ガラテヤ」カテゴリーアーカイブ

愛の懇願(2021.10.10)

聖 書

私の子どもたち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、私は、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。(ガラテヤ4章19節)

礼拝音源(22.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ12章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編126編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ4章12~20節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「愛の懇願」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 512 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神の子とされていたガリラヤの信徒たちは、そのキリスト信仰が不確かになり、キリストから離れていきました。それに対してパウロは、彼らとの親しい交わりを回顧しつつ、信頼を込めて愛の懇願をしています(12節、19節)。

1.キリストの福音に留まり続けるように  12~15節
パウロは、律法から解き放たれて、キリストの救いに与る生き方に変えられました。ガラテヤの信徒たちは、世を支配するものから自由にされて、キリストによって新しい生き方をするようになりました。両者は、キリスト信仰に生き、キリストに従う者となって、互いに倣うものとなったのです(12節)。
そのガラテヤの信徒たちは、病と弱さを持っていたパウロを拒むことなく受け入れ、パウロが語るキリストの福音を素直に受け入れて幸いを味わったのです(13~15節)。この時の彼らに見る信仰をもって、キリストの福音に留まり続けることが大切です。

2.キリストが形づくられるように  16~20節
ところが、ガラテヤの信徒たちは、キリスト以外のものに土台を置いて生きることに逆戻りしていきました(16~17節)。そんな彼らにパウロは、熱い愛をもって十字架の福音を語り続けるのです(18節)。
そして、その信仰が成長していくことを願い、再び産みの苦しみをしました。その願いは、一人ひとり内に、かつキリストの体である教会の間にキリストが形づくられ、キリストの愛に満たされることでした(19節)。人が途方に暮れるようなことがあっても、キリストは失望させなさることはありません(20節、2コリント4章8節)。

神の子として生きる(2021.10.3)

聖 書

ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人でもあるのです。(ガラテヤ4章7節)

礼拝音源(32.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1テモテ1章15節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編65編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ4章1~11節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神の子として生きる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
10月誕生者祝福 2テモテ2章1節、8節
賛  美 12 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

本日の聖書箇所のメッセージの要約は、「あなたはもはや奴隷ではなく、子です」(7節)とある通りです。ここでは、私たちが神の子としての生涯をスタートし、神の子としての生涯を全うするように招かれています。

1.神の子とされる   1~6節
かつてのパウロは律法を遵守することに救いを見出していましたし(3節)、異邦人のガリラヤ人は「神でない神々の奴隷となって」その生き方に依存し束縛されていました(8節、10節)。そこには、迷信に縛られたり、自分で得た価値観に流され依存している人間の姿があります。
私たちは、そのようなところからキリストの十字架によって贖い出され、神の子として、神と共に生きるようにされたのです(4~5節)。そして、「御子の霊」すなわち聖霊によって「アッバ、父よ」と神に祈り、神に近づく者とされたのです(6節)。

2.神の子として育てられる   6~11節
さらに、神の子とされた者は、栄光の日に復活の体に変えられて永遠に生きるものとされるという財産を受け継ぐ「相続人」にされています(7節)。聖霊は、終わりの時まで神の子を育てられ、守り続けられるのです(6節、ローマ8章14~17節参照)。
にもかかわらず、私たちを福音から引き離して律法に生きることが魅力的になったり、迷信などに隷属させるという「逆戻り」が起こるのです(9節)。ですから、私たちは、今では神を知っている、いや知られている神の子として育てられているという恵みを絶えず確認することです。このためにも、聖餐の恵みにあずかり続けるのです。

キリストにあって(2021.9.5)

聖 書

あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。(ガラテヤ3章28節d)

礼拝音源(25.2MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ43章19節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編99編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ3章23~29節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストにあって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
9月誕生者祝福 ローマ15章13節
賛  美 411
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストの十字架と復活によって神の「真実が現れたので」、私たちは律法に縛られることなく、キリストに対する信仰によって導いていただきました(23~25節)。この「キリスト・イエスにあって」(26節、28節)、どのような新しさが生じたのでしょうか。

2.キリストにあって神の子  26~27節、29節
キリストの真実のゆえに、キリストへの信仰のもとに生きる一人ひとりは、神に捕らえられ、守られ、終わりまで支えられる「神の子」です(26節)。
神の子は、「洗礼を受け」てキリストに結び合わされ、その命のご支配に入れられています。そして、罪と死の支配を脱ぎ捨てて、義と命をさずけてくださる「キリストを着た」者として覆われています(27節)。さらに、「キリストのもの」として、神の命を受け継ぎ、永遠の神の国の世継ぎとしての祝福の「相続人」とされるのです(29節)。
「キリスト・イエスにあって神の子」とされた信仰から始めさせていただきましょう。

2.キリストにあって一つ  28節
このような神と人との関係は、同時に人と人との新しい関係をつくり上げていくことに結びついています。すなわち、キリストにある交わりに入れられた時から、民族の壁、社会の壁、性別の壁などを乗り越えて、私たちは「キリスト・イエスにあって一つ」とされるのです。それは、繰り返しキリストが祈られたことであり(ヨハネ17章21節)、キリストが一致させてくださる十字架を通しての恵みです(エフェソ2章14~16節)。
このことが現実に成されていくには、私たち一人ひとりが十字架を負うなかから導かれていきます。神の子とされた者たちが一つにされ、仕え、遣わされていくのです。

 

約束に基づく福音(2021.8.15)

聖 書

しかし、聖書はすべてのものを罪の下に閉じ込めました。約束がイエス・キリストの真実によって、信じる人々に与えられるためです。(ガラテヤ3章22節)

礼拝音源(30.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ12章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編96編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ3章15~22節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「約束に基づく福音」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 449 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主は、祝福のうちに人が恵みと平和をいただいて歩むことを願っておられます(民数記6章24~26節)。パウロは、その「祝福の基」となって歩んだアブラハムを根拠にして(創世記12章2節)、キリストの福音を明らかにし この手紙は、イエス・キリストの十字架の福音を信じる信仰によって救われる、とのメッセージが繰り返し語られています。この神の救いの約束は、変更されることなく、変化させられることもありません。

1.神の恵みの約束  15~18節
人間社会の「契約(遺言)」と同じように、神とアブラハムとの「約束」は無効になることなく、モーセの律法によって破棄されることもありません(15~17節)。神の約束を無条件に信じることによって神に受け入れられ、それを受け継ぐという約束は不変で永遠です(創世記15章5~6節、17章7~8節)。それは、神からの「恵み」によります(18節)。
この神の恵みの約束は、「一人の人」イエス・キリストにおいてすべての人への確かな恵みの約束となりました(15節)。すなわち、イエス・キリストとその救いを信じる信仰によって、神の国の恵みを受け継いでいくのです。

2.神の真実な約束  19~22節
では、神の戒めである「律法とは何なのでしょうか」(19節)。律法は、「約束を受けた子孫」のキリストが来られるときまで有効とし、人々の神に対する違反を明らかにし
(22節a)、天使たちやモーセを通して人々に与えられました(使徒言行録7章38節)。
律法は、人を救うことも、人の命を支えることもできませんし、福音への渇きを抱かせるものです(21節)。神の救いの福音は、十字架と復活の御業を通して明らかにされた「イエス・キリストの真実によって、信じる人々に与えられる」のです(22節b)。ですから、真実なキリストに信仰によって結び合わされ、神の御心の中を生きていくのです。

祝福の基となって(2021.8.1)

聖 書

それで、信仰による人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されるのです。(ガラテヤ3章9節)

礼拝音源(26.73MB)
※機器のトラブルで、最後の賛美の音声が途切れております。申し訳ございません。

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ4章23節ab 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編91編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ3章6~14節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「祝福の基となって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
8月誕生者祝福 1ペトロ5章10節
賛  美 441 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主は、祝福のうちに人が恵みと平和をいただいて歩むことを願っておられます(民数記6章24~26節)。パウロは、その「祝福の基」となって歩んだアブラハムを根拠にして(創世記12章2節)、キリストの福音を明らかにしました。

1.祝福の約束にあずからせる  6~9節

キリストを信じる信仰によって義とされるという福音は、すでにアブラハムにおいて実証されていました(6節、創世記15章6節)。そして、そののち神の契約の民となる割礼を受けたのです(創世記17章9節以下)。真のアアブラハムの子孫は、割礼と律法に生きる者ではなく、「信仰によって生きる」のです(7節)。

しかもアブラハムは、選民イスラエルの父として信仰による祝福を受けたように、「すべての異邦人」もアブラハムと共に、信仰によって祝福されるのです(8~9節)。信仰による人は、霊的な祝福にあずかるのです(マタイ3章8~9節参照)。

2.呪いを祝福に変えられた  10~14節

律法は祝福に反するものではありません(ローマ7章12節、14節)。したがって、律法によって完全に生きるのであれば、神の祝福の中を生きることになります。ところが、人は誰であっても律法の行うことによって神に十分受け入れられる生き方はできず、呪いを受けるものとなったのです(10~12節)。

しかし、そのような呪いを祝福へと変えてくださったのは、私たちに代わって呪いを受けてくださったキリストの十字架によってでした(13~14節)。「正しい者は信仰によって生きる」のです(11節)。それゆえに、神への感謝の応答の日々を生きるのです。

神に生きる(2021.7.18)

聖 書

私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。(ガラテヤ2章20節c)

礼拝音源(29.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編100編1~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編67編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章19節~3章5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神に生きる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 514 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

日本イエス・キリスト教団
信仰告白

わたしたちは信じて、告白します。

旧新約聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた、誤りのない神のことばであり、キリストをあかしし、福音の真理を示すもので、教会の拠(よ)って立つただ一つの聖典です。聖書は、わたしたちに、神と救いについての完全な知識を与えるものであり、信仰と生活の基準です。

主イエス・キリストによって啓示され、聖書にあかしされた唯一の神は、父と子と聖霊の三位一体の神であり、その本質において同一です。

イエス・キリストは、神のひとり子であり、わたしたちを罪から救うために人となり、身代わりとなって十字架にかかり、ただ一度、ご自身を完全な犠牲(いけにえ)として神にささげ、あがないを成就されました。その復活は、永遠のいのちの保証です。天に昇られた主は、キリストの日に至るまで、わたしたちのためにとりなしておられます。

わたしたちは、神の恵みにより、ただキリストを信じる信仰によって義とされ、罪をゆるされ、神と和解し、新たに生まれて神の子とされます。わたしたちは、キリストの血によってすべての罪からきよめられ、神のものとされ、聖霊のバプテスマを受け、その内住による全き支配によって、主のかたちに変えられていきます。種は再び来られ、わたしたちを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて、永遠のみ国をつぐ者とされます。

教会は、キリストのからだであって、神に召された生徒の集まりです。教会は、公同の礼拝を守り、主の命にこたえて、福音を正しく宣べ伝え、聖礼典を行ない、聖徒をととのえ、主に仕えつつ愛のわざを励み、主が再び来られるのを待ち望みます。

わたしたちは、このように信じ、余世の聖徒と共に、使徒信条を告白します。

宣教要旨

私たちは、「何であるか」との問いを受け続けています(教団創立70周年記念誌P25参照)。何よりも「神に生きる」信仰は、律法ではなく、信仰によって生きることです(2章19~20節)。どのような信仰に生きることなのでしょうか。

  1. 十字架を仰ぎ見続ける  3章1節

ガラテヤの諸教会の信徒たちは、キリストの十字架を信じることによって救われました。ところが、信仰生活を行いによって整えようとしたために、十字架から目を離すような愚かな歩みを始めたのです。

このような律法主義的な心理は、自分を慢心したり、逆に足らなさばかりにとらわれたりするといった誘惑となって表れてきます。私たちは、公然と描き出された十字架の恵みに立ち続けるところに(2章20節c)、喜びと自由の恵みがあるのです(エフェソ2章8~10節)。そこから、十字架の恵みが、感謝となってほとばしり出るのです。

2. 聖霊の恵みにあずかり続ける  3章2~5節

パウロは、ガラテヤの諸教会の信徒たちが経験した聖霊の大いなる恵みを思い起こさせています。罪が赦され、義と認められ、キリストと共に十字架につけられ、キリストが内にいきてくださるのは、聖霊を受けたからでした(2節)。その時、福音を聞いて信じたのであり、信仰をもって聞いたのでした。そこから、聖霊によって歩み続け(3節)、力ある業をなされる聖霊の恵みにあずかる生活をしていくのでした(3節)。ところが、その「神の恵みを無駄」にしてしまっていたのです(2章21節、3章4節)。

「神に生きる」ことは、神のために生きるという広がりをもたらします。

 

 

聖化の恵みに(2021.7.4)

聖 書

私はキリストと共に十字架につけられました。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。(ガラテヤ2章19節b~20節b)

礼拝音源(27.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編62編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章17~21節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖化の恵みに」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
7月誕生者祝福 エフェソ2章8節、10節
賛  美 521 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリスト信仰は、いかに生きるか、いかに死を迎えるかが密接にかかわっています。ところがこの聖書箇所には、死の後に生が続いており、義とされた者が聖化の恵みに導かれる筋道が語られています。

1.キリストと共に十字架につけられた  19節
「人が義とされる」ことは、律法を無視することでもなく、また再び律法の奴隷となることでもなく、福音の自由の恵みに生きることへと導かれます(17~18節)。律法によれば、私(たち)は罪人です。キリストは、その罪のさばきを十字架で代わって負ってくださったことにより、私(たち)は「律法に死にました」(19節a)。
私(たち)は、この「キリストと共に十字架につけられ」一つとされたことによって、十字架に死んでくださったキリストの支配下に入り、復活されたキリストに生きていただくのです(19節b)。ここから、キリストによる自由と喜びに生きることを知るのです。

2.キリストが私の内に生きておられる  20節
私(たち)は、キリストと共に十字架につけられたことによって、自分がなくなるのではありません。生まれながらの古い自己中心的な自我性が十字架につけられてキリストと共に死んだことにより、キリストと一つに結び合わされ「キリストが私の内に生きておられる」という新しい私(たち)が生きるのです。それは、キリストが私(たち)を支配していてくださることです(19節b~20節b)。
具体的には、いつでも、神の愛とキリストの真実によって生かされているという自覚をもって、それに全く信頼して生きることです(20節c)。

 

 

福音の真理に歩む(2021.6.6)

聖 書

彼らが福音の真理に従ってまっすぐ歩いていないのを見て、私は皆の前でケファに言いました。(ガラテヤ2章14節a)

礼拝音源(25.5MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ガラテヤ3章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編33編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章11~14節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「福音の真理に歩む」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
6月誕生者祝福 イザヤ書63章9節
賛  美 543 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ユダヤ人であれギリシア人であれ誰であっても、同じ一つの福音の真理にとどまり続けることは(2章5節)、福音の真理に生きることであり、歩み続けることです(14節)。

1.偽ることなく  11~13節
ペトロとパウロは、先のエルサレム教会においては、福音の真理を確認し合いました。ところが、アンティオキア教会では、パウロがペトロを「面と向かって」非難しています(11節)。ペトロは、当初は異邦人キリスト者たちと愛餐と聖餐の交わりを持っていました。ところが、エルサレム教会からユダヤ人キリスト者が訪れるや、彼は神を畏れるのではなく人を恐れて、徐々にその交わりをしなくなったのです(12節)。そのような偽りは、他のユダヤ人キリスト者たちやバルナバまで巻き込むことになりました(13節)。
このように、福音の真理を信じることと裏腹の行動をとることが、神の恵みを無駄にしてしまい(2章21節)、教会の中に壁を作ってしまうのです。

2.福音の真理に向かって  14節
ここでパウロは、ペトロたちが「福音の真理に従って(向かって)まっすぐに歩いていない」と指摘しています。そのように私たちも、福音の真理を捉えていると思っても、生活や習慣のすべてが一瞬にして変えられていないというのが現実です。とりわけ、お互いのこれまでの生活習慣の相違に捉われて、福音の真理を見失わせることがあります(1コリント1章22節、24節参照)。
私たちは、自らの生活や習慣を点検しつつ、福音の真理に従って、またその方向に向かって歩みを進めるキリスト者であり教会でることが大切なのです。

 

 

右手を差し出して(2021.5.9)

聖 書

私にこのような恵みが与えられたのを認めて、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、私とバルナバに交わりのしるしとして右手を差し出しました。(ガラテヤ2章9節a)

礼拝音源(23.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ16章13節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編128編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ9章18~26節
ガラテヤ2章9節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「右手を差し出して」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 520 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主の愛の御手に触れられた者は、その愛に信仰の手を伸ばして応答し、隣人にも交わりの手を差し出す誠実な心と歩みがつくられていきます。このことを「手」との言葉を題目にしつつ、御言葉から聴いていきます。

1.主への信仰の手を伸ばす  マタイ9章18~26節
12年間病気に苦しんでいた女性は、絶望的とも思われたなかから、主イエスに近づき、治してもらえると信じて手を伸ばして衣に触れました。主イエスは愛ゆえに、この女性の信仰を見て「あなたの信仰があなたを治した」と言われました(20~22節)。一方、娘の死によって絶望に打ちのめされていた父親は、主イエスの前に「ひれ伏して」嘆願しました(18~19節)。主イエスは愛ゆえにその娘の手を取り、父親の信仰に応えて、娘を起き上がらせたのです(23~26節)。
このように、主イエスは愛の御手を差し伸べて触れてくださるお方です。それに対して、人が主への信仰の手を差し伸べることを通して、主は御業をなされるのです。

2.主にある交わりの手を差し出す  ガラテヤ2章9節
母なるエルサレム教会の指導者たちとパウロたちは、主の恵みの御手に触れて同じ福音に与った人たちです。それゆえに、指導者たちがパウロたちに「交わりのしるしとして右手を差し出」すことを通して、共通のものを共有している証しをしたのです。
これは、教会での互いの間における、また互いの家族におけるコイノーニアの交わりに与る者たちの姿です。今の私たち一人ひとりにも、祈りの交わり手を、愛の交わりの手を差し伸べる人が、身近なところにおられます。

福音は一つ(2021.5.2)

聖 書

福音の真理があなたがたの内に常にとどまるように、私たちは、一時も彼らに屈服することはありませんでした。(ガラテヤ2章5節)

礼拝音源(25.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編118編23~24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編127編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章1~10節
使徒信条 93-4  1A 一同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「福音は一つ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 411 一同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストの福音によって造り変えられたパウロは、人間の支えによるのではなく、独善でもなく、イエス・キリストを死者の中から復活させた父なる神の御業の中て生かされてきました(1章)。その福音は一つであることを明らかにしています(2章)。

1.福音の真理にとどまる  1~5節
パウロは、回心後17年目にして、バルナバとテトスを伴って「再びエルサレム」を訪問しました(1章18節、2章1節)。この間、パウロのうちに十分な福音理解が形成されていったと思われます。この訪問の動機は、神のご計画・ご指示によったことでしたが、エルサレム会議が開かれた時だったと考えられています(使徒言行録15章1~2節)。
教会は、イエス・キリストを信じるだけでは救われないと歪める主張に対して、罪人であるすべての人に対する無条件で、無代価で与えられる「福音の真理」に固く立ちました(3~5節)。この揺らぐことのない福音の再発見こそが、今日の教会を支えています。

2.神の恵みに立ち続ける  6~10節
エルサレム教会の指導者たちとパウロたちは、「人を分け隔て」なさらない神によって、互いに尊敬の念を抱いています(6節)。そして、誰もが神の恵みによって救いと使命への召しに与っていることを知っていたために、同じ福音のために各々に委ねられた使命に生きることを確認したのでした(7~8節)。そして、主にある一致の交わりとして「右手を差し出し」、教会に共通に与えられている使命を確認したのでした(9~10節)。
私たちの存在の原点が神の恵みであることを忘れることなく、その神の恵みに繰り返し立ち続けることが大切です。

神によって生かされる(2021.4.11)

※録音機器のエラーにより、礼拝データのアップロードが遅れましたこと、
申し訳ございませんでした。

聖 書

ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、当時は滅ぼそうとしていた信仰を、今は告げ知らせている」と聞いて、私のことで神を崇めていました。(ガラテヤ1章23~24節)

礼拝音源(29.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1コリント15章54節b~55節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編34編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ1章18~24節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 13 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神によって生かされる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
奉仕者任命式
賛  美 402 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

本書の1章では、パウロの生涯が神によって設計され(1節、15~16節)、復活の主イエスのご介入によって、神によって生かされることを証ししています。それは、神に対してどういう歩みが造られていくことなのでしょう。

1.神の前で  18~20節
パウロは、神の選びと召しの出来事を神の前に問いかけ、神の御心を確信を持って捉える時を持ちました(17節)。続いてパウロは、回心した時から三年後に、エルサレムに行って、ケファとヤコブに会いました(18~19節)。彼のこうした人たちとの交わりは、これからの宣教の働きのために互いの役割を確認するためであったと思われます。
さて、そのことをパウロが「神の前で断言しますが」と語ったのは、自分の召しと働きが神からのものであることを明らかにするためでした。同じように、私たちの証しと伝道の動機が、神の前に純愛と情熱をもったものであるかが問われます。

2.神を崇めて  21~24節
その後パウロは、アンティオキア教会のあったシリアと彼の故郷タルソスのあったキリキア地方の宣教に赴きました。その宣教姿勢は一貫してぶれることはありませんでした(21~22節)。パウロは、「かつて」「今は」と復活の主が新しい命、新しい生き方に変えられたことを証ししました(23節)。それは、パウロ自身が神の恵みに屈服したことであり、それによってパウロのことで「神を崇め」ることになったのです(24節)。
私たちの信仰の立ち位置は、パウロと同じです。そのように神に生かされていることによって、神が崇められるのです。

恵みによる回心(2021.3.7)

聖書

なぜならこの私は、その福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、実にイエス・キリストの啓示を通して受けたからです。(ガラテヤ1章12節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヤコブ4章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編27編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ1章11~17節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 6 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みによる回心」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
3月誕生者祝福 「箴言3章5~6節」
賛  美 441 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

パウロは、回心した時から人生についての考え方や価値観が変わりました。キリストの十字架の事実が、彼の回心するまでの人生とその後の人生とを区切ったのです。

1.回心をもたらす恵みの主  11節~16節a
パウロは、福音の出所も起源も人間からではなく、神ご自身からのものであると宣言しています(11~12節)。キリストが、それを開かれ、明らかにされ、示されたのです。
かつてのパウロは、行動的にも内面的にも「極めて熱心でした」(13~14節)。しかし、神が恵み深い主権的な働きかけをもって、パウロに回心をもたらされたのです(15~16節b)。そこにおいて、恵みによる神の選びがあり、恵みによる召命があり、恵みによってイエスが救い主であることを示されたのです(ヨハネ15章16節参照)。
私たちの内にキリスト信仰を与えてくださるのは、聖霊なる神です。

2.確信へと導かれる恵みの主  16節b~17節
回心後のパウロには、二つの衝動がありました。自分の身に起こったことを直ちに他者に知らせたいという衝動、自分の身に起こったことの意味や結果を深く吟味したいという願いです。別言すれば、隠れ込んで出て行く、という衝動です。
パウロは、ダマスコ(使徒言行録9章20節)からアラビアへ、そしてダマスコに戻ったのでした。この間彼は、深く主との交わりを持つ孤独の時を過ごしています(哀歌3章26~28節参照)。そこで、信仰の確信へと導かれたことは、神の恵みでした。
私たちは、その信仰生活において、礼拝や祈祷会や個々人の密室などが真に生かされ、救いの確かさが深められ、広げられていく恵みにあずかり続けることが大切です。

 

真実な神に誠実を(2021.2.7)

聖書

もし、今なお人の歓心を買おうとしているなら、私はキリストの僕ではありません。(ガラテヤ1章10節c)

礼拝音源(24.38MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編16編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ1章6~10節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 4 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「真実な神に誠実を」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 507 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

この手紙は、真実なキリストの福音に応答する者及び教会が、何を最も大切にしなければならないかを問いかけています。

1.痛みを覚えることがある  6~9節
パウロは、信仰的な危機に陥っていたガラテヤ地方の教会に向かって、「私は驚いています」と語り出しています。と言うのも、「キリストの恵みへと招いてくださった方から」離れ、「キリストの福音を」根本から覆そうとする者がいたからです。つまり、キリストの救いの恵みを信じるだけでは不十分で、人の業を加えなければ救われないと主張していたのです(6~7節)。パウロは、キリストの十字架の救いが無駄にならないために、教会を愛すればこその驚きと痛みを覚えつつ、「その者は呪われるべきです」と神のさばきに委ねるのです(8~9節)。
キリストの十字架の福音に立ち続けたいものです。

2.誠実であり続けることである  10節
それゆえにパウロは、神とキリストの福音に対して誠実であり続けることを語るのです。そこで、信仰に生きる者が、人に取り入り人の歓心を買おうとする生き方をもって人生を築くのか、それとも神に喜ばれる人生を貫くのか、何を動機として生きるのかを問いかけているのです(マタイ19章16~22節参照)。

昨日も今日も永遠に変わることのない神の真実に照らされて生きることが、神を喜ばせる生き方です。キリストに向き合いながら、キリストの恵みの福音に与り、「キリストの僕」であり続けるように招かれているのです。

恵みと平和の福音(2021.1.31)

聖書

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平和があなたがたにありますように。(ガラテヤ1章3節)

礼拝音源(24.09MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編8編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ1章1~5節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 4 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みと平和の福音」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 521 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「ガラテヤの信徒への手紙」は、教会を真実に正しく導く福音の羅針盤のような手紙です。この手紙のあいさつ部分に、「恵みと平和」の福音は、何をもたらすかを明らかにしています。

1.キリストの救いの確信に導く  3~4節
恵みによって、神は私たちの救いのためにすべてのものを備えていてくださいます。その恵みがあるところには、神との和解がもたらす平和と平安の祝福があります(3節)。

そして、この福音の根元には、キリストの十字架があります。キリストの十字架は、私たちの罪の身代わりのため、私たちを今の悪の世界から完全に救い出すためでした。キリストは、そのようにして父なる神の深いご計画に従われたのです(4節)。

このキリストの救いの御業によってのみ、私たちは救われるのです。この救いの事実は、私たちの考えや思いが届かないほど、深く、大きいものです。

2.神の召しにあずからせる   1~2節
パウロが恵みと平和の福音の使徒とされたのは、復活されたキリストと父なる神によって直接与えられたことを語ります(1節)。こう語るのには理由がありました。ガラテヤ地方の教会に、パウロにはその資格がなく、かつてはキリスト教会とクリスチャンを迫害した過去があるために、彼を信用できないと主張する者たちがいたからです。

神は、人が神に背いていた過去の姿を見て評価し、判断されません。今、恵みと平和の福音に生きている真実な姿を見られ、その将来を見られます。私たちも、このように神に召された者であることを自覚して、栄光を神に帰する者となりましょう(5節)。

 

キリストの愛と真実に支えられて(2021.1.3)

聖書

私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。(ガラテヤ2章20節c)

礼拝音源(27.01MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編96編1~2節 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 詩編65編1~14節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章19~21節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 484(口語訳) 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストの愛と真実に支えられて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 456 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

最高にして価値ある生き方は、キリストに出会い、救いを与えられることによって「神に生きる」人に造り変えられることです(19節)。この明確で永続する生き方は、キリストによってどのように生かされていることであり、生きることなのでしょうか。

1.キリストの真実によって生かされている

パウロは、律法に仕えることによっては、神に生きることはできないことを知りました(19節a)。彼は、キリストが永遠の滅びに向かっていた者を愛して、その滅びを引き受けてくださり、十字架に死んでくださったことを根拠にしてのみ生き続けたのです。この「神の子の真実」のゆえに、その真実をあてにして信じる信仰によって生かされていることを知ったのです(20節c)。
私たちは、終始一貫変わることのないキリストの真実に支えられてこそ(2テモテ2章13節)、その救いと導きに対する信仰の基盤は揺らぐことがなく、強められるのです。

2.キリストの愛によって生きる

パウロ同様に私たちは、キリストの十字架につなぎ合わされて、自分の古い性質や考え方や価値観がキリストと共に葬られました。そして、キリストの復活とも一つにされ、その命につなぎ合わされて神に生き、神に対して生き、神のために生きるのです(19節b~20節ab)。
そのようにして、キリストが私たち一人ひとりの全人格、全生涯、日々の主となられて、キリストの愛に生かされ、その愛に応えて生きるようになります。私たちは、キリストの真実に支えられて、キリストの愛に生きるように招かれているのです。