新約聖書」カテゴリーアーカイブ

真実な友キリスト(2022.09.25)

聖 書

友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。(ヨハネ15章13節)

礼拝音源(32.2MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編95編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ15章11~17節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「真実な友キリスト」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美  新350 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、「私はあなた方を友と呼んだ」(15節c)と私たちを招いてくださり、真実な友となってくださいます。主イエスは、どのようにして真実な友となってくださるのでしょうか。

1.大切なものを与えてくださる  13節
神に愛されている私たち一人ひとりです。その愛は、主イエスが人間の罪の身代わりとして十字架に架かってくださったことに現されています。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(13節)とは、「友よ」と呼びかけてくださる主イエスの真実な愛の姿です(マタイ26章50節)。
神の愛を、神の御大切と表現されることがあります。私たちは、主イエスが大切な御自身の命を十字架で捨ててくださるほどに大切な一人ひとりなのです。ですから、主イエスの真実な愛に応答して生きるのです。

2.大切なことを知らせてくださる  15節
私たちを友と呼んでくださる主イエスは、「父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせ」(15節d)てくださいます。何よりも、友として「選ん」でくださったゆえに、父なる神の御心にかなった実を結ばせ、願いを聞かれ、新しくして遣わして人生を造り上げてくださいます(16節)。このように、主イエスは私たちをこの世から引き抜くようにして選び抜かれたのです。
主イエスの友とされた私たちは、主イエスを友としてひと足、ひと足歩み続けることにより、主イエスの恵みの世界が開かれていくのです(17節)。

聞く力に応じて(2022.9.18)

聖 書

イエスは、このように多くのたとえで、人々の聞く力に応じて御言葉を語られた。(マルコ4章33節)

礼拝音源(31.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ガラテヤ3章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編91編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章40~52節
マルコ4章33節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聞く力に応じて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 57 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちには、主に聞くための恵みの時が与えられています(サムエル上3章9節、イザヤ50章4節)。ここでは、主イエスの招きの御言葉に対して(ヨハネ7章37~38節)、人々に「聞く力」が備えられていたかを問いかけています(マルコ4章33節)。

1.聞き分ける力をもって 40~46節 主イエスの招きの御言葉を聞いた群衆や下役たちの間には、さまざまな反応が起こり、対立をもたらしています。それは、聞き分ける力を失っていた彼らが、どのような心で主イエスを十字架に架けたかを物語っています。 このように、人は、主イエスが語られることに対して受け入れて信じるか、それを拒むかに分かれます。私たちは、主の声と自分の声、主の声とサタンの声、主の声とこの世の声とが区別できる聞き分ける力を失わないようにしたいものです。私たち主の「羊はその声を聞き分ける」(ヨハネ10章3節)のです。

2.聞こうとする力をもって 47~52節 祭司長やファリサイ派の指導者たちは、主イエスに対する偏見と固定観念に支配されて聞こうとせず、群衆を非難し、断罪しています(47~49節)。それに対して、ニコデモは主イエスの御言葉を想起し(ヨハネ3章3~8節)、主に聞こうとしています。 私たちは、聞きすぎているために、新鮮な思いで聞こうとする意欲を、教えられようとする謙虚さを、大切なことをとらえる注意力を失わないで、「わたしにも聞かせてください」(讃美歌21 57)と自らへの語りかけを聞きたいものです。「聞く耳のある者は聞きなさい」(マルコ4章9節)とは、聞こうとする耳です。

満ち足れる祝福(2022.8.21)

聖 書

私を信じる者は、聖書が語ったとおり、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる。(ヨハネ7章38節)

礼拝音源(32.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編62編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章37~39節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「満ち足れる祝福」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 404 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

感謝と喜びの仮庵祭が最高潮に達した時に、主イエスは「立ったまま、大声で」、「渇いている人は誰でも」と人々を招かれました(37節)。主イエスは、今も同じように、心の渇き、魂の渇きを覚えている私たちを招いておられます。

1.満たされる祝福があるから
私たちは、様々な悲しみ・空しさ・失望・不安・恐れ・心の痛みをもったままで過ごしています。主なる神は、そのような私たちの魂の渇きを満たそうとされます(詩編42編1~2節a)。
それに対して私たちは、何かをするのではなくて、ただ主イエスの「もとに来て」水を飲むように、主イエスを「信じる」のです(37~38節)。聖霊という「生ける水」が注がれることによって、主イエスとその十字架の救いを信じさせていただき、魂の渇きを満たしていただくのです(39節、12章23~24節)。私たちは、悔い改めとへりくだる心をもって信じるのみです。

2.溢れ出る祝福があるから
このように満たされる祝福は、その人の全存在を通して他の人々への祝福となっておのずと溢れ出ていきます(38節)。それは、「聖書が語ったとおり」魂が生きかえり、どのような時でも流れ出る聖霊の結実です(エゼキエル47章1~12節)。
主イエスの十字架のとなりにいた犯罪人のひとりは、悔い改めて主イエスに依り頼み、執り成し祈りました(ルカ23章39~43節)。この祝福が、今も流れ続けています。それは、魂を満たされた私たちを通して溢れ出る祝福なのです。

今、この時に(2022.8.14)

聖 書

そこで、イエスは言われた。「今しばらく、私はあなたがたと共にいる。それから、私を遣わした方のもとへ帰る。(ヨハネ7章33節)

礼拝音源(31.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ55章6節,7節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編57編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章25~36節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「今、この時に」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 280 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ヨハネによる福音書は、主イエスの十字架と復活という「イエスの時」を意識しながら福音を語り伝えています(30節、33節)。私たちは、その時を覚えつつ、信仰の歩みをしていくのです。
1.偏見なく主イエスを見る  25~31節
エルサレムの市民たちは、公然と大胆に語られる主イエスを見て、主イエスを捕らえようとするユダヤの指導者たちに対して疑問を持ち始めました(25~27節)。そこで主イエスは、御自身を遣わされた真実な神のもとから来たことを宣言されたのです(28~29節)。これに対して、主イエスを拒む指導者たち(30節)、信じ受け入れる群衆たち(31節)と分かれました。
主イエスは、御自身を偏見なしに見る群衆たちの信仰を不十分だとされませんでした。それは、ニコデモに対しても同様でした(3章1~15節、7章50~51節、19章39節)。

2.今、主イエスを見いだす  32~36節
続いて主イエスは、あからさまにではなく、これから御自身がたどっていかれる道、すなわち十字架と復活の道に至る道筋を明らかにされました(33~34節)。それに対するユダヤの指導者たちは、的外れな理解しかできず、失望さえしています(35~36節)。
ところで主イエスは、それとは全く反対の方へと御自身の弟子たちを導かれ、死の壁を突き抜ける道を明らかにされました(13章36節~14章6節)。主イエスは、「今しばらく」と私たちにも語っておられます。ですから、「今」という機会を逃すことなく(イザヤ55章6~7節)、主イエスを受け入れ、見いだし続けていくのです。

どこまでも真実に(2022.7.31)

聖 書

しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不正がない。(ヨハネ7章18節b)

礼拝音源(32.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編51編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章14~24節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「どこまでも真実に」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 451 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ユダヤの人たちにとって仮庵祭という喜ばしい祝いの時に、その指導者たちは主イエスに対する殺意を抱いていました(19~20節)。そのような中にあって、主イエスは「真実な人」であり(18節、14章6節)、信仰者にも真実であるように語っておられます。

1.分かることにおいて  17節
主イエスの教えは人々を驚かせるほどのもので、お遣わしになった父なる神からの教えでした(15~16節)。そのことが分かるのは、父なる神の「御心を行おうとする者」です(17節)。
主イエスの教えが分かったら、主イエスを信じるのではありません。まず信じたら、真実な主が分かってくるのです。そして、神の御心を行おうと願うことは、自分自身を主イエスに委ねていくことです。私たちは、この点において真実でありたいものです。

2.求めることにおいて  18節
主イエスは、御自分の栄光ではなく、遣わされた父なる神の栄光を求めておられます。そのことによって、御自身が真実な者であることを証しされたのです(18節)。それに対して、ユダヤ当局者たちは、自分たちの栄光を求め、不真実な有様でした(19~20節)。続く主イエスの反論は、見事です(21~24節、5章1~9節)。
ところで、父なる神は、主イエスの十字架と復活において御自身の栄光を現しなさいました(12章27~36節)。そして、私たちがこの主イエスの救いを信じることにより、神の栄光が現わされるのです。私たちは、この点においても真実でありたいものです。

礼拝ご案内・行事予定(2022年8月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日) 第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00 第2礼拝 :AM 10:45 ~ 11:45 第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00 ○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15 楽しい聖書の学び 1階集会室にて お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。
7日(日) 第1聖日 平和聖日礼拝
「神の記憶、神の記念」
ヨシュア4章1~24節
放蕩息子
ルカ15:11~24
鎌野 健一
14日(日) 第2聖日 礼拝
「今、この時に」
ヨハネ7章25~36節
エリヤ1生きて働かれる神
第一列王17:1~16
鎌野 健一
21日(日) 第3聖日 伝道礼拝
「満ち足れる祝福」
ヨハネ7章37~39節
エリヤ2 火をもって答える神
第一列王18:20~40
増永 茂
28日(日) 第4聖日 礼拝
「キリスト者の装い」
コロサイ3章12節、14節
エリシャ1 霊の二倍分
第二列王2:1~15
鎌野 健一

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~11:30、PM 7:00 ~ 8:00

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。

8月行事予定

■ 7日(第1聖日)平和聖日礼拝
■ 14日(第2聖日)礼拝 ギデオンラリー
■ 21日(第3聖日)伝道礼拝
■28日(第4聖日)教区一斉講壇交換礼拝 CS振起日合同礼拝9:15~

9月行事予定

■ 4日(第1聖日)創立75周年記念感謝礼拝・洗礼式
■ 11日(第2聖日)長寿祝福礼拝
■ 18日(第3聖日)礼拝
■ 25日(第4聖日)伝道礼拝 オープンチャペル ジュニアジャンボリー(舞子の丘)  

すべてに時がある(2022.7.24)

聖 書

そこで、イエスは言われた。「私の時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備わっている。 (ヨハネ7章6節)

礼拝音源(32.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編50編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章1~13節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「すべてに時がある」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 403 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イザヤ書が開示する信仰は、臨在信仰に生きることについて大きな示唆を与えます。聖なる主は(15節)、私たちを恵もうと待ち、憐れもうと立ち上がられる公正の神です(18節)。私たちは、いかなる時にもこの主に対する生きた信仰を抱きつつ歩むのです。
私たちは時間を等しく与えられているので、それをどのように使うかが問われます。
主イエスは、父なる神が定められた時を絶好の時とされました。私たちもその時を人生の絶好の時としたいものです。

1.キリストの時
この時人々は、かつて神の民が神の救いを経験し、その後も神の導きをいただき養われたことを感謝する仮庵祭を祝っていました。ガリラヤからエルサレムに向かわれる主イエスに対して、ユダヤ人は敵対感情を持ち、群衆は傍観者のようになり、イエスの兄弟たちは評論家のようになって、主イエスに対する信仰は生まれませんでした。
主イエスを憎み、殺そうとする「世」の罪に対して(7節)、神の審きの極まる時、神の愛の極まる時となったのが、主イエスの十字架の事実でした。この時に、主イエスによる救いが現されたのです(6節)。

2.一人ひとりに備えられた時
主イエスに神の時があったように、私たちにも時があります。それは、一人ひとりが「私が救い主イエスを十字架に架けた」ことの罪を認め、主イエスに対する信仰の応答をする時です。 そして、主イエスを信頼して歩んでいく時、神はすべてを絶好の時としてくださり、神の最善へと導かれます(コへレトの言葉3章1~11節)。私たちは、自分で設定した時でなく、神に設定していただいた好機を知って、主イエスと共に「時」を過ごすのです(2テモテ4章6節、8節)。

唯一の希望(2022.6.19)

聖 書

シモン・ペトロが答えた。「主よ、私たちは誰のところへ行きましょう。永遠の命の言葉を持っておられるのは、あなたです。(ヨハネ6章68節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編34編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章60〜71節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「唯一の希望」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 522 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちには、主イエスを信じる信仰によって希望のある人生へと導かれます。その希望は、聖霊によって神の愛が心に注がれ、決して失われることのない永遠の命を得ていることから生まれます(ヨハネ3章16節、ローマ5章5節)。

1.失望したままで終わりません
主イエスから離れ去り、共に歩まなかった人たちがいました(66節)。彼らがそのようにした理由は、自分たちが考えていたような主イエスではなかったからです(41節、60~62節、64節、67節、70~71節)。当てがはずれて、失望したからです。後のペトロも一時そのようになりました。
しかし、主なる神は、イスカリオテのユダに対してそうであったように、決して御自身の方から私たちを捨てられることはありません。ですから、聖霊が御言葉を用いて語りかけてくださることを信じることが必要です(63節、65節)。

2.いつまでも続く希望をいただいています
それでは、彼らが主イエスから離れ去って救いに与らないとするなら、誰のところに行けばよいのでしょうか(68節a)。主イエスのところに踏みとどまり、すがるほかありません。
キリスト信仰のメッセージの中心には、十字架とともに復活があります。主イエスが死を打ち破られて復活されたので、私たちには絶望はありません。ですから、一人ひとりが主イエスを個人的に、主体的に信じて、体験的に主イエスを知ることが必要です(68節b~69節)。そこから、いつまでも続く希望があふれるのです(ローマ4章17~18節)

 

命あふれて(2022.6.12)

聖 書

これは天から降って来たパンである。先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は永遠に生きる。(ヨハネ6章58節

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ16章13節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編33編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章52〜59節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「命あふれて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 56 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスを個人的な救い主また主として信じ受け入れるまでは、永遠の命に生きることができません。それは、一度限りのものではなく、繰り返し信じ受け入れ続けていくことによって、永遠の命にあふれる歩みとなるのです。

1.主イエスと一体となって生き続ける  55~56節
主イエスを食べるとは、主イエスを信じて一体となることであり、その血を飲むとは、主イエスの命にあずかることです(53~54節)。主イエスに一人ひとりが「とどまる」すなわち一体となるとは、主イエスと人との区別がなくなることではなく、主イエスにある命と恵みの祝福が、その人のものになることです(56節)。
主の聖餐によって明らかにされたように(1コリント11章26節)、私たちは主イエスを信じる信仰によって、いつも主イエスと結ばれ続け、豊かな祝福に与り続けるのです(ヨハネ15章5節)。

2.キリストのために生き続ける  57~58節
主イエスが父なる神から遣わされ、父なる神のために御生涯を生きられたように、私たちが命の源である主イエスによって、主イエスのために充実した歩みをすることが、「永遠に生きる」ことです(57~58節)。
ところで、「食べる」(54~58節)とは、むさぼり食うという意味があります。それは、その人に代わって他の人が食べるのではありません。そのように私たちは、主体的な信仰の貪欲をもって、主イエスと一体とされ、主イエスのために「永遠に生きる」という視点で生き続ける一人ひとりであり、群れであるように招かれているのです。

 

 

永遠の命を生きる(2022.5.29)

聖 書

よくよく言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。(ヨハネ6章47節)

礼拝音源(37.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編32編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章41〜51節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「永遠の命を生きる」 川原﨑晃主管牧師
聖 餐 式 新49
祈  祷
賛  美 120 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、「私は命のパンである」(48節、ヨハネ14章6節)と語られる主イエスに招かれています。主イエスは、その招きに一人ひとりが応答することにより、永遠の命を生きるようにされるのです。

1.永遠の愛に引き寄せられて  41~46節
「私は天から降って来たパンである」(41節)との主イエスの発言が、ユダヤ人にとってはつぶやきの種となり躓きともなりました。主イエス御自身が神であることを明らかにされたからです。それは、主イエスが十字架に架かられたことに対して、自分たちとは関係のないこととした人たちの躓きと相通じます(1コリント1章18節)。
このように神との関係がズレてしまった罪人を、神は永遠の愛をもって「引き寄せ」てくださいます(44節、エレミヤ31章3節)。そして、主イエスのもとに来て、神が語られることを聞いて従うように招いておられます(44~45節)。

2.永遠の命を得て  47~51節
私たちが「永遠の命を得て」生きるために、十字架と復活を通して御自分の命を「与え」てくださった主イエスを「信じ」受け入れることが必要です(47節)。「私は命のパンである」(48節)と言われる主イエスは、私たちのこの世における日々の生活を新たに造り生かされるだけでなく、死にも勝利して「永遠に生きる」ようにされるからです(50~51節)。
永遠の命を生きる人生は、常に望みに満ちた新しさ、前進する力、死への勝利をいただいたねばり強さがみなぎっています。永遠の命を生きるのは「あなた」自身です。

 

主のものとされた恵み(2022.5.1)

聖 書

終わりに、誰も私を煩わさないでほしい。私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのです。(ガラテヤ6章17節)

礼拝音源(32.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編118編23〜24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ6章17〜18節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主のものとされた恵み」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
5月誕生者祝福 箴言3章5~6節
賛  美 529 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスの恵みは、過去と現在と将来にわたって変わることがありません(ヘブライ13章8節)。私たちは、この主イエスの救いの恵みに与って主のものとされ、パウロと同じように「イエスの焼き印を帯びて」歩む者にされているのです(17節)。

1.恵みによって召し出された
パウロは、神の「恵みによって召し出」されて洗礼の恵みに与り、主のものとされました(ガラテヤ1章15節、使徒言行録9章1~18節)。さらに、この神の恵みによって福音宣教の使命のために召されて遣わされました(ガラテヤ1章16節)。こうした事実が、「イエスの焼き印を帯びている」と語る根底にありました。
同様に私たちは、主イエスの恵みによって救いに与り洗礼を受けて主のものとされ、一人ひとりに相応しい主からの使命を託されています。私たちは、達成感よりも使命感に生きるように召し出されている喜びに生きるのです。

2.主のために苦しむ恵みを与えられた
パウロは、主イエスの福音を宣べ伝えていく中で受けた苦難や試練と言う「イエスの焼き印を帯びて」いました(2コリント11章23~28節)。それは、彼が主の十字架を誇るゆえの受けたものであるとのあつい思いを込めて証ししています(ガラテヤ6章14節)。
同様に私たちは、主イエスの恵みを証しし、そのために仕えていくときに、「キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」という経験をします(フィリピ1章29節)。この主の恵みの道を歩むことによって、主の祝福と励ましと慰めが豊かに注がれることを知るのです(18節)。

キリストの招きに限界はない(2022.4.24)

聖 書

イエスは言われた。「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6章35節)

礼拝音源(29.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編68編20〜21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章22〜40節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストの招きには限界はない」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 433 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、「天にまします我らの父よ」と呼びかけ、父なる神と向き合って生きいくことが大切です。そのために、父なる神と私たちとの懸け橋となってくださったイエス・キリストが、どういう方かを知る必要があります。

1.もう一つの命を与える方  26~35節
主イエスは、「よくよく(アーメン アーメン)」(26節、32節)と語られて真実の限りを尽くしてくださいました。ですから、永遠から永遠までおられる神との交わりのうちにある命を得ることができるように懸け橋となってくださった主イエスを「信じること」です(27~29節)。そして、その命を与えるために、「私が命のパンである」と言われた主イエスの「もとに来る」ことです(32~35節)。
十字架に死んで復活された主イエスは、全世界よりも重いもう一つの命を分け隔てなく与えてくださる方です(マタイ16章26節)。

2.大地のような方  35~40節
ヨハネは、厳しい試練の中にあって、主イエスを次のように紹介しています。主イエスのもとに来る者は決して飢えることがなく、主イエスを信じる者は決して渇くことがなく(35節b)、主イエスのもとに来る者を決して追い出されず(37節b)、主イエスを信じる者が皆永遠の命を得て、終わりの日に復活するのです(39~40節)。
主イエスは、私たちが厳しい試練に遭っても、そこから回復させ、強め、力づけ、揺らぐことのないようにしてくださる大地のような方です(1ペトロ5章10節)。ですから私たちは、主イエスのもとに「来て」、横たわるようにして「信じ」お任せするのです。

人生は空しいものではない(2022.4.17)

聖 書

イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちは誰も、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であると分かっていたからである。(ヨハネ21章12節)

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エフェソ5章14節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編16編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ21章1〜14節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「人生は空しいものではない」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 352 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主の弟子たちは、主イエスから以前お聞きしていたように(マタイ26章32節)、ガリラヤで復活の主にお会いました。彼らは、空しさを覚えるような暮れていく道ではなく、しだいに明けていく光の道を歩いていきました。

1.復活の主はすぐそこに 1~5節
弟子たちは、何週間か前に復活の主とお会いして大喜びしたにもかかわらず(ヨハネ20章20節)、はや不安を覚えながら漁に出ました。彼らは、何の収穫もない状態で一夜を過ごし、空しさの中を信仰の後戻りしているありさまです。このように、復活の主を見失っていたのですが、復活の主がおられないというのではありませんでした。復活の主は、そこに立っておられたのです(4節)。
今日の私たちは、揺れ動く諸状況の中にあって不安を覚えますが、主イエス御自身(ヘブライ13章8節)と神の御言葉(マタイ24章35節)は変わることはありません。

2.復活の主との新たな交わりに 5~14節
この時復活の主は、愛に満ちた指示をされ、命の交わりを持とうとされました(5~6節)。復活の主が手ずから食事を整えてくださり、弟子たちの労苦も用いてくださったのです(8~13節)。このように主イエスが備えてくださった感謝の食卓は、これまでも新たな交わりを生みました(マタイ26章26~30節、ルカ24章30節)。
主イエスを信頼して歩む者は、いかなる時も主イエスの恵みと憐れみの交わりの人生が備えられています。それは、永遠の御国での永遠の主との交わりにもつながるのです(ヨハネ14章1~2節)。

主に立ち帰るために(2022.4.10)

聖 書

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してそれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これは私の体である。」 (マタイ26章26節)

礼拝音源(36.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編19編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ26章17〜35節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主に立ち帰るために」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖  餐  式 新49
賛  美 300 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イスカリオテのユダが主イエスを裏切る企てをした直後に、「過越の食事」続く「主の晩餐」と言った主イエスとの交わりが持たれ、ペトロの離反と続きました。私たちは、この出来事を通して、再確認し再出発することがあるのです。

1.主の前に自分の姿を顧みる 17~25節、31~35節
神の救いの御業を想起する「過越の食事」の祝いの交わりを損なうことが起ころうとしていました。自分の思いを優先させ、それを押し通したユダの裏切りです(17~25節、47~50節)。さらに「主の晩餐」の直後に、ペトロを代表とする主の弟子たちが、主イエスにつまずいて見捨てて逃げていったことです(31~35節、69~75節)。その後、ユダを除く主の弟子たちが主の周りに集うようになったのは、主イエスが復活される時までありませんでした。
私たちは、自分を過信したり自分の都合で、主イエスのもとを離れたり、主の御心と掛け離れたところに自分の心を置いていることがないかを顧みることが必要です。

2.主にあって生きる 26~30節
そのような状況の中で、「主の晩餐」が執り行われました。この時に主イエスが執り行われたパンとぶどう汁を用いての行為と言葉は、今日の私たちに聖餐というかたちで受け継がれています。私たちは、この聖餐において、自らを吟味して罪を悔い改め、憐れみの見本として主イエスの救いにすがるのです(1テモテ1章15~16節)。
私たちは、主イエスにあって、新しく造り変えられ、やり直しのチャンスをいただき、
いつまでも主と共に生きていくのです。

新しく造られること(2022.4.3)

聖 書

割礼の有無は問題ではなく、大事なのは、新しく造られることです。(ガラテヤ6章15節)

礼拝音源(31.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ12章24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編14編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ6章11〜16節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しく造られること」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
4月誕生者祝福 2テモテ2章8節
賛  美 475 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、主イエスの恵みにより、信仰を通して「新しくされ」たときから(ヨハネ3章3節、5節)、「新しく造られる」(15節)恵みの中を生きていきます。これは、信仰者にとって、心して聞かねばならない大切なことです(11節)。

1.十字架を誇りとして生きる  14節
律法主義的なキリスト者たちは、人を恐れることからくる自己保全や自分たちを「誇りたい」との欲望や虚栄心がありました(12~13節)。しかし、十字架と復活によって永遠の救いに与らせてくださるキリストを知った者は(フィリピ3章4~8節)、十字架以外は誇りとしないようになるのです(14節a)。
ですから、この世の評価や価値観と私たちとの間に十字架が立っているなら、この世は私たちを支配しないのです(14節b)。このように、十字架の恵みは、私たちを真に自由な生き方へと変えていくのです。

2.キリストを基準として生きる  16節
「この基準に従って進む人々」は、キリスト信仰に生きる神の民として歩調を合わせ一致を保ちつつ進んでいく教会の姿を表しています。その基準は、キリストの十字架と新しい創造です。私たちにこの基準が明確になっていれば、互いの間に平和と憐れみがともないます(5章13節、6章2節)。
このことが朝ごとの恵みとなるならば(哀歌3章22~23節)、私たちの日々は「新しく造られ」続けていくのです。