礼拝メッセージ」カテゴリーアーカイブ

使徒の選出(2020.9.27)

聖書

そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。(マルコ3章14~15節)

礼拝音源(25.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 66編1~20節
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編46編1~12節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 463 一同起立
牧会祈祷 石﨑善土伝道師
宣  教 「使徒の選出」 石﨑善土伝道師
祈  祷
賛  美 510 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

1.選ばれた背景

イエスが行った奇跡のことを聞き、おびただしい群衆が集まった。しかし、その人々には、福音とイエスに対する偏った理解しかなかった。それに対し、福音の全体像を知り深く理解する者を育てるため、イエスは弟子の中から使徒とする者を選んだ。

2.選ばれた理由

選んだ理由は、『じぶんのそばくに置くため』『派遣して宣教させ』『悪霊を追い出す権能を持たせるため』(14,15)でした。使徒はイエスのそばで寝食を含めた生活を共にすることで、生ける福音であるイエスを目の当たりに見て深く知り、宣教に出て行く力と福音に対する信頼を得ました。そして、神から遣わされている印である、悪霊を追い出す権能を与えられるのにふさわしい者となって行きます。

3.選びの責任

イエスが十二人を任命したとき、彼らは未熟でした。筆頭のペトロをはじめ、使徒達は失敗を繰り返し、イエスの教えを理解できず、逃げ出すことさえします。しかし、イエスのそばで成長し、未熟ながらも使命を果たします。そして、使徒達が宣教した結果、私たちのところまで福音が伝えられました。

福音とイエスを信じる者は、すべて神から選ばれた者です。その信仰は未熟なところから始まります。イエスの復活があるまでは誰も完成することはありません。しかし、イエスのそばで歩み続ける事で、成長して派遣される者となります。選んだ方が責任を持ってして下さいます。その主のそばで、この秋も歩んで行きましょう。

 

 

 

 

礼拝ご案内・行事予定(2020年10月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

 

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日) 第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00 第2礼拝 :AM 10:45 ~ 11:45 第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00 ○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。
4日(日) 第1聖日世界聖餐日礼拝
「聖なる交わり」
エフェソ6:21~24
天からのはしご
創世記28:10~22
鎌野 健一
11日(日) 第2聖日 神学校デー礼拝
「キリストは生きておられる」
ルカ24:1~12
ヤボクの渡し
創世記32:22~32
山崎 勝
18日(日) 第3聖日 特別礼拝
「信仰を告白するということ」
フィリピ2:1~11
人を汚す罪
マルコ7:14~23
増永 茂
25日(日) 第4聖日 宗教改革記念日・伝道礼拝
「オワコンにワンチャン」
.ルカ7::11~17
祈りと証し

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~11:30、PM 7:00 ~ 8:00

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。

10月行事予定

■ 4日(第1聖日)世界聖餐日礼拝 聖餐式 10月誕生者祝福 避難訓練(シェイクアウト訓練)
■ 11日(第2聖日)神学校デー礼拝 役員会
■ 18日(第3聖日)特別礼拝 特別集会
■ 25日(第4聖日)宗教改革記念日・伝道礼拝

11月行事予定

■ 1日(第1聖日)聖徒の日合同記念礼拝 11月誕生者祝福
■ 8日(第2聖日)幼児成長祝福礼拝
■ 15日(第3聖日)礼拝  教会学校教師研修会③
■ 22日(第4聖日)収穫感謝日・伝道礼拝  大掃除
■2 9日(第5聖日)第1待降節礼拝

すべての人の避けどころ(2020.9.20)

聖書

神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
(詩編46編2節)

礼拝音源(25.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編68編20~21 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 121編1~8節
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編46編1~12節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 57 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「すべての人の避けどころ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 484 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神は、天地を創造され、人を救い、歴史の中で力を示し続けてこられました。そして、人が苦しみ悩む中において逃れ場のようになってくださり、必ずそこにおられて助けてくださいます(1節)。それが、イエス・キリストにおいて明らかにされました。

1.恐れを経験する中での逃れ場
人は、危険から身を避けて、安心して身を寄せることのできる逃れ場を必要としています。人生や世界の危機によって、揺れ動き混乱し不安に陥るとき、神がわたしたちの避けどころとなってくださるので、「わたしは決して恐れない」者としてくださいます(3~4節、7節)。
人生の嵐に遭遇するときの恐れのとき、罪の力と罪がもたらす良心の呵責からくる恐れのとき、死と死後の審きに対する恐れのときの逃れ場は、イエス・キリストの十字架と復活によってもたらされた救いにあります。

2.信頼を置くべき神
私たちは、そうした恐れの中にあっても、神がおられるので動揺することがないのです(5~6節)。そして、力に満ちた主が私たちと共におられるので(8節、12節)、神にしがみつき、信頼を置くのです。十字架に死んで復活してくださったイエス・キリストが共に歩み続けてくださいます。
ですから、私たちは、自分の思いや考えや生き方を貫くことを捨てて、イエス・キリストが自分自身の救い主であることを知ることです(11節)。そのイエス・キリストを信じるとは、主が成し遂げてくださった救いの御業を仰ぎ見ることです(9節a)。

 

 

 

大きな慰め(2020.9.13)

聖書

イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。(ルカ23章46節)

礼拝音源(26.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編68編20~21 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 62編1~13節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ23章44~56節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 464 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「大きな慰め」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
洗礼式 (第二礼拝) 67
長寿祝福・感謝の時
賛  美 528 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

この箇所は、主イエスの十字架の最後の場面です。その主イエスの十字架による救いは、歴史と世界に大きな変化をもたらしました。それは、イスラエルだけではなく、全ての人にもたらされた大きな慰めです(ルカ2章25節)。

1.新しい生きた道が開かれたから  44~46節

神の御子が失われるということは、全世界を暗黒に追い込むことでした(44節~45節a)。しかし、「神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた」(45節b)ことに表されているように、主イエスは十字架の死をもって、神と人との間のあらゆる隔てを撤廃してくださり、その交わりを回復してくださったのです。

そして、「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」(46節)と、主イエスは父なる神に御自分の全てを委ね切られました。それゆえに、誰でも神に近づく新しい生きた道が開かれたのです。私たちは、この主イエスに揺るがない信頼をおくのです。

2.新しい神の御業が始まるから  47~56節

主イエスの十字架によって、神の救い、神の恵みの御業が始まりました。百人隊長は、神を信じなかった者でしたが、神を信じ始めるようになりました(47節)。群衆たちは、胸を打ちながら、自分たちの至らなかったこと、間違っていたことを認め、罪深さを知らされ、悔い改めへと導かれました(48節)。ヨセフという議員は、主イエスの御姿と御言葉に接し、心が変えられ、勇気ある人に変えられました(50~54節)。

主イエスの十字架によって、私たちの全ての闇が光へと移し変えられました。ここに、私たちの慰めがあります。この慰めを人に届ける者とさせていただきましょう。

 

 

 

神の偉大な力を身にまとい(2020年9月6日)

聖書

最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。(エフェソ6章10節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 65編1~14節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ6章10~20節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 18 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神の偉大な力を身にまとい」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
9月誕生者祝福 イザヤ書63章9節
賛  美 536 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

パウロは、この手紙で、キリストと共に恵みの座に着き(2章6節)、歩み(同4章17節以下)、この箇所では、悪魔に立ち向かうように語っています(10~11節)。そのためには、主の偉大な力によって強くされ、神の武具を身につけるように命じています。

1.世の現実に送り出される身である  11~12節
信仰者が送り出されていく世の現実は、罪の力に支配されている世界です。したがって、信仰者はその戦いの装備を身に着け、心を定めて送り出されていくのです。
それは、信仰者の戦う相手が、血肉すなわち人間ではなく悪魔であり、その策略に対抗するためです。悪魔は、敵が悪魔であることを見破られることを恐れます。また、悪魔の存在を信じさせないようにしてきます。
このように、信仰者は、不信仰との戦いであること知って、神に敵対するものの前にいることを忘れてはならないのです(詩編23編5節a)。

2.神の御前に自らを置く身である  13~20節
信仰者は、この戦いに挑むに際して、臨在される神に目を向け、その神の御前に立つのです。そして、真理の帯、正義の胸当、平和の福音の履物、信仰の盾、救いの兜、霊の剣という、神が信仰者に与えてくださる「神の武具を身に着け」させていただくのです。霊の剣こそ「神の言葉」であり、人に神の救いに与らせる御言葉です。

このように、信仰者は福音の戦いのために神に全面的に依存しているのですから、祈りをもって戦いをなし、すべての聖なる者たちのために祈り、福音を大胆に語り続けられるように祈り合うのです。ひざまずき、立ちあがらせていただきましょう。

 

 

バズる福音(2020年8月30日)

聖書

エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。(マルコ3章8節)

礼拝音源(47.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編100編1~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 57編1~12節
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコ3章7~12節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 461 一同起立
牧会祈祷 石﨑善土伝道師
宣  教 「バズる福音」 石﨑善土伝道師
祈  祷
賛  美 433 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

1.噂の拡散
最近使われるようになった、「バズる」とは、噂が急激に広まる事を意味しています。特にインターネットを通じて広まること、大部分の方から好ましい事として思われている状況のときに使用されます。例えば、サバの缶詰には、コレステロール価を良くする効果がある。という噂が「バズった」とき、サバ缶が爆発的に売れたという事がありました。しかし、このような噂は、表面的な現象や理解だけが広まり、深く理解されている事はほとんどありません。まさに噂なのです。

2.福音の拡散
イエスの宣べ伝えた福音は、「バズり」ました。そのため、『おびただしい群衆』がイエスの所に集まって来ました(7,8)。しかし、群衆が集まったのは『病人をいやされた』(10)奇跡という表面的な現象を求めていたからであって、本質である『悔い改めて信じる』(1章15節)ためではありませんでした。
そこに紛れていた悪霊は、『イエスは神の子』(11)である事実を、悪用して伝えるものでしたので、言いふらさないように戒められました(12)。

3.福音に向き合う
世の中には、幸せになるための噂が溢れています。私達は不安や欲望、野心のために、それらに耳を傾けます。また、親切心と自己満足のため、「バズる」ことに手を貸します。しかし、深い平安や確信は、人の噂や自分が作り出す噂に耳を傾けるのではなく、イエスに向き合ったときに得ることができます。

 

 

キリストは他人を救った(2020.8.23)

聖書

するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23章43節)

礼拝音源(28.6MB) 

礼拝順序

前  奏
招  詞 第1ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 51編1~21節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ23章32~43節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 298 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストは他人を救った」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 433 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

人は誰でも死に向かい合って生きていますが、キリストの十字架の救いの恵みによって生きるならば、その死は勝利となります。キリストは、当時の人々に「他人を救った」と嘲られましたが、それは私たちの救いと深いかかわりがあるのです。

1.キリストは十字架で命を捨てられた

自分を救うことなく他人を救われたキリストは、私たちの罪を負って神に呪われてくださったのです(イザヤ書53章3~5節)。そのようにして、自発的にご自分の命を捨ててくださったのです(ヨハネ10章11節、18節)。

そうすることによって、私たち一人ひとりの罪を赦し、失われた神との交わりを回復してくださいました(34節)。人が求めてやまない愛と平安は、キリストによる罪の赦しを受け入れることから生まれるのです。

2.キリストは罪人を救われる

神を恐れたひとりの犯罪人は、自らは十字架刑を受けることは当然だと認めつつ、キリストは十字架に架かられる必要のないことに気づきました(40~41節)。それゆえに、彼はキリストの憐れみにすがり、信頼して「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」との願いを申し出ています(42節)。そして、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」とのキリストの呼びかけに応答した時が、彼の「今日」の救いとなりました(43節)。

私たち一人ひとりは様々な状況下に置かれています。それがいかなる時であっても、キリストの呼びかけに応答する「今日」が、あなたの救いの時となるのです。

 

 

 

 

神をほめたたえる(2020.8.16)

聖書

わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。(エフェソ1章3節a)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ12章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 50編1~23節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ1章1~14節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 351 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神をほめたたえる」 池口輝雄神学生
祈  祷
賛  美 475 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

パウロが本書を書いたのは、牢獄の中です。にも拘らず、挨拶の後すぐに神への賛美を献げています。彼は自分が賛美している神が、どのような方かを知っていたからです。パウロが知っていたのはどのような方なのでしょうか。

1. 天地創造の前に、あなたを選ばれた方
神様は、天地創造の前に、あなたを心に留めてあなたを選ばれました。さらに、イエス・キリストによって神の子にしようと前もってお定めになりました。神様はイエス様を子として、子であるが故に愛されています。そして、このイエス様によって、イエス様を信じるあなたをご自分の子どもとし、あなたにも同じ愛を注ごうと決められ、そのような交わりへとあなたを招き入れられました。

2.ゴールまであなたを導かれる方
4節の「御自分の前で聖なる者、汚れのない者」とは、私たちの最終的な姿です。これまでのあなたがどんな人であろうと、今のあなたがどうであろうと、これから先にあなたに何が起ころうと、天地創造の前からあなたを選ばれた神は、あなたを「聖なる者、汚れのない者」へと責任をもって完成させてくださいます。

3.未来の先取りとしての賛美
今神様を賛美することは、私たちがこの神様の計画の中にあるという証しであり、未来の先取りです。今朝の礼拝も、やがて完全なかたちで献げられる時が来ます。そのことを覚えつつ、心から神様に賛美していきたい。そのように願います。

 

 

 

十字架を担う者(2020.8.9)

聖書

人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。(ルカ23章26節)

礼拝音源(27.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ4章23節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 46編1~12節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ23章26~31節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 297 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「十字架を担う者」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 504 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

十字架を担うとは、苦難を担うことです。キレネ人シモンは、この時まさに十字架を担っている苦難です。エルサレムの娘たちは、近い将来に十字架を担って苦難に遭う日が来ることが語られています。

1.苦難は危機の時である  27~31節

これまで主イエスと一緒に旅をしてきたエルサレムの娘たちが、嘆き悲しんでいます。沈黙してこられた主イエスは、口を開いて大切なことを語られました。それは、これまでエルサレムに危機が迫った時には警告してこられた神が(30~31節)、この後神の審きが訪れることに対して、自分自身と自分の子供たちのために泣くようにと語られました(28~29節)。

同様に私たちは、自分が罪人であることを知って悲しみ泣き、そこから主イエスの十字架によって解き放たれた者であることを感謝して涙するのです。

2.苦難は祝福の時である  26節

この時、誰一人として十字架を背負おうとする者はいませんでした。そうした中、キレネ人シモンは、主イエスに代わって無理やりに十字架を背負わされたのです(マルコ15章21節)。ところで、この思いがけない苦難が、シモンの一家にとって救いの機会となり、祝福の源となる家族となって歩み出すようになりました(ローマ16章13節)。苦難がその信仰の成熟と人格形成に大きな役割を果たしたのです。

私たちは、絶えず主イエスの十字架と復活の救いに与り続け、強いられた恵みの十字架を担う祝福に生きるのです。

 

 

 

キリストが私たちの主(2020.8.2)

聖書

あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人が天におられ、人を分け隔てなさらないのです。(エフェソ6章9節c)

礼拝音源(30.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ガラテヤ3章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 42編1~12節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ6章5~9節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 13 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストが私たちの主」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
8月誕生者祝福 ヨハネ14章27節
賛  美 411 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

奴隷と主人については、これまでと同じように、互いに仕え合う関係として語られています(5章21節)。この世の仕組みの中で生きる奴隷と主人は、キリストにあって何を「知っている」かを問いかけています。

1.同じ主に従う僕である 9節
奴隷たちには、キリストに従うように主人に従い、主に仕えるように主人に仕えることを命じています。そうするのは、キリストの十字架の贖いによって自由にされているからであり、それも一貫して誠実に喜んで仕えることを求めています(5~7節)。
主人たちは、人を分け隔てなさらない、奴隷たちと同じ主に仕える僕です(9節)。彼らは、そのことを体験的に自分のこととして「知っている」のです。したがって、互いに足を洗い合うようにして、仕え合うのです(ヨハネ13章14節)。
同じように私たちは、主に従う僕として、この世の仕組みの中で生きるのです。

2.主から同じ報いを受ける  8節
主に従う僕は、奴隷であっても自由な者であっても、同じ報いを受けることを「知っている」のです。その報いは、すぐに与えられる主からの賜物だけでなく、主から御国を受け継ぐという報いです(コロサイ3章24節)。この報いを期待するのは、この地上の事だけを考えて生きるのではなく、天に目を注いで生きるからです。
年老いたパウロは、脱走奴隷オネシモを主人のフィレモンに返すに際して、和解の賜物を受けることを経験して知りました(フィレモン16~17節)。私たちは、生涯にわたって神の学生のようにして、キリストを私たちの主と告白しつつ歩むのです。

 

 

キリストを十字架につけたのは(2020.7.26)

聖書

そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。(ルカ23章25節)

礼拝音源(29.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 40編1~18節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ23章13~25節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 287 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストを十字架につけたのは」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 441 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストは、十字架に架けられて死なれました。その醜悪さは、十字架に架けられたキリストの醜悪さではなく、人間の罪の醜悪さを表しています。

1.私(たち)の罪が

一言で「罪」と言いますが、様々な形で表れます。祭司長たちと議員たちと民衆には、ねたみと怒りと憎しみがあります。ピラトには、恐れと責任転嫁をする優柔不断さがあます。これらが、キリストを十字架に架けたのです。

キリストの十字架の場に、私(たち)は居合わせませんでした。しかし、生ける唯一の神がいては都合が悪い、罪をさばくような存在は自分には必要ない、自分の思うことは何でもしてみたいといった神への反逆と自己中心の罪が、キリストを十字架に架けたのです。十字架は、私(たち)のこの醜悪な罪が露骨に表されたものなのです。

2.私(たち)の罪の身代わりに

しかし、十字架には、悲惨な醜悪な面だけではなく、もっと本質的な意味があります。キリストは、本来十字架刑を受けるべきであったバラバに代わって十字架にお架かりくださったのです。不思議にもバラバは、キリストの十字架の意味を世界に告げ示す生き証人となったのです。

キリストは、すべての人の罪の身代わりとなって死なれました。キリストは、私(たち)の罪を誰よりも恐れ、悲しまれながら、ご自身が死に定められたことを喜んで身に引き受けられたのです。私(たち)の信仰は、このキリストの十字架の前に立って歩み出すことから始まります。そこから、新しい生活が造られていくのです。

 

 

捨てて得する(2020.7.19)

聖書

そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。(マルコ3章5節)

礼拝音源(28.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 34編1~23節
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコ3章1~6節
教団信仰告白 一同起立
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 205 一同起立
牧会祈祷 石﨑善土伝道師
宣  教 「捨てて得する」 石﨑善土伝道師
祈  祷
賛  美 511 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

前の章で、ファリサイ派と律法学者は、イエスと弟子に、「なぜ」「どうして」と4回質問しました。イエスはそれに答えるようにして、ご自身が何者であるか、罪を赦し、罪人を招き、花婿であり、安息日の主である事を示されました。

1.イエスの質問
3章に入って、遂にイエスの方からファイリサイ派と律法学者に、「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」と、質問されました。この答えは当然、善を行うこと、命を救うことです。ところが、彼らは黙っていました。命を救う医療行為は、律法に反する、安息日に行ってはいけない労働だと思っていたからです。この事から彼らは、イエスを殺すことを決心します。イエスが、彼らの期待する救世主の言動とは異なったからです。

2.なぜ殺すことにしたのか
誰でも、様々な事で期待と実際のギャップに失望し、苛立ち、悲しみ、怒る事があります。それがかたくなな心となって譲れなくなったとき、人を傷つけ、罪を犯してしまいます。彼らはイエスにその思いを向け、イエスを拒んでしまいました。

3.かたくなな心を捨てて神の恵みを得る
ファリサイ派と律法学者の姿は、他人事ではありません。私のうちにも、神の御心に対する思い込みや勘違い、期待とのギャップによる苛立ちや失望があります。さらにかたくなにさせるプライドがあります。イエスは悲しみつつ、かたくなな心を捨て、従ってくる事を待っておられます。イエスの質問に、あなたはどう応えますか。

 

キリストの前に立って(2020.7.12)

聖書

それで、いろいろと尋問したが37、イエスは何もお答えにならなかった。(ルカ23章9節)

礼拝音源(29.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 33編1~22節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ23章1~12節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 166 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストの前に立って」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 448 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、ユダヤ人による宗教的な罪に対する裁きと(22章66~71節、23章6~12節)、ローマによる政治的な意味を持つ裁判を受けられました(23章1~5節、13~25節)。この裁判において、主イエスは、語ることと沈黙すべきことを区分されました。

1.語られるキリストの前に立って
最高法院の祭司長たちや律法学者たちは、キリストが自らを「神の子」と語られたことに対して、怒りをあらわにしました(22章66~71節)。
続いて、ユダヤの全会衆が、主イエスはローマの反逆罪を犯しているとローマ総督のピラトに訴えました。それに対してピラトは、主イエスを彼らが訴えているような王ではないと判断して無罪を言い渡しましたが(23章1~4節、ヨハネ18章36~37節)、人を恐れて主イエスを裁くことになったのです(23章5節、マタイ27章24節、マルコ15章15節)。このような恐れは、人に疑惑と悪の思いを生じさせます。

2.沈黙されるキリストの前に立って
主イエスが何もお答えにならなかったことに戸惑い、不思議に思ったのはピラトです(マルコ15章5節)。これまで、主イエスは、意味のない議論の挑発やののしりに対して沈黙されました(22章63~65節)。そして、ヘロデの単なる好奇心や興味からくる求めに対して沈黙されました(23章8~9節)。彼には、主イエスが語られることを受け入れようとする気持ちはなかったからです(23章11節)。
これは、主イエスが無力であったからではなく、愛のあまりに黙されたのでした。その極みが、私たちの救いの完成となった十字架の沈黙です(1ペトロ2章22~24節)。

 

 

キリストを中心として(2020.7.5)

聖書

子どもたち、主にあって両親に従いなさい。それは正しいことだからです。(エフェソ6章1節)

礼拝音源(29.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編46編10節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 32編1~11節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ6章1~4節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 396 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストを中心として」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
7月誕生社祝福 詩編100編1~2節
賛  美 546 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

教会は、あらゆる違いを超えて兄弟姉妹とされた者たちが集められています。支配者と被支配者を作り出すところではありません。ですから、妻も夫も、子供も両親も互いに兄弟姉妹と呼び合い、愛の関係を築き合うのです。

1.主にあって  1~3節
子供と両親の関係は、世の中の親子関係ではありません。キリストを中心として、兄弟姉妹の関係に生きるように召されています。ですから、子供に「両親に従いなさい」と命じるのです。それは、両親を敬って、両親が語る言葉に聞き従う姿勢を表しています。「それは正しいこと」だからです。
このように両親に従うことは、有無をも言わさない服従を意味しているのではありません。主イエスが天の父を愛し敬う仕方で天の父に聞き従われたように、子供は「主に結ばれている者」すなわち「主にあって」両親に向き合い聞き従うのです。それが、幸いをもたらす生き方であり、神のご厚意から与えられるのです(3節)。

2.主がなさったように  4節
同様に両親も、主にあって子供に向き合うのです。そして、特に父親は、信仰に基づく信念をもって、教え導くのです。それが、威圧的で独善的であれば、子供に反発と怒りを抱かせるでしょう。「主にあって」とは「主がなさったように」との意味があり、父親は、主の仕方を意識し、主の愛に倣おうとする姿勢が求められます。

こうした親子の関係は、兄弟姉妹の関係においても同様です(5章21節)。そこには、共に十字架のもとにひざまずき、天の御国を目指して旅する神の民の姿があります。

 

 

聞く力(2020.6.28)

聖書

イエスは、このように多くのたとえで、人々の聞く力に応じて御言葉を語られた。(マルコ4章33節)

礼拝音源(29.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 27編1~14節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ22章63~71節 マルコ4章33節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 57 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聞く力」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 497 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、最高法院の代表者たちから審問を受けておられます。それを通して、主イエスが語られたことを彼らが聞こうとしているか否かを問いかけておられます。
私たちが、主イエスが語られる御言葉を聞くとはどういうことなのでしょうか。

1.主イエスは何度も語りかけられる
主イエスが、ご自分を「メシア」だと言われても、代表者たちは信じませんでした(67節)。また、ご自身が「神の子」だと言われても、代表者たちは聞く耳をもちませんでした(70節)。しかし、こうした不当な裁判であっても、主イエスは語るべきことを語られたのです。この主イエスを知ることは、私たちの慰めであり、救いです。
主イエスは、私たちがどんな場面に置かれても、今も変わらずに何度も語り続けておられます。神の御言葉が開かれることによって、神の恵みの世界を知らせてくださり、御言葉の経験を与えてくださるのです(詩編119編130節)。

2.主イエスの語りかけを聞き損じてはならない
代表者たちが主イエスを裁判にかけたのは、処刑するためでした。彼らは、自分たちの考えが正しいと思い込む固定観念によって、心の自由を失っていたからです。そのために、主イエスが語りかけられることを聞き損じてしまったのでした。
主イエスは、この代表者たちだけでなく、私たち一人ひとりに「聞く力に応じて」語っていてくださいます(マルコ4章33節)。ところが、人は、聞き分ける力、聞こうとする力を失いがちです。私たちは、聖書に親しみ、熱心かつ謙遜に主イエスの語りかけを聞く力をいただき、御言葉信仰に生きる聖徒の群れとしていただきましょう。