礼拝メッセージ」カテゴリーアーカイブ

信仰による望み(2021.10.24)

聖 書

そして、彼もその家族もこぞって信じた。(ヨハネ4章53節b)

礼拝音源(32.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章43~54節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰による望み」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 474 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、十字架と復活による主イエスの救いに与り、今も共に歩まれる主イエスの恵みに与り続け、再臨される主イエスに望みを置いて生きています。ここから生きた信仰が生まれます。その良い例が、「王の役人」にみる信仰でした。

1.主の御言葉を信じて一歩を踏み出す  46~50節
王の役人は、息子が病気で死にかけているという予想だにしなかった深刻な問題に直面していました。そのことに心を支配されていた彼は、主イエスに息子の癒しを繰り返し執拗に「頼んだ」のです(47節)。主イエスは、自分の無力を思い知らされていた彼に対して、冷たい返事をされましたが、彼は懇願し続けました(48~49節)。ついに彼は主イエスからお答えをいただき、「イエスの言われた言葉を信じて帰ったのです」(50節)。
事が思い通りに運ばなかったりすると、信仰がぐらつきやすくなります。王の役人のように、私たちも御言葉に従って一歩を踏み出す信仰が求められます。

2.さらに深く主を信じさせていただく  50~53節
主イエスは、しるしや不思議な業を見なければ信じない人々に対して(48節)、主イエスの御言葉を聞いて信じたサマリアの人たちを見よと言わんばかりに(41~42節)、主イエスの御言葉だけで十分な信仰に導かれることを証しされました(50節)。王の役人は、主イエスの御言葉を信じて帰って行くと、息子が癒されていたことを知り、もう一度「信じた」のです。しかも彼の家族全員の信仰を引き出すという祝福を体験しました(53節)。
信仰の確かさは、私たちの内にある何かでなく、仰ぎ見る主イエスにあるのてす。聖餐の恵みは、望みを抱いて、信仰の吟味をいただく時です(1コリント11章26~28節)。

喜びを共にする(2021.10.17)

聖 書

あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月ある』と言っているではないか。しかし、私は言っておく。目を上げて畑を見るがよい。すでに色づいて刈り入れを待っている。刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、蒔く人も刈る人も共に喜ぶのである。(ヨハネ4章35〜36節)

礼拝音源(27.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編26編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章27~42節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「喜びを共にする」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
長寿祝福・感謝の時
賛  美 459 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、一日を最後の日であるかのように遣わされて生きていくならば、人生を前向きに生きることができます。主イエスが神から遣わされ方であったように(34節)、弟子たちも主イエスに遣わされて生きることを喜びとするように導かれました(38節)。

1.主イエスの喜びを共にする
サマリアの女は、主イエスによって救われた喜びを人々に語らずにはおれませんでした。その証言はサマリアの人々の魂を揺り動かし、主イエスを信じる者とされました(30節、39~42節)。サマリアの女に成し遂げられた父なる神の御業は、主イエスの喜びでした(34節、ルカ15章5~7節参照)。
主イエスは、弟子たちを使命をもって遣わそうとされます。主イエスが福音の種を蒔いてくださり、弟子たちがその福音の実を借り入れことによって「共に喜ぶ」ことを願われてです(35~36節)。私たちには、この喜びを知る生き方に変えられ、その喜びが増し加わっていくことが願われています。

2.同労者と喜びを共にする
主イエスに遣わされた「ほかの人々が労苦し」、主イエスに遣わされた人々が実を刈り入れ「共に喜ぶ」ということは、今日に至るまで続けられています(使徒言行録8章参照)。そこには、同労者として喜びを共にするという恵みがあります(35~38節)。
このことを知るならば、共に感謝と喜びがあり、また自分を誇ることができないと謙虚にならざるを得ません。私たちは、いかなる立場であっても、神の国の建設に仕える喜びを共にするために、遣わされて生きる一人ひとりなのです。

愛の懇願(2021.10.10)

聖 書

私の子どもたち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、私は、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。(ガラテヤ4章19節)

礼拝音源(22.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ12章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編126編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ4章12~20節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「愛の懇願」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 512 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神の子とされていたガリラヤの信徒たちは、そのキリスト信仰が不確かになり、キリストから離れていきました。それに対してパウロは、彼らとの親しい交わりを回顧しつつ、信頼を込めて愛の懇願をしています(12節、19節)。

1.キリストの福音に留まり続けるように  12~15節
パウロは、律法から解き放たれて、キリストの救いに与る生き方に変えられました。ガラテヤの信徒たちは、世を支配するものから自由にされて、キリストによって新しい生き方をするようになりました。両者は、キリスト信仰に生き、キリストに従う者となって、互いに倣うものとなったのです(12節)。
そのガラテヤの信徒たちは、病と弱さを持っていたパウロを拒むことなく受け入れ、パウロが語るキリストの福音を素直に受け入れて幸いを味わったのです(13~15節)。この時の彼らに見る信仰をもって、キリストの福音に留まり続けることが大切です。

2.キリストが形づくられるように  16~20節
ところが、ガラテヤの信徒たちは、キリスト以外のものに土台を置いて生きることに逆戻りしていきました(16~17節)。そんな彼らにパウロは、熱い愛をもって十字架の福音を語り続けるのです(18節)。
そして、その信仰が成長していくことを願い、再び産みの苦しみをしました。その願いは、一人ひとり内に、かつキリストの体である教会の間にキリストが形づくられ、キリストの愛に満たされることでした(19節)。人が途方に暮れるようなことがあっても、キリストは失望させなさることはありません(20節、2コリント4章8節)。

神の子として生きる(2021.10.3)

聖 書

ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人でもあるのです。(ガラテヤ4章7節)

礼拝音源(32.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1テモテ1章15節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編65編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ4章1~11節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神の子として生きる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
10月誕生者祝福 2テモテ2章1節、8節
賛  美 12 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

本日の聖書箇所のメッセージの要約は、「あなたはもはや奴隷ではなく、子です」(7節)とある通りです。ここでは、私たちが神の子としての生涯をスタートし、神の子としての生涯を全うするように招かれています。

1.神の子とされる   1~6節
かつてのパウロは律法を遵守することに救いを見出していましたし(3節)、異邦人のガリラヤ人は「神でない神々の奴隷となって」その生き方に依存し束縛されていました(8節、10節)。そこには、迷信に縛られたり、自分で得た価値観に流され依存している人間の姿があります。
私たちは、そのようなところからキリストの十字架によって贖い出され、神の子として、神と共に生きるようにされたのです(4~5節)。そして、「御子の霊」すなわち聖霊によって「アッバ、父よ」と神に祈り、神に近づく者とされたのです(6節)。

2.神の子として育てられる   6~11節
さらに、神の子とされた者は、栄光の日に復活の体に変えられて永遠に生きるものとされるという財産を受け継ぐ「相続人」にされています(7節)。聖霊は、終わりの時まで神の子を育てられ、守り続けられるのです(6節、ローマ8章14~17節参照)。
にもかかわらず、私たちを福音から引き離して律法に生きることが魅力的になったり、迷信などに隷属させるという「逆戻り」が起こるのです(9節)。ですから、私たちは、今では神を知っている、いや知られている神の子として育てられているという恵みを絶えず確認することです。このためにも、聖餐の恵みにあずかり続けるのです。

満ち足りた人生(2021.9.26)

聖 書

しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。(ヨハネ4章23節)

礼拝音源(26.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1ヨハネ3章16節ab 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章19~26節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「満ち足りた人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 451
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、すべての人に福音を届けてくださり、救いの道を開いてくださいました。ここでは、その救いの道を私たちがどのように歩み、また生活するかを明らかにされました。

1.実質ある礼拝生活を
サマリアの女は、礼拝の場所の正当性を取り上げました(20節)。それに対して主イエスは、場所に捉われるのではなく、誰を礼拝するのかを「知っている」ことの重要性を語られたのです(21~22節)。そして、聖霊によって新たに生まれ変わらせていただき(3章3~6節)、真理である主イエスによって(14章6節)礼拝を献げることが、実質ある礼拝であることを明らかにされました(23~24節)。
私たちは、このように父なる神が求めておられる礼拝に応答していくことによって、父なる神に養っていただき、満ち足らせていただく歩みを続けるのです。

2.実質ある信仰告白を
実質ある礼拝生活は、主イエスとその救いの御業に信仰の応答をすることから始まります。そして、サマリアの女同様に、「あなたと話しているこの私が、それ(キリスト)である」(26節)ことを知って、主イエスを告白し続けることが必要です。
この時、サマリヤの女は、質的な大きな変化を経験しています。彼女が、主イエスに出会うまでの興味や関心事に勝って、主イエスを知って証ししたのでした(27~30節)。この霊的目覚めは、パウロも経験したことでした(フィリピ3章8節)。私たちが、イエス・キリストご自身を知ることに勝るものはありません。

命あふれる人生(2021.9.19)

聖 書

しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」(ヨハネ4章14節)

礼拝音源(28.5MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編32編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章1~18節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「命あふれる人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 433
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの肉体の渇きや心の渇きを覚えるときは、繰り返し水分を求めます(13節)。ところが、主イエスは、魂の渇きに対しては「私が与える水を飲む者は決して渇かない」(14節a)と語られ、「神の賜物」について知らせてくださったのです(10節)。

1.「神の賜物」は与えられている

主イエスとサマリアの女との出会いは、一見偶然のように見えますが、主イエスの側からは必然のことでした。そこにおいて主イエスは、交わりをもっていなかったサマリアの女に、「水を飲ませてください」(7節)と求められたのです。そして、彼女に「永遠の命」を「神の賜物」として与えようとされたのです。
そのために主イエスは、彼女のうちにあった魂の病とも言える罪を具体的に示され、それからの解決の道を明らかにしようとされました(16~18節)。そうすることによって、彼女を主イエスが与えてくださる救いへと導こうとされたのです。一人ひとりが、この神の賜物を信じ受け入れることが必要です。

2.「永遠の命」があふれ出てくる
主イエスが与えてくださる「永遠の命」は、与えられた人を通して「湧き出る」のです(14節b)。すなわち、主イエスから与えられた永遠の命は、自分一人のなかにしまっておけないで、「踊り上が」るようにあふれ出て(使徒言行録3章8節)、他の人を癒やし生かすのです。サマリアの女は、この後そのように導かれました(ヨハネ4章39~42節)。

このように主イエスは、ご自身を信じ受け入れた者を通して、「永遠の命」が湧き出る新たな人生へと広げてくださいます。

 

 

 

キリストにはかえられません(2021.9.12)

聖 書

「あの方は必ず栄え、私は衰える。」(ヨハネ3章30節)

礼拝音源(26.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編68編20~21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編92編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ3章22~36節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストにはかえられません」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 522
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ここには、キリストと洗礼者ヨハネの関係を明らかにしつつ(22~30節)、キリストと人との関係が語られています(31~36節)。そして、洗礼者ヨハネのキリスト証言は、終始一貫変わっていないことが証しされています(29~30節)。

1.キリストの喜びを共に喜ぶ  29節
キリストの証しを受け入れる者は、神は間違いがないと確認し、揺るぎない者にされます(33節)。つまり、キリストを信じる者は、永遠に神の前に神の命をいただいて生きるものとされますが、キリストに従わないで生きる者は、神の怒りに支配されたままとなります(36節)。厳粛な事実です。
さて、花婿の「介添人」は、花婿に花嫁を紹介して喜びを共にします(29節)。そのように、キリストと失われ滅びに向かう人との間を取り持ち、新しく生まれ変わった人生へと導くのが、キリストの喜びを共に喜ぶ「友」なのです(ヨハネ15章11~17節参照)。

2.キリストの栄えを喜ぶ  30節
洗礼者ヨハネは、キリストは必ず栄えて輝き、自分は衰えるべきだと語ります。彼は、徹底して自分の使命に生き、なすべきことを忠実に果たしたのです。これこそ、真実なきよめの生涯です。この生き方は、キリストの友としていただいた一人ひとりが受けとめていくことです。
自分が輝くことが衰えてキリストが輝き続けるならば、永遠の命によって覆われ続けた生き方となります。そのような私たち一人ひとりを通して、キリストの輝きが増し続ける教会となるのです。

 

 

キリストにあって(2021.9.5)

聖 書

あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。(ガラテヤ3章28節d)

礼拝音源(25.2MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ43章19節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編99編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ3章23~29節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストにあって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
9月誕生者祝福 ローマ15章13節
賛  美 411
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストの十字架と復活によって神の「真実が現れたので」、私たちは律法に縛られることなく、キリストに対する信仰によって導いていただきました(23~25節)。この「キリスト・イエスにあって」(26節、28節)、どのような新しさが生じたのでしょうか。

2.キリストにあって神の子  26~27節、29節
キリストの真実のゆえに、キリストへの信仰のもとに生きる一人ひとりは、神に捕らえられ、守られ、終わりまで支えられる「神の子」です(26節)。
神の子は、「洗礼を受け」てキリストに結び合わされ、その命のご支配に入れられています。そして、罪と死の支配を脱ぎ捨てて、義と命をさずけてくださる「キリストを着た」者として覆われています(27節)。さらに、「キリストのもの」として、神の命を受け継ぎ、永遠の神の国の世継ぎとしての祝福の「相続人」とされるのです(29節)。
「キリスト・イエスにあって神の子」とされた信仰から始めさせていただきましょう。

2.キリストにあって一つ  28節
このような神と人との関係は、同時に人と人との新しい関係をつくり上げていくことに結びついています。すなわち、キリストにある交わりに入れられた時から、民族の壁、社会の壁、性別の壁などを乗り越えて、私たちは「キリスト・イエスにあって一つ」とされるのです。それは、繰り返しキリストが祈られたことであり(ヨハネ17章21節)、キリストが一致させてくださる十字架を通しての恵みです(エフェソ2章14~16節)。
このことが現実に成されていくには、私たち一人ひとりが十字架を負うなかから導かれていきます。神の子とされた者たちが一つにされ、仕え、遣わされていくのです。

 

新しい自己確立を(2021.8.29)

聖 書

しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神にあってなされたことが、明らかにされるためである。(ヨハネ3章21節)

礼拝音源(37.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編100編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ3章16~21節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しい自己確立を」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 303 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神が「愛された」ことは、御子イエスを十字架の死をもって罪を贖うために「お与えになった」事実に着目するときに分かります(16節)。私たちは、この主イエスを通して自分自身を見せていただき、信仰の真の自己確立をさせていただきたいものです。

1.滅びないで   16節
「滅びる」とは、失われた存在といった意味があります(ルカ15章4節、8節、24節、19章10節)。神は、滅びの道を進んでいた私たちを御自分の手元から失いたくないために、愛の限りを尽くされました。そして、「御子を信じる者」に主イエスにある命に抱かれて生きるようにしてくださったのです。
このことが分かれば、神の愛の懐から離れた生き方はできませんし、罪と誘惑の中に留まりたくなくなるのです。神の愛の現れである御子イエスを受け入れない頑なさはないでしょうか。その恵みを忘れてしまっていることはないでしょうか。

2.裁かれることなく  17から21節
「裁く」とは、ふるい分ける、区別するといった意味があります。神は、御子イエスを受け入れようとしない者を捨てることなく、逆に受け入れてくださり、御子を与えてくださったのです。ただ、イスカリオテのユダのように、「光よりも闇を愛し」、どこまでも御子を信じ受け入れないことが「裁きになっている」のです。厳粛な事実です。
御子イエスを信じ任せて安んじるならば、将来を先取りして生きる者になります。
そして、誠実に御言葉の真理を生き方の物差しとして生きることができるように、神が導き歩ませてくださいます(21節)。そこには、神の愛が染み透っています。

やり直しのきく人生(2021.8.22)

聖 書

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3章16節)

礼拝音源(31.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マルコ1章15節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編98編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ3章9~16節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「やり直しのきく人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 303 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神は、私たちを愛しておられます。その神の愛によって「永遠の命」に与ることを疑ったり、否定したりしているところがないでしょうか。私たちを新しく生まれ変わらせ、やり直す人生へと変えてくださるのは、イエス・キリストです。

1.キリストの十字架を仰ぎ続ける  10~14節
主イエスは、「新たに生まれなければならない」(3節、5節、7節)と「地上のこと」を語られ(12節)、「人の子も上げられなければならない」(14節)と「天上のこと」を語られました(12節)。主イエスは、そのことを具体的に分からせるために「民数記21章4~9節」を引用して説き明かされました。
人が自らの罪を解決できないまま、その罪責を訴えられるままに苦しみ、死の恐れの虜のままにいるところから解き放たれるのは、主イエスの十字架と復活の事実にあることを知って、ただ主イエスを信じ仰ぎ見続けることです。

2.キリストの命にあずかり続ける  15~16節
このように、主イエスによって現された神の愛を受け止めて歩んでいくためには、信仰が必要です。信仰とは、主イエスご自身を「信じる」(ヨハネ1章12節)ことであり、食するように「受け入れる」(同6章51節)ことであり、ぶどうの木とその枝のように「つながって」(同15章5節、7節、9節)いることです。それは、一時的なことでなく、継続し続けていることが大切です。
それによって「永遠の命を得」続け、「神の国」に入れられて永遠の限りない命を与えられ続け、神と共に生きるのです。全ての救いの主導権は、神ご自身です。

 

約束に基づく福音(2021.8.15)

聖 書

しかし、聖書はすべてのものを罪の下に閉じ込めました。約束がイエス・キリストの真実によって、信じる人々に与えられるためです。(ガラテヤ3章22節)

礼拝音源(30.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ12章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編96編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ3章15~22節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「約束に基づく福音」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 449 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主は、祝福のうちに人が恵みと平和をいただいて歩むことを願っておられます(民数記6章24~26節)。パウロは、その「祝福の基」となって歩んだアブラハムを根拠にして(創世記12章2節)、キリストの福音を明らかにし この手紙は、イエス・キリストの十字架の福音を信じる信仰によって救われる、とのメッセージが繰り返し語られています。この神の救いの約束は、変更されることなく、変化させられることもありません。

1.神の恵みの約束  15~18節
人間社会の「契約(遺言)」と同じように、神とアブラハムとの「約束」は無効になることなく、モーセの律法によって破棄されることもありません(15~17節)。神の約束を無条件に信じることによって神に受け入れられ、それを受け継ぐという約束は不変で永遠です(創世記15章5~6節、17章7~8節)。それは、神からの「恵み」によります(18節)。
この神の恵みの約束は、「一人の人」イエス・キリストにおいてすべての人への確かな恵みの約束となりました(15節)。すなわち、イエス・キリストとその救いを信じる信仰によって、神の国の恵みを受け継いでいくのです。

2.神の真実な約束  19~22節
では、神の戒めである「律法とは何なのでしょうか」(19節)。律法は、「約束を受けた子孫」のキリストが来られるときまで有効とし、人々の神に対する違反を明らかにし
(22節a)、天使たちやモーセを通して人々に与えられました(使徒言行録7章38節)。
律法は、人を救うことも、人の命を支えることもできませんし、福音への渇きを抱かせるものです(21節)。神の救いの福音は、十字架と復活の御業を通して明らかにされた「イエス・キリストの真実によって、信じる人々に与えられる」のです(22節b)。ですから、真実なキリストに信仰によって結び合わされ、神の御心の中を生きていくのです。

大いなる喜び・再臨の希望(2021.8.8)

聖 書

主は、私たちのために死んでくださいました。それは、私たちが目覚めていても眠っていても、主と共に生きるためです。(1テサロニケ5章10節

礼拝音源(26.73MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ13章12節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編95編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1テサロニケ5章1~24節
使徒信条 93-4  1A 一  同
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牧会祈祷
川原﨑晃主管牧師
宣  教 「大いなる喜び・再臨の希望」 福本行宏 師
祈  祷
賛  美 474 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨(第一礼拝、第二礼拝)

1.その日、その時は主の他に誰も知らない。 1~11節
主イエスの再臨は、(1)盗人のように来る。(2)人々が「平和だ、何事も無く、平穏無だ」と嘯いている時に、突如として起きる。(3)妊婦に産みの苦しみが臨むように。
私たちの人生に、世界には、予期せぬ出来事が突如として起きることがある。主の再臨される時も、予期せぬ時に起きると聖書は宣告している。

【その結果】
(1)神を蔑ろにして生きて来た人たちには、逃れることが出来ない破滅が襲ってくる。
ノアの大洪水、ソドムゴモラ、栄華を極めた諸々の国々、町々など、世界各地に起きている災害、その殆どが何の予告も無く突如として起きている。主の再臨はそれ以上の出来事、不信仰者で破滅から逃れることが出来る者は皆無である。
彼らは自分の頭上に燃える炭火を積み重ねている。キリストの十字架による罪の赦しも、復活による永遠の命も、主の再臨も、世界の滅びも皆、神の言葉である聖書の宣告であるから、神の御前にひれ伏して悔い改めることが肝心である。決して政治学・教育学・社会学・倫理学・心理学・諸々の思想などによるのではない。

(2)どんな時にも主を信じて生きて来た人は、キリストの十字架による贖いの故に、誰一人として破滅に陥る者はいない。
その為に常に『目を覚まして身を慎んでいなさい』と聖書は勧めている。キリストの十字架の愛と赦しを思い起こす。キリストガ死とサタンとその王国を打ち負かして復活したことを思い起こす。神の国の相続人とされたこと、その保証として御霊の内住を㥅かったことを思い出す。神の御座で執り成しておられるキリストの熱愛を思い起こす。主の再臨を待ち望む希望が与えられていることを思い起こす。

2.キリスト信徒の務め。 12~24節
(1) 愛の労苦を共にしている指導者を重んじて支える。
(2) 互いに尊敬と平和を堅持する。
(3) 怠惰な者を諭す。祈り・みことば・礼拝・献金・奉仕などを怠っている者を愛と寛容を持って諭す。
(4) 思考で悩んでいる者を温かく節度を持って慰める。
(5) 悪を持って悪に報いず、善を持って悪に打ち勝つ。
(6) 常に喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝する。これは神が私たちに臨んでいることで、みこころに叶うことですから、不可能な事では無い。
(7) 御霊を悲しませたり、働きをけしてはなりません。
(8) みことばを重んじ、しっかり蓄えなさい。
(9) 世俗的な事柄に執着しては為りません。

キリストの再臨の時、聖さと平和を保てるように。真実な神がそれを保証してくださっていることを忘れないように。

宣教要旨(第三礼拝)

ステファノは、最初のペンテコステの日に居合わせた120人のひとりでした。彼の生涯を象徴する言葉が「聖霊に満たされ」(6章3節、5節、10節、7章55節)です。聖霊に満たされた彼は、絶えず見ていたものがあり、それが勝利の秘訣でした。

1.天を見つめていた  55節

キリストの福音に敵対する者たちの罪を指摘したステファノに向かって、人々は激しい怒りを燃やし、憎悪をむき出しにしてきました。その時彼は、まず「天を見つめ」ていたのです。私たちが日々見つめているものが、その人を表し、その人を決めます。
私たちは、ここ一番、また日々に何を見つめているでしょうか。

2.神の栄光と着座されたキリストを見ていた  55節

そうした中で、ステファノは、冷静かつ落ち着いて復活され生きておられるキリストを見ていました。聖霊に満たされていると、人の憎悪や怒りの中にあっても、臨在されるキリストが見えるのです。見なくてもよいものは見えなくなり、見なければならないキリストがいつも見えるのです。

3.見たものを証しし、執り成している  56節、59~60節

生ける臨在のキリストを見ている者は、人が聞こうが聞くまいが、認めようが認めまいが、そのことを訴え、勧め、証しするのです。ステファノは、そうせずにはいられなかったのです。これこそ、聖霊の力が可能にする働きであり、クリスチャンの使命です。
私たちは、さらに神と深く交わり、キリストの愛と力を知って、聖霊に満たされ続けていることが大切なのです(エフェソ5章18節)。

 

祝福の基となって(2021.8.1)

聖 書

それで、信仰による人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されるのです。(ガラテヤ3章9節)

礼拝音源(26.73MB)
※機器のトラブルで、最後の賛美の音声が途切れております。申し訳ございません。

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ4章23節ab 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編91編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ3章6~14節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「祝福の基となって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
8月誕生者祝福 1ペトロ5章10節
賛  美 441 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主は、祝福のうちに人が恵みと平和をいただいて歩むことを願っておられます(民数記6章24~26節)。パウロは、その「祝福の基」となって歩んだアブラハムを根拠にして(創世記12章2節)、キリストの福音を明らかにしました。

1.祝福の約束にあずからせる  6~9節

キリストを信じる信仰によって義とされるという福音は、すでにアブラハムにおいて実証されていました(6節、創世記15章6節)。そして、そののち神の契約の民となる割礼を受けたのです(創世記17章9節以下)。真のアアブラハムの子孫は、割礼と律法に生きる者ではなく、「信仰によって生きる」のです(7節)。

しかもアブラハムは、選民イスラエルの父として信仰による祝福を受けたように、「すべての異邦人」もアブラハムと共に、信仰によって祝福されるのです(8~9節)。信仰による人は、霊的な祝福にあずかるのです(マタイ3章8~9節参照)。

2.呪いを祝福に変えられた  10~14節

律法は祝福に反するものではありません(ローマ7章12節、14節)。したがって、律法によって完全に生きるのであれば、神の祝福の中を生きることになります。ところが、人は誰であっても律法の行うことによって神に十分受け入れられる生き方はできず、呪いを受けるものとなったのです(10~12節)。

しかし、そのような呪いを祝福へと変えてくださったのは、私たちに代わって呪いを受けてくださったキリストの十字架によってでした(13~14節)。「正しい者は信仰によって生きる」のです(11節)。それゆえに、神への感謝の応答の日々を生きるのです。

新しく生まれる(2021.7.25)

聖 書

イエスは答えて言われた。「よくよく言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(ヨハネ3章3節)

礼拝音源(42.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編90編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ2章23節~3章8節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しく生まれる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 475 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、「新しく生まれる」ということに向き合わなければなりません。そして、主イエスが「あなたがたは新たに生まれなければならない」と問いかけられたことに対して(3章3節、5節、7節)、誰もが応答しなければならないのです。

1.上からの力で生まれる
人の心の中をよく知っておられた主イエスは、ユダヤ人たちを信用されませんでした(2章23~25節)。それは、主イエスのなされた御業を見て「先生」と呼んだニコデモに対しても同じでした(3章1~2節)。

しかし、主イエスは、そのようなニコデモと愛と真実をもって対話され、信頼できる者にしようとされたのでした。そのために、神は、人の信心や努力によってではなく、主イエスの十字架と復活を通して「新たに生まれ」るようにされたのです。それはまさに、神の上からの新たな御業でした。人はそれを受け取るだけなのです。

2. 恵みの中を生きる
確かなことは、誰でも「新たに生まれなければ」、神の国を見ることも、神の国に入ることもできません(3節、5節)。すなわち、神の恵みのご支配が見えないし、その恵みの中に入れられて生きることもできません。それを確証させていただけるのは、「水と霊」によるバプテスマによってであり(5節)、聖霊は働き続けて新しい生き方を造ってくださるのです(6~8節)。

信仰とは、信じ生きることです。聖霊は、主イエスによって、私たちにそのような恵みの中を生きるようにしてくださるのです。

 

神に生きる(2021.7.18)

聖 書

私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。(ガラテヤ2章20節c)

礼拝音源(29.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編100編1~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編67編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章19節~3章5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神に生きる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 514 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

日本イエス・キリスト教団
信仰告白

わたしたちは信じて、告白します。

旧新約聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた、誤りのない神のことばであり、キリストをあかしし、福音の真理を示すもので、教会の拠(よ)って立つただ一つの聖典です。聖書は、わたしたちに、神と救いについての完全な知識を与えるものであり、信仰と生活の基準です。

主イエス・キリストによって啓示され、聖書にあかしされた唯一の神は、父と子と聖霊の三位一体の神であり、その本質において同一です。

イエス・キリストは、神のひとり子であり、わたしたちを罪から救うために人となり、身代わりとなって十字架にかかり、ただ一度、ご自身を完全な犠牲(いけにえ)として神にささげ、あがないを成就されました。その復活は、永遠のいのちの保証です。天に昇られた主は、キリストの日に至るまで、わたしたちのためにとりなしておられます。

わたしたちは、神の恵みにより、ただキリストを信じる信仰によって義とされ、罪をゆるされ、神と和解し、新たに生まれて神の子とされます。わたしたちは、キリストの血によってすべての罪からきよめられ、神のものとされ、聖霊のバプテスマを受け、その内住による全き支配によって、主のかたちに変えられていきます。種は再び来られ、わたしたちを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて、永遠のみ国をつぐ者とされます。

教会は、キリストのからだであって、神に召された生徒の集まりです。教会は、公同の礼拝を守り、主の命にこたえて、福音を正しく宣べ伝え、聖礼典を行ない、聖徒をととのえ、主に仕えつつ愛のわざを励み、主が再び来られるのを待ち望みます。

わたしたちは、このように信じ、余世の聖徒と共に、使徒信条を告白します。

宣教要旨

私たちは、「何であるか」との問いを受け続けています(教団創立70周年記念誌P25参照)。何よりも「神に生きる」信仰は、律法ではなく、信仰によって生きることです(2章19~20節)。どのような信仰に生きることなのでしょうか。

  1. 十字架を仰ぎ見続ける  3章1節

ガラテヤの諸教会の信徒たちは、キリストの十字架を信じることによって救われました。ところが、信仰生活を行いによって整えようとしたために、十字架から目を離すような愚かな歩みを始めたのです。

このような律法主義的な心理は、自分を慢心したり、逆に足らなさばかりにとらわれたりするといった誘惑となって表れてきます。私たちは、公然と描き出された十字架の恵みに立ち続けるところに(2章20節c)、喜びと自由の恵みがあるのです(エフェソ2章8~10節)。そこから、十字架の恵みが、感謝となってほとばしり出るのです。

2. 聖霊の恵みにあずかり続ける  3章2~5節

パウロは、ガラテヤの諸教会の信徒たちが経験した聖霊の大いなる恵みを思い起こさせています。罪が赦され、義と認められ、キリストと共に十字架につけられ、キリストが内にいきてくださるのは、聖霊を受けたからでした(2節)。その時、福音を聞いて信じたのであり、信仰をもって聞いたのでした。そこから、聖霊によって歩み続け(3節)、力ある業をなされる聖霊の恵みにあずかる生活をしていくのでした(3節)。ところが、その「神の恵みを無駄」にしてしまっていたのです(2章21節、3章4節)。

「神に生きる」ことは、神のために生きるという広がりをもたらします。