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負うべき重荷(2022.3.6)

聖 書

互いに重荷を担いなさい。そうすれば、キリストの律法を全うすることになります。 (ガラテヤ6章2節)

礼拝音源(30.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編1編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ6章1〜5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「負うべき重荷」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
3月誕生者祝福 1ペトロ1章8~9節
賛  美 459 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

聖霊に導かれ、聖霊によって歩みまた進む信仰者たちが(5章16節、18節、25節)、「霊の人」です(6章1節)。その人たちは、他者との愛の実際的な関係が培われている人たちです(5章13~14節、22節)。そして、重荷を負って歩むことに生きる人たちです。

1.互いの重荷を  1~2節
霊の人は、柔和な主イエスによって自分たちの重荷を負っていてくださることを知っています(マタイ11章28~30節)。ですから、その人は、「過ち」に陥って罪責や自責の念といった重荷を抱えている人たちを、聖霊が結ばせてくださる実である「柔和な心」で回復させようとするのです。そのためには、自らも過ちに陥ることとのないように、謙虚であり続けることが大切です。
このようにして「互いに重荷を」担い合って生きることが、互いに愛し合うことであり(ヨハネ13章34節)、愛をもって互いに仕えていくことになるのです(5章13節)。

2.自分の荷を  3~5節
人と人との比較の中で生きていると、自分を欺いたり、間違った誇りを持ったままの中を過ごします。しかし、神の御前に自分自身を吟味しながら歩むことにより、人間理解が変えられ、他の人との関係と交わりが豊かなものになります。
そのような私たちは、次のような自分の荷を負っています。罪と死と滅びという自分が負っていた荷は、主イエスが十字架に架かられて代わって負ってくださいました(詩編68編20~21節)。そして、自分の全うすべき責務という荷は、神から託されています。教会は、このような「自分の荷を負う」ことを知る者たちの集まりです。