メニュー 閉じる

礼拝メッセージ

イスラエルの王(2024.9.15)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

主はサムエルに言われた。「民の声を聞き入れ、彼らの王を立てなさい。」( サムエル記上 8章22節a )

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 6 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編121編
会衆祈祷 一  同
聖  書 サムエル記上8章1~22節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「イスラエルの王」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 14 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1.王を求める民
老いたサムエルは統治を二人の息子に委譲した。しかし、エリの子と同じように、サムエルの子たちも不正を行ったので、民の長老は王をサムエルに求めた。適切な統治のために諸国と同じようになるべきと考えたからだ。

2.王を求めることのリスク
主は民のことばを受け入れよ、と言った。民が拒絶したのはサムエルではなく、主であるからだ。出エジプト以来、民は、王である主を繰り返し拒絶してきたのだ。主は、人が王として統治することのリスクを、モーセを通して民に伝えた。王は、彼らの子どもを取り上げ、農作物を取り上げ、ついには彼らを自分の奴隷とする。さらに、主は彼らの叫びを聞かなくなる。王を二人、持つことはできないからだ。

3.正しい裁きか、戦いの勝利か
サムエルのことばに民は耳を傾けず、他国同様に王によって統治されることを願った。彼らは正しい統治よりも戦争における勝利を求めたのだ。サムエルは不満であったが、主は民の要求を受け入れるように告げた。
主を王とすることを拒絶するときに悲劇が訪れる。一方でイスラエルの王である主は、民の選択の行く末を分かっていつつも、彼らの選択を尊重し、彼らとの新たな関わり方を模索する。私たちの神は、問題だらけの選択をするような私たちを見捨てることはない。私たちに向き合いつつ、創意工夫をもって導かれる。

年老いてなお命豊かに(2024.9.8)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

年老いてもなお実を結ぶ 命豊かに、青々として。(詩編 92編15節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書35章1~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 300 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編121編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編92編1~16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「年老いてなお命豊かに」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 579 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.主を賛美することを喜ぶ
この詩編は、主に感謝し、主をほめ歌うことを喜びとする賛美です。朝に、夜ごとにと日々繰り返し主を賛美します。

2. 主の業を喜び歌う
主なる神様がしてくださったことを思いだして、そのみ業をほめたたえています。悪しき者に苦しめられるような時があっても、神様は悪しき者を滅ぼされ、勝利と喜びを与えてくださいました。その神様のみ業を賛美しています。

3.神の庭で命豊かに
神様に信頼する「正しい人」は、「主の家に植えられ、神の庭で茂る」木のように生きていくことができるのです。それは、「年老いてもなお実を結ぶ」豊かな命の生き方です。
イエス様の十字架と死からの復活により、永遠の命を与えられた私たちは、神様の庭に植えられた木です。そこで、豊かな命に生かされているのです。肉体は年と共に老い、衰えていきます。けれども、私たちの内なる人は日々新たにされ(2コリント4:16)、豊かに実を結び続ける人生を歩ませていただけるのです。慈しみとまことをもって共にいてくださる神様に信頼し、感謝をもって主なる神様を賛美する歩みを導いていただきましょう。年老いてもなお豊かに実を結ぶ命によって。

主の恵みに導かれて(2024.9.1)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

命あるかぎり 恵みと慈しみが私を追う。私は主の家に住もう 日の続くかぎり。(詩編 23編6節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 204 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編118編1~21節
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編23編1~6節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「主の恵みに導かれて」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 461 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.御名にふさわしく正しい道に導かれる
この詩編の作者ダビデは、主なる神様を羊飼いに譬えて神様の恵みを賛美しています。ダビデは、神様に選ばれて王となりましたが、その生涯において過ちを犯したこともありました。その度に神様は、彼の罪を指摘し悔い改めに導かれました。
彼は、神様がいつも共にいて、どんなことの中にも、主なる神様の羊としてふさわしく歩むように守られていることを経験してきたのです。

2. 災いを恐れない
ダビデの生涯には、苦難の日々を過ごした時期もありました。死を覚悟しなければならないような時もありました。そのような時も、神様が共にいてくださり慰めを与え、守り導いてくださいました。彼を苦しめる者の前でも、神様の祝福は豊かでした。

3. 恵みと慈しみの中に生きる
ダビデは、「私は主の家に住もう、日の続く限り」と、どのような時にも共にいてくださり、恵みを与え、慈しみをもって導かれた神様を信頼していくことを告白しています。
私たちの人生にも苦難の時があります。自分の欲や弱さのために過ちを犯すこともあるでしょう。それでも、私たちと共にいて恵みと慈しみをもって守り導いてくださる神様に従って日々歩ませていただきましょう。

福音の前進に(2024.8.25)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

きょうだいたち、私の身に起こったことが、かえって福音の前進につながったことを、知っていただきたい。(フィリピ 1章12節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編118編23,24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 9 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編116編
会衆祈祷 一  同
聖  書 フィリピ 1章12~30節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科早苗師
宣  教 「福音の前進に」 仁科早苗師
祈  祷
賛  美 531 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

母教会の皆様と私自身の関係がフィリピ教会とパウロの関係に重なる。送り出し祈り続けてくださって、一つとなり福音が前進している。「神様どうして」と叫びたくなることが起きる時には、本当に重要なことを見分けるためには深い知識と洞察が必要だとパウロが教える。

1. 私の身に起きたことが福音の前進に(12節)。
パウロの獄中生活が「かえって」福音の前進につながった。未亡人で、伝道の能力もなく、感情すら自分の思うように働かない私であっても、主は用いてくださった。宣教は神様がご主権をもってその働きをすすめられていく。
「主がついてれば怖くはないと聖書のうちに書いてあります」(聖歌655)
2. あなたがたの祈りとキリストの霊のささえによって(19節)
パウロの力の源は教会の祈りであった。
3. キリストのための苦しみも恵み(29節)
人生の苦しみですら、恵みに変えることができるお方が共にいてくださる。

私たちの人生に「なぜ」の疑問が起きる時「このことが福音の前進のために用いられますように」と祈れる人になろう。

信じる者に応えられる(2024.8.18)

聖 書

恐れることはない。ただ信じなさい」(マルコによる福音書 5章36節)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1コリント 15章54b~55節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 127 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編115編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコ 5章35~43節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 (493) 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「信じる者に応えられる」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 441 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 会堂長の願い
イエス様のところに会堂長が来て、「娘が死にそうなので、来て助けてください」と願いました。彼は、イエス様が娘に手を置いてくださったら、病気が治って生きることができると信じてしきりに願いました。イエス様はその願いを聞いて彼と一緒に出かけました。

2. 会堂長の失望
会堂長の家に向かっている途中で、彼の娘は死んでしまいました。会堂長の家の人が来てそのことを伝えた時、会堂長は、「間に合わなかった」と思って失望したことでしょう。けれども、イエス様は「恐れることはない。ただ信じなさい」と言われて、そのまま彼の家に行かれました。

3. 信じる者に応えられた
会堂長の家では、人々が嘆き悲しんで騒いでいました。イエス様が「子どもは死んだのではない、眠っているのだ」と言われると、人々は嘲笑いました。その人たちを外に出して中に入り、子どもの手を取って呼びかけられると、子どもはすぐに起き上がりました。会堂長の願いに応えられたイエス様のみわざです。
死者を生き返らせる神様の力は、死に打ち勝ち、永遠の命を与える力です。イエス様の十字架の死と復活を信じるとき、神様は私たちに応えてくださり、救いを与えてくださいます。

主にのみ仕える(2024.8.11)

聖 書

「あなたがたがもし心を尽くして主に立ち帰るなら、自分たちの中から異国の神々やアシュトレトを除き、主に心を定め、専ら主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はペリシテ人の手からあなたがたを救い出してくださる。」 (サムエル記上 7章3節)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編100編1~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 7 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編113編
会衆祈祷 一  同
聖  書 サムエル記上 7章2~17節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「主にのみ仕える」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 157 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 立ち帰る民
奪われた主の箱が戻って20年経ったとき、民は主を慕い求めるようになった。サムエルは、心を尽くして主に立ち帰るのなら、主に心を定め、主にのみ仕えよと民に問うた。民の心と行動が調和するとき、主は王としてイスラエルを救いに導かれる。イスラエルはサムエルの預言者としてのことばに応えた。

2. 仲保者サムエル
サムエルは民をミツパに集め、彼らを主への礼拝と罪の告白へと導いた。一方で、このときがチャンスだと考えたペリシテ人は攻め上ってきた。一方で、仲保者として民のために主に叫ぶように求められたサムエルは、その通りにした。主は仲保者の祈りに応えた。サムエルが祭司として焼き尽くすいけにえを献げているとき、主は戦われ、ペリシテを打ち破った。主の勝利のゆえにイスラエルの兵士はペリシテ人を追い払った。その場所はエベン・エゼルと呼ばれた。主に立ち帰っていなかったイスラエルは、別のエベン・エゼルで敗北を帰したが(4:1)、仲保者のわざと民の相応しい応答のゆえに、主の勝利が新しいエベン・エゼルで記念された。

3. 主の助け
主の助けは継続する。主の救いのわざは民を通して実現していった。仲保者であるサムエルがいたからだ。預言者であり、祭司であるキリストのわざゆえに、そのことばに応えて、心を尽くして主に立ち帰り、主に信頼する基本姿勢に生きたい。

愛によって平和に過ごす(2024.8.4)

聖 書

誰にも悪をもって悪に報いることなく、すべての人の前で善を行うよう心がけなさい。(ローマ 12章17節)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ 5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 16 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編112編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ 12章9~21節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「愛によって平和に過ごす」 仁科共子牧師
祈  祷
8月誕生者祝福 ローマ15:13 一同起立
賛  美 543 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.  互いに愛し合いなさい
教会はキリストの体であり、その部分である一人一人に異なった賜物を与えられて、教会が造り上げられていくとパウロは教えました。そして、その教会を造り上げる一人一人が互いに愛し合うようにと勧めます。イエス様を信じて、神の子どもとされた者たちが互いに愛し合うことが大切だと教えているのです。
2. 互いに愛し合って、共に主に仕える
相手を尊敬できなければ、互いに愛し合うことは難しいでしょう。互いを尊敬し、愛し合う時、共に励み、霊に燃えて主に仕えることができます。それは、希望が与えられ、苦難を忍耐し、たゆまず祈り続けることができる生き方です。必要なものを分かち合い、自分を迫害する人をも祝福することができます。お互いを大切に思う時、喜びも悲しみも共にすることができます。そして、思いを一つにして愛の交わりの中に生きることができるのです。
3. 善をもって悪に勝つ
愛し合う関係は、平和な関係です。この愛による平和な関係は、教会の外の人々にも、もたらすことができます。迫害するものを呪ったり、復讐したりしようとするのは、平和な関係ではありません。どんな人にも、愛のわざを行っていく時、悪に打ち勝って平和な関係を築いていくことができます。私たちに与えられている愛によって、すべての人と平和に過ごさせていただきましょう。

見つけた喜び(2024.7.28)

聖 書

『見失った羊を見つけましたから、一緒に喜んでください』(ルカ15章6節)

礼拝音源(35Mb)

礼拝順序

前  奏
招  詞 テトスへの手紙2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 211 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編111編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編91編1~16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「私が頼みとする方に守られて」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 443 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

3. 失う悲しみ、失われた悲しみ
イエスの周りには様々な人が集まってきた。その中には生まれはユダヤ人でありながら、律法を守ることのできない人々もいた。彼らとイエスが食事をするので、ある人は文句を言った。イエスはなぜこのようなことをしているのか、たとえで説明した。100匹の羊を飼う羊飼いがいたとして、1匹がいなくなったとき、羊飼いは、自分の羊が失われたことを悲しむ。その羊も失われてしまったことを悲しむ。

2. 見つけ出された喜び
そこで、羊飼いは羊飼いとして当然すべきことを行う。他の羊飼いに99匹を委ねて、荒野におき、自分は1匹の羊を捜しに行く。見つけ出すまで捜す。ついに羊の居場所を見つけたら、その羊を肩に担いで、喜びつつ家に帰る。そのとき、失われた羊は見つけ出されたことを喜ぶだろう。しかし、聖書は羊の喜びを語らない。

3. みつけた喜び
イエスがこのたとえで語ったのは、見つけ出した喜びである。羊はなにもできない一方で、羊飼いはその情熱で羊を見出し、それゆえに喜ぶ。そして、自分の羊を見出したからこそ、羊の価値以上の宴会を開き、自分と共に喜ぶように人を招く。無駄にも思えるほどの喜びである。神は見失われた者を見出すために人となられた。そして、その人を見出し、その人が立ち返ったとき、神は喜び、一緒に喜ぶようにと招く。「私の愛する子」であるあなたが見出されたからだ。

私が頼みとする方に守られて(2024.7.21)

聖 書

主は羽であなたを覆う。あなたはその翼のもとに逃れる。主のまことは大盾、小盾。(詩編91編4節)

礼拝音源(28.5Mb)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨシュア記1章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編108編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編91編1~16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「私が頼みとする方に守られて」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 461 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.全能者の陰に宿る
この詩編は神様に全く信頼している人へ、神様の保護と恵みをうたっています。神様だけをたより、神様が守ってくださることを信じ、すべてのことにおいて、神様を頼みとしています。

2.主の羽に覆われる
「わが逃れ場、わが城」と神様への信頼を告白する人を、神様は羽をひろげて覆い、脅かすものや疾病から守ってくださると言っています。この詩編を作った人の信仰の体験に基づくものであったのでしょう。「いと高き方を住まいとした」と、神様に信頼して共に生活していく生き方は、すべての道で守られる生活だと言っています。

3.わが頼みとする方が共におられる
神様に全く信頼する人は「神様を慕い、神様の御名を知っており、神様を呼び求める」人です。神様を慕っているので、神様は助け出そうと言ってくださいます。神様の御名を知っているというのは、お互いをよく知っており、親しい関係であることを示しています。このような愛による親しい関係のものとされているので、呼び求めるとき、神様は答えてくださり、苦難の時に共にいてくださるのです。
私たちも、この神様を頼みとして、守られている歩みを、日々導いていただきましょう。

キリストに倣う者(2024.7.14)

聖 書

私がキリストに倣う者であるように、あなたがたも私に倣う者となりなさい。(1コリント 11章1節)

礼拝音源(32.3Mb)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編107編1~22節
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 11章1~16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「キリストに倣う者」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 543 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.パウロに倣う
「何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい」と勧め、「私は、人々が救われるために、多くの人の利益を求めているのです」と言ったパウロは、そのような彼の生き方に倣う者になりなさいと言いました。

2.集会では秩序をもって
かぶりものを着けるということを取り上げて、男性、女性がそれぞれどのように秩序をもって集会に参加するかということを、教えています。それは、神様の創造の秩序にふさわしくあるようにということです。男女の区別はありますが、主にあっては同等です(11~12節)。また、当時のキリスト者や教会にある習慣を大切にしていくようにと教えます。それは、彼らが生きている時代の中で、益になること、人を造り上げることを求める生き方をしていくことです。

3.キリストに倣う者
パウロは自分がキリストに倣う生き方をしている者であるので、私のような生き方をしてほしいと、コリントの教会の人たちに勧めました。彼らにとっては、会ったことがあり、手紙によって教えているパウロがキリスト者としての生き方の模範でした。
私たちは、聖書を通して教えられて、聖霊の助けによってキリストに倣う生き方を導いていただきましょう。

何をするにも、すべて神の栄光を現すために(2024.7.7)

聖 書

だから、食べるにも、飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。(1コリント 10章31節)

礼拝音源(32.6Mb)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 83 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編106編1~12節
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 10章23~33節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「何をするにも、すべて神の栄光を現すために」 仁科共子牧師
祈  祷
7月誕生者祝福 「詩編37編3~4節」
賛  美 536 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.自分の利益ではなく、他人の利益を
真実な神様を信じて生きる人たちは、自分のためではなく、他の人たちの益になることを求めるようにと教えられています。それは、弱い人のことを思いやる愛による生き方であり、人を造り上げていく生き方です。

2. 自分の良心のためではなく、他人の良心のために
偶像に献げた肉を食べることについて、再びとり上げています。市場で買った肉でも、信仰のない人に招かれたときに出されたものでも、何でも食べなさいと教えます。もし、誰かが「神殿に献げた肉です」と教えてくれたら、その人の良心のために、食べてはいけないと、教えてくれた人のことを思いやって行動するようにと勧めています。

3. 神の栄光を現すために
イエス様を信じて神様との交わりの中に入れていただいた者は、自由にされたものであり、すべてのことが許されています。しかし、すべてにおいて神様の栄光を現すために、益になること、人を造り上げることを選んで行動するようにと教えています。それは、どんな人のつまずきにもならず、人々が救われるためです。
私たちが、日常のすべてのことにおいて、他の人の利益を求め、他の人を思いやって行動していくとき、神様の栄光が現されて、人々の救いにつながっていきます

待ち続けた救い(2024.6.30)

聖 書

イエスは言われた。「起きて、床を担いで歩きなさい。」(ヨハネによる福音書 5章8節)

礼拝音源(39.2Mb)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 351 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編105編1~15節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 5章1~9節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「待ち続けた救い」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 481 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1待っている人

ベトサイダと呼ばれる池に病気の人、目の見えない人などが大勢横たわっている回廊がありました。その池の水が動く時に真っ先に入る人は、癒されると言われていたからです。大勢の人が水の動くのを待っていました。その中に38年も病気で苦しんでいる人がいました。

2 イエス様は見て、声をかけられた

イエス様は、この38年間病気で苦しんでいた人に目をとめられました。イエス様は、この人が病気で長く苦しんでいることを知って「良くなりたいか」と言われました。当然のことをあえて言われたような問いかけです。でも、この病人の答えは「はい」ではありませんでした。水が動いた時に入ることができない、という苛立ち、不満を訴える答えでした。長く待っている間に、水に入るということしか考えられなくなっていたのかもしれません。

3待っていた救い

イエス様はこの人に「起きて、床を担いで歩きなさい」と言われました。するとその人は病気が良くなって、立ち上がり、歩くことができました。イエス様は、この人が長い間、願い、待っていた方法ではなく、ご自身の言葉によって長い病気の苦しみから救われたのです。

イエス様の言葉によって与えられる救いを受け取りましょう。

聖なる神の前に立つ(2024.6.23)

聖 書

「一体誰がこの聖なる神、主の前に立つことができようか。」(サムエル記上 6章20節)

礼拝音源(39.2Mb)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 351 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編104編1~18節
会衆祈祷 一  同
聖  書 サムエル記上 6章1節~7章1節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「聖なる神の前に立つ」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 529 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 神の箱を送り返す方法
イスラエルの神の箱に悩まされたペリシテ人は、それを適切に送り返す方法を尋ね求めた。そこで、腫れ物の像とねずみの像五つをペリシテ全体からの償いのいけにえとして、神の箱と共に送り返すことにした。イスラエルの神に栄光を帰し、自分たちがこの神の前に無力であることを示すためである。心をかたくなにし、自分に栄光を帰しても、神の前では無駄である。さらに、雌牛が引く車で神の箱を返すことによって、本当にイスラエルの神が原因か、確認することも提案された。

2. 神の箱の帰還
ペリシテ人は言われたとおりにした。雌牛はエクロンからベト・シェメシュにまっすぐ進んだ。国境を越えてベト・シェメシュに着くと、人々は喜び、車と雌牛を感謝のささげ物とした上に、レビ人が丁重に神の箱を取り扱った。ペリシテの領主たちはこれを見届け、安心した。ペリシテ人はその全領域で主に栄光を帰した。

3. 聖なる神の前に立つ
残念なことにイスラエルも神の箱をどのように取り扱い、聖なる神の前にどのように立つのか、知らなかった。そのために、災いが彼らにも襲いかかった。そこで、神の箱はキルヤト・エアリムに移されることになった。エルアザルはそこで聖別されて、神の箱を取り扱う命を受けた。自分を重きものとし、神を神として認めない人に神の手は重い。しかし、聖なる神を認める者に喜びと感謝が生まれる。

神は真実な方です(2024.6.16)

聖 書

あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。(1コリント 10章13節b)

礼拝音源(30.8Mb)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編68編20~21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 208 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編103編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 10章1~22節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神は真実な方です」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 457 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 善い行いのために

1. 警告として起こったこと
パウロはイスラエルの先祖たちのことを例に挙げ、警告しています。そして、神様の御心に適う生き方をするように教えます。この警告は、彼らのように悪を貪る者とならないためです。そのために、偶像礼拝をしてはいけません、神様にだけ従いなさい、と勧めます。

2. 試練にも耐えることができる
イスラエルの先祖たちの中で、淫らな行いをしたり、神様の選んだ者を試みたり、不平を言ったりした人たちは滅ぼされました。それは、神様を信じず、御心に従わない生き方をしたからです。このことが伝えられているのは、今キリストを信じて生きる私たちを戒めるためだと教えています。ただし、神様を信じて御心に適う生活をしていくときにも、試練があります。神様は、その試練に耐えて生きることができるようにしてくださっているのです。

3. 真実な神様に信頼して
偶像そのものには何の力もありませんが、偶像を礼拝させようとするのは悪霊であり、悪霊と交わりを持つことになります。ですから、偶像礼拝を避けて、キリストの血と体によるキリストとの交わりに生きるようにと勧めます。耐えられない試練に遭わせることのない、真実な神様に信頼して神様との交わりの中に歩ませていただきましょう。

善い行いのために(2024.6.9)

聖 書

それは、私たちが善い行いをして歩むためです。(エフェソの信徒への手紙 2章10節b)

礼拝音源(30.1Mb)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 エフェソ2章1~10節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 204 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編102編1~23節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ2章1~10節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野かをり副牧師
宣  教 「善い行いのために」 鎌野かをり副牧師
祈  祷
賛  美 516 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 善い行いのために

1. 神の作品
 神さまは人を神のかたちに造られ、大地のちりから造られた人に、いのちの息、神の霊を吹き込まれて、人を生きるものとされた。神さまは、特別な存在として造られた人に、神さまが造られたこの世界を、神さまの代理人として、正しく管理する使命を与えられた。ところが、神さまに創造された最初の人が、神さまの命令、約束に背いてしまったことにより、人は神さまに背くものとなり、死ぬものとなってしまった。2章1節から3節には、そのような私たちの姿を表している。しかし、あわれみ豊かな神さまは、私たちを愛して下さった大きな愛のゆえに、イエスさまの十字架と復活、昇天によって私たちに救いの道を開いて下さった。私たちは神さまの恵みによって信じるものとされ、神さまのわざによって神の作品とされた。

2.善い行いのために
 神の作品とされた私たちは、神さまが前もって準備して下さった善い行いをして歩むように招かれている。自分の欲の願うまま、自分の目が正しいと思う歩みをしていた者が、ただ信仰によって救われ、恵みによって造りかえられ、神さまの賜物によって善い行いをして歩むことが可能となった。与えられている賜物、恵みによって、隣人を愛し、隣人に仕え、福音を伝える、善い行いに共に歩ませていただきましょう。