ヨハネ」カテゴリーアーカイブ

信仰による望み(2021.10.24)

聖 書

そして、彼もその家族もこぞって信じた。(ヨハネ4章53節b)

礼拝音源(32.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章43~54節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰による望み」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 474 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、十字架と復活による主イエスの救いに与り、今も共に歩まれる主イエスの恵みに与り続け、再臨される主イエスに望みを置いて生きています。ここから生きた信仰が生まれます。その良い例が、「王の役人」にみる信仰でした。

1.主の御言葉を信じて一歩を踏み出す  46~50節
王の役人は、息子が病気で死にかけているという予想だにしなかった深刻な問題に直面していました。そのことに心を支配されていた彼は、主イエスに息子の癒しを繰り返し執拗に「頼んだ」のです(47節)。主イエスは、自分の無力を思い知らされていた彼に対して、冷たい返事をされましたが、彼は懇願し続けました(48~49節)。ついに彼は主イエスからお答えをいただき、「イエスの言われた言葉を信じて帰ったのです」(50節)。
事が思い通りに運ばなかったりすると、信仰がぐらつきやすくなります。王の役人のように、私たちも御言葉に従って一歩を踏み出す信仰が求められます。

2.さらに深く主を信じさせていただく  50~53節
主イエスは、しるしや不思議な業を見なければ信じない人々に対して(48節)、主イエスの御言葉を聞いて信じたサマリアの人たちを見よと言わんばかりに(41~42節)、主イエスの御言葉だけで十分な信仰に導かれることを証しされました(50節)。王の役人は、主イエスの御言葉を信じて帰って行くと、息子が癒されていたことを知り、もう一度「信じた」のです。しかも彼の家族全員の信仰を引き出すという祝福を体験しました(53節)。
信仰の確かさは、私たちの内にある何かでなく、仰ぎ見る主イエスにあるのてす。聖餐の恵みは、望みを抱いて、信仰の吟味をいただく時です(1コリント11章26~28節)。

喜びを共にする(2021.10.17)

聖 書

あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月ある』と言っているではないか。しかし、私は言っておく。目を上げて畑を見るがよい。すでに色づいて刈り入れを待っている。刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、蒔く人も刈る人も共に喜ぶのである。(ヨハネ4章35〜36節)

礼拝音源(27.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編26編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章27~42節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「喜びを共にする」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
長寿祝福・感謝の時
賛  美 459 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、一日を最後の日であるかのように遣わされて生きていくならば、人生を前向きに生きることができます。主イエスが神から遣わされ方であったように(34節)、弟子たちも主イエスに遣わされて生きることを喜びとするように導かれました(38節)。

1.主イエスの喜びを共にする
サマリアの女は、主イエスによって救われた喜びを人々に語らずにはおれませんでした。その証言はサマリアの人々の魂を揺り動かし、主イエスを信じる者とされました(30節、39~42節)。サマリアの女に成し遂げられた父なる神の御業は、主イエスの喜びでした(34節、ルカ15章5~7節参照)。
主イエスは、弟子たちを使命をもって遣わそうとされます。主イエスが福音の種を蒔いてくださり、弟子たちがその福音の実を借り入れことによって「共に喜ぶ」ことを願われてです(35~36節)。私たちには、この喜びを知る生き方に変えられ、その喜びが増し加わっていくことが願われています。

2.同労者と喜びを共にする
主イエスに遣わされた「ほかの人々が労苦し」、主イエスに遣わされた人々が実を刈り入れ「共に喜ぶ」ということは、今日に至るまで続けられています(使徒言行録8章参照)。そこには、同労者として喜びを共にするという恵みがあります(35~38節)。
このことを知るならば、共に感謝と喜びがあり、また自分を誇ることができないと謙虚にならざるを得ません。私たちは、いかなる立場であっても、神の国の建設に仕える喜びを共にするために、遣わされて生きる一人ひとりなのです。

満ち足りた人生(2021.9.26)

聖 書

しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。(ヨハネ4章23節)

礼拝音源(26.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1ヨハネ3章16節ab 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章19~26節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「満ち足りた人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 451
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、すべての人に福音を届けてくださり、救いの道を開いてくださいました。ここでは、その救いの道を私たちがどのように歩み、また生活するかを明らかにされました。

1.実質ある礼拝生活を
サマリアの女は、礼拝の場所の正当性を取り上げました(20節)。それに対して主イエスは、場所に捉われるのではなく、誰を礼拝するのかを「知っている」ことの重要性を語られたのです(21~22節)。そして、聖霊によって新たに生まれ変わらせていただき(3章3~6節)、真理である主イエスによって(14章6節)礼拝を献げることが、実質ある礼拝であることを明らかにされました(23~24節)。
私たちは、このように父なる神が求めておられる礼拝に応答していくことによって、父なる神に養っていただき、満ち足らせていただく歩みを続けるのです。

2.実質ある信仰告白を
実質ある礼拝生活は、主イエスとその救いの御業に信仰の応答をすることから始まります。そして、サマリアの女同様に、「あなたと話しているこの私が、それ(キリスト)である」(26節)ことを知って、主イエスを告白し続けることが必要です。
この時、サマリヤの女は、質的な大きな変化を経験しています。彼女が、主イエスに出会うまでの興味や関心事に勝って、主イエスを知って証ししたのでした(27~30節)。この霊的目覚めは、パウロも経験したことでした(フィリピ3章8節)。私たちが、イエス・キリストご自身を知ることに勝るものはありません。

命あふれる人生(2021.9.19)

聖 書

しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」(ヨハネ4章14節)

礼拝音源(28.5MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編32編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章1~18節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「命あふれる人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 433
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの肉体の渇きや心の渇きを覚えるときは、繰り返し水分を求めます(13節)。ところが、主イエスは、魂の渇きに対しては「私が与える水を飲む者は決して渇かない」(14節a)と語られ、「神の賜物」について知らせてくださったのです(10節)。

1.「神の賜物」は与えられている

主イエスとサマリアの女との出会いは、一見偶然のように見えますが、主イエスの側からは必然のことでした。そこにおいて主イエスは、交わりをもっていなかったサマリアの女に、「水を飲ませてください」(7節)と求められたのです。そして、彼女に「永遠の命」を「神の賜物」として与えようとされたのです。
そのために主イエスは、彼女のうちにあった魂の病とも言える罪を具体的に示され、それからの解決の道を明らかにしようとされました(16~18節)。そうすることによって、彼女を主イエスが与えてくださる救いへと導こうとされたのです。一人ひとりが、この神の賜物を信じ受け入れることが必要です。

2.「永遠の命」があふれ出てくる
主イエスが与えてくださる「永遠の命」は、与えられた人を通して「湧き出る」のです(14節b)。すなわち、主イエスから与えられた永遠の命は、自分一人のなかにしまっておけないで、「踊り上が」るようにあふれ出て(使徒言行録3章8節)、他の人を癒やし生かすのです。サマリアの女は、この後そのように導かれました(ヨハネ4章39~42節)。

このように主イエスは、ご自身を信じ受け入れた者を通して、「永遠の命」が湧き出る新たな人生へと広げてくださいます。

 

 

 

キリストにはかえられません(2021.9.12)

聖 書

「あの方は必ず栄え、私は衰える。」(ヨハネ3章30節)

礼拝音源(26.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編68編20~21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編92編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ3章22~36節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストにはかえられません」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 522
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ここには、キリストと洗礼者ヨハネの関係を明らかにしつつ(22~30節)、キリストと人との関係が語られています(31~36節)。そして、洗礼者ヨハネのキリスト証言は、終始一貫変わっていないことが証しされています(29~30節)。

1.キリストの喜びを共に喜ぶ  29節
キリストの証しを受け入れる者は、神は間違いがないと確認し、揺るぎない者にされます(33節)。つまり、キリストを信じる者は、永遠に神の前に神の命をいただいて生きるものとされますが、キリストに従わないで生きる者は、神の怒りに支配されたままとなります(36節)。厳粛な事実です。
さて、花婿の「介添人」は、花婿に花嫁を紹介して喜びを共にします(29節)。そのように、キリストと失われ滅びに向かう人との間を取り持ち、新しく生まれ変わった人生へと導くのが、キリストの喜びを共に喜ぶ「友」なのです(ヨハネ15章11~17節参照)。

2.キリストの栄えを喜ぶ  30節
洗礼者ヨハネは、キリストは必ず栄えて輝き、自分は衰えるべきだと語ります。彼は、徹底して自分の使命に生き、なすべきことを忠実に果たしたのです。これこそ、真実なきよめの生涯です。この生き方は、キリストの友としていただいた一人ひとりが受けとめていくことです。
自分が輝くことが衰えてキリストが輝き続けるならば、永遠の命によって覆われ続けた生き方となります。そのような私たち一人ひとりを通して、キリストの輝きが増し続ける教会となるのです。

 

 

新しい自己確立を(2021.8.29)

聖 書

しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神にあってなされたことが、明らかにされるためである。(ヨハネ3章21節)

礼拝音源(37.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編100編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ3章16~21節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しい自己確立を」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 303 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神が「愛された」ことは、御子イエスを十字架の死をもって罪を贖うために「お与えになった」事実に着目するときに分かります(16節)。私たちは、この主イエスを通して自分自身を見せていただき、信仰の真の自己確立をさせていただきたいものです。

1.滅びないで   16節
「滅びる」とは、失われた存在といった意味があります(ルカ15章4節、8節、24節、19章10節)。神は、滅びの道を進んでいた私たちを御自分の手元から失いたくないために、愛の限りを尽くされました。そして、「御子を信じる者」に主イエスにある命に抱かれて生きるようにしてくださったのです。
このことが分かれば、神の愛の懐から離れた生き方はできませんし、罪と誘惑の中に留まりたくなくなるのです。神の愛の現れである御子イエスを受け入れない頑なさはないでしょうか。その恵みを忘れてしまっていることはないでしょうか。

2.裁かれることなく  17から21節
「裁く」とは、ふるい分ける、区別するといった意味があります。神は、御子イエスを受け入れようとしない者を捨てることなく、逆に受け入れてくださり、御子を与えてくださったのです。ただ、イスカリオテのユダのように、「光よりも闇を愛し」、どこまでも御子を信じ受け入れないことが「裁きになっている」のです。厳粛な事実です。
御子イエスを信じ任せて安んじるならば、将来を先取りして生きる者になります。
そして、誠実に御言葉の真理を生き方の物差しとして生きることができるように、神が導き歩ませてくださいます(21節)。そこには、神の愛が染み透っています。

やり直しのきく人生(2021.8.22)

聖 書

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3章16節)

礼拝音源(31.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マルコ1章15節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編98編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ3章9~16節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「やり直しのきく人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 303 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神は、私たちを愛しておられます。その神の愛によって「永遠の命」に与ることを疑ったり、否定したりしているところがないでしょうか。私たちを新しく生まれ変わらせ、やり直す人生へと変えてくださるのは、イエス・キリストです。

1.キリストの十字架を仰ぎ続ける  10~14節
主イエスは、「新たに生まれなければならない」(3節、5節、7節)と「地上のこと」を語られ(12節)、「人の子も上げられなければならない」(14節)と「天上のこと」を語られました(12節)。主イエスは、そのことを具体的に分からせるために「民数記21章4~9節」を引用して説き明かされました。
人が自らの罪を解決できないまま、その罪責を訴えられるままに苦しみ、死の恐れの虜のままにいるところから解き放たれるのは、主イエスの十字架と復活の事実にあることを知って、ただ主イエスを信じ仰ぎ見続けることです。

2.キリストの命にあずかり続ける  15~16節
このように、主イエスによって現された神の愛を受け止めて歩んでいくためには、信仰が必要です。信仰とは、主イエスご自身を「信じる」(ヨハネ1章12節)ことであり、食するように「受け入れる」(同6章51節)ことであり、ぶどうの木とその枝のように「つながって」(同15章5節、7節、9節)いることです。それは、一時的なことでなく、継続し続けていることが大切です。
それによって「永遠の命を得」続け、「神の国」に入れられて永遠の限りない命を与えられ続け、神と共に生きるのです。全ての救いの主導権は、神ご自身です。

 

新しく生まれる(2021.7.25)

聖 書

イエスは答えて言われた。「よくよく言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(ヨハネ3章3節)

礼拝音源(42.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編90編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ2章23節~3章8節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しく生まれる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 475 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、「新しく生まれる」ということに向き合わなければなりません。そして、主イエスが「あなたがたは新たに生まれなければならない」と問いかけられたことに対して(3章3節、5節、7節)、誰もが応答しなければならないのです。

1.上からの力で生まれる
人の心の中をよく知っておられた主イエスは、ユダヤ人たちを信用されませんでした(2章23~25節)。それは、主イエスのなされた御業を見て「先生」と呼んだニコデモに対しても同じでした(3章1~2節)。

しかし、主イエスは、そのようなニコデモと愛と真実をもって対話され、信頼できる者にしようとされたのでした。そのために、神は、人の信心や努力によってではなく、主イエスの十字架と復活を通して「新たに生まれ」るようにされたのです。それはまさに、神の上からの新たな御業でした。人はそれを受け取るだけなのです。

2. 恵みの中を生きる
確かなことは、誰でも「新たに生まれなければ」、神の国を見ることも、神の国に入ることもできません(3節、5節)。すなわち、神の恵みのご支配が見えないし、その恵みの中に入れられて生きることもできません。それを確証させていただけるのは、「水と霊」によるバプテスマによってであり(5節)、聖霊は働き続けて新しい生き方を造ってくださるのです(6~8節)。

信仰とは、信じ生きることです。聖霊は、主イエスによって、私たちにそのような恵みの中を生きるようにしてくださるのです。

 

敬虔であること(2021.7.11)

聖 書

イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。(ヨハネ2章22節)

礼拝音源(28.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編66編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ2章13~22節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「敬虔であること」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 515 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリスト信仰は、いかに生きるか、いかに死を迎えるかが密接にかかわっています。ところがこの聖書箇所には、死の後に生が続いており、義とされた者が聖化の恵みに導かれる筋道が語られています。

イスラエル民族にとって過越際は、神の救いを記念して感謝する重要な祭りでした。ここにおいて主イエスは、礼拝の民がつくられていくことの大切さを語ることにより、そこに敬虔の気風とも言うべきものが備えられるように勧めておられます。

1.神を畏れ敬う礼拝  13~17節

神殿の一番外側には、神へのささげものを必要とする人たちのために両替人がいました。しかし、両替人は暴利をむさぼって不正をしていたために、主イエスは「私の父の家を商売の家」としていると憤られたのです。敬虔な礼拝の場であるはずの神殿は、外側は立派な宗教行為がされていましたが、内側は形式化し形骸化していたのです。
敬虔とは、神に対する心の態度であり、神を敬い、畏れることです。主イエスの十字架の隣にいた男は、不敬虔から敬虔への見事な転換を経験しました(ルカ23章40節)。
敬虔が教会の気風になるためには、一人ひとりの敬虔さが深められ、基本を大切にした教会の礼拝がつくられていくことが大切なのです(1テモテ4章7節参照)。

2.信仰の目が開かれる礼拝  18~22節

ここに登場するユダヤ人たちは、主イエスが語られることの意味が分かっていませんでした。彼らは、信仰的、霊的な目が開かれていなかったからです。主イエスは、「ご自分の体てある神殿」のことを言われて、十字架に架かられて三日目に復活されることを語られたのです。
礼拝の中心であるキリストに結びついた一人ひとりがキリストの体です(1コリント6章19~20節)。このキリストへの信仰に目が開かれた礼拝者が求められているのです。

喜びの中にキリストを(2021.6.20)

聖 書

イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。(ヨハネ2章11節)

礼拝音源(25.4MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編51編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ2章1~12節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「喜びの中にキリストを」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 288 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

苦しむ人と共にいて下さる主イエスは、喜ぶ人とも共にいてくださいます。「カナでの婚礼」において、「水がぶとう酒」に変えられることによって、主イエスこそ救い主であることが明らかにされました。喜びの中に主イエスがおられるのです。

1.確かな喜びに
婚礼には、花婿と花嫁の中に、イエスの母と兄弟とイエスご自身と5人の弟子たちも招かれていました。そこには、召し使いと世話役がいます。主イエスは、婚礼の真っただ中におられ、共に祝い、喜んでおられます。ところが、祝いのぶどう酒かなくなるや、マリアは召し使いたちに命じます。彼らは、主イエスが命じられるままに水がめに水をいっぱいに入れると、水がぶどう酒に変わり、そこが喜びの宴となりました。
主イエスを迎え入れるならば、それがいかなる状況下にあっても、揺るがない確かな喜びに満ちるのです。

2.終わりのない喜びに
主イエスは、「私の時はまだ来ていません」(4節)と言われました。その時とは、主イエスが、栄光を受けられた時(ヨハネ12章23節)、すなわち十字架にお架かりくださった時のことです(同12章27節)。水がぶどう酒に変えられるという「最初のしるし」が、それを象徴しています。
それに対してマリアは、主イエスを信頼し、希望を捨てていませんでした(5節)。召し使いたちは、時を逃さずに主イエスの言葉に従いました(7節)。そのようにして、私たちは、心と人生と永遠を変えることができる「イエスを信じる」のです(11節)。

 

 

キリストに見出されて(2021.6.13)

聖 書

イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。それよりも、もっと大きなことをあなたは見るであろう。」(ヨハネ1章50節)

礼拝音源(25.6MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編42編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章43~51節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストに見出されて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 482 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イエスと出会って、イエスに仕える弟子とされた5人の人たちの様子が語られています(1章35~51節)。まずイエスが彼らに目を留められています。それに応答するようにして、彼らはイエスを見たのです。

1.イエスが目を留められた
フィリポやナタナエルがイエスを発見したのではなく、先だってイエスが彼らに目を留められています(43節、47節、48節、50節)。イエスは、彼らの過去を見てではなく、彼らの将来を見ておられたのです。
それは、先のペトロに対しても同様でした。イエスの十字架を前にしては不肖の弟子でしたが、その時すでにペンテコステの日に復活の主を力強く証しするペトロが見えておられたのです(ルカ22章61節)。
イエスが同じ目で私たち一人ひとりを見ておられることは、大きな励ましです。

2.イエスを見た
ナタナエルは、フィリポの証言に関心を抱きつつも、当初は偏見にとらわれていました。彼は、フィリポから「来て、見なさい」とイエスとの人格的な出会いへと導かれます(45~46節)。その時イエスは、誠実なナタナエルを見ておられました(47~49節)。さらにイエスは、「もっと大きなことをあなたは見る」と十字架と復活によって現される救いの御業を見せなさいました(50~51節)。
それは、「あなたがたは見る」とあるように、ナタナエルもペトロも私たちも、信仰の目をもってイエスを見つつ歩むことです(1ペトロ1章8~9節、ヘブライ12章2節)。

 

 

何を求めているのか(2021.5.30)

聖 書

イエスは振り返り、二人が従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。
(ヨハネ1章38節a)

礼拝音源(26.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章35~42節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「何を求めているのか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 451 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

洗礼者ヨハネが、アンデレと使徒ヨハネに、主イエスを「見よ、神の小羊だ」と紹介したところ、彼らは「イエスに従った」のでした。それを見られた主イエスは、「何を求めているのか」と尋ねられました。これは、今の私たちへの問いかけでもあります。

1.最高の出会いを  35~38節a

私たちの出会いには多くのものがありますが、神との出会いこそが最高の出会いです。その道筋を備えてくださったのが、救い主イエス・キリストです。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(29節、36節)と紹介されていますが、主イエスこそが、唯一私たちを罪から解き放ち、罪の力に勝利させてくださる救い主です。
二人は、洗礼者ヨハネに命じられてではなく、主イエスを自発的に求め「イエスに従った」のです(37節)。あなたと主イエスとの個人的な最高の出会いが、ここにあります。あなたは、この出会いにどのように踏み出していますか。

2.一生かけた信仰の歩みを  38節b~42節

続けて、二人は「来なさい。そうすれば分かる」との招きに応えて、「イエスのもとに泊まった」のです(39節)。彼らにとっては、祝福の晩となりました。主イエスと交わってその人格に触れ、主イエスが「先生」から「メシア」である救い主となったからです。
主イエスに従うことが、この方と信仰によって結びつき、その後の生涯が主の弟子となっていきました。シモン・ペトロも例外ではありませんでした(40~42節)。
信仰生活の途上において弱さを覚えることがあっても、主イエスは執り成し続けていてくださいます。主イエスが、一生かけた信仰の歩みを導いてくださいます。

 

聖霊によって(2021.5.23)

聖 書

「霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼(バプテスマ)を授ける人である。」(ヨハネ1章33節c)

礼拝音源(25.3MB)

ペンテコステ感謝礼拝順序

前  奏
招  詞 使徒言行録1章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章29~34節
使徒言行録1章3~8節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖霊によって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
5月誕生者祝福 「イザヤ書41章10節」
賛  美 343 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

洗礼者ヨハネは、イエス・キリストとの関わりにおいて、聖霊がどのような方であり、どのような働きをされるのかを明らかにしています。

  1. イエスを証しする聖霊

ヨハネは、罪の赦しに至る悔い改めを象徴する「水で洗礼を授け」ながら、イエスがおいでになる準備をしていました(30~31節)。彼は、イエスを見て「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言いました(29節)。そう言い表したのは、自分の考えや意見に基づくものではなく、「霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」と神が語られたことに根拠がありました(33節)。イエスこそが、聖霊によって洗礼を授ける方であり、十字架と復活のイエスに浸すように一つとしてくださり、罪の赦しときよめをもたらしてくださる「神の子」なのです(34節)。

キリストを証しするのは、聖霊ご自身です(ヨハネ15章26節)。ですから、聖霊の働きによってイエスを主と告白し、聖霊に全く明け渡すことによってきよくされるのです。

2.イエスの証人とする聖霊

使徒たちはイエスの約束に従って、聖霊が降るのを祈り待ち望みました(使徒言行録1章12~14節)。そして、聖霊が一人一人の上にとどまり、一同が聖霊に満たされました(同2章1~4節)。この「聖霊によって洗礼を受ける」とは(同1章5節)、聖霊によってイエスと一つにされて力を受け、イエスの証人とされることでもあるのです(同1章8節)。

聖霊によって、私たち一人一人と教会の霊性と信仰に風通しをよくしていただいていることが大切です。そのためには、聖霊を待ち望み、慕い求め続けることが必要です。

偉大な謙遜(2021.4.18)

聖 書

ヨハネは答えた。「私は水で洗礼(バプテスマ)を授けているが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられる。(ヨハネ1章26節)

礼拝音源(27.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編68編20~21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編40編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章19~28節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 208 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「偉大な謙遜」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 522 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神の民の歴史(キリスト教会の歴史)は、主なる神から遣わされた主の僕たちによって担われてきました。ここにも、ひとりの主の僕がいます。「洗礼者ヨハネ」です。そして、私たち一人ひとりも主の僕です。

1.主の僕の自覚をもって
洗礼者ヨハネは、キリストについて証しをし、それによってすべての人がキリストを信じるようになるために遣わされました(1章6~8節、15節)。彼はキリストではなく、ただキリストが来られるための準備をしたのです(20~23節)。彼は、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝え、水のバプテスマを施しました。そうすることによって、罪の赦しをされるキリストに仕える僕でしかないことを語ったのです(26~27節)。
洗礼者ヨハネは、キリストの偉大さと自分の小ささを謙遜に受け入れました。それはパウロも同様でした(1コリント15章9節、エフェソ3章8節、1テモテ1章15節参照)。

2.主の僕であることを喜んで
洗礼者ヨハネは、キリストを指し示して、すでに主の救いの道は始まっていることを証言しています。そして、それに応答しないことが「荒れ野」の状態であることを明らかにしています。まさに、御言葉に心を開いて聴こうとしない、応答しようとしない霊的貧困こそ「荒れ野」です。彼は、主の僕の「声」が消えていくことを喜びとし、キリストとその救いが人々の魂と生涯に刻み込まれることを願ったのでした(23節)。
洗礼者ヨハネ同様に、キリストの謙遜が私たちの救いとなり、キリストの救いの事実ゆえに、私たちは謙遜にされるのです。偉大なのは、キリストの謙遜です。

私の主、私の神よ(2021.4.4)

聖 書

トマスは答えて、「私の主、私の神よ」と言った。(ヨハネ20章28節)

礼拝音源(26.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エフェソ5章14節cde 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ20章24~29節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 327 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「私の主、私の神よ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
入 会 式
4月誕生者祝福 1ペトロ1章8節
賛  美 197 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

復活された主イエスは、恐れと不安を覚え、かつ疑いを抱いた弟子たちに「あなた方に平和があるように」に語られています(19節、21節、26節)。そうした中から、トマスは、「私の主、私の神よ」と信仰の確信へと導かれたのでした。

1.復活の主は、ほっとかれない  24~26節
トマスは、他の弟子たちと「一緒にいなかった」ために、復活された主イエスにお会いする喜びを経験しませんでした。そして、彼は自分の目で見、手で触れなければ「決して信じない」と言ったのです(24~25節)。驚くべきことに、その八日の後にトマスが他の弟子たちと「一緒にいた」時に、主イエスの方から来られて語りかけられたのでした(26節)。主イエスは、トマスをほっとかれなかったのです。
今も主イエスは、聖徒の交わりの中で、神の救いの恵みを明らかにされ、信仰に導かれ、養い育ててくださいます。私たち一人ひとりをほっとかれません。

2.復活の主は、対面してくださる  27~29節
主イエスは、主体的かつ実証的な性格をもったトマスに対して、ご自分から身を低くして語りかけられ、明確な信仰へと導かれ、祝福されました。それは、トマスが、直面する主イエスに対面して個人的に培われた信仰でした。
私たち一人ひとりは、対面してくださる主イエスを「私の主、私の神よ」と信仰の告白をすることが必要です。それは、十字架に架かられた主イエスに叫び求めた「もう一人の」犯罪人も同じでした(ルカ23章42節)。そして、「私の主、私の神よ」と信仰の告白する聖徒の交わりに生きることが、幸いな勝利者の歩みとなるのです。