべきことを区分されました。

1.語られるキリストの前に立って
最高法院の祭司長たちや律法学者たちは、キリストが自らを「神の子」と語られたことに対して、怒りをあらわにしました(22章66~71節)。
続いて、ユダヤの全会衆が、主イエスはローマの反逆罪を犯しているとローマ総督のピラトに訴えました。それに対してピラトは、主イエスを彼らが訴えているような王ではないと判断して無罪を言い渡しましたが(23章1~4節、ヨハネ18章36~37節)、人を恐れて主イエスを裁くことになったのです(23章5節、マタイ27章24節、マルコ15章15節)。このような恐れは、人に疑惑と悪の思いを生じさせます。

2.沈黙されるキリストの前に立って
主イエスが何もお答えにならなかったことに戸惑い、不思議に思ったのはピラトです(マルコ15章5節)。これまで、主イエスは、意味のない議論の挑発やののしりに対して沈黙されました(22章63~65節)。そして、ヘロデの単なる好奇心や興味からくる求めに対して沈黙されました(23章8~9節)。彼には、主イエスが語られることを受け入れようとする気持ちはなかったからです(23章11節)。
これは、主イエスが無力であったからではなく、愛のあまりに黙されたのでした。その極みが、私たちの救いの完成となった十字架の沈黙です(1ペトロ2章22~24節)。

 

 

聞く力(2020.6.28)

聖書

イエスは、このように多くのたとえで、人々の聞く力に応じて御言葉を語られた。(マルコ4章33節)

礼拝音源(29.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 27編1~14節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ22章63~71節 マルコ4章33節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 57 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聞く力」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 497 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、最高法院の代表者たちから審問を受けておられます。それを通して、主イエスが語られたことを彼らが聞こうとしているか否かを問いかけておられます。
私たちが、主イエスが語られる御言葉を聞くとはどういうことなのでしょうか。

1.主イエスは何度も語りかけられる
主イエスが、ご自分を「メシア」だと言われても、代表者たちは信じませんでした(67節)。また、ご自身が「神の子」だと言われても、代表者たちは聞く耳をもちませんでした(70節)。しかし、こうした不当な裁判であっても、主イエスは語るべきことを語られたのです。この主イエスを知ることは、私たちの慰めであり、救いです。
主イエスは、私たちがどんな場面に置かれても、今も変わらずに何度も語り続けておられます。神の御言葉が開かれることによって、神の恵みの世界を知らせてくださり、御言葉の経験を与えてくださるのです(詩編119編130節)。

2.主イエスの語りかけを聞き損じてはならない
代表者たちが主イエスを裁判にかけたのは、処刑するためでした。彼らは、自分たちの考えが正しいと思い込む固定観念によって、心の自由を失っていたからです。そのために、主イエスが語りかけられることを聞き損じてしまったのでした。
主イエスは、この代表者たちだけでなく、私たち一人ひとりに「聞く力に応じて」語っていてくださいます(マルコ4章33節)。ところが、人は、聞き分ける力、聞こうとする力を失いがちです。私たちは、聖書に親しみ、熱心かつ謙遜に主イエスの語りかけを聞く力をいただき、御言葉信仰に生きる聖徒の群れとしていただきましょう。

 

 

暗闇に立つキリスト(2020.06.07)

聖書

「だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。」(ルカ22章53節b)

礼拝音源(37MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 使徒言行録1章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 84編1~13節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ22章47~62節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 288 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「暗闇に立つキリスト」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
6月誕生者祝福 ローマ14章17節
賛  美 197 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、今は暗闇の支配する時であると語られました(53節b)。それは指導者たちだけのことでなく、イスカリオテのユダとペトロの内を暗闇が支配していることをも意味していました。そこに、主イエスは立ち続けておられたのです。

1.愛が崩される中に  47~53節
主イエスは、ユダが近づいてきたとき、深い悲しみをもって相対されました(47~48節)。彼の主イエスに対する裏切りには、愛を装って背き、友情を装って売り渡すという暗闇が支配していました。そのところに、サタンがつけ込んできました(1~6節)。
主イエスは、最後の晩餐に際しても(ヨハネ13章21~27節)、ユタが裏切る段に至っても「友よ」(マタイ26章50節)と呼びかけて、極みまで愛し抜かれました。
愛が崩れてしまっていく中にあっても、そこに主イエスは立ち続けておられます。

2.憐れみにすがる中に  54~62節
ペトロは、これまで懸命に主イエスに従い続けてきましたが、主イエスが捕らえられるや、「遠く離れて従った」のです(54節)。彼は、そこから道を踏み外しました(55~56節)。ついには、主イエスを三度まで否認する有様です(57~60節)。
この時ペトロは、変わらない主イエスのまなざしを思い起こします(61節、ヨハネ1章42節)。そして、悔いの涙を流します(62節)。憐れみに富んでおられる主イエスは、その悔いの涙に対して同情で終わることなく、十字架と復活、続くペンテコステの聖霊の恵みを通して、新しい任命と望みを与えられました(1ペトロ1章3~5節)。
主イエスは、ご自身の憐れみにすがり続ける者をこのように導かれるのです。

キリストの従順のゆえに(2020.5.24)

聖書

キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみを通して従順を学ばれました。(ヘブライ5章8節)

礼拝音源(29.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 14編1~7節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ22章39~46節
ヘブライ5章7~9節
使徒信条 93-4 1A 一同起立
賛  美 280 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストの従順のゆえに」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 303 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、キリストでさえ「学ぶ」必要があったこと、それが「従順」であったこと、それを学ぶのに「多くの苦しみ」を通してであったことに、驚きを覚えます(ヘブライ5章8節)。
主イエスは、十字架を前にオリーブ山で祈られたことを通して、ご自身どういう者なのか、私たちとどのような関わりをもたれたのかを明らかされました。

1.苦しみを伴った祈り
この祈りは、苦しみを伴う壮絶なものでした。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください」(42節)、神の裁きの杯を取り去ったくださいと祈られました(詩編73編7~8節参照)。そして、「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」(44節)と、死の恐ろしさのゆえに苦しみもだえて祈られました。主イエスは、立っていられないほど困惑し、恐れ、「ひざまずいて」祈られたのです(41節)。
なぜ、このように恐れられたのでしょうか。主イエスご自身が、全世界の罪を一身に負い、世の罪を取り除く神の小羊として十字架に架けられるからです。これまで、父なる神との交わりの断絶を経験したことのないお方が、その交わりを断たれるという「苦しみ」だからです。主イエスの「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15章34節)との十字架上の叫びこそ、その苦しみの極致でした。ここに、キリストの孤独があります。
主イエスは、今の私たち一人ひとりに代わって、この苦しみを伴う祈りをされたのです。

2.父なる神への服従の祈り
主イエスは、「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください」と願い祈りながらも、「わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」と祈られました(42節)。父なる神の御心とは、御子イエスが全ての人の罪の贖いを成し遂げることでした。主イエスはそれに従い通されたのです。
そして、このように主イエスは祈りながら、弟子たちに「誘惑に陥らないように祈りなさい」と二度にわたって言われました(40節、46節)。誘惑に陥るとは、神への信頼を失うことであり、失わせようとすることです。ですから、父なる神に信頼することに無感覚になって、信頼できなくなることのないように祈るのです。

主イエスの従順が、私たちの永遠の救いの源となりました(ヘブライ5章9節)。ですから私たちは、人となられた活ける神である主イエスを信じ仰ぎ見るのみです(讃美歌21 280番「この人を見よ」参照)。そして、「御心のままになさってください」と祈られた主イエスの祈りに支えられて、神の御心がこの私と私の人生の歩みに行われますようにと祈り、歩み出すのです。

仕える者(2020.4.5)

宣教題 「仕える者」           宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 ルカ22章24~34節

聖書朗読(0.5MB)

メッセージ(10MB)

 主イエスが十字架に架かられる前日まで、弟子たちは誰が一番偉いと思われているかと議論してきました(マタイ18章1~4節、同20章20~28節、ルカ22章24~27節)。それに対して主イエスは、十字架の救いの恵みに生かされて、「仕える者」に造られていくようにと語られます(26節)。

1. 試練によって  28~31節
 弟子たちは、主イエスがこれまで遭われた試練のときと同様に、この後の受難に対しても、一緒に踏みとどまって従い続けるように求められています(28節)。ところが、シモン・ペトロがそうであったように、このような試練のときにサタンによってその信仰がふるわれることがあります(31節)。
 主イエスは、そのような試練を通して、私たちを「仕える者」として造りあげていってくださいます。そして、天の御国における栄光の恵みに与らせてくださるのです(29~30節)。

2.主イエスによって 32~34節
 私たち自身の決心は、ペトロのようにしばしばつまずくことがあります(33~34節)。主イエスは、そのような者たちのために、「信仰が無くならないように」とりなし祈られます。後にペトロは、復活された主イエスによって信仰が回復され、その恵みを宣証していきました(32節)。
 主イエスが今も生きて私たちをとりなし続けていてくださることに、大きな驚きを覚えます(ヘブライ7章25節)。そのような恵みに与る私たちは、「仕える者」として造り変えられていくのです。

新しい救い(2020.3.22)

宣教題 「新しい救い」          宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 ルカ22章14~23節

 救いという言葉は、思想的な意味で、経済的な意味で、道徳的な意味で、病のいやしといった意味などに用いられます。ところで聖書は、イエス・キリストが成し遂げてくださった救いについて語ります。それは、全て人に必要な新しい救いです。

1.その救いに招かれているのは、あなた! 
 主イエスは、十字架に架かられる前日に、使徒(弟子)たちを食事に招きたいと「切に願って」準備してくださり、主イエスを中心にして弟子たちも周りに座りました。それは、かつてイスラエルの民が、神の救いを経験したことを記念しての「過越の食事」でした(14~15節)。この「出エジプト」の出来事は、神の審きが過ぎ越すということを意味する救いであり、囚われているところから解放されて新しく出発することを意味する救いでした(出エジプト12章)。
 主イエスは、罪人に対する神の審きを十字架上で身代わりに受けてくださり、新しい歩みをスタートする救いに招いていてくださいます。

2.その救いを受け取るのは、あなた! 
 主イエスが与えてくださるパンを食することは、主イエスと一つになることであり、ぶどう汁を飲むことは、十字架で流してくださった罪の赦しの恵みに与ることを意味しています(19~20節)。
 この主イエスが差し出された救いは、一人ひとりが自分で受け取ることによってのみ、自分のものとすることができるのです(17節、1テモテ1章15~16節)。「信じて洗礼を受ける者は救われる」(マルコ16章16節)と招かれる主イエスの救いを受け取って歩み出すのは、あなたです。

聖書朗読(0.9MB)

メッセージ(11MB)