ヨシュア」カテゴリーアーカイブ

ヨルダン川を渡る信仰を(2024.2.4)

聖 書

全地の主である主の箱を担いだ祭司たちの足の裏がヨルダン川の水につかるや、上流から流れて来るヨルダン川の水がせき止められ、一つの堰(せき)ができるだろう。」(ヨシュア記 3章13節)

礼拝音源(28.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書45章22節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 16 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編80編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア記 3章7〜17節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「ヨルダン川を渡る信仰を」 仁科共子牧師
祈  祷
2月誕生者祝福 詩編16編10~11節
賛  美 517 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. モーセの後継者ヨシュア
イスラエルの民たちの荒れ野での40年の旅が終わり、モーセが死んだ後、ヨシュアが後継者としてたてられました。神様はヨシュアに、モーセと共にいたようにヨシュアと共にいると約束されました。また、イスラエルの民たちがそのことをはっきりと知るようにすると言われました。

2. 生ける神が入っていく地に住んでいる人々を追い払ってくださる
ヨシュアは神様から告げられたヨルダン川を渡る方法をイスラエルの人たちに伝えます。それは、祭司たちが主の契約の箱を担いでヨルダン川を民たちの先に立って渡っていくというものでした。それによって、神様が彼らの中におられ、入っていく地の人々を必ず追い払ってくださることを知る、と伝えました。主の契約の箱についていくというのは、主に従って進んでいくことを意味しています。

3. 主が語られたとおりに進んで行った
神様がヨシュアに告げられた通りに、祭司たちが主の契約の箱を担いで先頭に立って進み、祭司たちの足が川の水につかったとき、神様が言われたとおりに水がせき止められました。そして、民たちはヨルダン川を渡りました。目に見えるところが進めないように思える時でも、神様が導いてくださるなら、信じて進むことが大切です。私たちも、彼らがヨルダン川を渡った時と同じ神様への信仰をいただいてすすませていただきましょう。

恵みにあふれて(2023.3.19)

聖 書

しかし、私と私の家は主に仕える。(ヨシュア24章15節b)

礼拝音源(31.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編51編19節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア24章14~24節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みにあふれて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 510 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ヨシュアは、告別説教ともいえるメッセージを語っています(23章~24章)。信仰の歩みと戦いが積み重ねられていくなかで、主の臨在に生きる恵みは(1章5節)、何をもたらすのかを指し示しています(24章15節)。

1.信仰の決断を支える恵み
ヨシュアは、「あなたがたが仕えようと思うものを今日、選ぶがよい」と語っています。彼は、信仰において「選ぶ」ということの大切さを強調するのです。ただ、その前提として、主の愛のゆえに選びの恵みがありました(23章14節、申命記7章6~8節)。それは、主イエスが弟子たちを選ばれたことに通じるものです(ヨハネ15章16節)。
先行する主の選びの恵みに対して、人格をもつものとして造られた人間が選ぶという信仰の決断をすることを支えているのは、主の恵みなのです。この霊的センスを養い続けさせていただいていることが大切です。

2.共に仕える恵み
続いてヨシュアが「私と私の家とは主に仕える」と語ったことに対して、民たちは「主に仕え、その声に聞き従います」と応答しています(24節)。そこに至るまで念入りなやりとりがされたのは(16~23節)、民が不従順に陥らないために証言を求めてのことでした(25~28節)。主イエスの御受難を前にしたペトロを想起します(ルカ22章54~62節)。
礼拝は、主に仕える恵みへと導きます。しかも「私と私の家とは」共に主に仕えるところから、仕える恵みがあふれてくるのです。それは、主イエスが明らかされたことであり(マタイ20章28節)、聖徒たちが証しし続けていることです(ローマ15章30~33節)。

恵みの深みへ(2022.3.12)

聖 書

今日もなお、モーセが私を遣わした日のように健やかです。戦いのためであれ、日常の務めであれ、今の私の力は当時と同じです。 (ヨシュア14章11節)

礼拝音源(31.2MB)
※会衆祈祷の音声が途中で途切れております。申し訳ございません。

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ57章15節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア14章6~15節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みの深みへ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
洗 礼 式 67
賛  美 507 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

モーセの従者ヨシュアと共に歩み労したカレブは、年老いても「健やか」でした。それは、「主が私と共にてくださる」ゆえの前向きかつ積極的な信仰でした(10~12節)。
彼らがいつも主の恵みの約束に立って歩み続けたことは、私たちの歩みでもあります。

1.主の恵みは尽きないゆえに

主が備えておられる恵みは、ヨシュアが年を取っても尽きませんでした(13章1節)。その恵みは、モーセに告げられた約束どおりであり、カレブに対しても同様でした(9節、1章3節)。こうした恵みが尽きないのは、真実な主が責任をもって守り、支え、引き上げてくださるからです(1テサロニケ5章23~24節参照)。
ですからカレブは、主の御言葉の約束に立って、どこまでもその御言葉に聞き従う姿勢を貫いたのです(10節、12節)。

2.主の臨在信仰に立ち続ける
このように、尽きない恵みを自分のものにさせていただくのは、カレブに与えられた信仰に見るように、主に対する全き信仰によります。すなわち、信仰の友をもった信仰であり(6節、民数記14章)、勇気ある信仰であり(7~9節、民数記13章)、御言葉に対する変わらない進取の信仰です(11~12節)。こうした積極的な信仰は、人間的な向こう見ずなどではなく、「主が私と共にいてくださる」(12節)ことが根本にあります。

私たちは、老いてもなお主の臨在信仰に立ち続けるところに「健やか」さがあり、主の助けと備えがあり、道が開かれていくのです。私たち一人ひとりは、老いも若きも遣わされた日のように、今も変わらず壮健でありますように。

主に仕える祝福(2023.2.12)

聖 書

しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある顕現を、あなたがたが広く伝えるためです。(1ペトロ2章9節)

礼拝音源(33.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編16編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア13章8~14節

1ペトロ2章9節

使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主に仕える祝福」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 390 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イスラエルの12部族には、カナンの地征服後の土地が分割されました。ただ、神と民との交わりの道をとりなす「祭司」の務めに任じられた「レビ族」には、相続地は与えられませんでした(14節、33節)。彼らは、余念なく主に仕える人々とされたからです。

1.神に選ばれている
レビ族は、最初から祭司として主に仕える人々ではありませんでした。レビが非常に醜いことをしてしまったことにより(創世記34章)、ヤコブから神の祝福を受けることができませんでした(同49章5~7節)。ところが、レビ族が主に忠実に仕えたことにより(出エジプト32章25~29節)、モーセから神の祝福を受けています(申命記33章8~11節)。こ
のようにして、レビ族は神の選びの祭司として用いられるようになったのです。
私たちは、主イエスの救いを信じて従うことを通して、レビ族と同じように神に「選ばれた民」として主に仕える者とされているのです(1ペトロ2章9節)。

2.神のものとされている
レビ族は、相続地は与えられませんでしたが、住むべき町と神殿でのささげ物の動物のための放牧地という最小限必要な土地が与えられました(14章4節)。主に直接仕える彼らは、主御自身が相続地であり、主への感謝をもって受け取ったのでした(詩編16編5~6節)。こうして、彼らの歩みが整えられていったのです。
旧約のレビ人は、新約のキリスト者のひな型です。私たちは、主イエスによる贖いの救いによって「神のもの」とされ、主にとりなし祈り、「広く伝える」ことにより主に仕える使命に与っているのです(1ペトロ2章9節)。これは、キリスト者の特権です。

主のわざにあふれて(2023.2.5)

聖 書

それから、ヨシュアはエバル山にイスラエルの神、主のための祭壇を築いた。(ヨシュア8章30節)

礼拝音源(26.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編100編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編15編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア8章1~2節、30〜35節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主のわざにあふれて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
2月誕生者祝福 イザヤ書40章31節
賛  美 536 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ヨシュアたちは、エリコでの大勝利後(6章)、アイにおける敗北を経験し、アカンの罪を除去し立て直しがされました(7章)。さらに、積極的な信仰でもって敵と戦っています(8章)。その勝利の秘訣は、今日の私たちの信仰の戦いのあり方を語っています。

最善を備えて  1~17節
戦いの勝利は主の恵みによるものであったことを忘れてしまっていた民に、主は全力を注いで一つになって敵に当たるように命じています(1~3節)。ヨシュアはそれに応答して、その通りにしています。そのように主のわざに励むなかにも、知恵をいただいて対応しています(4~17節)。

私たちは、信仰のよいスタートをきって歩み始めたその姿勢を、ゴールまで持続する信仰が必要です。信仰者としての経験や知識がプライドとなって、それを妨げることがあります。ですから、やり直す恵みへと招かれるのです(ヨハネの黙示録2章4~5節a)。

2. 初めから、終わりまで  18~35節
ヨシュア率いる全軍は、戦いの最中はもちろん、勝利を収めただけで終わりとしないで、勝ち抜いた後も主に命じられた通りに信仰の姿勢を保ちました。
ヨシュアの戦い方は、アイに向かって投げ槍を差し伸べ続けることでした(18節、26節)。これはモーセ同様に、主に向かい祈り続けることでした(出エジプト17章8~13節)。
さらに、勝利を終えた後に主の御前に礼拝をささげ、献身と感謝の信仰を表明し、御言葉に立ち続けました(30~35節、エフェソ6章14~18節)。
私たちの信仰の戦いは、全力を注いで主のわざにあふれる霊的な営みです。

信仰による勝利(2022.10.9)

聖 書

信仰によって、エリコの城壁は、人々が周りを七日間回ると、崩れ落ちました。 (ヘブライ11章30節)

礼拝音源(28MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 黙示録3章8節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編96編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア6章1~27節
ヘブライ11章30節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰による勝利」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
10月誕生者祝福 ヨハネ15章16節
賛  美 515 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

聖書は、恩寵(恵み)先行、信仰後続で貫かれています。ヨシュア記に見る出来事は、どこまでも主の恵みが先に進み、その恵みにとらえられ、満たされ、溢れ出しているところから生まれる信仰の戦いの記録です。

1.主によって
エリコを前にして、主ご自身がこの戦いの「軍勢の長」であることを明らかにされました(5章13~15節)。その主が、このエリコを「あなたの手に渡す」(2節)、それは完了していると宣言されました。ヨシュア記に一貫しているメッセージです(1章2節)。ところが、その戦いの作戦は(7~9節)、ヨルダン川を渡った時と同様に(3章)、戦闘態勢ではなく、主への礼拝行為とも言えるものでした(14~16節)。
私たちは、「主」の御前に、「主」の方を向いて仰ぎ、「主」と共に信仰の戦いの中を歩む礼拝者です。

2.信仰によって
エリコ陥落は、「信仰によって」成されました(ヘブライ11章30節)。確かな主の御言葉の約束に対して(2節)、「しなさい」「することができる」「そのようにした」と信仰の応答が繰り返されています(1~14節)。このように、「信仰によって」約束の御言葉をつかんでいたのです。
私たちは、聖書の御言葉の約束にたって、主の御前にひれ伏して祈り、従っていくことによって、信仰の戦いにおける勝利を得させていただけるのです。それは、個々人の信仰の生涯に、教会の歩みにおいて証しされています。

真の礼拝者(2022.9.4)

聖 書

主の軍勢の長はヨシュアに答えた。「履物を脱ぎなさい。あなたが立っている場所は聖なる所である。」ヨシュアはそのとおりにした。(ヨシュア5章15節)

礼拝音源(33.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ4章23節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア5章1〜15節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「真の礼拝者」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
9月誕生者祝福 2コリント5章18節b
賛  美 517 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの教会は、礼拝を中心とした歩みをしています。そして、「アンティオキア教会」(使徒言行録13章1~3節)としての宣教の使命をいただいています。そこにおける信仰の戦いのためには、礼拝者として恵みによる霊的な備えが求められます。

1.恵みによって主のものであり続ける  1~10節
主は、ヨルダン渡河をした神の民たちを「ギルガル」で一時ストップをかけられました。そうすることにより、過去の罪と汚れを転がし去られたのです。さらに、神の民たちが主のものとされたしるしとして、「割礼」施されました(2~9節)。その割礼を受けた者だけが「過越祭」で食する恵みの礼拝に与れたのです(10節、出エジプト12章48節)。
今、私たちは、主イエスの十字架の贖いの恵みによって主のものとされ、神第一に生きるように招かれています(ローマ12章1~2節)。その備えを礼拝ごとにさせていだたきつつ、信仰の歩みをするのです。

2.恵みによって自立している  11~15節
過越祭の礼拝後、神の民が食するマナは降ることがなくなり、これからは自分たちで自立して食物を得るようになりました(11~12節)。それは、今日の私たちが主の恵みによって信仰生活を送るなかから、自ら御言葉に聴き従って、神の知恵をいだたきつつ歩むことを意味しています。
そして、私たちは、信仰の戦いを共にしてくださる主の前に「履物を脱」ぐように全面的に主に信頼するのです(13~15節、出エジプト3章5節)。私たちは、礼拝ごとにそのようにさせていただくことにより、霊的な備えをさせていただくのです。

神の記憶、神の記念(2022.8.7)

聖 書

それは、地のすべての民が主の手の力強さを知るためであり、またあなたがたが常に、あなたがたの神、主を畏れるためである。(ヨシュア4章24節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨシュア1章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編122編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア4章1~24節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神の記憶、神の記念」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
8月誕生者祝福 詩編65編5節
賛  美 394 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの日常には、礼拝をはじめとして、神こそが主であることを深く知るための中断される恵みの時が与えられています。それは、主によってヨシュアに率いられた神の民たちが、主によってストップをかけられた時も同様でした(4章1節~5章9節)。

1.主の記憶の中に覚えられていることを知る
ヨルダン渡河は、主の民にとっては驚くほどの喜びの経験でした。それらは全て、「主」の主導によって、ヨシュアや民たちを用いてなされました。このように主に覚えられている恵みを「記念」して(7節)、12部族ごとに川底から石を拾ってギルガルに据え、この石を見るたびに主の恵みを想起したのです。こうして彼らは、「主の手の力強さを知」り、「主を畏れる」ことを証ししたのです(24節)。
私たちは、今も変わらずに永遠の主イエスの記憶の中に覚えられています(ヘブライ13章8節)。私たちのすべての信仰体験は、主から出ているのです(詩編103編2節)。

2.主の記念を覚えて歩む
記念の石は、二ヵ所に立てられました(8~9節)。川の中に立てられた石は、それまでの荒れ野の生活に終止符を打ち、陸地に立てられた石は、これからの歩みを象徴して立てられました。後者のギルガルに立てられた記念の石は、主の救いの御業が確かであることを語っています。これは、今日の洗礼(1ペトロ3章21節)と聖餐(1コリント11章24~25節)の記念をもって信仰生活を整えていただくことに通じます。また、主の生きた証しを語り継ぐことを語っています(21~23節)。
私たちは、主の恵みに触れ続け、福音宣教に備えさせていただきましょう。

勝利への道(2022.7.10)

聖 書

主はヨシュアに言われた。「今日、イスラエルのすべての人々の目の前で、あなたを大いなる者とする。私がモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、彼らが知るためである。(ヨシュア記3章7節)

礼拝音源(33.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア記3章1~17節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「勝利への道」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 507 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

大いなる救いの計画をお持ちの主は、主の民を出エジプトからヨルダン渡河そして約束の地への旅を導かれました。臨在の主に導かれて、一つになって進みました(民数記9章18節)。その勝利の道を可能にしたのは、主の恵みと民の信仰によりました。

1.勝利の保証
水量が増し、流れの速度が速くなる時期のヨルダン渡河でした。主は、恵みをもってこの道を導かれたのです。祭司が担ぐ「主の契約の箱」は主の臨在のしるしであり、彼らが民を先導して足が水につかるや川の流れがせき止められ、川の真ん中に立ちとまっている間中民たちは渡河したのです。
このように、臨在の主は御自身の民を導かれ、途中でその導きを放棄される方ではありません。しかも、「今までに一度も通ったことがない」(4節)未知の道を進む時にも、思いがけない方法を用いて道を開かれるのです(マタイ28章20節)。

2.勝利の条件
ですから、この臨在の主に従えばよいのです。ヨシュアを通して祭司たちに命じられ(3節、8~14節)、それに民が従ったのでした(14~17節)。奇跡が起きたから渡河したのではなく、主とその御言葉に対する信仰に伴う従順によりました。

さらに、「身を清めなさい」(5節)とあり、生活上の外的な清めという以上に、内的な清めが求められます。すなわち、罪と汚れから清められ続け(1ヨハネ1章7~9節)、主の前に謙って、主に全く信頼し続けることです(ヘブライ12章1~2節)。
臨在の主は、常に先頭に立って、道を示し、切り開いてくださるお方です。

信仰によって(2022.7.3)

聖 書

信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た者たちを穏やかに迎え入れたので、不従順な者たちと一緒に滅びることはありませんでした。(ヘブライ11章31節)

礼拝音源(34.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編100編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編42編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア記2章1~24、
ヘブライ11章31節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰によって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
7月誕生者祝福 箴言3章5~6節
賛  美 458 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」(ヘブライ11章6節)。主なる神への信仰を持って、信仰によって生きることは、何にもまして大切なことです。「信仰によって、遊女ラハブは」、どのような信仰を抱いていたのでしょうか(同11章31節)。

1.聴従する信仰
ヨシュア記は、主の約束に立って、主の恵みにより、信仰をもって従っていく者たちの信仰の戦いの歩みを証言しています。
ラハブは、二人の偵察者をエリコの追っ手から逃れさせようとしました(1~7節)。彼女は、目撃者ではありませんが、神の民の出エジプト以来の神による勝利を聞いていましたし、カナンの地を主が与えておられることを知っていました(8~11節)。
ラハブの信仰は、主とその御言葉を聞いて、自らの全存在をかけてそれに従ったのでした(詩編40編7~8節)。そこに、異邦人のラハブに、救いの道が開かれたのです。

2.踏み込む信仰
主とその御言葉に聴従したラハブは、主の中に踏み込んでいく行動となった信仰でした。それは、ヨシュアたちが「足の裏で踏む」ことと同じ信仰に基づいた行動でした。ラハブは、瀬戸際に立たされたところで、大胆に信仰に立って行動したのです(4~7節、12~16節)。こうして、ラハブの信仰は生きたものとなりました(ヤコブ2章25~26節)。
なおラハブは、深紅のひもを約束として、その約束をしてくださった主を信じて救いに与りました(17~21節)。私たちは、主イエスが十字架を通して救いを成就してくださったことを信じ、主の中に踏み込む信仰の歩みをするのです。

 

一つになって(2022.6.26)

聖 書

主があなたがたと同様に、同胞にも安息を与え、あなたがたの神、主が与える地を彼らに継がせるためである。(ヨシュア1章15節a)

礼拝音源(30.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨエル3章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編96編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア1章10〜18節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「一つになって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 411 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主から委ねられた使命は、モーセからヨシュアと神の民へと展開されていっています(1章1~9節)。このように、主は今日にいたるまで、またこれからも、主の使命を神の人また神の民を信頼して委ねられるのです。

1.主とその御言葉に信頼する
ヨシュアが主とその御言葉の約束を信頼して従ったところに、主の臨在の確かさがありました(7~9節)。そして、神の民たちも「皆立ち上がり」(2節)、主とその御言葉に信頼して従ったときに、主の臨在の確かさがありました(16~17節)。
この後、ヨシュアと神の民が御言葉から離れずに御言葉に従っていったところに、ヨルダン川があり、山地があり、エリコがありましたが、主は道を開かれ、勝利を与え、祝福をもたらされました(11章15節)。
主は、福音宣教において同じようにして展開されていきます。

2.主の民と協同する
神の民が、主の約束の地に入っていくために食料の準備をするように命じられました(10~11節)。主は整えられた民の行動を通して、その地を得させなさいます。また、ヨルダン川の東側に住む二部族半の勇士も結束してヨルダン川を渡って他の部族の人を助け、共に安息のともなった祝福を受けることが命じられています(12~15節)。そこには、民全体の承認と同意と服従の表明がありました(16~17節)。
主の群れを通して主の使命が遂行されていくとき、主の僕と協同する信仰の仲間を用いられます。福音は、このように一つになって宣証されていくのです。

 

強く、雄々しくあれ(2022.5.22)

聖 書

強く、雄々しくあれと、私はあなたに命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行っても、あなたの神、主があなたと共にいるからだ。(ヨシュア1章9節)

礼拝音源(25.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エフェソ5章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編100編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア1章6〜9節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「強く、雄々しくあれ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 新聖歌486 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主は、ヨシュアと共に歩んでくださる支えと導きの中で、「強く、雄々しくあれ」(6節、7節、9)と励ましておられます。主は、ヨシュアが弱さを感じ、おびえていたことを見通しておられたからです。

1.主が導かれるから
主が与えていてくださる約束の地に導かれることは、かつてモーセを通して語られていたことでした(申命記31章7~8節)。モーセと共に歩まれた主の導きは、絶えることがなく、誤りはありませんでした。神の民の弱さを見抜いておられた主は、回り道と思われる中を通されました(出エジプト13章17~22節、民数記9章15~23節)。それは、ヨシュアに対しても同様で、主が共に歩まれる導きは確かなことだったのです(5節、9節)。
主が共におられる導きを必要としない人は、ひとりもいません。教会も主の導きを必要としています。皆が、それに従えるように招かれているのです。

2.主の導きに従えるように
それゆえに、導き主がモーセを通して命じられた「律法」の教えや戒めを守り行い、それからそれることなく歩み続けることが祝福を受けるために大切なことでした(7節)。それは、御言葉を蓄え続け、思い巡らし、喜んで従っていくことでした(8節、申命記6章6~7節)。
ヨシュアは、主の導きに従うことができるように主が共におられたので、「成功をおさめ」祝福されたのです(8~9節)。同様に私たちは、世に勝利されている主が共にいてくださるので、主によって勝利者とされるのです(ヨハネ16章33節)。

 

新しい時代の始まり(2022.5.15)

聖 書

あなたの命の続くかぎり、誰一人あなたの前に立ちはだかる者はいない。私がモーセと共にいたように、私はあなたと共にいる。あなたを見放すことはなく、あなたを見捨てることもない。(ヨシュア1章5節)

礼拝音源(29.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ4章23節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編29編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア1章1〜5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しい時代の始まり」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 467 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「ヨシュア記」は、モーセからヨシュアに信仰とそのあり方が継承されていくことを語っています。「私の僕モーセは死んだ」(2節a)との書き出しは、新しい時代の転換点となったことと、信仰者とその群れがだれと共に歩むかを明らかにしています。

1.人と共に歩む  1~4節
「モーセの従者」ヨシュアは、モーセに仕えることを通して恵みの経験をし(出エジプト33章11節)、失敗の経験もしました(民数記11章28節)。このように、モーセと共にいたことで、単なる知識の受け継ぎでなく、人格的な信仰の交わりに与ったのです。それは、主イエスの弟子も同じ経験をしています(ルカ10章1節、ヨハネ13章34~35節)。
そして、ヨシュアは「あなたとこの民は皆立ち上がり」と語られたように、神が約束され与えていてくださる恵みの世界に進んで行きました(2節b~4節)。その信仰の一歩は、信仰の戦いを神の民と共にする歩みとなったのです。

2.主と共に歩む  5節
主はモーセと共におられたように、ヨシュアと共におられました。この主の臨在は、この後ヨシュアと神の民が山積みする困難や問題の中を通されても、恐れや不安が支配する中にあっても変わりませんでした。
「御顔(臨在)こそ、わが救い」(詩編42編6節)とあるように、主は御言葉に立って歩む信仰者の方を向いて、顧み、恵みを注ぎ続け、祝福と力の源となってくださいます。
私たちは、主イエスから使命を受け継いでいます(マタイ28章19~20節)。そこに立つ度に、「いつもあなたかだと共にいる」との主イエスの約束を喜び味わうのです。

 

契約:福音に応えるために(2015.11.22)

宣教題  「契約:福音に応えるために」       宣教 鎌野直人協力牧師
聖 書  ヨシュア24章14~28節 ヘブライ8章10節
王などいらない、と人々は叫ぶ。強大な力をもった王が自分の利益を求め、わがままに振る舞い、王に仕える人々が大いに苦しめられるからである。しかし、よい生を送ることができるようにと願って統治する王に仕えることはどうだろうか。

1. 福音
ヨシュアはその生涯の終わりにあたって、イスラエルの民に主のことばを語っている。そこには、創世記からヨシュア記まで書かれていることがまとめられている。イスラエルの先祖が他の神々に仕えていたこと。そこから主が連れ出したこと(2~4節)。エジプトに下って奴隷になっていたところから、連れ出したこと(5~7節)。荒野に住んでいた民に勝利を与え、敵の手から救い出したこと(8~10節)。ヨルダン川を渡ったあと、その地に住む者たちを追い払い、その地を与え、よき生活の場所を与えたこと(11~13節)。よい王である主がこれらのことをなされたからこそ、イスラエルの今がある。主がイスラエルにためになされたすばらしいみわざ、福音が語られた。

2. 選択
主の一方的なわざをうけて、ヨシュアは、神々を除き去って、ただ主に仕えること、すなわちこの方を王として受け入れ、その導きに従うことを求める(14節)。自らも、その家族も主に仕えることを宣言する(15節)。しかし、民に強制することはせず、自分たちで選ぶように求めている。福音を聞いた者に対して、よい王である主は選ぶ自由を与えている。誰に仕えるかを選ぶことを通して、私たちは自分の将来を自分で選ぶ。

3. 契約
ヨシュアは民に対して、主に仕えることを選ぶことの重さを思い起こさせ、警告を与える(19~21節)。「聖なる、熱情の神」は自らに仕えることを選んだ者たちの応答に対して、無関心ではない。受け入れ、誓約した民は、主を「わたしたちの神」(24節、ヘブル8章10節)と呼び、契約を結び、「掟と法」(25節)をうける。福音を聞いた者は、自らの王を選び、その選択に伴う責任を喜んで果たすのだ。
主に仕えることは私たちに責任ある生き方を求め、契約の民となることを求める。しかし、これらはすべてよい王である主のめぐみのわざ(福音)に対する喜びから生まれる自発的な応答だ。

すべての約束の実現(2015.10.11)

宣教題  「すべての約束の実現」         宣教 鎌野直人協力牧師
聖 書  ヨシュア23章1~16節 エフェソ6章10~12節

クリスチャンの戦いは、究極的には神の武具によって悪魔の策略に立ち向かうものである(エフェソ6章11~12)。しかし、人間が戦えそうもない相手、そして目の見えない相手とどのように戦うのだろうか。

1. すべての戦いは主の戦い
約束の地の征服のための戦いを終え、年老いたヨシュアは、その生涯を振り返りつつ、これまでの戦いは、すべてイスラエルの神である主が戦われたものであると述べた。イスラエル自身もそのことを見てきた(ヨシュア23章3節)。イスラエルは戦ってきたが、それはあくまでも主の戦いであった。わたしたちの悪魔の策略との戦いも、主の戦いである。

2. 過去の戦いから将来の戦いへ
約束の地での戦いはまだ続く。くじによって各部族に分け与えられた土地を獲得する戦いに向かう必要がある(4節)。主は、過去もそうであったように、これからも戦われると約束してくださっている(5節)。これまでヨシュア記で起こってきたことがこれからも続くからこそ、一人で千人を追い払うことができる(10節)。ところが、主の戦いであっても、イスラエルには、モーセの教えの書に従い、他の神に仕えず、主ののみ信頼することが求められている(6~8節)。彼らがこのようには歩まないとき(12節)、この土地から彼ら自身が滅び失せる危険性があるである(13節)。事実、士師記を見ると、約束の地でイスラエルは危機に瀕していた。

3. すべての約束は守られる
なぜ主はイスラエルの行動に基づいてご自身の戦いを戦われるのだろうか。それは、主がイスラエルを、そして私たちをこの世界におけるご自身のパートナーと見なしておられるからである。そして、パートナーである者たちと共に戦うために主が用意されたのが、主の約束である。主が約束された通り、すべてのよいことはこれまで行われてきたし(15節)、契約を破るならば約束通り、パートナーには滅びがおとずれる(16節)。すべての約束を守られる主だから、パートナーである私たちがどのように応答するかに応じて、主はご自身の戦いを進められる。
だから、「主に依り頼み、その偉大な力によって」強くされ、主に忠実でありつづけるように招かれている(エフェソ6章10節)。主は約束のすべてを守ってくださる方であるからこそ、主の約束を知り、それに忠実に生きていこうではないか。