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新約聖書

祈りを教えてください(2026.6.20)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。(マタイ 6章8節b)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編 100編1節~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 210 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 107編1節~21節
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ 6章5節~8節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科早苗師
宣  教 「祈りを教えてください」 仁科早苗師
祈  祷
賛  美 497 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科早苗師
後  奏

宣教要旨

教会は今年で創立80周年。80年間礼拝を守り主の祈りを祈り続けてきた教会と言える。主の祈りは「キリスト教の小さな学校」と呼ばれ、神を知り、信仰を深める祈り

1. 偽善者のように祈ってはいけない
祈りは、誰かに聞かせるためのものではなく、父なる神との静かな交わり。父の日にふさわしく、祈りとは「父と子の関係」に立ち返ることだと教えている。

2. 異邦人のように祈ってはいけない
異邦人は「言葉数が多ければ聞かれる」と考えた。祈りとは、神を説得する長い説明ではなく、信頼関係に基づく本音の交わり。私たちも神との信頼関係があるからこそ、「神さま、つらいです」「助けてください」と本音を祈ることができる。ただし、祈りが「自分中心」にならないよう、神の御心に向けて整えられる必要がある。

3.主の祈りが、祈りを整える
ルカによると弟子たちはイエスの祈りを見て「祈りを教えてください」と願った。イエスは祈れない弟子たちを責めることなく、何度も主の祈りを教えられた。私たちもこの祈りを通して神を知り、神に知られ、神と共に歩む者とされる。
結論:主の祈りこそ、祈りのお手本
偽善者の祈りでもなく、異邦人の祈りでもなく、父なる神を信頼して祈る主の祈りは、私たちの祈りを整え、自分中心から神中心へと向け直し、天の父との関係を回復し、イエスと共に歩む旅へと引き戻す。この祈りで、今日も天の父とつながろう。

神は真実な方(2026.6.14)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。 (ローマ 3章4節b)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編 46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 351 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 106編1節~12節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ 3章1節~20節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神は真実な方」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 433 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. ユダヤ人に神の言葉が委ねられた
パウロは、ユダヤ人が神の民として選ばれ、律法を与えられて神の御心を知り、神の望まれる生き方ができるようにされている人々だと言いました。しかし彼は、ユダヤ人が人には律法を教えるが自分では守っていないと指摘します。つまり、彼らは神に対して不誠実なのです。
2. 正しい者はいない
パウロは、ユダヤ人もギリシア人も罪の支配の下にあり、正しい人は一人もいないといいます。人は自分の力だけでは、罪の力に勝つことができません。パウロは聖書の言葉を引用して、罪があらゆる面に表れていることを教えています。
3. 神は真実な方である
ユダヤ人は律法を行うことによって、神に正しいと認められると考えていました。しかし、パウロは、律法の役割は自分が罪人だと自覚させることだと教えます。すべての人は、自分の罪のために神の裁きを受けるのです。それでも、人間がどれほど不誠実で、不信仰であったとしても、神は永遠に真実な方です。神が、イエス・キリストを通してすべての人の罪を赦し、信じる者を正しい者としてくださるのです。私たちも、真実な神を信じ、イエス・キリストによる救いの恵みを受け取って歩みましょう。

神が共に働いておられる(2026.6.7)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

主も弟子たちと共に働き、彼らの語る言葉にしるしを伴わせることによって、その言葉を確かなものとされた。 (マルコ 16章20節b)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ40章9節b~10節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 357 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 105編1節~11節
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコ 16章14節~20節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神が共に働いておられる」 仁科共子牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 564 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 弟子たちの不信仰とかたくなな心
弟子たちは、イエス様が復活されたことを聞いても、信じることができませんでした。そのような弟子たちに、復活したイエス様がご自身を現され、彼らの不信仰とかたくなな心をとがめられました。それは、弟子たちがイエス様の復活を確かに信じることができるように導くためでした。

2.弟子たちに使命を与えられる
復活されたイエス様は、弟子たちに「全世界に出て行って、福音を宣べ伝えなさい」と命じられました。福音とは、イエス様を信じる人が罪から救われるという知らせです。この福音を全世界の人に伝えることが、弟子たちに与えられた使命でした。

3. 主も弟子たちと共に働かれる
弟子たちが出て行って福音を宣べ伝えるとき、イエス様も共に働かれました。こうして、多くの人がイエス様を信じ、教会が建てあげられました。この福音を伝える使命は、教会の使命として今に至るまで受け継がれています。
私たちの教会も、主が共にいて働いてくださり、今日まで導かれてきました。これからも、いつも私たちと共にいて働いてくださる主に感謝しつつ、福音を伝える働きに励んでいきましょう

必要なただ一つのこと(2026.5.31)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

必要なことは一つだけである。マリアは良いほうを選んだ。(ルカ 10章42節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 テトス 2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 493 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 104編1節~18節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ 10章38節~42節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 新聖歌465(1,2,3) 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「必要なただ一つのこと」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 481 一同起立
感謝献金 新聖歌465(4,5) 聖歌隊
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 財産を分けてやった父
イエス様が二人の息子がいる父の話をされました。あるとき、弟の方が父に、財産を分けてくれるように願いました。それは、本来父が亡くなったあと受け取るはずのものです。父は、その願いを断ることなく、兄弟二人に財産を分けてやりました。

2. 遠い国に行ってしまった息子
弟は受け取った財産をもって家を離れ、遠い国へ旅立って行きました。彼は、そこで自分の思うままに生活し、財産すべてを使い果たしてしまいます。その頃、飢饉が起こり、彼は食べるのにも困るようになります。そこで、彼は裕福な人の家に身を寄せ、豚の世話をするようになりました。それでも彼は、空腹に悩みました。そのとき彼は我に返り、父のところへ帰ろうと決心します。

3. 待っていた父
弟は、父のもとに帰り、罪を認めてお詫びをし、「雇い人の一人にしてください」と言おうとしていました。しかし父は、まだ遠く離れていたのに、弟が帰ってきたことがわかり、走り寄って迎えました。父は、弟が帰って来るのをずっと待っていたのです。
神様は、この父のように私たちが神様のところに帰るのを待っておられます。

あなたがたは力を受ける(2026.5.24)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

ただ、あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。(使徒言行録 1章8節a)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨエル 3章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 16 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 103編
会衆祈祷 一  同
聖  書 使徒言行録 1章3節~11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「あなたがたは力を受ける」 仁科共子牧師
祈  祷
婚 約 式
賛  美 343 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.復活したイエス様
イエス様は十字架の死から復活された後、弟子たちの前に現れて、ご自分が確かに生きていることを示されました。そして、弟子たちにエルサレムにとどまって、約束された聖霊が与えられるのを待ちなさい、と命じられました。

2. 弟子たちは与えられた聖霊によって証しした
弟子たちは、イエス様が、「イスラエルのために国を建て直してくださる」と期待していました。しかし、イエス様が、弟子たちに言われたのは、「聖霊が降ると、あなた方は力を受けて、私の証人となる。」ということでした。彼らがとどまっていたエルサレムから始まり、ユダヤとサマリア全土へ広がり、さらに地の果てまでイエス様を証ししていくと言われたのです。

3. イエス様がまたお出でになるという希望をもって
イエス様は、弟子たちに語り終えられると、彼らの見ている前で天に上げられました。その時、白い衣を着た人が「イエス様は、またお出でになる。」と告げました。弟子たちは、聖霊が降ると力を受け、出て行ってイエス様を証ししました。彼らは、再びイエス様にお会いするときを待ち望みながら、証しして行ったのです。そして、私たちのところにまでイエス様のことが伝えられました。聖霊の力によって、私たちもイエス様にお会いするときを待ち望みつつ歩みましょう。

教会を造り上げるために(2026.5.17)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

こうして、聖なる者たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストの体を造り上げ、(エフェソ 4章12節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編 51編12節~14節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 17 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 100編
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ 4章11節~16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 第1,3 仁科共子牧師
第2  長田栄一師
宣  教 「教会を造り上げるために」 長田栄一師
祈  祷
任 職 式 長田栄一師
賛  美 390 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

教会に牧師が立てられ、任じられることの意味は何でしょうか。

1.教会を造り上げるために
「ある人を…牧者、教師としてお与えになりました。こうして…キリストの体を造り上げ…」(11、12節)牧師が立てられる目的をひと言で言えば、「教会を造り上げるため」と表現できます。混迷に満ちたこの時代、世の人々が神様とお出会いするために、教会が成長していく必要があります。

2.皆で一緒に
「聖なる者たちを整えて奉仕の働きをさせ…」(12節)教会の建て上げのためには、一部の働き人だけが動き回ればよいというわけではありません。皆が喜びをもって奉仕のわざを行い、皆で一緒に教会を造り上げていきます。

3.一人ひとりの信仰の確立と成長
信仰者一人ひとりの信仰がしっかりと確立し、成長していくことが必要です。(13~15節)幼稚な信仰から堅固な信仰へと成熟し、他の人々を励ますことができるようにされる必要があります。
Ⅳ.つなぎ合わされ、結び合わされて
成長した信仰者がつなぎ合わされ、結び合わされて教会は造り上げられていきます。(16節)愛によって結びつきながら、教会を造り上げて参りましょう。

母の日を覚えて(2026.5.10)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

「父と母を敬いなさい。」これは第一の戒めで、次の約束を伴います。(エフェソ 6章2節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編 46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 99編
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ 6章1節~9節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科早苗協力牧師
宣  教 「母の日を覚えて」 仁科早苗協力牧師
祈  祷
賛  美 483 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科早苗協力牧師
後  奏

宣教要旨

エフェソは異邦人の街で異教の文化に生きる宣教課題がありました。日本の私たちと同じです。教会に生きる者として母の日を覚えたいと思います。

1.主に結ばれている者として
1節にある「子どもたち」は教会に集う実際のこどもたちに呼びかけている言葉です。当時は親子一緒に集会に集っていました。「主にあって」は「主に結ばれている者として」の意味です。

2. 御国が拡がりますように
2節の戒めは幸せになるために守ることを教えます。子どもたちだけへの勧めではなく、父親たちへの教えも伴います。親子で神様に従うことが「新しい生き方」でその証によって御国が拡大します。

3. 祈りの子は滅びない
子どもは親との関係から人間関係を学びます。しかし親子ほど難しい関係はありません。「祈りの子は滅びない」は、放蕩三昧だった息子アウグスチヌスに悩む母が牧師から受けた言葉です。
(結論)祈られている子は滅びない。教会で実現しています。いえ、祈り続ける母も父も夫も妻もまた祈られている孫も滅びません。「あるべき姿の要求」を説く日でなく、あきらめず祈り続ける決心の母の日としましょう。

神から誉を受ける人(2026.5.3)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく霊によって心に施された割礼こそ割礼なのです。  (ローマ 2章29節a)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ガラテヤ 3章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 2 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 98編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ 2章17節~29節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神から誉を受ける人」 仁科共子牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 520 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 神に選ばれ律法を与えられた民
ユダヤ人たちは、神に選ばれた民であり、神から律法を与えられていました。彼らは、律法によって神の御心を知り、何が大切であるかをわきまえて生活していました。それだけでなく、他の人たちを教える教師であると自負していました。しかし、パウロは、彼らが、他人に律法を教えながら、自分自身は律法に背いていると指摘しました。

2. 割礼を受けているユダヤ人
ユダヤ人は、先祖アブラハムと神が結んだ契約のしるしである割礼を受けていました。それは、アブラハムの子孫であり、神の民であるしるしでした。割礼を受けた者は、神の律法を守らなければなりません。しかし、実際は神の律法に従うことができなくなっていました。

3. 神からの誉を受ける人
パウロは、ユダヤ人たちが律法に頼って生活しているようであるが、それは表面上だけで、心から神に従っていないと指摘します。そのような人たちにとって割礼は何の役にもたたないのだと言いました。
体に割礼を受けていなくても、心から神に信頼して従い、神の求められる生き方をする人、その人こそ神から誉を受ける人なのです。

待っている神様のところに帰ろう(2026.4.26)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

そこで、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。(ルカ 15章20節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編 100編1節~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 97編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ 15章11節~24節
使徒信条 492 一  同
聖歌隊賛美 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「待っている神様のところに帰ろう」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 69 一同起立
感謝献金 459 聖歌隊
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 財産を分けてやった父
イエス様が二人の息子がいる父の話をされました。あるとき、弟の方が父に、財産を分けてくれるように願いました。それは、本来父が亡くなったあと受け取るはずのものです。父は、その願いを断ることなく、兄弟二人に財産を分けてやりました。

2. 遠い国に行ってしまった息子
弟は受け取った財産をもって家を離れ、遠い国へ旅立って行きました。彼は、そこで自分の思うままに生活し、財産すべてを使い果たしてしまいます。その頃、飢饉が起こり、彼は食べるのにも困るようになります。そこで、彼は裕福な人の家に身を寄せ、豚の世話をするようになりました。それでも彼は、空腹に悩みました。そのとき彼は我に返り、父のところへ帰ろうと決心します。

3. 待っていた父
弟は、父のもとに帰り、罪を認めてお詫びをし、「雇い人の一人にしてください」と言おうとしていました。しかし父は、まだ遠く離れていたのに、弟が帰ってきたことがわかり、走り寄って迎えました。父は、弟が帰って来るのをずっと待っていたのです。
神様は、この父のように私たちが神様のところに帰るのを待っておられます。

神の慈しみによって(2026.4.12)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

それとも、神の慈しみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじるのですか。(ローマ 2章4節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ローマ 12章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 206 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 95編1~7節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ 2章1節~16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神の慈しみによって」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 442 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 他人を裁く人
パウロは、自分は正しいと考えて他人を裁く人に対して、あなた方は神の裁きから逃れることはできないと言いました。彼らが他人を裁きながら、自分も同じことをしているからです。彼らの行いは偽善であり、神に喜ばれることはできません。
2. 悔い改めに導く神の慈しみ
神は、豊かな慈愛と忍耐と寛容をもって人を悔い改めに導かれます。しかし、神の慈しみを軽んじて偽善を行う人たちがいます。それでも神は、慈しみをもって人を悔い改めに導かれ、罪から救われるのです。
3. 神はおのおのの行いに従って報いられる
神は、それぞれの行いに応じて、報いを与えられる方です。律法を教えられて律法によって生きる人たちも、律法を持たないが律法が教えるのと同じように生きる人たちもいます。悪を行う者には、苦しみと悩みがあり、善を行う者には、栄光と誉と平和があります。神は、どんな人も分け隔てなさらず、それぞれの行いに報いられるのです。
神が私たちを愛してくださり、罪の中にいる私たちを慈しみをもって悔い改めに導き、永遠の命を与えて神の愛の中に生きる者としてくださいました。

信じる人(2026.4.5)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

「私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである。」(ヨハネ 20章29節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ 35章1,2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 299 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 93編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 20章24節~29節
使徒信条 93-4 1A 一  同
演  奏 地よ、声高く告げ知らせよ アンサンブル・シオン
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「信じる人」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 197 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 聞いても信じない
イエス様は、死から復活されて弟子たちの前に現れました。弟子たちは、復活されたイエス様を見て喜びました。この日、トマスは一緒にいませんでした。弟子たちはトマスに「私たちは主を見た」とイエス様が復活されたことを伝えましたが、彼は信じませんでした。

2. 触らなければ信じない
トマスは、自分の指をイエス様の手の釘跡に入れ、手を脇腹の傷に入れなければ決して信じないと言いました。彼は、目で見るだけでなく、手で触れてみないと信じないと言ったのです。

3. 見ないで信じる人は幸いです
イエス様は、トマスが信じることができるように、彼がいる時に現れました。そして、トマスに指を手の釘跡にあて、脇腹に手を入れなさいと、触って確かめるように言われました。しかし、トマスはイエス様を見ただけで信じました。
そのトマスに、イエス様は「見ないで信じる人は、幸いである。」と言われました。今、私たちは、復活したイエス様を見ることはできません。しかし、私たちはイエス様のことを伝えられて、聞いて信じました。私たちは「見ないで信じる幸いな人」なのです。

復活であり、命であるイエス様を信じる(2026.3.29)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか。 (ヨハネ 11章26節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞  マタイ 21章9節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 309 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編92編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 11章17節~27節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 305(1.2.3) 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「復活であり、命であるイエス様を信じる」 仁科共子牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 300 一同起立
感謝献金
聖歌隊賛美 305(4.5.6)
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. ラザロの死
イエス様は、マリアとマルタの兄弟ラザロが病気だと聞きました。その時、イエス様は「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためである。」と言われました。しかし、イエス様がラザロの家に着いた時、彼は墓に葬られてすでに四日たっていました。

2. イエス様を出迎えたマルタ
マルタはイエス様を迎えに出て、「ラザロは死んでしまったけれど、イエス様が神様に願うことは必ずかなえてくださると信じている」と言いました。イエス様はマルタに「あなたの兄弟は復活する」と言われました。マルタは、「終わりの時に復活することは知っています。」と答えました。マルタには、イエス様にはどんなこともできる、という信仰がありました。しかし、イエス様のことを十分に理解できていませんでした。

3. イエス様を信じる者は死んでも生きる
イエス様は、「私は復活であり、命である」と言われました。イエス様が死に勝利し、永遠の命を与える方であると教えられたのです。
私たちも、イエス様が、永遠の命と復活の希望を与えてくださる方であると信じて、歩ませていただきましょう。

気前の良い主人から受け取る(2026.3.22)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

自分の分を受け取って帰りなさい。私はこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 (マタイ 20章14節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ 3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 120 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 91編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ 20章1節~16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「気前の良い主人から受け取る」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 436 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

Ⅰ. 労働者を雇うぶどう園の主人のたとえ
イエス様は、天の国を気前の良い主人にたとえられました。この主人は朝早く出かけて、1日1デナリオンの約束で労働者を雇いぶどう園に送りました。その後も何度か出て行って何人かを雇いました。

Ⅱ. 賃金を支払う
夕方になって、主人は労働者たちに賃金を支払いました。最後に来た人から順に支払われました。その賃金は皆同じでした。すると最初に来た人たちが主人に不平を言いました。自分たちは、一番長く働いたのでもっと多くもらえるだろうと期待したからです。しかし、主人は彼らを雇う時に約束した通りの賃金だから、不当なことはしていないと答えました。

Ⅲ. 気前の良い主人
ぶどう園の主人は、皆に同じように賃金を支払いたいのだと言いました。どれくらい働いたかではなく、主人の呼びかけに応じて働いたことに対して気前よく賃金を払ったのです。
神様の祝福は、私たちが何をしたかとか、どのくらいのことをしたとかによって与えられるのではありません。神様の招きに従って、言われたとおりに働く人たちに与えられます。気前よく与えてくださる神様の祝福を受け取りましょう。

福音は神の力(2026.3.15)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力です。(ローマ 1章16節b)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 1ペトロ 3章18節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 2 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 90編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ 1章16節~32節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「福音は神の力」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 441 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. キリスト・イエスの僕

1. 神を認めようとしない者

パウロは、すべての人は神を知ることができると言います。神が造られたすべてのものに神の性質が現れているからです。しかし、人間は神を認めず、偶像を造って神として拝むようになりました。彼らは、神に信頼するのではなく、自分の知恵や力で生きているのです。

2. 神を認めない者の生き方

 神とは無関係に自分の欲のままに生きる人間は、悪いことを行うようになります。パウロは「不正、邪悪、貪欲・・・」と人間の悪い考え、悪い行いを挙げています。これは、神を離れて生きる者の姿です。

3. 信じる者すべてを救う神の力

福音は、イエス・キリストの十字架の死と復活です。イエス・キリストを信じることによって罪からの救いを受けることができます。人間は、自分の知恵や力では、罪の中にある生き方を変えることはできません。神の力が、イエス・キリストを信じる者を、罪から救い、神の前に正しい者として生かすのです。

イエス・キリストを信じる信仰によって、神のものとして生きる道を導いていただきましょう。

模範を示されたイエス様(2025.3.1)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

それで、主であり、師である私があなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合うべきである。(ヨハネ13章14節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ 42章1節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 205 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 87編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 13章1節~15節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野かをり副牧師
宣  教 「模範を示されたイエス様」 鎌野かをり副牧師
祈  祷
賛  美 487 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

1. イエス様の愛
イエス様は「ご自分の時」が来たことを悟り、弟子たちを最後まで愛し抜かれた。それは「最後まで」、「残ることなく示された」、「極みまで」愛する愛であった。イエス様はイスカリオテのユダが自分を裏切ろうとしていることを知っていたが、それでもユダを最後まで愛されたのである。そのような愛で、イエス様は私たちをも愛してくださっている。

2. 弟子たちの足を洗われるイエス様
イエス様は愛するとはどういうことなのか、模範を示すため、弟子たちの足を洗われた。上着を脱ぎ、手拭いを腰に巻かれて、奴隷の姿になられた。イエス様が弟子たちの足を洗う行為は、イエス様の十字架と復活を表している。誰でもイエス様の十字架を受け入れ、信じるなら罪赦され、きよい者とされる。

3. 互いに愛し合う
イエス様の十字架の死と復活によってもたらされた愛と命に生かされている私たちは、互いに足を洗い合うべき負債がある。私たちが互いに愛し合うならば私たちがイエス様の弟子であることを、皆が知るようになる。イエス様が示された模範に倣い、恵みによって互いに愛し合い、互いに仕え合う生き方をさせていただこう。