ガラテヤ」カテゴリーアーカイブ

主のものとされた恵み(2022.5.1)

聖 書

終わりに、誰も私を煩わさないでほしい。私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのです。(ガラテヤ6章17節)

礼拝音源(32.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編118編23〜24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ6章17〜18節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主のものとされた恵み」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
5月誕生者祝福 箴言3章5~6節
賛  美 529 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスの恵みは、過去と現在と将来にわたって変わることがありません(ヘブライ13章8節)。私たちは、この主イエスの救いの恵みに与って主のものとされ、パウロと同じように「イエスの焼き印を帯びて」歩む者にされているのです(17節)。

1.恵みによって召し出された
パウロは、神の「恵みによって召し出」されて洗礼の恵みに与り、主のものとされました(ガラテヤ1章15節、使徒言行録9章1~18節)。さらに、この神の恵みによって福音宣教の使命のために召されて遣わされました(ガラテヤ1章16節)。こうした事実が、「イエスの焼き印を帯びている」と語る根底にありました。
同様に私たちは、主イエスの恵みによって救いに与り洗礼を受けて主のものとされ、一人ひとりに相応しい主からの使命を託されています。私たちは、達成感よりも使命感に生きるように召し出されている喜びに生きるのです。

2.主のために苦しむ恵みを与えられた
パウロは、主イエスの福音を宣べ伝えていく中で受けた苦難や試練と言う「イエスの焼き印を帯びて」いました(2コリント11章23~28節)。それは、彼が主の十字架を誇るゆえの受けたものであるとのあつい思いを込めて証ししています(ガラテヤ6章14節)。
同様に私たちは、主イエスの恵みを証しし、そのために仕えていくときに、「キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」という経験をします(フィリピ1章29節)。この主の恵みの道を歩むことによって、主の祝福と励ましと慰めが豊かに注がれることを知るのです(18節)。

新しく造られること(2022.4.3)

聖 書

割礼の有無は問題ではなく、大事なのは、新しく造られることです。(ガラテヤ6章15節)

礼拝音源(31.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ12章24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編14編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ6章11〜16節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しく造られること」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
4月誕生者祝福 2テモテ2章8節
賛  美 475 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、主イエスの恵みにより、信仰を通して「新しくされ」たときから(ヨハネ3章3節、5節)、「新しく造られる」(15節)恵みの中を生きていきます。これは、信仰者にとって、心して聞かねばならない大切なことです(11節)。

1.十字架を誇りとして生きる  14節
律法主義的なキリスト者たちは、人を恐れることからくる自己保全や自分たちを「誇りたい」との欲望や虚栄心がありました(12~13節)。しかし、十字架と復活によって永遠の救いに与らせてくださるキリストを知った者は(フィリピ3章4~8節)、十字架以外は誇りとしないようになるのです(14節a)。
ですから、この世の評価や価値観と私たちとの間に十字架が立っているなら、この世は私たちを支配しないのです(14節b)。このように、十字架の恵みは、私たちを真に自由な生き方へと変えていくのです。

2.キリストを基準として生きる  16節
「この基準に従って進む人々」は、キリスト信仰に生きる神の民として歩調を合わせ一致を保ちつつ進んでいく教会の姿を表しています。その基準は、キリストの十字架と新しい創造です。私たちにこの基準が明確になっていれば、互いの間に平和と憐れみがともないます(5章13節、6章2節)。
このことが朝ごとの恵みとなるならば(哀歌3章22~23節)、私たちの日々は「新しく造られ」続けていくのです。

蒔くことと刈り取ること(2022.3.13)

聖 書

自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。(ガラテヤ6章8節)

礼拝音源(27.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編2編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ6章6〜10節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「蒔くことと刈り取ること」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 514 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

この聖書箇所には、「蒔く」ことと「刈り取る」ことについてのテーマで語られています。私たちが信仰とその歩みに蒔き続けるものに対して、神が刈り取らせられることを教えています。何を蒔き、何を刈り取るのでしょうか。

1.良いものを分かち合う  6節
救いの神は、日々に私たちを担っていてくださる恵みに立って(詩編68編20節)、「おのおのが自分の荷を負」い(6章5節)、「互いに重荷を担」っています(同2節)。
この荷を負うことの大切なことの一つに、御言葉を語り教える者とそれを教えられる者とが、互いに神の国に仕えていきます。前者は御言葉の真理を学んで得た良いものを、後者は働きによって得た良いものを、共に神から授かった賜物として「分かち合」うことによって(1コリント9章11節)、「愛をもって互いに仕え」(5章13節)ているのです。これは、聖霊による交わり(コイノーニア)です。

2.聖霊に蒔く生き方をする  7~10節
霊の人は、神への奉仕、他の人の霊的・実際的必要を満たすために「蒔く」労苦をするように勧めています。神を尊ぶことは、他の人も尊ぶからです(7節)。それは、「自分の肉に蒔く」(5章19~21節)のではなく、「霊に蒔く」(同22~23節)ことにより、失望落胆して投げ出すことなく、時のある間に機会を生かして「善を行う」ことです。
それに対して、神が終わりの時に「刈り取り」をされます(マタイ16章27節)。神の恵みによって「永遠の命を刈り取」るのですから、怠惰になることなく、高慢になることもなく、日々に聖霊に蒔く生き方をしていくのです。

負うべき重荷(2022.3.6)

聖 書

互いに重荷を担いなさい。そうすれば、キリストの律法を全うすることになります。 (ガラテヤ6章2節)

礼拝音源(30.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編1編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ6章1〜5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「負うべき重荷」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
3月誕生者祝福 1ペトロ1章8~9節
賛  美 459 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

聖霊に導かれ、聖霊によって歩みまた進む信仰者たちが(5章16節、18節、25節)、「霊の人」です(6章1節)。その人たちは、他者との愛の実際的な関係が培われている人たちです(5章13~14節、22節)。そして、重荷を負って歩むことに生きる人たちです。

1.互いの重荷を  1~2節
霊の人は、柔和な主イエスによって自分たちの重荷を負っていてくださることを知っています(マタイ11章28~30節)。ですから、その人は、「過ち」に陥って罪責や自責の念といった重荷を抱えている人たちを、聖霊が結ばせてくださる実である「柔和な心」で回復させようとするのです。そのためには、自らも過ちに陥ることとのないように、謙虚であり続けることが大切です。
このようにして「互いに重荷を」担い合って生きることが、互いに愛し合うことであり(ヨハネ13章34節)、愛をもって互いに仕えていくことになるのです(5章13節)。

2.自分の荷を  3~5節
人と人との比較の中で生きていると、自分を欺いたり、間違った誇りを持ったままの中を過ごします。しかし、神の御前に自分自身を吟味しながら歩むことにより、人間理解が変えられ、他の人との関係と交わりが豊かなものになります。
そのような私たちは、次のような自分の荷を負っています。罪と死と滅びという自分が負っていた荷は、主イエスが十字架に架かられて代わって負ってくださいました(詩編68編20~21節)。そして、自分の全うすべき責務という荷は、神から託されています。教会は、このような「自分の荷を負う」ことを知る者たちの集まりです。

聖霊によって歩む(2022.2.13)

聖 書

私は言います。霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。(ガラテヤ5章16節)

礼拝音源(30.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編148編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ5章16〜26節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖霊によって歩む」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
2月誕生者祝福 詩編16編8~9節
賛  美 342 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストを信じた時に聖霊を授けられて(3章2節、5節)、新しく生まれ変わらせていただいた私たちは、キリストに属する者となりました。それが私たちの真の居場所となり、その時から聖霊によって歩み続けるように導かれてきました。

1.聖霊の道を
キリストのものとされた者は、肉の望むことと聖霊の望むこととの葛藤を意識することがあります(17節)。しかし、聖霊が導いていてくださっているので(18節)、聖霊によって歩み(16節)、聖霊に導かれて生きているので、聖霊によって進んでいきます(25節)。聖霊は御言葉とともに働かれますから、御言葉に聴従し、聖霊に全面的に信頼し、支配していただくことによって、内側から溢れてくる聖霊の道を生きるのです。
さらに、聖霊によって進むとは、教会が秩序をもって共に進むことを意味していますから(25節)、聖霊の道を踏み外すことがないようにしたいものです(26節)。

2.聖霊の実を
このように聖霊の道を歩む者たちに、聖霊は内側から人を造り変え続けます。そして、聖霊の恵みによって実が結ばれていきます(22~23節)。それには、「愛、喜び、平和」との神に対する実、「寛容、親切、善意」との人に対する実、「誠実、柔和、自制」との自分自身に対する実があります。これらは、聖霊の導きに従って歩むすべての人に、一つの実となって表れ、結ばれていく驚くべき恵みです。
私たちは、聖霊が結ばせてくださる実であることを謙虚に受け入れ、それが私たちの人格と品性の証しとなって表れていくことが大切なのです。

キリストに属する者(2022.2.6)

聖 書

キリスト・イエスに属する者は、肉を情欲と欲望と共に十字架につけたのです。 (ガラテヤ5章24節)

礼拝音源(29.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編100編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編133編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ5章16〜26節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストに属する者」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 503 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストに愛されている自分に出会い続けることは、信仰者にとって大切なことです。そのような信仰の自覚は、「キリスト・イエスに属する者」(24節)とされている自分に出会うことにつながります。

1.キリストのものとされている
キリスト者の自由に生きる者は(5章1~15節)、キリストに属する者となり、キリストのものとされて生きるのです。ところで、キリストのものとされるためには、キリストの十字架なしにはありえませんでした(1コリント6章19~20節参照)。それによって、キリストが永遠の主人となられたのです。
私たちは、キリストのものとされている自分に出会い続けることにより、今の自分が100パーセントキリストのものとされているとの自覚をもって生きるのです。

2.十字架につけられている
ここでいう「肉」とは、神に反逆させる罪を「情欲」と「欲望」に呼び込んでくるもので、キリスト者の中にも残存するものです。その「肉の行い」は、本能むき出しの性的な罪(19節)、神に対する敵対行為の罪(20節)、対人的に毒された感情(20~21節)、不節制で自分自身を破壊する罪(21節)などとなって明らかになっていきます。中でも「妬み」は人間の罪の核心部分にあります(26節、マルコ15章10節参照)。
私たちは、この「肉を情欲と欲望と共に十字架につけられ」ていることを信仰をもって受け取り、主の恵みによってその肉の働きと決別させていただくのです。そして、時々刻々、十字架につけられている自分に出会い続けて歩むのです。

キリスト者の自由(2022.1.16)

聖 書

きょうだいたち、あなたがたは自由へと召されたのです。ただ、この自由を、肉を満足させる機会とせず、愛をもって互いに仕えなさい。(ガラテヤ5章13節)

礼拝音源(31.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨシュア1章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編127編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ5章1〜15節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリスト者の自由」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 513 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストのみが真の自由を与えてくださいます(ヨハネ8章32節)。このキリストを信じる信仰に招かれたのは、「自由を得させるため」(1節)、「自由へと召され」るためでした(13節)。ここに、キリスト者の自由が宣言されています。

1.何による自由か
キリスト者は、キリストによって罪と死と滅びにある奴隷状態から解放されて自由にされました(1節)。その自由は、キリストを信じたときにいただいたというだけではなく、「キリスト・イエスにあって」(6節、ヨハネ15章5節、2コリント5章17節)、いつでも継続されていく自由です。
ですからキリスト者は、キリストの恵みと愛にとらえ続けられ、その中に「しっかりと立って」(1節)、キリストの恵みと愛にいつも触れ続けることが大切です。

2.何を生み出す自由か
キリストにある自由は、放縦の自由でも、自己主張の自由でもありません。愛を生み出す自由です。それには、「愛によって働く信仰」(6節)があります。これこそが、愛に動機づけられた信仰であり、神の恵みの御手を動かすのです。
この信仰には、当然愛の実践が伴います。「ただ、この自由を、肉を満足させる機会とせず、愛をもって互いに仕えなさい」(13節)と展開されていきます。この自由こそが、キリストが私たちに仕えてくださったように、隣人の救いのために愛をもって仕え(1コリント9章19節)、兄弟姉妹を自分のように愛し仕えることなのです(14~15節)。そうすることが、互いを生かす愛なのです。

 

宿営の外に出て(2022.1.9)

聖 書

それで、イエスもまた、ご自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難を受けられたのです。 ですから、私たちも、イエスの受けられた辱めを身に負い、宿営の外に出て、御もとに赴こうではありませんか。(ヘブライ13章12〜13節)

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編96編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編65編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ4章21〜31節
ヘブライ13章12〜13節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「宿営の外に出て」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
成人祝福式 詩編119編105節、9節
1月誕生者祝福 ゼファニヤ書3章17節
賛  美 451 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「ガラテヤ4章21~31節」で語られていることを解説したのが、「ヘブライ13章12~13節」です。主イエスが苦難を受けながら「門の外」へ行かれたからこそ、救いの道が開かれました。その救いに与った者は、「宿営の外に出て」信仰の歩みを続けるのです。

1.束縛から自由な者となるために  ガラテヤ4章21~31節
ここでは、アブラハムの二人の息子を対比させつつ(創世記16~21章参照)、神の救いに与る道を明らかにしています。まず、女奴隷から生まれた子は、「肉によって生まれた」のであり、救いのために律法の奴隷となる者を代表しています。そして、自由の女から生まれた子は、神の「約束を通して」かつ「(聖)霊によって」生まれた者であり、信仰によって神の祝福に与っている者を代表しています。
私たちも後者の信仰に立つとき、成功しては誇り、失敗しては落胆しているような束縛から解き放たれて、自由と喜びをもって主イエスに従う道を歩み続けるのです。

2.聖なる者となるために  ヘブライ13章12~13節
神が聖なる方であられるように、信仰者も聖なる者であることが望まれています。それが私たちのものとなるための条件として、ガラテヤの信徒たちにあったような律法主義に生きる「宿営から外に出る」ことが必要です。
私たちには、出ようとしない宿営がありあります。律法主義とともに律法を無用として生きる生き方、世俗主義に留まっている生き方、自己中心主義に立てこもってしまっている生き方です。流された主イエスの血によって聖なる者とされるために、私たちは閉じこもっている「宿営の外に出る」ことが大切です。

 

愛の懇願(2021.10.10)

聖 書

私の子どもたち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、私は、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。(ガラテヤ4章19節)

礼拝音源(22.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ12章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編126編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ4章12~20節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「愛の懇願」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 512 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神の子とされていたガリラヤの信徒たちは、そのキリスト信仰が不確かになり、キリストから離れていきました。それに対してパウロは、彼らとの親しい交わりを回顧しつつ、信頼を込めて愛の懇願をしています(12節、19節)。

1.キリストの福音に留まり続けるように  12~15節
パウロは、律法から解き放たれて、キリストの救いに与る生き方に変えられました。ガラテヤの信徒たちは、世を支配するものから自由にされて、キリストによって新しい生き方をするようになりました。両者は、キリスト信仰に生き、キリストに従う者となって、互いに倣うものとなったのです(12節)。
そのガラテヤの信徒たちは、病と弱さを持っていたパウロを拒むことなく受け入れ、パウロが語るキリストの福音を素直に受け入れて幸いを味わったのです(13~15節)。この時の彼らに見る信仰をもって、キリストの福音に留まり続けることが大切です。

2.キリストが形づくられるように  16~20節
ところが、ガラテヤの信徒たちは、キリスト以外のものに土台を置いて生きることに逆戻りしていきました(16~17節)。そんな彼らにパウロは、熱い愛をもって十字架の福音を語り続けるのです(18節)。
そして、その信仰が成長していくことを願い、再び産みの苦しみをしました。その願いは、一人ひとり内に、かつキリストの体である教会の間にキリストが形づくられ、キリストの愛に満たされることでした(19節)。人が途方に暮れるようなことがあっても、キリストは失望させなさることはありません(20節、2コリント4章8節)。

神の子として生きる(2021.10.3)

聖 書

ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人でもあるのです。(ガラテヤ4章7節)

礼拝音源(32.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1テモテ1章15節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編65編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ4章1~11節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神の子として生きる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
10月誕生者祝福 2テモテ2章1節、8節
賛  美 12 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

本日の聖書箇所のメッセージの要約は、「あなたはもはや奴隷ではなく、子です」(7節)とある通りです。ここでは、私たちが神の子としての生涯をスタートし、神の子としての生涯を全うするように招かれています。

1.神の子とされる   1~6節
かつてのパウロは律法を遵守することに救いを見出していましたし(3節)、異邦人のガリラヤ人は「神でない神々の奴隷となって」その生き方に依存し束縛されていました(8節、10節)。そこには、迷信に縛られたり、自分で得た価値観に流され依存している人間の姿があります。
私たちは、そのようなところからキリストの十字架によって贖い出され、神の子として、神と共に生きるようにされたのです(4~5節)。そして、「御子の霊」すなわち聖霊によって「アッバ、父よ」と神に祈り、神に近づく者とされたのです(6節)。

2.神の子として育てられる   6~11節
さらに、神の子とされた者は、栄光の日に復活の体に変えられて永遠に生きるものとされるという財産を受け継ぐ「相続人」にされています(7節)。聖霊は、終わりの時まで神の子を育てられ、守り続けられるのです(6節、ローマ8章14~17節参照)。
にもかかわらず、私たちを福音から引き離して律法に生きることが魅力的になったり、迷信などに隷属させるという「逆戻り」が起こるのです(9節)。ですから、私たちは、今では神を知っている、いや知られている神の子として育てられているという恵みを絶えず確認することです。このためにも、聖餐の恵みにあずかり続けるのです。

キリストにあって(2021.9.5)

聖 書

あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。(ガラテヤ3章28節d)

礼拝音源(25.2MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ43章19節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編99編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ3章23~29節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストにあって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
9月誕生者祝福 ローマ15章13節
賛  美 411
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストの十字架と復活によって神の「真実が現れたので」、私たちは律法に縛られることなく、キリストに対する信仰によって導いていただきました(23~25節)。この「キリスト・イエスにあって」(26節、28節)、どのような新しさが生じたのでしょうか。

2.キリストにあって神の子  26~27節、29節
キリストの真実のゆえに、キリストへの信仰のもとに生きる一人ひとりは、神に捕らえられ、守られ、終わりまで支えられる「神の子」です(26節)。
神の子は、「洗礼を受け」てキリストに結び合わされ、その命のご支配に入れられています。そして、罪と死の支配を脱ぎ捨てて、義と命をさずけてくださる「キリストを着た」者として覆われています(27節)。さらに、「キリストのもの」として、神の命を受け継ぎ、永遠の神の国の世継ぎとしての祝福の「相続人」とされるのです(29節)。
「キリスト・イエスにあって神の子」とされた信仰から始めさせていただきましょう。

2.キリストにあって一つ  28節
このような神と人との関係は、同時に人と人との新しい関係をつくり上げていくことに結びついています。すなわち、キリストにある交わりに入れられた時から、民族の壁、社会の壁、性別の壁などを乗り越えて、私たちは「キリスト・イエスにあって一つ」とされるのです。それは、繰り返しキリストが祈られたことであり(ヨハネ17章21節)、キリストが一致させてくださる十字架を通しての恵みです(エフェソ2章14~16節)。
このことが現実に成されていくには、私たち一人ひとりが十字架を負うなかから導かれていきます。神の子とされた者たちが一つにされ、仕え、遣わされていくのです。

 

約束に基づく福音(2021.8.15)

聖 書

しかし、聖書はすべてのものを罪の下に閉じ込めました。約束がイエス・キリストの真実によって、信じる人々に与えられるためです。(ガラテヤ3章22節)

礼拝音源(30.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ12章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編96編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ3章15~22節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「約束に基づく福音」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 449 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主は、祝福のうちに人が恵みと平和をいただいて歩むことを願っておられます(民数記6章24~26節)。パウロは、その「祝福の基」となって歩んだアブラハムを根拠にして(創世記12章2節)、キリストの福音を明らかにし この手紙は、イエス・キリストの十字架の福音を信じる信仰によって救われる、とのメッセージが繰り返し語られています。この神の救いの約束は、変更されることなく、変化させられることもありません。

1.神の恵みの約束  15~18節
人間社会の「契約(遺言)」と同じように、神とアブラハムとの「約束」は無効になることなく、モーセの律法によって破棄されることもありません(15~17節)。神の約束を無条件に信じることによって神に受け入れられ、それを受け継ぐという約束は不変で永遠です(創世記15章5~6節、17章7~8節)。それは、神からの「恵み」によります(18節)。
この神の恵みの約束は、「一人の人」イエス・キリストにおいてすべての人への確かな恵みの約束となりました(15節)。すなわち、イエス・キリストとその救いを信じる信仰によって、神の国の恵みを受け継いでいくのです。

2.神の真実な約束  19~22節
では、神の戒めである「律法とは何なのでしょうか」(19節)。律法は、「約束を受けた子孫」のキリストが来られるときまで有効とし、人々の神に対する違反を明らかにし
(22節a)、天使たちやモーセを通して人々に与えられました(使徒言行録7章38節)。
律法は、人を救うことも、人の命を支えることもできませんし、福音への渇きを抱かせるものです(21節)。神の救いの福音は、十字架と復活の御業を通して明らかにされた「イエス・キリストの真実によって、信じる人々に与えられる」のです(22節b)。ですから、真実なキリストに信仰によって結び合わされ、神の御心の中を生きていくのです。

祝福の基となって(2021.8.1)

聖 書

それで、信仰による人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されるのです。(ガラテヤ3章9節)

礼拝音源(26.73MB)
※機器のトラブルで、最後の賛美の音声が途切れております。申し訳ございません。

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ4章23節ab 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編91編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ3章6~14節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「祝福の基となって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
8月誕生者祝福 1ペトロ5章10節
賛  美 441 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主は、祝福のうちに人が恵みと平和をいただいて歩むことを願っておられます(民数記6章24~26節)。パウロは、その「祝福の基」となって歩んだアブラハムを根拠にして(創世記12章2節)、キリストの福音を明らかにしました。

1.祝福の約束にあずからせる  6~9節

キリストを信じる信仰によって義とされるという福音は、すでにアブラハムにおいて実証されていました(6節、創世記15章6節)。そして、そののち神の契約の民となる割礼を受けたのです(創世記17章9節以下)。真のアアブラハムの子孫は、割礼と律法に生きる者ではなく、「信仰によって生きる」のです(7節)。

しかもアブラハムは、選民イスラエルの父として信仰による祝福を受けたように、「すべての異邦人」もアブラハムと共に、信仰によって祝福されるのです(8~9節)。信仰による人は、霊的な祝福にあずかるのです(マタイ3章8~9節参照)。

2.呪いを祝福に変えられた  10~14節

律法は祝福に反するものではありません(ローマ7章12節、14節)。したがって、律法によって完全に生きるのであれば、神の祝福の中を生きることになります。ところが、人は誰であっても律法の行うことによって神に十分受け入れられる生き方はできず、呪いを受けるものとなったのです(10~12節)。

しかし、そのような呪いを祝福へと変えてくださったのは、私たちに代わって呪いを受けてくださったキリストの十字架によってでした(13~14節)。「正しい者は信仰によって生きる」のです(11節)。それゆえに、神への感謝の応答の日々を生きるのです。

神に生きる(2021.7.18)

聖 書

私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。(ガラテヤ2章20節c)

礼拝音源(29.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編100編1~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編67編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章19節~3章5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神に生きる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 514 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

日本イエス・キリスト教団
信仰告白

わたしたちは信じて、告白します。

旧新約聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた、誤りのない神のことばであり、キリストをあかしし、福音の真理を示すもので、教会の拠(よ)って立つただ一つの聖典です。聖書は、わたしたちに、神と救いについての完全な知識を与えるものであり、信仰と生活の基準です。

主イエス・キリストによって啓示され、聖書にあかしされた唯一の神は、父と子と聖霊の三位一体の神であり、その本質において同一です。

イエス・キリストは、神のひとり子であり、わたしたちを罪から救うために人となり、身代わりとなって十字架にかかり、ただ一度、ご自身を完全な犠牲(いけにえ)として神にささげ、あがないを成就されました。その復活は、永遠のいのちの保証です。天に昇られた主は、キリストの日に至るまで、わたしたちのためにとりなしておられます。

わたしたちは、神の恵みにより、ただキリストを信じる信仰によって義とされ、罪をゆるされ、神と和解し、新たに生まれて神の子とされます。わたしたちは、キリストの血によってすべての罪からきよめられ、神のものとされ、聖霊のバプテスマを受け、その内住による全き支配によって、主のかたちに変えられていきます。種は再び来られ、わたしたちを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて、永遠のみ国をつぐ者とされます。

教会は、キリストのからだであって、神に召された生徒の集まりです。教会は、公同の礼拝を守り、主の命にこたえて、福音を正しく宣べ伝え、聖礼典を行ない、聖徒をととのえ、主に仕えつつ愛のわざを励み、主が再び来られるのを待ち望みます。

わたしたちは、このように信じ、余世の聖徒と共に、使徒信条を告白します。

宣教要旨

私たちは、「何であるか」との問いを受け続けています(教団創立70周年記念誌P25参照)。何よりも「神に生きる」信仰は、律法ではなく、信仰によって生きることです(2章19~20節)。どのような信仰に生きることなのでしょうか。

  1. 十字架を仰ぎ見続ける  3章1節

ガラテヤの諸教会の信徒たちは、キリストの十字架を信じることによって救われました。ところが、信仰生活を行いによって整えようとしたために、十字架から目を離すような愚かな歩みを始めたのです。

このような律法主義的な心理は、自分を慢心したり、逆に足らなさばかりにとらわれたりするといった誘惑となって表れてきます。私たちは、公然と描き出された十字架の恵みに立ち続けるところに(2章20節c)、喜びと自由の恵みがあるのです(エフェソ2章8~10節)。そこから、十字架の恵みが、感謝となってほとばしり出るのです。

2. 聖霊の恵みにあずかり続ける  3章2~5節

パウロは、ガラテヤの諸教会の信徒たちが経験した聖霊の大いなる恵みを思い起こさせています。罪が赦され、義と認められ、キリストと共に十字架につけられ、キリストが内にいきてくださるのは、聖霊を受けたからでした(2節)。その時、福音を聞いて信じたのであり、信仰をもって聞いたのでした。そこから、聖霊によって歩み続け(3節)、力ある業をなされる聖霊の恵みにあずかる生活をしていくのでした(3節)。ところが、その「神の恵みを無駄」にしてしまっていたのです(2章21節、3章4節)。

「神に生きる」ことは、神のために生きるという広がりをもたらします。

 

 

聖化の恵みに(2021.7.4)

聖 書

私はキリストと共に十字架につけられました。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。(ガラテヤ2章19節b~20節b)

礼拝音源(27.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編62編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章17~21節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖化の恵みに」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
7月誕生者祝福 エフェソ2章8節、10節
賛  美 521 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリスト信仰は、いかに生きるか、いかに死を迎えるかが密接にかかわっています。ところがこの聖書箇所には、死の後に生が続いており、義とされた者が聖化の恵みに導かれる筋道が語られています。

1.キリストと共に十字架につけられた  19節
「人が義とされる」ことは、律法を無視することでもなく、また再び律法の奴隷となることでもなく、福音の自由の恵みに生きることへと導かれます(17~18節)。律法によれば、私(たち)は罪人です。キリストは、その罪のさばきを十字架で代わって負ってくださったことにより、私(たち)は「律法に死にました」(19節a)。
私(たち)は、この「キリストと共に十字架につけられ」一つとされたことによって、十字架に死んでくださったキリストの支配下に入り、復活されたキリストに生きていただくのです(19節b)。ここから、キリストによる自由と喜びに生きることを知るのです。

2.キリストが私の内に生きておられる  20節
私(たち)は、キリストと共に十字架につけられたことによって、自分がなくなるのではありません。生まれながらの古い自己中心的な自我性が十字架につけられてキリストと共に死んだことにより、キリストと一つに結び合わされ「キリストが私の内に生きておられる」という新しい私(たち)が生きるのです。それは、キリストが私(たち)を支配していてくださることです(19節b~20節b)。
具体的には、いつでも、神の愛とキリストの真実によって生かされているという自覚をもって、それに全く信頼して生きることです(20節c)。