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新約聖書

とりなしておられるイエス様(2026.11.1)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

この方は常に生きていて、彼らのために執り成しておられるからです。( ヘブライ 7章25節b )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編 68編20~21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 2 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 135編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヘブライ 7章18~28節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「とりなしておられるイエス様」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 461 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.律法における大祭司と神様が立てられた大祭司
神様はご自分が選ばれた民たちに律法を与え、律法によって大祭司が立てられました。大祭司は、民の罪が贖われるためのいけにえをささげる務めを担っています。民はささげられたいけにえによって罪を赦され、きよめられて神様に近づくことができるのです。この大祭司の務めは、レビ人が代々受け継ぎます。しかし、神様は、誓いによって永遠の一人の大祭司を立てられました。この大祭司がイエス様です。

2.繰り返しいけにえをささげる必要はない
律法に基づいて立てられた大祭司は、民の罪のためだけではなく、まず自分の罪のためにいけにえをささげなければなりません。しかし、イエス様はご自身をささげることによって私たちの贖いを成し遂げられました。それによって、もうくりかえしいけにえをささげる必要はありません。イエス様がご自身をささげてくださったことで、贖いは完全に成し遂げられました。

3. 永遠に変わることのない大祭司
律法による大祭司はときが来ると次の人に引き継がれます。しかし、神様の御子であるイエス様は、永遠に生きておられるので、永遠に変わることのない大祭司です。イエス様は、大祭司としていつも私たちのためにとりなしておられます。ですから、私たちはイエス様を通していつでも神様に近づくことができるのです。
イエス様を信じ、罪を赦されて、神様と共に歩む日々を導いていただきましょう。

忍耐する幸いな人(2026.10.25)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

私たちは忍耐した人たちを幸いな者とたたえます。 ( ヤコブ 5章11節a )

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ 3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 430 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 132編1~12節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヤコブ 5章10~11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 新185 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「忍耐する幸いな人」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 493 一同起立
感謝献金 新455(聖歌隊)
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

 私たちは毎日の生活で、いろいろなことを忍耐して生活しています。私たちは、「今はつらくても、しばらく我慢していれば何とかなるだろう」と考えます。しかし私たちは、ただ我慢するだけでなく、希望を持って忍耐しているでしょうか?

1.預言者たちを模範とする

ヤコブは、神様の言葉を語った預言者たちを、忍耐の模範とするように勧めます。預言者たちは、主の名によって神様のみ言葉を伝えました。しかし、人々は、彼らの語ったことを受け入れませんでした。それどころか、彼らを迫害し苦しめました。それでも、預言者たちは神様に信頼して苦難を忍耐しました。

2.ヨブの忍耐

旧約聖書をよく知っていた人たちには、「ヨブの忍耐」はよく知られていました。この「忍耐」という言葉は、ただ「我慢する」というよりも、「もちこたえる」に近い意味を持っています。ヨブは、どんな苦しい境遇の中にも、神様への信頼を失わなかったのです。神様は、憐れみと慈しみをもってヨブを祝福されました。

3.忍耐する人たちは、幸いな人とたたえられる

ヤコブは、収穫を待つ農夫の忍耐を例に挙げます。彼らの忍耐は、「やがて収穫できる」という希望がある忍耐です。同じように、神様が将来与えてくださる祝福を信じ、希望を持って待ち望む人は、幸いな人です。神様は私たちに、忍耐する力を与えてくださいます。

神様の計画は実現する(2026.10.18)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

愚かにならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。( エフェソ 5章17節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ハバクク 2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 484 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 130編
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ 5章17節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神様の計画は実現する」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 470 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.神様は計画を実現するために人を用いられる

神様はすべての人を祝福することを計画されました。そして、その計画の実現のた
めに、アブラハムを選ばれました。神様は、アブラハムを祝福して多くの子孫を与え、その子孫によってすべての人を祝福する、と約束されたのです。

2神様の約束は受け継がれて実現していく
神様がアブラハムと約束された祝福は、アブラハムの子どものイサクに受け継が
れました。イサクには、二人の子どもがいました。長子であるエサウが祝福を受け継ぐはずでした。しかし、エサウは神様の祝福を大切にしていませんでした。それで、空腹になったとき弟ヤコブが作った食べ物と、受け継ぐはずの祝福を交換してしまいます。一方ヤコブは、神様の約束された祝福が大切なものだと考えていました。

3.自分の知恵に頼らず、神様に信頼する
ヤコブは、母リベカと一緒に父のイサクをだまして、神様の祝福を受け継ぎまし
た。それを知ったエサウはヤコブを憎み、ヤコブは家を離れなければならなくなりました。彼らは、自分の欲や考えを優先しました。しかしそれは、神様のみこころに沿わない行動でした。神様は私たちが、神様が喜んで下さることは何かを考えて生きることを願っておられます。神様は、私たち人間がどのようであっても、計画を実現することができます。しかし、神様が喜ばれるのは、私たちが自分の知恵に頼るのではなく、神様に信頼して生きることによって祝福の計画を実現することなのです。

この地に神の国を(2026.10.11)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

御国が来ますように。 ( マタイ 6章10節a )

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ 35章1~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 16 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 129編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ 6:10
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科早苗協力牧師
宣  教 「この地に神の国を」 仁科早苗協力牧師
祈  祷
賛  美 361 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科早苗協力牧師
後  奏

宣教要旨

「御国を来たらせたまえ」と訳す原文のことばは「神の国の到来そのもの」を願う強い祈り。日本語にはない時制表現なので和訳しにくい。神様が「継続して成し遂げられるように」と祈っている。
「御国」の原文は「あなたの王国」。それを「御国」と訳している。意味も単なる「天国」ではないことを深く考えたい。主を王とする国の民として生きるための祈り。

1.主よ、あなたの支配を実現してください。私の心にも
主の祈りでは①御名が聖とされる②御国が来る③御心が地でも行われるという順序で祈る。御国は単なる場所ではなく、私の心の中の神様の支配の実現。

2.主よ、あなたの支配を実現してください。教会にも、この世界にも
あなたのとりなしの祈りは神により実現されていく。その祈りの影響力は教会を超えて拡大していく。そのことを信じることができるのは、神の統治が続いているから。「神を見失っている時代」でも主は着々と神の国建設を続けておられる。

3. 主よ、そしていつの日か完全な御国を
「神の国は今すでに始まっている。(ルカ17:21)しかし私たちはなお『御国が来ますように』と祈る。なぜなら神の支配はまだ完成していないから。主イエスの再臨の日に、罪も死も完全に取り除かれ、神の国が満ちることを教会は待ち望んでいる。

いのちを選ぶ生き方(2026.9.27)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

御名が聖とされますように。 ( マタイによる福音書 6章9節c )

礼拝順序

前  奏
招  詞 テトス 2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 430 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 127編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ 6章9節 c
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 新325 一  同
牧会祈祷 仁科早苗協力牧師
宣  教 「いのちを選ぶ生き方」 仁科早苗協力牧師
祈  祷
賛  美 358 一同起立
感謝献金 474(聖歌隊)
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科早苗協力牧師
後  奏

宣教要旨

1.御名があがめられますように

礼拝では主の祈りで「崇められますように」と祈るが、聖書の箇所では「御名が聖とされますように」と訳されている。口語訳聖書の「御名があがめられますように」(ヨハネ12:27)の聖書協会訳は「御名の栄光を現してください」と訳す。神様のお名前は聖なるもので、この聖は何かによって汚されるものではない。たとえどれだけ人間が汚れていても神様の聖はビクともしない。

2.人間の罪の問題

ただ、御名が聖とされないということが起きるとすれば、それは神様と一緒に生きる人間が持つ罪の存在により、地上での神様の聖に泥を塗ってしまうことがあることではないか。光が作り出す神様の領土(神の国)はこの世界と衝突せざるを得ない。主の祈りを祈る時に私たちは神様がどのような方かを知るだけでなく、自分たちがどういうものであるのかも知らされる。

3.神様の聖さに生きる

神様は私たちを聖とされる。キリストの十字架の血が罪を犯したことのないものに私たちを生まれ変わらせる。「御名が聖とされますように」との祈りは、「私をあなたの聖なる御名を汚すことなく生きるものに変えて下さい。」と祈っている。

祈るごとに神様を神様としてあがめ、聖なる神様の前にとどまって生活することを選ばせている。その信仰者の共同体がこの地に祝福を広げていく。

行いではなく、信仰によって(2026.9.20)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

しかし、不敬虔な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。( ローマ 4章5節 )

礼拝順序

前  奏
招  詞 エゼキエル書 36章26a,28b節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 7 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 126編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ 4章1節~12節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「行いではなく、信仰によって」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 463 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.アブラハムの信仰
パウロは、神様に義と認められるのは信仰によるのであって、行いによるのではないことを教えるために、アブラハムの信仰について語りました。アブラハムが神様を信じたので、それが彼の義と認められました。(ローマ4:3)彼が何か特別なことをしたからではありません。神様を信じた彼が受けた恵みによるのです。
2.ダビデの信仰
次にパウロは、ダビデの語った言葉を取り上げています。ダビデは、不法をゆるされ、罪を覆われた人、主に罪を咎められない人は幸いであると言っています。この幸いは、神様を信じるすべての人に与えられるものです。
3.信仰が義と認められる人
神様に義と認められる幸いは、信じるすべての人に与えられます。アブラハムは、義に値するような行いによってではなく、ただ神様を信じることによって、義と認められました。ユダヤ人のように、神の民として律法を与えられて割礼を受けた人だけでなく、すべての人が信仰によって神様に義と認められるのです。
私たちは、神様に義と認められるためには、何かをしなければならないと考えてしまうことがあります。しかし、イエス様が救いのみわざを成し遂げられました。だから私たちは、イエス様を信じることによって恵みとして神様に義と認められるのです。何かをしようとするのではなく、イエス様を信じて恵みを受け取りましょう。

キリストが来られるのを待ち望む(2026.9.13)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

私たちの国籍は天にあります。そこから、救い主である主イエス・キリストが来られるのを、私たちは待ち望んでいます。( フィリピ 3章20節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編 68編20~21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 518 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 125編
会衆祈祷 一  同
聖  書 フィリピ 3章10節~4章1節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「キリストが来られるのを待ち望む」 仁科共子牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 474 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.後ろのものを忘れ、目標を目指して走る
私たちは、イエス様を信じて永遠の命を与えられました。パウロは、私たちが地上に生きている間は、まだ完全な者とはなっていないが、完全に得ようと努めているのだと言います。私たちは、以前は神様を知らず、地上の事だけを考えて生きていました。それは、神様に敵対するような生き方でした。しかし、イエス様を信じた者は、その生き方から解放されて新しい人生の目標を与えられ、地上にあってその目標を目指して生きていくのです。

2.前のものに全身を向けつつ、目標を目指して走る
目標を目指して地上の人生を生きるのは、「上に召してくださる神の賞を得るため」です。それは、イエス様によって与えられます。イエス様は、私たちが神様とは無関係に生きていた過去のすべて(後ろのもの)をその身に負って十字架で死んでくださいました。そして、死から復活されました。イエス様を信じて生きる私たちは、イエス様の復活に与る者となり、前のものに全身を向けて、神様がくださった目標を目指して走り続けることができるのです。

3.キリストが来られるのを待ち望んで生きる
私たちは、イエス様を信じて永遠の命を与えられ、天に国籍をもつ者となりました。やがてイエス様が再び来られるとき、私たちに栄光の体が与えられ、救いが完成します。私たちはそのときを待ち望みつつ、目標をめざして今を生きていくのです。

愛の内に造り上げられていく(2026.8.30)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

キリストによって、体全体は、支えとなるすべての節々でつなぎ合わされ、一つに結び合わされて、それぞれの部分は分に応じて働いて、体を成長させ、愛の内に造り上げられてゆくのです。 ( エフェソ 4章16節 )

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ 43章18~19節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 83 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 122編
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ 4章1節~16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「愛の内に造り上げられていく」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 390 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1、教会は一つのからだ
教会は神に招かれた者たちによって、一つの体のように建てあげられたものです。唯一の神が、その御心に従って招いてくださり、一人ひとりがキリストの体である教会の一つの部分になっているのです。そして教会は、聖霊の一致を保って成長し、成熟を目指していきます。

2、それぞれに恵みが与えられている
教会が成長して成熟した教会となるために、一人ひとりにそれぞれふさわしい恵みが与えられています。この恵みが賜物として与えられ、それぞれが賜物を用いて成長していくのです。成熟した教会は、人の悪だくみや惑わしに振り回されることはありません。このような成熟した教会となるために、一人ひとりがそれぞれの分に応じて働き、互いに支え合いながら成長していくのです。

3、キリストによって愛の内に造り上げられていく
教会は、キリストを頭とする一つの体です。体にはいろいろな部分があります。それらすべての部分が同じ働きをするのではなく、各部分が連携して働くとき成長していくのです。
私たちは、キリストによって一つに結び合わされ、神の愛の内に生かされています。互いに違う賜物が与えられていることを覚え、互いに足りないところを補い合い、支え合いながら成熟した教会へと、共に歩ませていただきましょう。

新しいいのちに生きる(2026.8.23)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

だから、誰でもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、まさに新しいものが生じたのです。( 2コリント 5章17節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ローマ 5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 210 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 121編
会衆祈祷 一  同
聖  書 2コリント 5章11節~21節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 141 聖歌隊
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「新しいいのちに生きる」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 463 一同起立
感謝献金 464
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1、キリストにあるなら
「キリストにある」とは、キリストと共にいることを指しています。キリストを信じた人は、それまでの生き方が変えられ、キリストと共に生きる生活へと導き入れられるのです。

2、古いものは過ぎ去った
「古いもの」とは、自分のために生きていたことを表しています。自分中心の生き方は、この世のものに縛られた生き方で、神から離れており、神の祝福を受けることができません。しかし、神は、キリストの十字架の死と復活により、信じるものを新しく造り変えてくださいました。こうして、キリストを信じる人は、古い生き方から解放されて新しく生きることができるのです。

3、新しいいのちに生きる
誰でもキリストを信じるなら、新しい生き方を与えられます。それは、自分のために生きるのではなく、キリストのために生きることです。キリストは、神に背いていた者の罪を負って、身代わりとなって十字架で死なれました。私たちは、このキリストを信じ、信頼して生きるのです。それが、キリストにあって新しく造られ、神の祝福の中に生きる生き方です。
誰でも、いつでも、キリストを信じるなら、新しいいのちに生きる生活へと入ることができるのです。

われらの父よ(2026.8.16)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

祈るときには、こう言いなさい。「父よ」 ( ルカ 11章2節 b )

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編 46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 4 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 119編1~21
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ 6章9節 b
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科早苗師
宣  教 「われらの父よ」 仁科早苗師
祈  祷
賛  美 352 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科早苗師
後  奏

宣教要旨

原語の主の祈り一番最初は「父よ(パーテール)」子どもが使う親しさの呼びかけ。

1、わたしたちは神の養子とされた
「父」とは「すべての源」という意味。「父」とは「天におられる私の父の御心を行う人は誰でも、私の兄弟、姉妹、また母なのだ。」(マタイ12:50)と神様が教会の生き方の表現とされた。そこには慰め、愛、教育、一緒に神の国の建設という役目で前進し、共に傷つき、泣き、喜ぶ使命がある。教会は神の家族。

2、イエス様も試練で「アッバ」と叫んだ
マルコ14:36に「アッバ。父よ」とイエス様がゲッセマネで祈られる。大きく深く痛みに溢れるイエス様の祈りが「父よ」。わたしたちの主の祈りもこのイエス様の祈りと重ね合わされて一つとされている。

3、「我らの」は「わたしの」ではない
「わたしの神」と祈らないのは、私たちが教会の共同体に生きることこそ信仰の本質であることを教えてくれている。「人は一人でいるのはよくない」と言われる神様。われらとはクリスチャンでない方にとっても神様である。個人だけでなく全人類一緒に「われらの神」へ祈っている。「友情を一つにする信仰」を教えてくれている。
(結論)キリスト教の祈りは個人プレーでなく、チームプレイ。この主の祈りは「今日、祈れなくて苦しんでいる人の役に立つ」と自分が祈りの奉仕者になっていることに気づかされる。だから私たちは大胆に祈ろう。「我らの父よ」と。

イエス・キリストを信じる信仰によって(2026.8.9)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。( ローマ 3章30節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨブ記 19章25節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 299 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 118編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ3章27節~31節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「イエス・キリストを信じる信仰によって」 仁科共子牧師
祈  祷
聖  餐  式 新49
賛  美 481 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

パウロは、神の義がイエス様の十字架の死と復活に現わされ、信じるすべての人を罪の支配から贖って義とされると語りました。

1、誇りは取り去られた
私たちは、イエス様の十字架の贖いによって義とされるのです。私たちの行いによってではなく、神様の恵みによるのであり、私たちに誇ることのできるものはありません。

2、すべての人を信仰によって救う
神様は、唯一であり、すべての人の神です。ユダヤ人は神様から与えられた律法を守ることによって救われると考えていました。異邦人は、それぞれの神々を信じていました。しかし、唯一の神はすべての人を、イエス様を信じる信仰によって救ってくださるのです。

3、信仰によって律法を確立する
パウロは、行いではなく「信仰によって」義とされるということは、律法を無効にすることではないと語りました。むしろ、信仰によって律法を確立するのだと言うのです。それは、人間の行いによるのではなく、イエス様によって完成された贖いの恵みを信じる信仰によって、律法の目的を全うできるということです。イエス様を信じる信仰によって与えられる恵みの中に歩ませていただきましょう。

愛と平和の神が共にいてくださる(2026.8.2)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

きょうだいたち、喜びなさい。初心に帰りなさい。励まし合いなさい。思いを一つにし、平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。(2コリント 13章11節 b )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編 98編1節、3節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 6 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 116編
会衆祈祷 一  同
聖  書 2コリント13章11節~13節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「愛と平和の神が共にいてくださる」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 520 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 神の義は、信じる者すべてに現わされた
パウロは、すべての人が罪の支配下にあり、正しい人は一人もいないと語りました。彼は続いて「しかし今や」と、イエス様の十字架の死と復活に「神の義」が現わされ、イエス様を信じる者すべてに与えられると教えます。

2. 神の恵みにより義とされる
イエス様は、十字架で私たちの罪のために身代わりとして死なれました。その死によってすべての人は罪の支配から贖われ、神の前で義とされます。義とされた者は、永遠の命を与えられ、神様との親しい交わりのできる関係が回復されるのです。それは、「神の恵み」で、無代価で与えられるものです。私たちの行いによるのではありません。

3. イエス様によって義とされる
神様ご自身は、義なる方です。イエス様の十字架の死と復活は、義である神様が人を罪の支配から贖い、神のものとして回復するためでした。イエス様を信じるすべての者を、イエス様によって義としてくださるのです。神様は、イエス様を通して私たちに「神の義」を与えてくださり、罪を赦し清めて、義とされて生きる者としてくださるのです。
この神様の恵みは、今の私たちにも同じように与えられます。イエス様によって現わされた「神の義」を信じて受け取り、神の義によって歩ませていただきましょう。

大切なあなたへ(2026.7.26)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

遠くから、主は私に現れた。私はとこしえの愛をもってあなたを愛し 慈しみを注いだ。(エレミヤ 31章3節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ 3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 299 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 115編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1ヨハネ 1章1節~10節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 297 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 大切なあなたへ 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 451 一同起立
感謝献金 543(聖歌隊)
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

ヨハネは、「私の子たちよ」「愛する人たち」という親しみを込めた呼びかけでこの手紙を書いています。彼は、愛し大切に思っている人たちに、イエス様を信じて与えられた永遠の命によって生きていることを教えようとしました。

1、聞いて、見て、触った命の言
ヨハネが言う「命の言」はイエス様です。彼は、人として生きたイエス様に出会い、生活を共にして、その教えを聞き、イエス様のなさることを見てきました。ですから、彼は、事実としてイエス様のことを証しし、伝えることができたのです。

2、神との交わりをもつ
ヨハネは、自分が神様との交わりに生かされているように、彼が愛する者たちもこの交わりの中に生きるようになるために、イエス様を証しし、伝えました。イエス様を信じた者は、永遠の命を与えられて、神様との交わりの中に歩むのです。

3、光である神との交わりの中に歩み続ける
ヨハネが、イエス様から聞いて伝えたことは、「神は光である」ということです。私たちを愛している神様は、イエス様の十字架の死によって私たちの罪を赦し、永遠の命を与えられました。そして、光である神様との交わりの中に生きる者とされました。神様の光は、私たちの罪を明らかにします。自分の罪を認めて神様に告白するなら、神様はその罪を赦し、すべての不正から清めてくださるのです。
あなたを大切に思っている神様の愛と光の中を歩む者としていただきましょう。

日々新しく(2026.7.19)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

だから、私たちは落胆しません。私たちの外なる人が朽ちるとしても、私たちの内なる人は日々新たにされていきます。(2コリント 4章16節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編 98編1節、3節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 127 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 113編
会衆祈祷 一  同
聖  書 2コリント 4章7節~18節
教団信仰告白 (別紙) 一  同
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「日々新しく」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 411 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの教団は、今年創立75周年を迎えます。教団の歴史を振り返るとき、「前史」として創立前のことも大切にしています。それは、私たちの教団が受け継いできた信仰を知るためです。そこには、教団の歴史以上の神の恵みの歴史があるのです。

1、土の器に与えられた宝
パウロは、私たちを「土の器」にたとえ、弱く脆い土の器のような私たちの内に宝を納めていると言いました。「宝」は、私たちがイエス様を信じることで与えられた福音の恵みを表しています。この宝に「計り知れない神の力」があります。
その神の力によって、私たちはどんな苦難の中にも失望しないで生きることができるのです。

2、永遠の栄光を与えられる
土の器は、年を重ねるごとに衰えていく私たちの体を表しています。しかし、内に宝を与えられ、永遠の命によって生きる私たちには、やがて栄光の体を与えられるという約束があります。私たちは、その約束を信じて、今を生きているのです。
私たちの内に納めている宝は、私たちを日々新しくして永遠の栄光を目指して進むことができるようにしてくださいます。この神の力を信じて、どんな苦難の中にも、失望しないで歩ませていただきましょう。

天におられる(2026.7.12)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

天におられる私たちの父よ 御名が聖とされますように。(マタイ 6章9節b)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編 96編1節~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 60 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 111編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ 6章9節b
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科早苗師
宣  教 「天におられる」 仁科早苗師
祈  祷
賛  美 493 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科早苗師
後  奏

宣教要旨

主の祈りのよびかけ「まします」は古い丁寧語で「いらっしゃいます」という意味で、原文の主の祈りは「父よ!」という呼びかけから始まる。多神教の日本で「唯一の創造主なる神」に呼びかける必要があったのかもしれない。祈りで最も大切なのは「誰に祈るか」という呼びかけである。

1、天は父なる神の広い視野を表す
天を仰ぐと視野が開け、行き詰まりの中でも神は天から導き、必要を与え、道しるべを示してくださる。人の評価が変わっても、神は変わらず私たちを見ておられ、悔い改める者を赦し、愛を宣言してくださる。

2、天は父の威厳と絶対性を表す
古代の人々にとって天は超越の象徴であった。天におられる神は永遠・無限・全能であり、唯一無二の創造主である。祈るとき、私たちは「神は人間の都合で揺れ動く方ではない」と告白しているのである。

3、天はイエス様もおられる場所である
イエス様は十字架の傷を持ったまま昇天され、今も父なる神のそばで私たちのためにとりなしておられる。祝福の手を下ろさず、私たちを支え続けるお方である。私たちは父と子の二重の恵みのもとに祈っているのである。
(結論)天は私たちのいのちの重みを支える場所であり、希望を失望に終わらせない神が、祈りを実現可能な権威をもって受け取ってくださる場所である。主の祈りは呪文ではなく今日も私たちを守り導く確かさを持つ大いなるお方への呼びかけである。