新約聖書」カテゴリーアーカイブ

葬りの備え(2024.3.10)

聖 書

イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。私の埋葬の日のために、それを取っておいたのだ。(ヨハネ 12章7節)

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編68編20~21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 11 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編89編1~19節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネによる福音書 12章1~8節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野かをり副牧師
宣  教 「葬りの備え」 鎌野かをり副牧師
祈  祷
賛  美 567 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 過越祭の六日前
過越祭とは、エジプトの王ファラオの奴隷であったイスラエルが、神さまによって救い出されたことを祝う時である。この祭りの六日前、イエスさまは弟子たちとベタニアに行かれた。イエスさまが夕食に招かれた席には、死からよみがえらされたラザロがいた。マルタは給仕をし、ラザロはホストとしておもてなしをしていた。

2.マリアの香油注ぎ
マリアは純粋で非常に高価な、ナルドの香油を一リトラ持ってきて、それをイエスさまの足に塗り、自分の髪の毛で拭った。彼女は最も高価なものをささげ、自らを最も低い者として、イエスさまに最上の歓迎をした。しかし、イスカリオテのユダはその香油を売って、貧しい人々に施すべきであったのにとマリアを責めた。正論に聞こえるが、彼は貧しい人のことを心にかけたのではなく、盗人である。

3. 葬りの備え
イエスさまはマリアの行動を喜んで受け入れられた。葬りの日のためにとっておいたものを今使っていると理解したからである。貧しい人々はいつも弟子たちと一緒にいるが、イエスさまが一緒にいる時は限られている。イエスさまの十字架を、マリアがどれだけ知っていたかはわからないが、イエスさまが、いのちを与えるために、葬られる過越の時にかなった行動となった。御霊の導きと助けによって今なすべきことをさせていただきましょう。

愛によって造り上げられる(2024.2.18)

聖 書

偶像に献げた肉について言えば、私たちは皆、知識を持っている、ということは確かです。しかし、知識は人を高ぶらせるのに対して、愛は人を造り上げます。(1コリント 8章1節)

礼拝音源(32.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書48章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 6 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 8章1〜13節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「愛によって造り上げられる」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 520 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 唯一の神以外に神はいない
コリントの町には偶像がたくさんありました。そして、その偶像に献げられた肉が、市場でも売られていたようです。それで、コリントの信徒からパウロに、偶像に献げた肉を食べることについて質問しました。それに対する答えとして、「偶像の神はいない」ことを私たちは知っていると言いました。偶像の神はいないのだから、偶像に献げた肉を食べても問題ではないというのです。

2. 良心が弱い人と強い人
「良心が弱い人」とは、信仰がまだ、未熟な人を指しています。たくさんの偶像があるコリントの町で生活してきた人たちは、偶像の影響を受けています。信仰が成長していかなければ、正しい知識を伝えても信仰による行動ができません。弱い良心の人に対する配慮が必要だと言っています。

3. 知識ではなく愛によって
偶像に献げた肉を食べることについて、唯一の神を信じている者には、食べなくても不利にはならず、食べても有利にはならないとパウロは答えます。けれども、信仰がまだ成長しておらず、偶像の影響を受けてきた良心の弱い人たちのことを思いやり、良心の強い人の行動が彼らのつまずきとならないように配慮することが大切だと教えます。それは、愛の配慮であり、この愛が人を成長させ、造り上げていきます。神の愛に導かれて、共に成長させていただきましょう。

ひたすら主に仕える(2024.2.11)

聖 書

このように私が言うのは、あなたがたの益のためであって、あなたがたを束縛するためではありません。むしろ、あなたがたが品位を保ち、ひたすら主に仕えるようになるためなのです。(1コリント 7章35節)

礼拝音源(29.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編121編4~5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 2 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編81編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 7章25〜39節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「ひたすら主に仕える」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 528 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 現状にとどまるのがよい
未婚の人たちに、「迫っている危機」があるので、現状にとどまっているのがよいと言いました。けれども、結婚してはならないと言っているのではありません。結婚している人も現状のままでいるようにと言っています。また、結婚しても罪を犯すことにはならないので、結婚してもよいといっています。ただ、結婚する人たちが苦労を負うことになるので、結婚しないで一人でいるほうがよいと勧めています。

2. 時が縮まっている
「危機が迫っている」とパウロは感じていたのでしょう。それで、過ぎ去っていくこの世のものにとらわれて思い煩わないで、主に仕えるようにと勧めています。

3. ひたすら主につかえるために
独身の人は、主のことに心を遣うが、結婚している人は世のことに心を遣い、心が分かれてしまう。それで、独身でいるほうがよいと言っています。けれども、それは独身でなければならないというのではなく、主に仕えることを妨げるような結婚であれば、ふさわしくないということです。未婚であっても、結婚していても主に仕えるために心を遣うようにと勧めているのです。
主に喜ばれるように、と主のことに心を遣い、ひたすら主に仕える者としての歩みを導いていただきましょう。

そのままで新しく生きる(2024.1.14)

聖 書

きょうだいたち、おのおの召されたときの状態で、神の前にとどまっていなさい。(コリントの信徒への手紙一 7章24節)

礼拝音源(29.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 哀歌3章22〜23節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 127 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編76編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント7章17〜24節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「そのままで新しく生きる 仁科共子牧師
祈  祷
はたち祝福式
賛  美 440 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 霊によって一致して歩む
キリストの体として一人一人が結び合わされて、一致して歩むことを教えています。それは、キリストの体は一つだからです。イエス・キリストを信じた人は、キリストの体である教会の部分として生きていきます。そして、一つの聖霊によって一つにされ、キリストの体である教会としての歩みをしていくのです。

2. 違う賜物が与えられて一つにされる
「キリストの賜物の秤に従って」それぞれに賜物が与えられます。そして、違う務めを与えられます。その一人一人が結び合わされて、それぞれの働きをしてキリストの体が造り上げられていきます。一人一人に違う賜物が与えられるのは、それらが体全体を成長させるために、必要だからです。そして、その違いが結び合わされるときあらゆる点で成長していきます。

3. 愛の内に造り上げられてゆく
キリストによって、一人一人は結び合わされます。違っている部分はそれぞれの分に応じて働いて体を成長させていきます。それが、キリストにあってキリストのものとされた私たちにふさわしい歩みです。このような歩みは聖霊によってできることです。私たち一人一人が結び合わされて、キリストの体として歩ませていただきましょう。

キリストの体として歩む(2024.1.7)

聖 書

キリストによって、体全体は、支えとなるすべての節々でつなぎ合わされ、一つに結び合わされて、それぞれの部分は分に応じて働いて、体を成長させ、愛の内に造り上げられてゆくのです。(エフェソの信徒への手紙 4章16節)

礼拝音源(30.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編100編1〜3節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 55 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編75編
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソの信徒へ手紙 4章1〜16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「キリストの体として歩む 仁科共子牧師
祈  祷
1月誕生者祝福 ヨハネの手紙 三 1章2節
賛  美 411 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 霊によって一致して歩む
キリストの体として一人一人が結び合わされて、一致して歩むことを教えています。それは、キリストの体は一つだからです。イエス・キリストを信じた人は、キリストの体である教会の部分として生きていきます。そして、一つの聖霊によって一つにされ、キリストの体である教会としての歩みをしていくのです。

2. 違う賜物が与えられて一つにされる
「キリストの賜物の秤に従って」それぞれに賜物が与えられます。そして、違う務めを与えられます。その一人一人が結び合わされて、それぞれの働きをしてキリストの体が造り上げられていきます。一人一人に違う賜物が与えられるのは、それらが体全体を成長させるために、必要だからです。そして、その違いが結び合わされるときあらゆる点で成長していきます。

3. 愛の内に造り上げられてゆく
キリストによって、一人一人は結び合わされます。違っている部分はそれぞれの分に応じて働いて体を成長させていきます。それが、キリストにあってキリストのものとされた私たちにふさわしい歩みです。このような歩みは聖霊によってできることです。私たち一人一人が結び合わされて、キリストの体として歩ませていただきましょう。

神の平和に守られて生活する(2024.1.1)

聖 書

そうすれば、あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう。(フィリピ4章7節)

礼拝音源(32MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編96編1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 7 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編74編
会衆祈祷 一  同
聖  書 フィリピの信徒への手紙 4章4~9節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神の平和に守られて生活する 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 460 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 主にあって
この手紙は、「キリスト・イエスにあるすべての聖なる者たち」へ書かれています。「キリスト・イエスにある人」とは、イエス様がかかわって下さり、イエス様との交わりの中に生きている人のことです。その人たちに、「主にある」生き方として、喜びをもって生きることを教えています。
2.主にある喜びで生活する
イエス様との交わりの中に生活していく人は、「主にあって」喜ぶことができます。そして、どんなことの中にも失われないこの喜びをもって生活していくことができます。そうする時、他の人たちはその姿を見て、主キリスト・イエスにある喜びの生き方を知るようになるのです。
3. 神の平和が守ってくださる
私たちが主にあって喜びをもって生きていく時、神様の平和が、キリスト・イエスにあって私たちの心と考えを守ってくださいます。そのために「何事も思い煩わないで、どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献げ」ます。このキリスト・イエスにある人の祈りに神様はこたえてくださり、平和を与えてくださって、思い煩うことのない生活を与えてくださいます。
新しく始まるこの年、神の平和にまもられて、キリスト・イエスにあって喜びの生活を歩ませていただきましょう。

喜び、神を賛美する(2023.12.24)

聖 書

羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の告げたとおりだったので、神を崇め、賛美しながら帰って行った。(ルカによる福音書 2章20節)

礼拝音源(32MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編149編3~4節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 258 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編72編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカによる福音書 2章8~20節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「喜び、神を賛美する」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 263 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 「大きな喜び」を告げられた
イエス様が生まれた時、主の天使が羊飼いたちにそのことを告げました。突然の出来事に彼らは恐れましたが、それは彼らが待ち望んでいた救い主が生まれたという、喜びの知らせでした。そして、羊飼いたちは、この知らせを告げた天使と天の大軍が神を賛美するのを聞きました。

2. 羊飼いたちは知らされたことを見にいった
天使たちが去って行ったあと、知らされた出来事を見るために羊飼いたちは出かけました。そして、告げられた通りの「飼い葉桶で寝ている乳飲み子」を見つけました。天使が告げたことが本当だった、とわかった羊飼いたちは、自分たちが見て確かめた喜びの知らせを他の人々に知らせました。

3. 羊飼いたちは神を崇め、賛美した
救い主としてイエス様が生まれたことを告げた天使たちは、神の栄光が現わされ、地の上に神の平和が与えられたことを賛美しました。その賛美を聞いて乳飲み子のイエス様を見に行った羊飼いたちは、天使が告げたとおりだったことを知って、同じように神を賛美しました。
天使は「すべての民に与えられる大きな喜びを告げる」と言いました。今私たちにも、この大きな喜びが与えられます。イエス様を私の救い主として信じて救いを受け取り、喜びをもって神を賛美しましょう。

全能の神(2023.12.10)

聖 書

神にできないことは何一つない。(ルカによる福音書1章37節)

礼拝音源(32MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編37編4~5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 83 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編69編1~19節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカによる福音書1章26~38節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野かをり副牧師
宣  教 「全能の神」 鎌野かをり副牧師
祈  祷
賛  美 298 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 全能の神
神が全能なお方であるというのは、神にとって不可能なこと、お出来にならないことは何一つないということ。神が語られた言葉、神が語られた事柄はそのようになるということ。神の約束は必ずその通りに実現するということです。全能の神は、神の御心を、神のご計画されていることを、人を用いて行われるのです。クリスマスの出来事は、神が全能であられることが現されています。それらの出来事は、私たちの目には不思議と思えるような出来事です。

2. 全能の神を信じる
「神にはできないことは何一つない。」と天使から聞いたマリアは、「お言葉どおりこの身になりますように。」と答えました。マリアはみことばを聞き、受け止め、従いました。神が語られたことは必ず実現する、だから神の語られたことが私のうちになされるようにと、信仰によって受け入れたのです。聞くことから信仰は生まれ、信仰によって従うことが出来るのです。2000年前、神は預言者によって語られていた救い主、イエス・キリストをこの世に遣わされました。私たちの救いのためです。そのことが実現するために、マリアを選ばれたのです。神はご自分の御心を行うために、神の約束を実現するために、人を用いてその業なされます。みことばを聞き、全能の神を信じ、御心が私のうちになりますようにと応答する歩みをさせて頂きましょう。

イザヤが人々にこのことを伝えたのは、イエス様がこの世に生まれる700年以上も前のことでした。ユダヤ人たちは、希望を持ってこのことを伝えていきました。そして、イエス様の弟子たちはこの預言が成就したことを証しし伝え、多くの人がこの恵みを受けています。(使徒8:26〜40)

平和な生活を送るために召された(2023.11.19)

聖 書

その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、私たちの主イエス・キリストが現れるのを待ち望んでいます。(1コリント 1章7節)

礼拝音源(37.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 コロサイ 3章15節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 2 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編65編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 7章1〜16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「平和な生活を送るために召された」 仁科共子牧師
祈  祷
献児式'(第一礼拝)
転入会式(第二礼拝)
賛  美 516 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 不品行を避けるために
コリントの社会にある不道徳な生活が、教会にも影響を与えていました。パウロは、そのような不道徳、不品行に負けないために、結婚するようにと勧めています。それは、消極的な意味ではなく、結婚は神によって定められている正しい生き方であるからです。また、夫婦が祈りに専心することの大切さを教えています。こうして、誘惑に陥らずに、祝福された結婚生活を送ることができるようになります。

2. 結婚したなら離婚しないように
コリントの社会では離婚が日常的にあったようですが、教会のクリスチャンたちには離婚しないようにと教えています。また、伴侶が信者でない場合、その人が一緒にいることを望んでいるなら別れてはいけないと教えています。伴侶の信仰による生き方を受け入れて神の祝福を受けているからです。

3. 平和な生活を送るようにと召された
神は結婚生活も平和に暮らすようにしてくださっています。この「平和」は、神が与えてくださるものです。この手紙の最初のところでパウロは、「あなたがたはキリストにあって、・・・すべての点で豊かにされ・・・どんな賜物にも欠けるところがなく・・・。」と、あなたがたはキリスト・イエスによって与えられている神の恵みに生かされていると語ることから始めました。問題を解決する知恵と力はキリストにあり、平和な生活を送ることができるようにしてくださるのです。

子どものような心で生きる(2023.11.12)

聖 書

言われた。「よく言っておく。心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」 (マタイによる福音書18章3節)

礼拝音源(27.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 箴言3章5〜6節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 105 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編64編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイによる福音書18章1~5節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「子どものような心で生きる」 仁科共子牧師
祈  祷
幼児成長祝福式 484
賛  美 543 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 天の国では、誰がいちばん偉いのでしょうか
弟子たちはイエス様に「天の国では、一体誰がいちばん偉いのでしょうか」と聞きました。彼らは、自分が他の者たちより上に立ちたいと思っていたようです。この世の「価値がある」とされるものを求める心から出ている考えです。イエス様は、その質問に対して、子どもを彼らの真ん中に立たせて答えられました。

2. 子どものように自分を低くして
イエス様は、「天の国でいちばん偉いのは、子どものように自分を低くする者」だと答えられました。「自分を低くする」というのは、謙遜な心になるということです。そして、天の国には、「心を入れ替えて、子どものようにならなければ入れない」と言われました。「心を入れ替える」とは、それまでの考え方をやめて新しい方向へ向かうことを意味しています。偉くなりたいというこの世の価値観ではなく、謙遜な天の国の価値観で生きることへと方向転換していくことです。

3. 謙遜な心で生きる
謙遜な子どものような人を受け入れる人は、イエス様を受け入れるのとおなじだと言われました。「謙遜な子どものような人」とは、イエス様を信じている人のことで、天の国に入った人です。それは、イエス様と共に、イエス様のように生きている人です。そのような人を通して、他の人たちはイエス様を知っていきます。子どものような謙遜な心で、お互いを大切に思って支え合って生活しましょう。

神が慰めてくださる(2023.11.5)

聖 書

神は、どのような苦難のときにも、私たちを慰めてくださるので、私たちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。 (2コリント 1章4節)

礼拝音源(35.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編23編4節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 111 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編63編
会衆祈祷 一  同
聖  書 2コリント 1章3〜11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神が慰めてくださる」 仁科共子牧師
祈  祷
11月誕生者祝福 (エフェソ3:14~16)
賛  美 533 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.慰めに満ちた神が慰めてくださる
パウロは、「私たちの父なる神」は「慰めに満ちた神」であり、この神が私たちを「どのような苦難のときも慰めてくださる。」といっています。神の慰めは、私たちの苦しい思いを慰めてくださるというだけではありません。苦しみの中にあっても私たちに希望を与え、生きる力を与えるものです。

2. キリストによって慰められる
この神の慰めは、キリストによって受けることができます。キリストの十字架の苦しみと死によって私たちは神のものとされました。復活のキリストの命によって生きる者とされたのです。その私たちにキリストによって神の慰めが私たちの内に満ち溢れています。この慰めは、苦しみに耐える力となります。

3. 慰められて他の苦難のなかにいる人を慰めることができる
キリストによって、私たちが苦しみの中で神から受けた慰めによって、私たちもほかの人たちを慰めることができます。「どのような苦難のときにも」慰められた私たちは「あらゆる苦難のなかにある人々を」慰めることができるのです。
パウロは、「生きる望みを失った」苦難の中で、ただ神だけを頼り、神に望みを置きました。私たちの生活も、苦しみ悩みは尽きません。私たちも慰めに満ちた神に信頼し、その慰めに満たされて、共に慰め合い支え合って歩ませていただきましょう。

イエスを見て喜んだ人たち(2023.10.29)

聖 書

こう話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 (ルカによる福音書 24章36節)

礼拝音源(32.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編107編1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 129 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編62編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカによる福音書 24章36~43節
使徒信条 93-4 1A 一  同
証しと演奏
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「イエスを見て喜んだ人たち」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 430 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 復活されたイエス様が弟子たちの前に現れた
イエス様は十字架で死んで葬られた後、復活されて何人かの弟子たちの前にあらわれました。それから、弟子たちが集まって、復活したイエス様に会った弟子が他の弟子たちに話しているときに、また現れてくださいました。復活されたイエス様を見た弟子たちは恐れました。現実のこととは思えなかったようです。
2. 恐れから喜びに
恐れおののいている弟子たちにイエス様は語りかけられました。「まさしく私だ」と言って、彼らにしっかり見るように、触ってよく見るようにと言われました。たしかにイエス様だとわかった弟子たちの心には喜びがわきあがりました。それでも弟子たちはまだ信じられなかったようです。それほど、驚くことだったのです。
3.  イエス様が信じることができるようにしてくださった
見て触って確かめるだけでなく、しっかり信じて受け止め、喜びに満たされるために、イエス様は聖書から教えられました。「聖書を悟らせるために彼らの心を開いて」話されたのです。(ルカ24:45)現実に目の前に見ても不思議がっていた弟子たちが、イエス様の死と復活の意味を理解し、イエス様の弟子として喜んで従っていくことができるようにしてくださいました。
私たちも、イエス様にお会いして、信じることができるように教えていただくことができます。そして、喜びのある人生を与えていただけるのです。

悲しみから喜びへ(2023.10.22)

聖 書

主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。(ルカによる福音書 7章13節)

礼拝音源(32.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編19編9節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 493 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編61編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカによる福音書 7章11〜17節
使徒信条 93-4 1A 一  同
証しと演奏
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「悲しみから喜びへ」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 472 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

I. 悲しみの中にある母親
イエス様がナインという町に近づかれた時、町から大勢の人たちが出てきました。それは、一人息子を亡くした母親に付き添って葬るために出て行く人たちでした。夫を亡くし、一人息子にも先立たれた悲しみの中にある母親でした。悲しみと嘆きに満ちた人々をイエス様はご覧になりました。

II. 悲しむ母親を慰められるイエス様
唯一の拠り所である一人息子を亡くした母親の悲しみはどんなに大きかったことでしょう。イエス様はその母親の姿を見て「憐れに思い」声をかけられました。この時のイエス様は母親の悲しみに深く共感した「憐れみ」を表されました。そして「もう泣かなくとも良い」と慰められました。

III. 悲しみが喜びに変わる
母親に慰めの言葉をかけたイエス様は、棺に触れて「若者よ、起きなさい」と棺の中の息子に呼びかけられました。するとその息子が起き上がって話を始めました。信じられないような奇跡が行われました。イエス様は生き返った息子を母親にお返しになりました。この時、母親の深い嘆きは、大きな喜びに変わりました。

イエス様は、私たちの悲しみ嘆き、苦しみに深く共感して慰めてくださいます。その慰めは、言葉だけではなく具体的な助けを与えてくださり、悲しみを喜びに変えることができるものです。愛していてくださるイエス様に信頼しましょう。

仕えるために(2023.10.8)

聖 書

人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。(マタイによる福音書 20章28節)

礼拝音源(32.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書48章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 83 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編59編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ20章17〜28節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野かをり副牧師
宣  教 「仕えるために」 鎌野かをり副牧師
祈  祷
献 児 式
賛  美 564 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

この聖書の箇所にはイエスがこの世界に来られた目的が書かれている。

1.受難の告知
イエスはエルサレムに上る途中、12弟子にこれからご自分の身に起こる出来事について話された。それは、十字架への道の苦しみと苦難と復活についてである。しかし、弟子たちはその真意を悟ることができなかった。

2.ゼベダイの息子たちと母
ゼベダイの息子たちと母がイエスのところへ来た。母は、息子たちが御国でイエスの右と左に座れるように、と願い出た。イエスは、あなたがたは間違った求めをしていると指摘する。御国の王座の右と左に座ることは、父なる神によって備えられた人たちに父が与えられるからだ。聞いた他の弟子たちは二人に腹を立てた。

3.仕えるために
弟子たちの中で、誰が偉いのかと権力争いをする様子を見たイエスは、この世の支配者のようになってはならないと言われた。偉くなりたい者は仕える者に、頭になりたい者はしもべになる。イエスがメシヤとして仕えるために、多くの人の身代金としてご自分の命を与えるためにこの世界に来られたからである。仕えるとは、奉仕、奉仕者と訳されることばである。イエスは私たちに仕えて、命を与えて下さった。その恵みのゆえに、私たちは与えられている賜物を用いて、イエスのように仕える者として奉仕するよう招かれている。

代価を払って買い取られた者(2023.10.1)

聖 書

知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。(1コリント 6章19節)

礼拝音源(35.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1コリント1章30節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 56 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編57編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント6章12〜20節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「代価を払って買い取られた者」 仁科共子牧師
祈  祷
聖 餐 式 49
10月誕生者祝福 ヨハネ15章9節
賛  美 513 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

パウロはコリントの信徒たちの不品行の罪を指摘しました。そして、キリストを信じて罪を悔い改めるなら命の道に生きることができると教えました。

Ⅰ.すべてのことが益になるわけではない
キリストを信じたものには、「すべてのことが許されているが、すべてのことが益になるわけではない。」ですから、益になることを選んで生きるようにと教えています。「体は主のためにあり、主は体のためにおられる」のであり、主と同じ復活の命に生きています。

Ⅱ.キリストの体の一部とされた
キリストの復活の命に生かされているキリスト者は、キリストの体の一部となりました。それは、主との交わりに生き、主と一つにされて生きることです。そのキリストの体を自分の欲によって不品行な生き方のために使ってはならないと教えています。

Ⅲ.神が代価を払って神のものとされた
神がキリストという代価を払って、私たちを罪の奴隷から買い取り、神のものとしてくださいました。そして、聖霊を与えてくださり、神の栄光を現すものとして生きるようにしてくださったのです。
私たちもキリストという代価によって買い取られて神のものとなりました。私たちは、主の聖餐を受けるときこの恵みを覚えて感謝します。私たちの生活を通して神の栄光が現されていきますように、主の導きに従って生活しましょう。