新約聖書」カテゴリーアーカイブ

新しく生まれる(2021.7.25)

聖 書

イエスは答えて言われた。「よくよく言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(ヨハネ3章3節)

礼拝音源(42.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編90編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ2章23節~3章8節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しく生まれる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 475 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、「新しく生まれる」ということに向き合わなければなりません。そして、主イエスが「あなたがたは新たに生まれなければならない」と問いかけられたことに対して(3章3節、5節、7節)、誰もが応答しなければならないのです。

1.上からの力で生まれる
人の心の中をよく知っておられた主イエスは、ユダヤ人たちを信用されませんでした(2章23~25節)。それは、主イエスのなされた御業を見て「先生」と呼んだニコデモに対しても同じでした(3章1~2節)。

しかし、主イエスは、そのようなニコデモと愛と真実をもって対話され、信頼できる者にしようとされたのでした。そのために、神は、人の信心や努力によってではなく、主イエスの十字架と復活を通して「新たに生まれ」るようにされたのです。それはまさに、神の上からの新たな御業でした。人はそれを受け取るだけなのです。

2. 恵みの中を生きる
確かなことは、誰でも「新たに生まれなければ」、神の国を見ることも、神の国に入ることもできません(3節、5節)。すなわち、神の恵みのご支配が見えないし、その恵みの中に入れられて生きることもできません。それを確証させていただけるのは、「水と霊」によるバプテスマによってであり(5節)、聖霊は働き続けて新しい生き方を造ってくださるのです(6~8節)。

信仰とは、信じ生きることです。聖霊は、主イエスによって、私たちにそのような恵みの中を生きるようにしてくださるのです。

 

神に生きる(2021.7.18)

聖 書

私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。(ガラテヤ2章20節c)

礼拝音源(29.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編100編1~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編67編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章19節~3章5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神に生きる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 514 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

日本イエス・キリスト教団
信仰告白

わたしたちは信じて、告白します。

旧新約聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた、誤りのない神のことばであり、キリストをあかしし、福音の真理を示すもので、教会の拠(よ)って立つただ一つの聖典です。聖書は、わたしたちに、神と救いについての完全な知識を与えるものであり、信仰と生活の基準です。

主イエス・キリストによって啓示され、聖書にあかしされた唯一の神は、父と子と聖霊の三位一体の神であり、その本質において同一です。

イエス・キリストは、神のひとり子であり、わたしたちを罪から救うために人となり、身代わりとなって十字架にかかり、ただ一度、ご自身を完全な犠牲(いけにえ)として神にささげ、あがないを成就されました。その復活は、永遠のいのちの保証です。天に昇られた主は、キリストの日に至るまで、わたしたちのためにとりなしておられます。

わたしたちは、神の恵みにより、ただキリストを信じる信仰によって義とされ、罪をゆるされ、神と和解し、新たに生まれて神の子とされます。わたしたちは、キリストの血によってすべての罪からきよめられ、神のものとされ、聖霊のバプテスマを受け、その内住による全き支配によって、主のかたちに変えられていきます。種は再び来られ、わたしたちを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて、永遠のみ国をつぐ者とされます。

教会は、キリストのからだであって、神に召された生徒の集まりです。教会は、公同の礼拝を守り、主の命にこたえて、福音を正しく宣べ伝え、聖礼典を行ない、聖徒をととのえ、主に仕えつつ愛のわざを励み、主が再び来られるのを待ち望みます。

わたしたちは、このように信じ、余世の聖徒と共に、使徒信条を告白します。

宣教要旨

私たちは、「何であるか」との問いを受け続けています(教団創立70周年記念誌P25参照)。何よりも「神に生きる」信仰は、律法ではなく、信仰によって生きることです(2章19~20節)。どのような信仰に生きることなのでしょうか。

  1. 十字架を仰ぎ見続ける  3章1節

ガラテヤの諸教会の信徒たちは、キリストの十字架を信じることによって救われました。ところが、信仰生活を行いによって整えようとしたために、十字架から目を離すような愚かな歩みを始めたのです。

このような律法主義的な心理は、自分を慢心したり、逆に足らなさばかりにとらわれたりするといった誘惑となって表れてきます。私たちは、公然と描き出された十字架の恵みに立ち続けるところに(2章20節c)、喜びと自由の恵みがあるのです(エフェソ2章8~10節)。そこから、十字架の恵みが、感謝となってほとばしり出るのです。

2. 聖霊の恵みにあずかり続ける  3章2~5節

パウロは、ガラテヤの諸教会の信徒たちが経験した聖霊の大いなる恵みを思い起こさせています。罪が赦され、義と認められ、キリストと共に十字架につけられ、キリストが内にいきてくださるのは、聖霊を受けたからでした(2節)。その時、福音を聞いて信じたのであり、信仰をもって聞いたのでした。そこから、聖霊によって歩み続け(3節)、力ある業をなされる聖霊の恵みにあずかる生活をしていくのでした(3節)。ところが、その「神の恵みを無駄」にしてしまっていたのです(2章21節、3章4節)。

「神に生きる」ことは、神のために生きるという広がりをもたらします。

 

 

敬虔であること(2021.7.11)

聖 書

イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。(ヨハネ2章22節)

礼拝音源(28.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編66編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ2章13~22節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「敬虔であること」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 515 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリスト信仰は、いかに生きるか、いかに死を迎えるかが密接にかかわっています。ところがこの聖書箇所には、死の後に生が続いており、義とされた者が聖化の恵みに導かれる筋道が語られています。

イスラエル民族にとって過越際は、神の救いを記念して感謝する重要な祭りでした。ここにおいて主イエスは、礼拝の民がつくられていくことの大切さを語ることにより、そこに敬虔の気風とも言うべきものが備えられるように勧めておられます。

1.神を畏れ敬う礼拝  13~17節

神殿の一番外側には、神へのささげものを必要とする人たちのために両替人がいました。しかし、両替人は暴利をむさぼって不正をしていたために、主イエスは「私の父の家を商売の家」としていると憤られたのです。敬虔な礼拝の場であるはずの神殿は、外側は立派な宗教行為がされていましたが、内側は形式化し形骸化していたのです。
敬虔とは、神に対する心の態度であり、神を敬い、畏れることです。主イエスの十字架の隣にいた男は、不敬虔から敬虔への見事な転換を経験しました(ルカ23章40節)。
敬虔が教会の気風になるためには、一人ひとりの敬虔さが深められ、基本を大切にした教会の礼拝がつくられていくことが大切なのです(1テモテ4章7節参照)。

2.信仰の目が開かれる礼拝  18~22節

ここに登場するユダヤ人たちは、主イエスが語られることの意味が分かっていませんでした。彼らは、信仰的、霊的な目が開かれていなかったからです。主イエスは、「ご自分の体てある神殿」のことを言われて、十字架に架かられて三日目に復活されることを語られたのです。
礼拝の中心であるキリストに結びついた一人ひとりがキリストの体です(1コリント6章19~20節)。このキリストへの信仰に目が開かれた礼拝者が求められているのです。

聖化の恵みに(2021.7.4)

聖 書

私はキリストと共に十字架につけられました。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。(ガラテヤ2章19節b~20節b)

礼拝音源(27.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編62編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章17~21節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖化の恵みに」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
7月誕生者祝福 エフェソ2章8節、10節
賛  美 521 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリスト信仰は、いかに生きるか、いかに死を迎えるかが密接にかかわっています。ところがこの聖書箇所には、死の後に生が続いており、義とされた者が聖化の恵みに導かれる筋道が語られています。

1.キリストと共に十字架につけられた  19節
「人が義とされる」ことは、律法を無視することでもなく、また再び律法の奴隷となることでもなく、福音の自由の恵みに生きることへと導かれます(17~18節)。律法によれば、私(たち)は罪人です。キリストは、その罪のさばきを十字架で代わって負ってくださったことにより、私(たち)は「律法に死にました」(19節a)。
私(たち)は、この「キリストと共に十字架につけられ」一つとされたことによって、十字架に死んでくださったキリストの支配下に入り、復活されたキリストに生きていただくのです(19節b)。ここから、キリストによる自由と喜びに生きることを知るのです。

2.キリストが私の内に生きておられる  20節
私(たち)は、キリストと共に十字架につけられたことによって、自分がなくなるのではありません。生まれながらの古い自己中心的な自我性が十字架につけられてキリストと共に死んだことにより、キリストと一つに結び合わされ「キリストが私の内に生きておられる」という新しい私(たち)が生きるのです。それは、キリストが私(たち)を支配していてくださることです(19節b~20節b)。
具体的には、いつでも、神の愛とキリストの真実によって生かされているという自覚をもって、それに全く信頼して生きることです(20節c)。

 

 

喜びの中にキリストを(2021.6.20)

聖 書

イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。(ヨハネ2章11節)

礼拝音源(25.4MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編51編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ2章1~12節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「喜びの中にキリストを」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 288 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

苦しむ人と共にいて下さる主イエスは、喜ぶ人とも共にいてくださいます。「カナでの婚礼」において、「水がぶとう酒」に変えられることによって、主イエスこそ救い主であることが明らかにされました。喜びの中に主イエスがおられるのです。

1.確かな喜びに
婚礼には、花婿と花嫁の中に、イエスの母と兄弟とイエスご自身と5人の弟子たちも招かれていました。そこには、召し使いと世話役がいます。主イエスは、婚礼の真っただ中におられ、共に祝い、喜んでおられます。ところが、祝いのぶどう酒かなくなるや、マリアは召し使いたちに命じます。彼らは、主イエスが命じられるままに水がめに水をいっぱいに入れると、水がぶどう酒に変わり、そこが喜びの宴となりました。
主イエスを迎え入れるならば、それがいかなる状況下にあっても、揺るがない確かな喜びに満ちるのです。

2.終わりのない喜びに
主イエスは、「私の時はまだ来ていません」(4節)と言われました。その時とは、主イエスが、栄光を受けられた時(ヨハネ12章23節)、すなわち十字架にお架かりくださった時のことです(同12章27節)。水がぶどう酒に変えられるという「最初のしるし」が、それを象徴しています。
それに対してマリアは、主イエスを信頼し、希望を捨てていませんでした(5節)。召し使いたちは、時を逃さずに主イエスの言葉に従いました(7節)。そのようにして、私たちは、心と人生と永遠を変えることができる「イエスを信じる」のです(11節)。

 

 

キリストに見出されて(2021.6.13)

聖 書

イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。それよりも、もっと大きなことをあなたは見るであろう。」(ヨハネ1章50節)

礼拝音源(25.6MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編42編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章43~51節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストに見出されて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 482 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イエスと出会って、イエスに仕える弟子とされた5人の人たちの様子が語られています(1章35~51節)。まずイエスが彼らに目を留められています。それに応答するようにして、彼らはイエスを見たのです。

1.イエスが目を留められた
フィリポやナタナエルがイエスを発見したのではなく、先だってイエスが彼らに目を留められています(43節、47節、48節、50節)。イエスは、彼らの過去を見てではなく、彼らの将来を見ておられたのです。
それは、先のペトロに対しても同様でした。イエスの十字架を前にしては不肖の弟子でしたが、その時すでにペンテコステの日に復活の主を力強く証しするペトロが見えておられたのです(ルカ22章61節)。
イエスが同じ目で私たち一人ひとりを見ておられることは、大きな励ましです。

2.イエスを見た
ナタナエルは、フィリポの証言に関心を抱きつつも、当初は偏見にとらわれていました。彼は、フィリポから「来て、見なさい」とイエスとの人格的な出会いへと導かれます(45~46節)。その時イエスは、誠実なナタナエルを見ておられました(47~49節)。さらにイエスは、「もっと大きなことをあなたは見る」と十字架と復活によって現される救いの御業を見せなさいました(50~51節)。
それは、「あなたがたは見る」とあるように、ナタナエルもペトロも私たちも、信仰の目をもってイエスを見つつ歩むことです(1ペトロ1章8~9節、ヘブライ12章2節)。

 

 

福音の真理に歩む(2021.6.6)

聖 書

彼らが福音の真理に従ってまっすぐ歩いていないのを見て、私は皆の前でケファに言いました。(ガラテヤ2章14節a)

礼拝音源(25.5MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ガラテヤ3章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編33編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章11~14節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「福音の真理に歩む」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
6月誕生者祝福 イザヤ書63章9節
賛  美 543 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ユダヤ人であれギリシア人であれ誰であっても、同じ一つの福音の真理にとどまり続けることは(2章5節)、福音の真理に生きることであり、歩み続けることです(14節)。

1.偽ることなく  11~13節
ペトロとパウロは、先のエルサレム教会においては、福音の真理を確認し合いました。ところが、アンティオキア教会では、パウロがペトロを「面と向かって」非難しています(11節)。ペトロは、当初は異邦人キリスト者たちと愛餐と聖餐の交わりを持っていました。ところが、エルサレム教会からユダヤ人キリスト者が訪れるや、彼は神を畏れるのではなく人を恐れて、徐々にその交わりをしなくなったのです(12節)。そのような偽りは、他のユダヤ人キリスト者たちやバルナバまで巻き込むことになりました(13節)。
このように、福音の真理を信じることと裏腹の行動をとることが、神の恵みを無駄にしてしまい(2章21節)、教会の中に壁を作ってしまうのです。

2.福音の真理に向かって  14節
ここでパウロは、ペトロたちが「福音の真理に従って(向かって)まっすぐに歩いていない」と指摘しています。そのように私たちも、福音の真理を捉えていると思っても、生活や習慣のすべてが一瞬にして変えられていないというのが現実です。とりわけ、お互いのこれまでの生活習慣の相違に捉われて、福音の真理を見失わせることがあります(1コリント1章22節、24節参照)。
私たちは、自らの生活や習慣を点検しつつ、福音の真理に従って、またその方向に向かって歩みを進めるキリスト者であり教会でることが大切なのです。

 

 

何を求めているのか(2021.5.30)

聖 書

イエスは振り返り、二人が従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。
(ヨハネ1章38節a)

礼拝音源(26.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章35~42節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「何を求めているのか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 451 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

洗礼者ヨハネが、アンデレと使徒ヨハネに、主イエスを「見よ、神の小羊だ」と紹介したところ、彼らは「イエスに従った」のでした。それを見られた主イエスは、「何を求めているのか」と尋ねられました。これは、今の私たちへの問いかけでもあります。

1.最高の出会いを  35~38節a

私たちの出会いには多くのものがありますが、神との出会いこそが最高の出会いです。その道筋を備えてくださったのが、救い主イエス・キリストです。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(29節、36節)と紹介されていますが、主イエスこそが、唯一私たちを罪から解き放ち、罪の力に勝利させてくださる救い主です。
二人は、洗礼者ヨハネに命じられてではなく、主イエスを自発的に求め「イエスに従った」のです(37節)。あなたと主イエスとの個人的な最高の出会いが、ここにあります。あなたは、この出会いにどのように踏み出していますか。

2.一生かけた信仰の歩みを  38節b~42節

続けて、二人は「来なさい。そうすれば分かる」との招きに応えて、「イエスのもとに泊まった」のです(39節)。彼らにとっては、祝福の晩となりました。主イエスと交わってその人格に触れ、主イエスが「先生」から「メシア」である救い主となったからです。
主イエスに従うことが、この方と信仰によって結びつき、その後の生涯が主の弟子となっていきました。シモン・ペトロも例外ではありませんでした(40~42節)。
信仰生活の途上において弱さを覚えることがあっても、主イエスは執り成し続けていてくださいます。主イエスが、一生かけた信仰の歩みを導いてくださいます。

 

聖霊によって(2021.5.23)

聖 書

「霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼(バプテスマ)を授ける人である。」(ヨハネ1章33節c)

礼拝音源(25.3MB)

ペンテコステ感謝礼拝順序

前  奏
招  詞 使徒言行録1章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章29~34節
使徒言行録1章3~8節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖霊によって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
5月誕生者祝福 「イザヤ書41章10節」
賛  美 343 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

洗礼者ヨハネは、イエス・キリストとの関わりにおいて、聖霊がどのような方であり、どのような働きをされるのかを明らかにしています。

  1. イエスを証しする聖霊

ヨハネは、罪の赦しに至る悔い改めを象徴する「水で洗礼を授け」ながら、イエスがおいでになる準備をしていました(30~31節)。彼は、イエスを見て「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言いました(29節)。そう言い表したのは、自分の考えや意見に基づくものではなく、「霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」と神が語られたことに根拠がありました(33節)。イエスこそが、聖霊によって洗礼を授ける方であり、十字架と復活のイエスに浸すように一つとしてくださり、罪の赦しときよめをもたらしてくださる「神の子」なのです(34節)。

キリストを証しするのは、聖霊ご自身です(ヨハネ15章26節)。ですから、聖霊の働きによってイエスを主と告白し、聖霊に全く明け渡すことによってきよくされるのです。

2.イエスの証人とする聖霊

使徒たちはイエスの約束に従って、聖霊が降るのを祈り待ち望みました(使徒言行録1章12~14節)。そして、聖霊が一人一人の上にとどまり、一同が聖霊に満たされました(同2章1~4節)。この「聖霊によって洗礼を受ける」とは(同1章5節)、聖霊によってイエスと一つにされて力を受け、イエスの証人とされることでもあるのです(同1章8節)。

聖霊によって、私たち一人一人と教会の霊性と信仰に風通しをよくしていただいていることが大切です。そのためには、聖霊を待ち望み、慕い求め続けることが必要です。

キリストは今、どこにおられるのか (2021.5.16)

聖 書

神は、この力ある業をキリストの内に働かせ、キリストを死者の中から復活させ、天上においてご自分の右の座に着かせ、(エフェソ1章20節)

礼拝音源(22.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨエル書3章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編126編
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ1章20~23節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストは今、どこにおられるのか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 390 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主の愛の御手に触れられた者は、その愛に信仰の手を伸ばして応答し、隣人にも交わりの手を差し出す誠実な心と歩みがつくられていきます。このことを「手」との言葉を題目にしつつ、御言葉から聴いていきます。

キリストは今、昇天され神の右に着座されています(20節、使徒言行録1章11節)。このキリストによって私たちの信仰は確かにされ、力を増していくのです。

1.キリスト、すべての頭として  1章21~23節

神は、信じる者に力強く働く神の力をキリストの内に働かせて、十字架の死から復活させ、昇天させて神の右に着座させ、神とキリストが一つであることを明らかにされました(19~20節)。それによって、キリストはすべてのものを将来にいたるまで支配され、その上に立つ頭となられました(21~22節)。ただ、今の現実の全てが、キリストの支配に服しているのではありません。

なお、キリストは教会の頭として満ち満ちておられ(22~23節)、教会においてキリストのすべての恵みを受け取ることができます。それゆえに、私たちは「イエス・キリストは主である」との信仰告白へと導かれるのです(フィリピ2章6~11節)。

2. キリスト、私たちの内に  3章16~19節

キリストは今、主のものとされた者の「心の内に住んで」くださり、住み続けてくださり、一つになって生きていてくださいます(17節a)。そのために、神はご自分の力をもって「内なる人」を強くしてくださり(16節)、キリストの愛に満たされた歩みをさせてくださいます(17~19節)。

ところで私たちは、現実に弱さを覚えて恐れを抱き、祈れなくなることがあります。しかし、キリストは恐れなさらないお方です。私たちは、このキリストを信頼し、内に住み続けていただいて全てを支配していただくことが大切なのです。

 

右手を差し出して(2021.5.9)

聖 書

私にこのような恵みが与えられたのを認めて、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、私とバルナバに交わりのしるしとして右手を差し出しました。(ガラテヤ2章9節a)

礼拝音源(23.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ16章13節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編128編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ9章18~26節
ガラテヤ2章9節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「右手を差し出して」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 520 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主の愛の御手に触れられた者は、その愛に信仰の手を伸ばして応答し、隣人にも交わりの手を差し出す誠実な心と歩みがつくられていきます。このことを「手」との言葉を題目にしつつ、御言葉から聴いていきます。

1.主への信仰の手を伸ばす  マタイ9章18~26節
12年間病気に苦しんでいた女性は、絶望的とも思われたなかから、主イエスに近づき、治してもらえると信じて手を伸ばして衣に触れました。主イエスは愛ゆえに、この女性の信仰を見て「あなたの信仰があなたを治した」と言われました(20~22節)。一方、娘の死によって絶望に打ちのめされていた父親は、主イエスの前に「ひれ伏して」嘆願しました(18~19節)。主イエスは愛ゆえにその娘の手を取り、父親の信仰に応えて、娘を起き上がらせたのです(23~26節)。
このように、主イエスは愛の御手を差し伸べて触れてくださるお方です。それに対して、人が主への信仰の手を差し伸べることを通して、主は御業をなされるのです。

2.主にある交わりの手を差し出す  ガラテヤ2章9節
母なるエルサレム教会の指導者たちとパウロたちは、主の恵みの御手に触れて同じ福音に与った人たちです。それゆえに、指導者たちがパウロたちに「交わりのしるしとして右手を差し出」すことを通して、共通のものを共有している証しをしたのです。
これは、教会での互いの間における、また互いの家族におけるコイノーニアの交わりに与る者たちの姿です。今の私たち一人ひとりにも、祈りの交わり手を、愛の交わりの手を差し伸べる人が、身近なところにおられます。

福音は一つ(2021.5.2)

聖 書

福音の真理があなたがたの内に常にとどまるように、私たちは、一時も彼らに屈服することはありませんでした。(ガラテヤ2章5節)

礼拝音源(25.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編118編23~24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編127編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章1~10節
使徒信条 93-4  1A 一同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「福音は一つ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 411 一同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストの福音によって造り変えられたパウロは、人間の支えによるのではなく、独善でもなく、イエス・キリストを死者の中から復活させた父なる神の御業の中て生かされてきました(1章)。その福音は一つであることを明らかにしています(2章)。

1.福音の真理にとどまる  1~5節
パウロは、回心後17年目にして、バルナバとテトスを伴って「再びエルサレム」を訪問しました(1章18節、2章1節)。この間、パウロのうちに十分な福音理解が形成されていったと思われます。この訪問の動機は、神のご計画・ご指示によったことでしたが、エルサレム会議が開かれた時だったと考えられています(使徒言行録15章1~2節)。
教会は、イエス・キリストを信じるだけでは救われないと歪める主張に対して、罪人であるすべての人に対する無条件で、無代価で与えられる「福音の真理」に固く立ちました(3~5節)。この揺らぐことのない福音の再発見こそが、今日の教会を支えています。

2.神の恵みに立ち続ける  6~10節
エルサレム教会の指導者たちとパウロたちは、「人を分け隔て」なさらない神によって、互いに尊敬の念を抱いています(6節)。そして、誰もが神の恵みによって救いと使命への召しに与っていることを知っていたために、同じ福音のために各々に委ねられた使命に生きることを確認したのでした(7~8節)。そして、主にある一致の交わりとして「右手を差し出し」、教会に共通に与えられている使命を確認したのでした(9~10節)。
私たちの存在の原点が神の恵みであることを忘れることなく、その神の恵みに繰り返し立ち続けることが大切です。

偉大な謙遜(2021.4.18)

聖 書

ヨハネは答えた。「私は水で洗礼(バプテスマ)を授けているが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられる。(ヨハネ1章26節)

礼拝音源(27.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編68編20~21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編40編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章19~28節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 208 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「偉大な謙遜」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 522 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神の民の歴史(キリスト教会の歴史)は、主なる神から遣わされた主の僕たちによって担われてきました。ここにも、ひとりの主の僕がいます。「洗礼者ヨハネ」です。そして、私たち一人ひとりも主の僕です。

1.主の僕の自覚をもって
洗礼者ヨハネは、キリストについて証しをし、それによってすべての人がキリストを信じるようになるために遣わされました(1章6~8節、15節)。彼はキリストではなく、ただキリストが来られるための準備をしたのです(20~23節)。彼は、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝え、水のバプテスマを施しました。そうすることによって、罪の赦しをされるキリストに仕える僕でしかないことを語ったのです(26~27節)。
洗礼者ヨハネは、キリストの偉大さと自分の小ささを謙遜に受け入れました。それはパウロも同様でした(1コリント15章9節、エフェソ3章8節、1テモテ1章15節参照)。

2.主の僕であることを喜んで
洗礼者ヨハネは、キリストを指し示して、すでに主の救いの道は始まっていることを証言しています。そして、それに応答しないことが「荒れ野」の状態であることを明らかにしています。まさに、御言葉に心を開いて聴こうとしない、応答しようとしない霊的貧困こそ「荒れ野」です。彼は、主の僕の「声」が消えていくことを喜びとし、キリストとその救いが人々の魂と生涯に刻み込まれることを願ったのでした(23節)。
洗礼者ヨハネ同様に、キリストの謙遜が私たちの救いとなり、キリストの救いの事実ゆえに、私たちは謙遜にされるのです。偉大なのは、キリストの謙遜です。

神によって生かされる(2021.4.11)

※録音機器のエラーにより、礼拝データのアップロードが遅れましたこと、
申し訳ございませんでした。

聖 書

ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、当時は滅ぼそうとしていた信仰を、今は告げ知らせている」と聞いて、私のことで神を崇めていました。(ガラテヤ1章23~24節)

礼拝音源(29.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1コリント15章54節b~55節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編34編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ1章18~24節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 13 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神によって生かされる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
奉仕者任命式
賛  美 402 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

本書の1章では、パウロの生涯が神によって設計され(1節、15~16節)、復活の主イエスのご介入によって、神によって生かされることを証ししています。それは、神に対してどういう歩みが造られていくことなのでしょう。

1.神の前で  18~20節
パウロは、神の選びと召しの出来事を神の前に問いかけ、神の御心を確信を持って捉える時を持ちました(17節)。続いてパウロは、回心した時から三年後に、エルサレムに行って、ケファとヤコブに会いました(18~19節)。彼のこうした人たちとの交わりは、これからの宣教の働きのために互いの役割を確認するためであったと思われます。
さて、そのことをパウロが「神の前で断言しますが」と語ったのは、自分の召しと働きが神からのものであることを明らかにするためでした。同じように、私たちの証しと伝道の動機が、神の前に純愛と情熱をもったものであるかが問われます。

2.神を崇めて  21~24節
その後パウロは、アンティオキア教会のあったシリアと彼の故郷タルソスのあったキリキア地方の宣教に赴きました。その宣教姿勢は一貫してぶれることはありませんでした(21~22節)。パウロは、「かつて」「今は」と復活の主が新しい命、新しい生き方に変えられたことを証ししました(23節)。それは、パウロ自身が神の恵みに屈服したことであり、それによってパウロのことで「神を崇め」ることになったのです(24節)。
私たちの信仰の立ち位置は、パウロと同じです。そのように神に生かされていることによって、神が崇められるのです。

私の主、私の神よ(2021.4.4)

聖 書

トマスは答えて、「私の主、私の神よ」と言った。(ヨハネ20章28節)

礼拝音源(26.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エフェソ5章14節cde 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ20章24~29節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 327 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「私の主、私の神よ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
入 会 式
4月誕生者祝福 1ペトロ1章8節
賛  美 197 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

復活された主イエスは、恐れと不安を覚え、かつ疑いを抱いた弟子たちに「あなた方に平和があるように」に語られています(19節、21節、26節)。そうした中から、トマスは、「私の主、私の神よ」と信仰の確信へと導かれたのでした。

1.復活の主は、ほっとかれない  24~26節
トマスは、他の弟子たちと「一緒にいなかった」ために、復活された主イエスにお会いする喜びを経験しませんでした。そして、彼は自分の目で見、手で触れなければ「決して信じない」と言ったのです(24~25節)。驚くべきことに、その八日の後にトマスが他の弟子たちと「一緒にいた」時に、主イエスの方から来られて語りかけられたのでした(26節)。主イエスは、トマスをほっとかれなかったのです。
今も主イエスは、聖徒の交わりの中で、神の救いの恵みを明らかにされ、信仰に導かれ、養い育ててくださいます。私たち一人ひとりをほっとかれません。

2.復活の主は、対面してくださる  27~29節
主イエスは、主体的かつ実証的な性格をもったトマスに対して、ご自分から身を低くして語りかけられ、明確な信仰へと導かれ、祝福されました。それは、トマスが、直面する主イエスに対面して個人的に培われた信仰でした。
私たち一人ひとりは、対面してくださる主イエスを「私の主、私の神よ」と信仰の告白をすることが必要です。それは、十字架に架かられた主イエスに叫び求めた「もう一人の」犯罪人も同じでした(ルカ23章42節)。そして、「私の主、私の神よ」と信仰の告白する聖徒の交わりに生きることが、幸いな勝利者の歩みとなるのです。