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新約聖書

イエス・キリストのものとなった(2026.1.18)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

あなたがたも異邦人の中にあって、召されてイエス・キリストのものとなったのです。(ローマ 1章6節 )

礼拝順序

前  奏
招  詞 2コリント 5章17節 司 会 者
頌  栄 265 一同起立
賛  美 4 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編78編1節~14節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ 1章1節~7節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「イエス・キリストのものとなった」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 461 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. キリスト・イエスの僕

パウロは、手紙の始めに「キリスト・イエスの僕」であると自己紹介をしています。イエス・キリストを信じる人たちを迫害していた者が、今はイエス・キリストの僕となって神の福音のために働く者となっていると言うのです。

2. 御子によって恵みを受ける

パウロは、「神の福音」は神が預言者を通して約束された御子に関するものである、と説明します。御子は、預言されたように「ダビデの子孫」として生まれ、復活によって「力ある神の子」と定められました。福音は、御子イエス・キリストによって与えられる神様の恵みです。パウロは、御子イエス・キリストによって恵みを受け、使徒とされて福音を伝える者となりました。

3. 召されてイエス・キリストのものとなった

ローマの教会の人々の多くは、神様に従わない生き方をしていた異邦人でした。しかし、そこから召されて、イエス・キリストのものとなったのです。彼らは、御子イエス・キリストを信じて生きる人生へと導き入れられました。

私たちも、イエス・キリストを信じて、神様に愛され、聖なる者として召されています。イエス・キリストのものとしての歩みを導いていただきましょう。

神の恵みによって、神に喜ばれる歩みを(2026.1.4)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

イエス・キリストは、昨日も今日も、また永遠に変わることのない方です。(ヘブライ 13編8節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 120 一同起立
賛  美 16 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編75編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヘブライ 13章7節~16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神の恵みによって、神に喜ばれる歩みを」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 605 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 神の言葉を語った指導者たちの信仰に倣う
イエス様を信じて生きる人たちに、指導者たちの信仰に倣うようにと勧めます。神の言葉を教えた指導者たちは、信仰の模範となる人たちです。しかし、この人たちも、その生涯を終えていきます。それでもなお、私たちには永遠に変わることのないイエス様を模範として信仰の歩みを続けることができます。

2. 恵みによって心を強める
イエス様を信じて生きる人たちの心を強めるのは、食物の規定に従うような異なる教えではなく、神様の恵みです。神様の恵みとは、イエス様の死によって聖なる者とされることです。

3. 神に喜ばれるいけにえを献げる
イエス様を信じて生きていく人は、神様の喜ばれるいけにえを献げます。そのいけにえは、神様の御名をほめたたえる賛美と善い行いと施しです。

イエス様の十字架の死によって、私たちは聖なる者とされました。イエス様を通して、神様に喜ばれる歩みを導いていただきましょう。

どのような時にも霊によって祈りましょう(2025.12.28)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

どのような時にも、霊によって祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。 ( エフェソ 6章18節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編124編8節 司 会 者
頌  栄 265 一同起立
賛  美 16 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編74編1節~17節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ6章10節~20節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「どのような時にも霊によって祈りましょう」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 497 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 主にあって強くありなさい
悪魔の策略に対抗していかなければならないので、パウロは、主にあって強くありなさいと勧めます。私たちの力では、立ち向かうことができないからです。主の力があってこそ、私たちは悪魔に対抗することができるのです。

2. 神の武具を身に着ける
パウロは、悪魔に対抗し、しっかりと立つことができるように「神の武具」を身に着けなさい、と語ります。パウロは、6つの武具をあげています。帯、胸当て、履物、盾、兜は、攻撃を防御するためのもので、剣は、戦うための武器です。この世にあって悪魔の攻撃に対抗するためには、「神の武具」を身に着けることが必要です。

3. 霊によって祈り続けなさい
神の武具で武装した私たちは、祈ります。パウロは、霊によって祈りなさいと教えました。霊によらなければ、私たちは、どのような時にも祈り、すべての聖なる者たちのために祈り続けることができません。

私たちも神の武具を身に着けて、悪魔の攻撃に抵抗し、どんなときにも聖霊によって祈り続けることができる者として歩ませていただきましょう。

イエス様への誕生日プレゼント(2025.12.21)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 (マタイ 2章11節b )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ 3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 278 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編73編1節~17節
会衆祈祷 一  同
演  奏 アンサンブル・シオン
聖  書 マタイ2章1節~11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 271
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「イエス様への誕生日プレゼント」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 259 一同起立
感謝献金
聖歌隊賛美 251
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. ヘロデ王とエルサレムの人々は不安を抱いた
イエス様が生まれたとき、東方から博士たちがエルサレムに来て、ユダヤ人の王として生まれた方を拝みに来たと言いました。これを聞いたヘロデ王は、不安を抱きました。自分の地位が脅かされると考えたからです。彼の不安は、エルサレムの人々もまきこみました。

2. ヘロデ王の策略
ヘロデ王は、祭司長たちを集めて、メシアが生まれるのはどこかと聞きました。祭司長たちは、預言者の言葉から、ベツレヘムだと伝えます。ヘロデ王は、自分の地位を脅かすものを排除しようと考えました。彼は、自分も拝みに行くと博士たちをだまし、見つけたら知らせるようにと言って送り出しました。

3.博士たちは幼子を礼拝し、贈り物を献げた
博士たちがベツレヘムへ向かおうとすると、東方で見た星が再び現れて彼らを導きました。博士たちは、幼子イエス様を見つけ、礼拝しました。そして、持ってきた宝物を贈り物としてイエス様に献げました。遠くから来た博士たちがイエス様の誕生を喜んで、贈り物をしたのです。
私たちも、私たちのためにこの世に生まれてくださったイエス様に、喜びと感謝のプレゼントを献げましょう。

恵まれた人(2025.12.7)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」          (ルカ 1章28節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ 60章1節、2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 16 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編  71編1節~15節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ 1章26節~38節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「恵まれた人」 仁科共子牧師
聖 餐 式 新49
祈  祷
賛  美 175 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 考え込んだマリア
天使ガブリエルは、神様からマリアというおとめのところに遣わされ、彼女に言いました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアは、突然現れた天使に驚き、言われた言葉に戸惑いながらもその意味を考えました。天使が、神様からの何か特別なことを伝えようとしているのだと思ったのでしょう。

2. 神から恵みをいただいた
天使は、「恵まれた方」とマリアに語りかけ、続いて「あなたは神から恵みをいただいた。」と言いました。その恵みとは、マリアが「神の子」と呼ばれる男の子を産むということです。マリアから生まれる子が救い主となる方だと告げられたのです。

3. お言葉どおり、この身になりますように
マリアは天使が伝えた神様の言葉をしっかりと受けとめました。天使が「聖霊があなたに降り、神の力があなたを覆う」ことによって男の子を産む、と言ったことを、神様の言葉として信じ、そのとおりに成るようにと応えたからです。
神様の言葉を信じ、従う人は「恵まれた人」です。神様からの恵みによって日々歩ませていただきましょう。

神の平和が心を守る(2025.11.16)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

そうすれば、あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう。( フィリピ 4章7節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編  68編20~21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 493 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編  66編1~12節
会衆祈祷 一  同
聖  書 フィリピ 4章4節~9節
使徒信条 93-4 1A 一  同
信仰の体験談、賛美
演 奏
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神の平和が心を守る」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 532 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 主にあって
パウロは、フィリピの教会の人たちに「いつも喜びなさい」と勧めました。いつも喜ぶというのは、私たちには難しいことです。喜べないときもあるからです。パウロは、「主にある」ならいつも喜ぶことができると教えています。「主にある」というのは、いつもイエス様と一緒にいるということです。私たちが努力してイエス様のところにいるのではありません。イエス様が、私たちと一緒にいて喜びを与えてくださるのです。

2. 神に打ち明ける
私たちは、毎日の生活の中でたくさんのことを思い煩います。パウロは、その思い煩いを、神様に打ち明けなさいと教えます。「何事も」「どんな場合も」と思い煩うこと全てを一つ一つ神様に伝えなさいと言っています。

3. 神の平和が心と考えを守る
私たちがすべてのことを神様に祈るなら、人知を超えた神様の平和が私たちの心と考えを守って、思い煩わなくてもよいようにしてくださいます。神様は、私たちと一緒にいてくださるイエス様によって祈りに答えてくださいます。
神様の平和に心を守っていただく日々を歩ませていただきましょう。

光となっている私たち(2025.11.9)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

あなたがたは、以前は闇でしたが、今は主にあって光となっています。光の子として歩みなさい。 ( エフェソ 5章8節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 エゼ キエル書 36章26a,28b節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 484 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編  65編1~9節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ 5章6節~10節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「光となっている私たち」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 509 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 以前は闇でした
私たちは、イエス様を信じる前、私たちを愛していてくださる神様に従わないで生きていました。それは、神様とは無関係に生きる生活で、闇の中を歩くような生活でした。

2. 今は光となりました
私たちは、イエス様を信じて神の子どもとされました。イエス様は、「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ。」(ヨハネ8:12)と言われました。光であるイエス様を信じて従う者は、命の光を持ち、光となって生きるのです。イエス様は、私たちに「あなたがたは世の光である。」(マタイ5:14)と言われました。私たちは、イエス様にあって光となってこの世に輝くのです。

3. 光の子として歩む
光は、善と義と真理の実を結ばせます。闇の中に生きる者は、光の実を結ぶことができません。私たちは、光であるイエス様を信じて光の子どもとしていただきました。光の子どもとしてこの世に輝き、光の実を結ぶ歩みを導いていただきましょう。

あなたを休ませてあげよう(2025.10.26)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。( マタイ 11章28節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 テトス 2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 17 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編62編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ 11章28節~30節
使徒信条 93-4 1A 一  同
信仰の体験談
演 奏
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「あなたを休ませてあげよう」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 481 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

イエス様はあなたを招いておられます。

3 私のもとに来なさい
イエス様は、重荷を負って苦労している人に「私のもとに来なさい。休ませてあげよう」と招かれました。「苦労している人」は「疲れた人」とも訳されます。私たちが「重荷」と感じるものは病気、忙しい仕事のストレス、人間関係の悩みなどたくさんあります。いろいろな重荷をずっと抱えているなら、体も心も疲れてしまいます。イエス様のもとに行くなら、重荷を負って疲れてしまっている私たちを、イエス様が休ませてくださるのです。

2. 私に学びなさい
イエス様は、重荷を負って苦労している人に「私の軛を負い、私に学びなさい」と招かれました。軛は牛などに付けて畑を耕す時に使う道具です。イエス様と一緒に軛を負って働くことを学んでいくなら、魂に安らぎを得ることができます。イエス様は、重荷ではなく軽い荷を私たちに与えてくださるので、苦労しないで働くことができるのです。
イエス様のもとにとどまり続けるなら、休むことができ、負っていく荷は軽いので楽しく働くことができます。あなたを招いておられるイエス様のもとに行って、休ませていただきましょう。

神様が心配してくださる(2025.10.19)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

一切の思い煩いを神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。( 1ペトロ 5章7節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編 124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 6 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編61編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1ペトロ 5章7節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 352
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神様が心配してくださる」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 205 一同起立
感謝献金 新101 (聖歌隊)
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 思い煩いを神にお任せする
私たちは、いろいろな事を思い煩います。「思い煩う」というのは、日常生活の中で起こって来る様々の出来事について悩むことです。悩みを解決するにはどうしたらよいのだろうと考えると不安になります。その「思い煩い」全部を神様にお任せしなさいと教えています。困っていること、苦しいこと、不安なことなど全部です。どんなことでも神様に祈って、お任せするのです。

2. 神はあなたがたのことを心にかけていてくださる
神様が私たちのことを心にかけていてくださるのは、私たちのことを愛していてくださるからです。神様に愛されていることを知る時、私たちは神様を信頼して、どんなことでもお任せすることができます。神様は、神様にお任せしようとする私たちの祈りを聞いてくださいます。神様にお任せするなら、私たちは心配しなくて良いのです。神様が私たちのためにしてくださることは、私たちにとって一番良いことだからです。
私たちは、神様に信頼して思い煩い全部を神様に祈りましょう。神様は私たちの祈りに応えてくださり、思い煩うことのない安心できる生活を導いてくださいます。

成し遂げられた(2025.10.5)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

イエスは、この酢を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。( ヨハネによる福音書 19章30節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨブ記 19章25節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 78 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編57編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 19章28節~37節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「成し遂げられた」 仁科共子牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 297 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 「渇く」
イエス様は十字架につけられ、苦しみを受けられました。「渇く」という言葉にイエス様の苦しさが表れています。イエス様は、私たちの身代わりとして苦しまれたのです。
イエス様が神様の懲らしめを受けてくださったので、私たちの罪が赦されました(イザヤ53:5)。

2. 脇腹から血と水が流れ出た
兵士がイエス様の脇腹を刺したのは、イエス様の死を確かめるためでした。その時流れ出た血は、イエス様が弟子たちに言われた「あなたがたのために流される、私の血による新しい契約である(ルカ22:20)。」との言葉を思い出させます。水は、イエス様から流れ出て私たちを生かす命の水が与えられることを教えてくれます。イエス様が、十字架で人として私たちの罪を身代わりに負って死なれ、その犠牲によって私たちは罪のない者として生きることができるのです。

3. 成し遂げられた
すべての人の罪を赦し、罪から贖う神様の恵みの業は、イエス様の死によって成し遂げられました。「成し遂げられた」は「完了した」とも訳されています。イエス様によって私たちの罪の償いがなされ(1コリント6:20)、神様との平和が与えられ(2コリント5:19)るのです。私たちは、この成し遂げられた神様の恵みを信じて受け取るだけで良いのです。イエス様によって与えられた恵みを感謝して歩ませていただきましょう。

あなたの手を取って呼びかけられる(2025.9.28)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

イエスは娘の手を取って、「子よ、起きなさい」と呼びかけられた。( ルカによる福音書 8章54節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 1ペトロ 3章18節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 17 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編56編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ 8章49節~56節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「あなたの手を取って呼びかけられる」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 430 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 会堂長の願い
一人の会堂長がイエス様のところに来て、死にかけている娘のために家に来てくださるようにと、ひれ伏して願いました。イエス様だけが救うことができる、という切なる思いで来たのです。イエス様はすぐに会堂長と一緒に出かけました。
2. ただ信じなさい
会堂長の家に行く途中で、彼の家から人が来て「お嬢さんは亡くなられました」と伝えました。会堂長の娘は死んでしまったから、もうイエス様の手を煩わせる必要は無いと言ったのです。それを聞いてイエス様は、信じるなら娘は救われると会堂長に言われました。現実は、イエス様は間に合わず、助けてほしかった娘は死んでしまったのです。しかし、イエス様は「ただ信じなさい」と言われました。会堂長はイエス様の言葉を信じてイエス様と一緒に家に帰りました。
3. 「子よ、起きなさい」と呼びかけられた
会堂長の家に着くと、そこでは人々が泣き悲しんでいました。イエス様が彼らに「娘は死んでいない」と言われると、聞いた人々はイエス様を嘲笑いました。しかし、イエス様がその娘の手を取って呼びかけられると、娘は生きかえりました。
絶望的だと思う状況でも、イエス様を信じるなら、そこから救い出してくださいます。イエス様は、あなたの手を取って呼びかけておられます。イエス様にはできると信じて、イエス様の言葉に従いましょう。

イエス様に招かれた(2025.9.21)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。(ヨハネ 9章3節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書 42章1節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 482 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編54編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ9章9節~13節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 474
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「イエス様に招かれた」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 432 一同起立
感謝献金 464(聖歌隊)
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 人の考え

1. 立ち上がって従った
イエス様は、収税所に座っているマタイに「私に従いなさい」と声をかけられました。すると、彼は立ち上がって従いました。マタイは、イエス様の招きに応えて、それまでの生活を離れて従いました。

2. イエス様と同席する
イエス様が食事の席に着いておられると、大勢の徴税人や罪人が来てそこに同席しました。イエス様と同席して食事を一緒にするというのは、親しい交わりを表しています。当時の社会では、徴税人は罪人と同じように見られて嫌われていました。イエス様は、そのような人たちと親しく一緒に食事をされたのです。ファリサイ派の人々は、イエス様のその行いを非難しました。

3. 罪人を招かれた
イエス様は、ファリサイ派の人々に対して「医者を必要としているのは病人である」というたとえを話されました。イエス様を必要としているのは「罪人」であり、その人たちを親しい交わりに招くために世にこられたのだと言われたのです。イエス様は、「罪人」を退けるのではなく、慈しみをもって招かれました。彼らがイエス様を必要としているからです。
イエス様は、私たちを愛して、親しい交わりの席へ招いてくださいました。その招きに応えて、イエス様に従う歩みを導いていただきましょう。

イエスを見つめながら走り抜く(2025.9.14)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

信仰の導き手であり、完成者であるイエスを見つめながら、走りましょう。 (ヘブライ人への手紙 12章2節a)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書 35章1節~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 18 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 53編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヘブライ 11章39節~12章3節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「イエスを見つめながら走り抜く」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 516 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 人の考え

1. すべての重荷と絡みつく罪を捨てて走る
この箇所では、信仰の生涯を競争にたとえ、自分の走るべき競争を走り抜くようにと教えています。走り抜くためには、走ることを妨げる重荷や罪を捨てなければなりません。重荷は私たちの日常生活の中に起こって来る様々の困難と言えるでしょう。また、不信仰こそが走ることを妨げようとする罪です。

2. イエス様を見つめながら走る
私たちが自分の競争を走り抜くには、目標を見つめて走らなければなりません。イエス様は、信仰の生涯を導いてくださる方です。イエス様ご自身「ご自分の前にある喜び」を見つめて忍耐して走り抜かれ、信仰を完成されました。私たちは、このイエス様を見つめながら走り続けるのです。

3. 最後まで走り抜く
「イエスを見つめながら走る」とは、イエス様以外のものを見ることをやめて、イエス様に信頼して走ることです。イエス様は、私たちが気力を失い、弱り果てることなく走り続けることができるように、私たちを導いてくださいます。

イエス様をいつも見つめながら、私たちの信仰の生涯を走りましょう。信仰の完成者であるイエス様が、私たちを最後まで走り抜かせてくださいます。

無駄と思えるほどの愛(2025.8.31)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。 (マタイ 26章7節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編 51編19節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 17 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 48編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ 26章1節~13節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷
宣  教 「無駄と思えるほどの愛」 加藤 満師
祈  祷 加藤 満師
賛  美 513 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 無駄と思えるほどの愛

神の愛は十字架に表わされています。聖書は十字架の愛を実に様々なイメージで語りますが、この高価な香油を注いだ女性の行為にも、十字架の愛が示されています。

1. 十字架に神は、ご自身の香油を注がれた
受難の直前、ある女性がイエス様に「極めて高価な香油」(7)を注ぎました。この行為は他の弟子達からも「無駄」(8)と言われるほどに、惜しみない行為でした。イエス様は喜びます。それは彼女の行為が葬る準備(12)だけでなく、福音の記念(13)と言われるように、ここからのイエス様の受難と十字架の意味を表わしていたからです。
この女性は、高価な香油を無駄遣いするかのように、イエス様の為に献げたのです。同じように父なる神は、何よりも高価な神の御子を無駄遣いするかのように、罪人を救うために献げられたのです。これが受難と十字架です。神ご自身が極めて高価な香油を、私たちの為に注いでしまわれたのです。この過剰な愛に戸惑い、驚く他ありません。

2. 私の香油を注ぎだす
私たちはこの愛にどう応えるでしょう。先ず神の愛を小さく見積もらないことです(エフェソ3:17-19)。そして、高価な香油を私たちの為に注がれた主は時に、主のためにあなたの香油を注ぎ出しなさいと招かれます。その応答が遅々としたものであっても、この注がれた愛に応えたいと願う歩みこそ、この女性の行為と同じように、福音の記念(13)として、神様ご自身の喜びとなるのです。

見えるようになった(2025.8.24)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。(ヨハネ 9章3節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編 124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 493 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編47編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 9章1節~12節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 543
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「見えるようになった」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 433 一同起立
感謝献金 新325(聖歌隊)
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 人の考え

人は不幸な出来事が起こったとき、「なぜこんなことが起こったのか」とその原因をさがす。悪いことが起こったのは、悪いことをした結果だと考える。イエス様の弟子たちも、生まれつき目の見えない人を見たとき、誰かが罪を犯したからだと考えた。この当時も今も、人は同じような考えを持っている。

2. 神の業がこの人に現れるため

イエス様の考えは、弟子たちとは違っていた。イエス様は、弟子たちが不幸な出来事と考えていたことは、「神様の業が現れるため」であり、そのことに意味や目的があるのだと教えられた。そして、この生まれつき目の見えなかった人を癒された。彼は見えるようになった。イエス様によって、この人に神の業が現れたのである。

3.見えるようになった

生まれつき目の見えない人は、イエス様の言われるとおりに行動したとき、見えるようになった。彼を知っていた人たちは、見えるようになって帰ってきたこの人を見ても、すぐには信じられなかった。

 

私たちが自分の考えにとらわれているとき、目の前に神の業が現されてもすぐには受け入れることができない。私たちの目を見えるようにしていただき、神様の業が現されるのを見ることができる者としていただきましょう。