キリストによる一致」タグアーカイブ

キリストの十字架によって一つに(2023.5.7)

聖 書

さて、きょうだいたち、私たちの主イエス・キリストの名によってあなたがたにお願いします。どうか、皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。(1コリント1:10 )

礼拝音源(32.4MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編68編20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編32編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント1章10〜17節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神はすべてを奪うのか」 仁科共子牧師
祈  祷
5月誕生者祝福 詩編20編6節
賛  美 411 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

「主イエス・キリストにあって聖なるものとされた人々」と呼びかける挨拶で始まった手紙は、10節から教会に起こっている問題を取り上げていきます。

1.分派の問題
コリントの人たちにイエス・キリストを伝えたのは、パウロ、アポロ、ケファといった人たちでした。そこから、誰によって洗礼を受けたから誰に付くと考え、分派ができていました。彼らは、自分にイエス様を伝えた人に対する感謝から、この人こそが素晴らしいと崇拝するような形に変わってしまったのでしょう。それが分派を生み出したのです。イエス・キリストの恵みではなく、「人」に目を向けた結果です。

2.十字架のキリストにあって一つになるように
キリストだけが十字架につけられた方であり、この方の死によって聖なるものとされていることを明確に伝えます。そして、人ではなくキリストに目を向けるようにと教えます。

「キリストの十字架が空しくならないように」キリストを伝えたとパウロは言っています。このキリストによる救いの恵みがはっきりする時、心と思いを一つにして、キリスト・イエスによって聖なる者とされたものにふさわしい生活ができるようになっていきます。人にではなくイエス・キリストに目を向けて進みましょう。

キリストにあって(2021.9.5)

聖 書

あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。(ガラテヤ3章28節d)

礼拝音源(25.2MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ43章19節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編99編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ3章23~29節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストにあって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
9月誕生者祝福 ローマ15章13節
賛  美 411
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストの十字架と復活によって神の「真実が現れたので」、私たちは律法に縛られることなく、キリストに対する信仰によって導いていただきました(23~25節)。この「キリスト・イエスにあって」(26節、28節)、どのような新しさが生じたのでしょうか。

2.キリストにあって神の子  26~27節、29節
キリストの真実のゆえに、キリストへの信仰のもとに生きる一人ひとりは、神に捕らえられ、守られ、終わりまで支えられる「神の子」です(26節)。
神の子は、「洗礼を受け」てキリストに結び合わされ、その命のご支配に入れられています。そして、罪と死の支配を脱ぎ捨てて、義と命をさずけてくださる「キリストを着た」者として覆われています(27節)。さらに、「キリストのもの」として、神の命を受け継ぎ、永遠の神の国の世継ぎとしての祝福の「相続人」とされるのです(29節)。
「キリスト・イエスにあって神の子」とされた信仰から始めさせていただきましょう。

2.キリストにあって一つ  28節
このような神と人との関係は、同時に人と人との新しい関係をつくり上げていくことに結びついています。すなわち、キリストにある交わりに入れられた時から、民族の壁、社会の壁、性別の壁などを乗り越えて、私たちは「キリスト・イエスにあって一つ」とされるのです。それは、繰り返しキリストが祈られたことであり(ヨハネ17章21節)、キリストが一致させてくださる十字架を通しての恵みです(エフェソ2章14~16節)。
このことが現実に成されていくには、私たち一人ひとりが十字架を負うなかから導かれていきます。神の子とされた者たちが一つにされ、仕え、遣わされていくのです。

 

一つにまとめられる(2019.6.2)

宣教題 「一つにまとめられる」      宣 教  川原﨑晃主管牧師 
聖 書 エフェソ1章7~10節

 パウロは、「神の御心による」救いのご計画を語っています(3~14節)。まず神の御心は、キリストにあって神に選ばれた者たちを神と子とされることでした(3~6節)。続けて、神の御心は、どのように展開していくのでしょうか。

1.キリストにあって贖われる  7~9節
 キリストの受肉、十字架、復活の出来事は、私たちの救いのためでした。すなわち、神の豊かな恵みが溢れ出て、神の御子が人となって世に来られ、十字架で死なれ、そこから復活されたのは、私たちを贖い、罪を赦すためでした(7節)。
 神は、その罪を神の背後に永遠に投げ捨て(ミカ7章19節、イザヤ38章17節)、
驚くべきことに、その罪を永遠に消し去り、神が永久に思い出さないで、忘れたと言われました(イザヤ43章25節)。それもこれも、キリストの血によってであり、その力は神に敵対する勢力を破壊させてあまりあります。私たちは、この事実を、一人ひとりになされたことと信じているのです。

2.キリストにあって一つにされる  10節
 続いて、この救いの事実のゆえに、キリストによって「あらゆるものが」また「天にあるものも地にあるものも」神に繋がれて一つに結ばれるという「神の御心」を明らかにされました。つまり、神と一人ひとりがキリストにあって一つに結ばれ、天の御国と地上の世界がキリストにあって一つにされることになったのです。それはまた、教会において、互いに受け入れ合い、赦し合い、キリストにあって一致を作り出す新しい交わりを生み出したのです。
 教会は、「みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ」と祈り、キリストこそが、私の、教会の、世界の希望であることを世に証しし続けていくのです。

メッセージ(10MB)