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ヨハネ

待ち続けた救い(2024.6.30)

聖 書

イエスは言われた。「起きて、床を担いで歩きなさい。」(ヨハネによる福音書 5章8節)

礼拝音源(39.2Mb)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 351 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編105編1~15節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 5章1~9節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「待ち続けた救い」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 481 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1待っている人

ベトサイダと呼ばれる池に病気の人、目の見えない人などが大勢横たわっている回廊がありました。その池の水が動く時に真っ先に入る人は、癒されると言われていたからです。大勢の人が水の動くのを待っていました。その中に38年も病気で苦しんでいる人がいました。

2 イエス様は見て、声をかけられた

イエス様は、この38年間病気で苦しんでいた人に目をとめられました。イエス様は、この人が病気で長く苦しんでいることを知って「良くなりたいか」と言われました。当然のことをあえて言われたような問いかけです。でも、この病人の答えは「はい」ではありませんでした。水が動いた時に入ることができない、という苛立ち、不満を訴える答えでした。長く待っている間に、水に入るということしか考えられなくなっていたのかもしれません。

3待っていた救い

イエス様はこの人に「起きて、床を担いで歩きなさい」と言われました。するとその人は病気が良くなって、立ち上がり、歩くことができました。イエス様は、この人が長い間、願い、待っていた方法ではなく、ご自身の言葉によって長い病気の苦しみから救われたのです。

イエス様の言葉によって与えられる救いを受け取りましょう。

永遠に一緒におられる方(2024.5.19)

聖 書

私は父にお願いしよう。父はもうひとりの弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。(ヨハネによる福音書14章16節)

礼拝音源(36.9Mb)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ 16章13節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 2 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編99編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 14章15~26節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「永遠に一緒におられる方」 仁科共子牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 342 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. もうひとりの弁護者
イエス様は、世を去って父なる神様のもとに移る時が近づいたことを知って、弟子たちに、もうひとりの弁護者を遣わして弟子たちと一緒にいるように神様にお願いしてくださいました。イエス様がそばにおられなくなっても、弁護者すなわち聖霊が一緒にいてくださると約束されました。

2. 愛の交わりの中に
イエス様を愛する人は、父なる神様とイエス様に愛され、「その人のところに行き、一緒に住む」と言われました。イエス様を愛する人とは、イエス様の戒めを守る人です。イエス様を愛しているので、イエス様の言われることを守っていこうとする人です。父なる神様、イエス様と愛し合う交わりの中に入れてくださるのです。

3.永遠に一緒にいる方によって
イエス様は弟子たちと一緒におられた間、弟子たちを教え導かれました。イエス様が、弟子たちを離れて天に昇られた後は、聖霊が弁護者として「すべてのことを教え」イエス様が話してくださったことを「ことごとく思い起こさせてくださる」ので、イエス様が一緒におられた時と同じように、その日々の歩みを教え導いていただくことができます。「永遠に一緒にいる」というのは、「いつも」ということですが、それはまた、「どんな時も」と言えます。永遠に一緒にいてくださり、教え導いてくださる方に信頼して、その導きに従う歩みをさせていただきましょう。

葬りの備え(2024.3.10)

聖 書

イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。私の埋葬の日のために、それを取っておいたのだ。(ヨハネ 12章7節)

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編68編20~21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 11 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編89編1~19節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネによる福音書 12章1~8節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野かをり副牧師
宣  教 「葬りの備え」 鎌野かをり副牧師
祈  祷
賛  美 567 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 過越祭の六日前
過越祭とは、エジプトの王ファラオの奴隷であったイスラエルが、神さまによって救い出されたことを祝う時である。この祭りの六日前、イエスさまは弟子たちとベタニアに行かれた。イエスさまが夕食に招かれた席には、死からよみがえらされたラザロがいた。マルタは給仕をし、ラザロはホストとしておもてなしをしていた。

2.マリアの香油注ぎ
マリアは純粋で非常に高価な、ナルドの香油を一リトラ持ってきて、それをイエスさまの足に塗り、自分の髪の毛で拭った。彼女は最も高価なものをささげ、自らを最も低い者として、イエスさまに最上の歓迎をした。しかし、イスカリオテのユダはその香油を売って、貧しい人々に施すべきであったのにとマリアを責めた。正論に聞こえるが、彼は貧しい人のことを心にかけたのではなく、盗人である。

3. 葬りの備え
イエスさまはマリアの行動を喜んで受け入れられた。葬りの日のためにとっておいたものを今使っていると理解したからである。貧しい人々はいつも弟子たちと一緒にいるが、イエスさまが一緒にいる時は限られている。イエスさまの十字架を、マリアがどれだけ知っていたかはわからないが、イエスさまが、いのちを与えるために、葬られる過越の時にかなった行動となった。御霊の導きと助けによって今なすべきことをさせていただきましょう。

世界とあなたのための十字架(2023.5.21)

聖 書

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ 3:16)

礼拝音源(32.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 エレミヤ29章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編34編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ3章16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「世界とあなたのための十字架」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 430 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 世界を愛された神
 世界を愛する神がおられる。神は、この世界を造られたからこそこれを愛されるのだ。世界を大切にし、その最善を願っておられる。さらに、神は世界のために人を造り、この世界を整えてよくし、美しくし、豊かにする使命を与えた。そして、この使命を果たすことができるように力と、力を用いる自由を人に与えられた。

2. ひとり子を与えられた神
 与えられた力と自由を人は自分のために用いるようになった。その結果、自分も世界もだめにしていった。そこで、神は自らが愛する世界のために行動をした。アブラハムを選び、エジプトから救い、律法を与え、住む地へと導いた。世界を回復するためだ。しかし、民は世界を破壊し、自らを破壊しつづけた。神は彼らに警告を与えた。それでも応答しない民は自分の国から追い出された。そこで、神はひとり子であるイエスを送り、その働きのクライマックスとして彼を十字架に架けた。イエスがすべての破壊を自らの身に負ったので、人は罪から解放され、命の道を進むことができるようになった。

3. 信じる者に与えられる使命
 こうして、イエスのわざのゆえに、人がその使命を果たす道が開かれた。永遠の命とは、死後のことだけではなく、今、ここで人としての使命を果たす道をも表している。この道を進みなさい、御子を信じなさい、と神は私たちを招いておられる。神が与えてくださるこの素晴らしいプレゼントを受け入れ、神の働きに加わろうではないか。

よく知っておられます(2023.4.09)

聖 書

三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「私の羊を飼いなさい。」(ヨハネ21章17節)

礼拝音源(24MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編125編1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編28編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ21章1~19節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「よく知っておられます」 仁科共子牧師
祈  祷
4月誕生者祝福 詩編1編2〜3節
賛  美 475 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

イエス様がペトロをどんなに愛しておられたかを見て、イエス様の愛に生きることを教えられたいと願います。

1.イエス様とペトロ
イエス様がペトロを弟子とされてから、彼はずっとイエス様と一緒にいて、教え導かれていました。そのようなイエス様にペトロは、「あなたのためには命を捨てます。」とまで言える関係でした。でも彼は、自分の弱さのため、イエス様の裁判の場で、イエス様のことを知らないと三度も言ってしまいました。

2.イエス様はよく知っておられた
復活したイエス様が三度目に弟子たちに現れた時、それは特にペトロのためだったと言えるでしょう。イエス様はペトロに「私を愛するか」と三度質問されました。三度も同じ質問をされたペトロは「悲しくなった」のです。イエス様を三度知らないと言った時のことを思い出させたのでしょう。それでもペトロは、「主よ、私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」と答えました。
イエス様は確かにペトロのことをよく知っておられました。ですから「あなたの信仰がなくならないように祈った」とあらかじめペトロに話しておられました。(ルカ22:32)

このイエス様は、今私たちのためにも祈り、守り導いてくださっています。イエス様に信頼し、イエス様とともに生きる日々を導いていただきましょう。

愛され、愛にとどまる(2023.4.2)

聖 書

父が私を愛されたように、私もあなたがたを愛した。私の愛にとどまりなさい。(ヨハネ15章9節)

礼拝音源(37.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 エレミヤ31章3節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編27編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ15章1~17節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「愛され、愛にとどまる」 仁科共子牧師
祈  祷
聖 餐 式 新聖歌 49
奉仕者任命式
賛  美 300 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

イエス様は弟子たちに、イエス様と父なる神様の関係、イエス様と弟子たちの関係を教えられました。それは、愛によって結び合わされた永遠のいのちの関係です。

1.愛してくださっているイエス様の愛から離れない
イエス様はブドウの木とその枝、農夫との関係を例えにイエス様と弟子たちの関係、父なる神様と弟子たちの関係について教えられています。イエス様から離れないでいるなら、多くの身を結ぶことができ、願うものはかなえられ、喜びが満たされると言われています。イエス様から離れないということは、イエス様の愛の中にとどまることです。イエス様は私たちを愛していてくださいます。父なる神様がイエス様を愛されたのと同じように愛していてくださいます。

2.イエス様の友達として生きる
イエス様は私たちを大切な友達として愛してくださっています。それは、自分の命を捨てることができるほどの大きな愛です。そのイエス様と親密な愛の交わりの中に生きること、それがイエス様の愛にとどまり続けることです。それはまた、私たちが互いに愛し合うところに表されてきます。
愛し合うことがイエス様の戒めであり、その戒めを守ることが、イエス様の愛にとどまっていることになると教えられました。イエス様の友達として愛されていることを喜び、イエス様を愛して、その愛で互いに愛し合って生活させていただきましょう。イエス様の愛にとどまる生活です。

悩みある世での希望(2023.3.26)

聖 書

今までは、あなたがたは私の名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。(ヨハネ16章24節)

礼拝音源(28.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ14編27節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編25編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ16章16~33節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「悩みある世での希望」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 531 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの日々の生活には、悩みや苦しみがあります。その悩みや苦しみのどう向き合い、解決していけば良いでしょうか。イエス様は「あなた方は泣き悲しむ、苦しみにさいなまれる」しかし「その苦しみは喜びに変わる」と言われました。

1.喜びで満たされる
イエス様の弟子たちにとって、イエス様がいなくなることは悲しいことでした。しかも、イエス様は死刑にされてしまうのですから、弟子たちの失望、嘆き悲しみは深く、苦しいものになります。イエス様は、そのことをわかっておられたので、その苦しみは喜びに変わる、と言って励まされたのです。それは、死んでしまったと思ったイエス様と再び会えるからだと言われました。

2.この世に勝ったイエス様によって平和を得る
この世では苦難があり、苦しみ戦いながら生きていくようなものでしょう。けれども、イエス様は「この世」に勝利し、平和を勝ち取られました。その平和を、私たちに与えてくださいます。悲しみ苦しみに負けてしまわないで、生きることができるのです。

イエス様を信じる人には、この平和を与えられ、苦しみの生活から喜びに満ちた生活に変えられて行きます。それは、誰にも奪われない喜びです。イエス様と共に、苦しみを喜びに変えていただく生活をしていきましょう。

生きた信仰(2023.3.5)

聖 書

「ただ一つ知っているのは、目の見えなかった私が、今は見えるということです。」 (ヨハネ9章25節c)

礼拝音源(36.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ55章6,7節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編20編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ9章13~41節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「生きた信仰」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
入会式
3月誕生者祝福 コロサイ2章6~7節
賛  美 402 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、神の業の最大の現れである主イエスの十字架による罪の赦しの恵みによって、信仰の目は開かれます。その信仰は、目が見えるようになったこの人と同じように、深められ、生きた信仰となっていきます。

1.恵みの事実に生きる
この人は、目が見えるようになった次第を語っています。そのことが繰り返される中で、彼の主イエスに対する理解は深められていきました(11節、17節、25節、31節、38節)。そして、彼は自分自身が受けた恵みの事実については、確実に「ただ一つ知っている」(25節)と、動揺することもひるむこともなく語っています(30~33節)。そのとき、主イエスがこの人に近づいてくださり、個人的に「あなたは人の子を信じるか」と問いかけられ、「主よ、信じます」と応答したのです(35~38節)。
生きた信仰は、個人的に主イエスの救いの恵みの事実に立って生きるのです。

2.恵みの業を主イエスと一緒に担う
この人は、主イエスを信仰告白した後ただちに「ひれ伏す」礼拝をしたところから、主イエスの救いの恵みが見えてきました(38~39節)。確かに神の業は、主イエスによってなされました。そして主イエスは、それを「私たち」も一緒に担って、その恵みの業が拡げられていくことを願っておられます(4節)。
生きた信仰は、恵みの事実に生きる私たちが、主イエスと一緒に喜びと感謝に満ちて恵みの業を担っていくところに証しされるのです。

苦悩や虚無にさようなら(2023.2.26)

聖 書

イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現れるためである。」 (ヨハネ9章3節)

礼拝音源(27.9MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編19編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ9章1~12節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「苦悩や虚無にさようなら」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 446 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、どうしても自分では選ぶことができないことがあります。それは、自分の「生まれ」です。ここに、「生まれつき目の見えない人」が登場していますが(1節)、
生まれつきですから、それを自分で選んでそうなったのではありませんでした。

1.過去に原因探しをしますか
それに対して当時の人たちは、その人が背負う苦悩や虚無が誰のせいなのかと問題にしました。主イエスの弟子たちも問いただしています(2節)。こうした因果応報の考え方は、いつの時代にもありましたし、今なお人の心と思いを支配しています。
しかし、因果応報の考え方は、どんなに人を苦しめているか、不安に陥れているかは、主イエスがよくご存じでした。それが主イエスによって断固断ち切られところで、私たちは生かされるのです(3節)。過去に原因探しをすることから、私たちは主イエスによるとらえ直しをすることが大切です。

2.神の業を信頼し今を生きますか
「世の光」として来られた主イエスは、この人に対する深い愛をもって、不思議な方法で目が見えるようにされました(5~7節)。このように、遣わされて来られた主イエスは、一人ひとりの一番つらいところに愛をもって触れる御業をされるお方です。その極みこそ、主イエスが存在を賭けて成された十字架と復活の御業であり、それに対して私たちが信仰の一歩を踏み出すことが必要なのです(35~39節)。
今も生きておられる主イエスは、神の業が現れる人生を開いてくださいます。私たちにできることは、その神の業に自分を委ねることです。

死に勝利するには(2023.2.19)

聖 書

よくよく言っておく。私の言葉を守るなら、その人は決して死を見ることがない。(ヨハネ8章51節)

礼拝音源(33.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編17編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ8章48~59節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「死に勝利するには」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 467 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

本箇所は、永遠のイエス・キリストが(ヘブライ13章8節)、どういうお方であるかを明らかにしています。真実な主イエスは、確かな救いを得させてくださるのです(51節、58節)。それに対して、私たちはどういう信仰の歩みをしてくいのでしょうか。

1. 御言葉を重んじ目を注ぐ  48~55節
ユダヤ人たちの高ぶった思いは、心を閉ざし、聞こえなくし、主イエスに対する抵抗の炎を燃やさせました(48、52、53、57、59節)。それに対して主イエスは、御自身と父なる神との深い信頼の関係を明らかにされたのです(49~50節、54~55節)。それゆえに、主イエスは、御自身の御言葉を重んじて目を注ぐように大事にするならば、「決して」永遠の「死を見ることがない」と大胆に主張されました(51節)。
私たちは、主の御言葉を重んじて目を注ぎ続け、死に勝利する信仰の霊的センスを養い続けさせていただくのです。

2.主イエスを生きがいとする  56~59節
ユダヤ人は、真に聖書や神の力を知らないでいました(52~53節、55節a)。ところが、先祖アブラハムは、主イエスの日を見るのを楽しみとし、喜びとし、生きがいとしていました(56節、ヘブライ11章13節)。そのことも理解できないユダヤ人に対して(57節)、主イエスは、永遠から永遠までいつも「私はある」ことを明らかにされたのです(58節)。
主イエスは、今も変わらない同じお方です。私たちは、アブラハムと同じように、十字架と復活の主イエスを楽しみとし、喜びとし、生きがいとすることによって、死に勝利する道がつくられていくのです(詩編68編20~21節)。

キリストに属する者(2023.1.29)

聖 書

神から出た者は神の言葉を聞く。(ヨハネ8章47節a)

礼拝音源(29.5MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編14編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ8章39~47節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストに属する者」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 459 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、主イエスへの信仰によって「神によって生まれた」のであり(ヨハネ1章12~13節)、「神から出た者」(46節)すなわち「神に属する者」です。このことを信じて歩む私たちは、どのように新しく造り変えられ続けていくのでしょうか。

1.キリストを愛し続ける  42節
「アブラハムの子」であるユダヤ人は、この時「罪の奴隷」(34~35節)であり、悪魔の「偽り」の誘惑によって主イエスを「殺そう」としていました(39~41節、44節)。
それに対して、主イエスを遣わしてくださった神を父と呼ぶ者は、主イエスを愛する者たちでした(42節)。しかも、神から生まれた者は、同じように神から生まれた者たちを愛するのです(1ヨハネ5章1~2節)。キリストに属する者たちの群れである教会は、主イエスを愛し、兄弟姉妹を愛することを使命とするのです。

2.主の御言葉に聞き従い続ける  47節
主イエスを愛することは、主イエスが語られる言葉が分かるのです(43節)。それは、主イエスが語られることに、耳を傾けて聞こうとするからです。しかし、主イエスを愛することができないでいると、主イエスが神から示された真理を語っておられるので、主イエスを信じようとしないで心を閉ざすのです(45~46節)。
ですから、「神から出た者は神の言葉を聞く」のです(47節)。そして、「神から出た者」が語ることに耳を傾けるのです(1ヨハネ4章6節)。主イエスは、今も愛と忍耐をもって語り続けておられます。私たちは、それに応答して、聞き分ける力、聞こうとする力が大切なのです。

自由への招き(2023.1.22)

聖 書

「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする。」(ヨハネ8章32節)

礼拝音源(29.5MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編8編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ8章31~38節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「自由への招き」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 432 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

人間は真理を探究することによって、無知や偏見や迷信と言った不自由さから解放されてきました。それでは、「真理はあなたがたを自由にする」(32節)と語られた主イエスは、どのような自由へと招かれるのでしょうか。

1.真の自由はここに 32~36節
私たちは、政治的・社会的・経済的自由を経験するようになりました。しかし、人間は、人を愛する自由、赦す自由といったことに対しては不自由さの中に閉じ込められています。神に選ばれたアブラハムの子孫は、偶像と悪意の「罪の奴隷」となっていました(33節、37節)。私たちも同様に、罪の習慣の中にあって「罪の奴隷」状態です(34節)。
しかし、主イエスの十字架と復活によって、ビクビクしながら生きていく罪の奴隷から解放されて自由となり、親のふところに抱かれた幼子のように神の子どもとされて自由に神に近づく者となるのです(35~36節)。

2.真の自由を得るには 30~31節、37節
ところで、「多くの人がイエスを信じた」(30節)のですが、それは一時的なものであり、そこには主イエスを殺そうとする思いが潜んでいて(37節)、主イエスを信頼して歩んでいこうというものではありませんでした。ですから、主の御言葉に「とどまる」、主イエスに学び続ける「弟子」として歩み出す(31節)、主イエスの御言葉を全く信頼して受け入れていることが必要なのです(37節)。
一人ひとりは、主イエスの救いの御業とその約束の御言葉の中に救いのすべてがあることを信じ自らを任せた時に、「本当に自由になる」のです(34節)。

キリストを知る(2022.11.20)

聖 書

そこで、イエスは言われた。「あなたがたは、人の子を上げたときに初めて、『私はある』ということ、また私が、自分勝手には何もせず、父に教えられたとおりに、話していることが分かるだろう。 (ヨハネ8章28節)

礼拝音源(31.0MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 1ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編116編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ8章21~30節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストを知る」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 303 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

聖書は、私たちに人生の損益勘定をするように勧めています(マタイ16章26節)。パウロは、この計算に強かった人です(フィリピ3章7~8節)。そこで彼は、キリストを知ることが、人生最大の得をもたらすことだと語っています。

1.キリストは何者か
ユダヤ人たちは主イエスに、「あなたは一体、何者なのか」(25節)と問いかけています。それに対して、主イエスは、御自身が神であり(23節)、父なる神と共におられ、その御心に適うことを行われ(29節)、何よりも十字架に上げられることにより(28節)、誰も代わることができない死を遂げられる(21節)ことを明らかにされました。
主イエスの十字架の死こそが、私たちに罪の赦しを与える神の愛の勝利の御業でした(ルカ23章34節)。この高価な犠牲による赦しがなければ、私たちは自分の罪のために滅びるしかなかったのです。

2.人は何者なのか
主イエスは、人は「自分の罪のうちに死ぬ」(21節、24節)と繰り返し語られました。悔い改めないままで、闇の中を歩んでいたからです(23節)。そのままにとどまるならば、永遠の滅びにいたる致命傷を負うことになります。その罪を自覚させ、そこからの救いをもたらすために、「私はある」と言われる主イエスが、十字架の死を通して、私たちが「罪のうちに死ぬ」ことのないようにしてくださったのです(24節、28節)。
主イエスは、「罪のうちに死ぬ」ことのない救いの恵みを与えていてくださいます。私たちは今、その主イエスを信じる信仰をもって応答するのです(エフェソ2章8節)。

光が見えていますか(2022.11.13)

聖 書

イエスは再び言われた。「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ。」(ヨハネ8章12節)

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編118編23〜24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編8編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ8章12~20節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「光が見えていますか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
幼児成長祝福式 484(口語訳)
賛  美 503 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神に創造された私たちは「光」が必要です(創世記1章3節)。ですから「まことの光である」主イエスを通して、闇を照らしてくださいました(ヨハネ1章9節)。では「私は世の光である」(12節)と言われた主イエスと私たちは、どういう関係なのでしょうか。

1.キリストに導かれて
この時ヨハネは、出エジプトによる神の救いと、その後の40年間の荒れ野を導かれた神の御業を想起しています。神は民にパンと水を与えて養われましたが、今や主イエスが「命のパン」(ヨハネ6章31~35節)となられ、「生ける水」(同7章37~38節)となられて養い続けていてくださいます。また、神は民を雲と火の柱をもって導かれましたが、今や主イエスは「世の光」として導かれます。
宗教家たちは、このように自己証言しておられる主イエスが受け入れられませんでした(14~18節)。神に対して心と魂の目が開かれていなかったからです(19節)。
しかし私たちは、罪と死の闇から救われ、「命の光」の中に立って歩むのです。

2.キリストに従い続けて
そして私たちは、「私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ」と約束される主イエスに従う歩みをします。ちょうど、神が民を荒れ野で導かれ際に、民が信仰によって従ったようにです(民数記9章15~23節)。
そして、主イエスが「世の光」ですから、私たちはその光を受けて、受けた「命の光」を輝かすのです。そのようにされるのは、主の恵みによるのですから、「命の光」を高くかかげるのです。

何につながっている?(2022.10.23)

聖 書

私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もできないからである。(ヨハネ15章5節)

礼拝音源(44MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編100編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ15章1~10節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 光田隆代師
宣  教 「何につながっている?」 光田隆代師
祈  祷
賛  美 新332 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 光田隆代師
後  奏

宣教要旨

あなたは誰の影響、また、どのような情報の影響を強く受けているでしょうか。今日のテキストは、神があなたの人生の主人であり、主イエスはあなたを育てる命であると示されています。ぶどうの木の目的が実を結ぶためであるように、あなたに対する神のご期待もあるのです。

1.剪定の目的 2節
神は人を神と同様の慈しみ深く生きる存在として造られました。もし、あなたの生き方から優しい愛が感じられないならば、神の剪定が必要です。聖書で言う罪の洗いです。なぜなら、罪はあなたを神の祝福から引き離す原因だからです。

2.神の養い 9節 
キリストの十字架は、罪の刑罰をキリストが身代わりに背負って死なれたことを教えています。神は、捨てられるべきあなたを救うために来られました。そして、神の愛に養われ続けるように導かれます。ここでは神の愛の中に留まることが、その樹液に与ることです。よい実を結ぶ条件は、御言葉に養われ、神の愛に育てられることと言えます。

3.祈りの応え 7節
ここに、神との強いつながりを持ち続けるために「祈り」の道が備えられていす。神は祈りをお聞きになります。答えが何で、いつ応えられるかは分かりませんが、神との深く温かい信頼関係は、あなたの日々を恵みによって新たにするでしょう。果実は自分以外の誰かが味わうものです。