旧約聖書」カテゴリーアーカイブ

主を待ち望む(2023.1.8)

聖 書

しかし、主を待ち望む者は新たな力を得 鷲のように翼を広げて舞い上がる。走っても弱ることがなく歩いても疲れることはない。 (イザヤ40章31節)

礼拝音源(31.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ43章18~19節ab 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編2編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ40章27~31節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主を待ち望む」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
1月誕生者祝福 2コリント4章16節
賛  美 474 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イザヤ書は、過去から将来にわたる神の救いをパノラマのように展開しています。そこでイザヤは、神の民に呼びかけ、神からの希望のメッセージを告げているのです。ここでは「主を待ち望む」とはどういうことなのかを語っています。

1.永遠の神の慰めによって
神の民たちは、先の見通しが立たない重苦しい状況に置かれると、神への信仰は鈍ってきたり、信頼を失ってしまったり、捨ててしまう人々が起こってきました(27節)。
それに対して神はイザヤを通して、「慰めよ、慰めよ、私の民を」(40章1節)と、罪を悲しみ、悔い改めて救われるようにと語られたのです(マタイ5章4節、ルカ2章25~32節参照)。その慰めは、解放者の慰め(40章2~5節)、羊飼いのような慰め(同6~11節)、創造者の慰め(同12~26節)、永遠の神の慰め(同27~31節)です。
今も変わることのない主イエスの十字架と復活による救いこそが、私たちの揺るがない希望の根拠です(2コリント1章5節、9~10節参照)。

2.絶えず新たにされていく
神は、疲れ果てた者に力を与え、弱り果てた者を引き起こしてくださいます(28~29節)。そして、生まれつきの力や若さが失われても(30節)、「主を待ち望む者は新たな力を得」ることができます(31節)。永遠の神は、私たちを造り直し、造り変えてくださる再創造者なのです。
私たちは神の前に開かれた心をもって、神のもとにひれ伏すならば、永遠の神によって新しくされ続け、力を与えられ、真の慰めを知るのです。信仰の翼を広げましょう!

新しい始まり(2023.1.1)

聖 書

見よ、私は新しいことを行う。今や、それは起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。
確かに、私は荒れ野に道を 荒れ地に川を置く。(イザヤ43章19節)

礼拝音源(29.9MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編96編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編1編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ43章18~21節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しい始まり」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 368 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

 旧約聖書に登場する預言者たちは、主の慈しみと憐れみと真実に揺るぎない確信を見いだし(哀歌3章22~23節)、主が絶えず「新しい」御業を成されることを期待しつつ語っています(19節)。そのことは、主イエスの救いへの揺るがない確信へと導かれます。
1.「これまで」の主の恵みを忘れないで
 イザヤは、慈しみと憐れみと真実の主こそが、創造主(21節)、贖い主(14節)、イスラエルの聖なる方(14節)、救い主(3節)と証言しています。
神の民は、かつてこの主によって出エジプトに見る神の救いを経験しました。ところが、彼らはいつの間にか、その救いの御業を忘れて主に対する信頼を失い、過去の栄光の上にあぐらをかいていました。そこで、先にあったかつての出エジプトの救いを忘れないで、かつ主が新しい御業を成してくださることに応答するように勧めているのです(18~19節)。それは私たちの主イエスの救いの恵みに生きることにおいても同様です。

2.「これから」の主の恵みに期待して
 続いて主は「今や、それは起ころうとしている」(19節b)と語られ、主の新しい御業に対して期待を持つように、主への信頼を促しておられます。「新しいこと」とは、歴史的にはバビロン捕囚からのペルシャによる解放を(44章28節~45章1節)、預言的には罪と死の支配下にある人類の救いを成し遂げられた主イエスの救いを預言しています。
 私たちは、過去の経験に立てこもって主の御業を限定するのではなく、主が成し遂げられる新しい御業を期待しながら、主に従っていくのです。そのようにして、新しい始まりを見る信仰につなげていくのです。

仰ぎ見よう(2022.12.18)

聖 書

地の果てのすべての者よ 私を仰ぎ、救われよ。私は神、ほかにはいない。(イザヤ45章22節)

礼拝音源(26.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 テトス2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編113編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ45章22~25節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「仰ぎ見よう」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 441 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神は、御自身の民の歴史を通して、「私は神、ほかにはいない」と繰り返し語られています。その神に近づき(20節)、神に聞き(21節)、神を仰ぐように(22節)勧められます。
このように神に向き合う私たちの姿勢は、今も変わることがありません。
1. 神は、「地の果てのすべての者よ」と招いておられます(22節)。確かに神は、ユダヤ人たちを特別に神の民として選ばれ、アブラハムを祝福の基とされ、出エジプトによる神の救いをなし、バビロン捕囚からの回復の御業をなされました。しかし、この神の好意ある招きは、異邦人にも及んだのです。
そして神の御子の降誕に際して、羊飼いたちに語られたメッセージに(ルカ2章10~11節)、老人シメオンが賛美したこと(同2章30~32節)などにも証しされています。クリスマスは、神が罪に堕落したすべての人を信頼された出来事なのです(ヨハネ1章9節)。

2.神に目を転じるのは「あなた」である
イザヤ書が語る信仰は、神に自分自身を安んじて任せることです(7章7節、30章15節)。ここでは、そのことを「仰ぎ」見ると語ります。仰ぐとは、目を転じることであり、今まで見ていたものから、目を転じて神を見ることです。
最初の人アダムとエバは、罪を犯した途端に、神を仰ぎ見ることができなくなりました(創世記3章8節)。目を転じて十字架上の主イエスを仰いだ犯罪人は、永遠の救いに与りました(ルカ23章42~43節)。
信仰とは、仰ぎ見ることです。仰ぎ見る日々の連続が、仰ぎ見る生涯となるのです。

望んで待つ(2022.12.11)

聖 書

一人のみどりごが私たちのために生まれた。
一人の男の子が私たちに与えられた。主権がその肩にあり、その名は
「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ9章5節)

礼拝音源(33.2MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 1テモテ1章15節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編146編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ8章23節~9章6節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「望んで待つ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 247 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

クリスマスは、歴史の悲惨、社会の悲痛、人類の失敗、人間の罪がもたらす苦悩と言ったうめき苦しむ人間に対して、神の御業が現わされた出来事です。それによって、私たちに与えられている希望とは何かを明らかされたのでした。
1.希望の先取り  8章23節~9章4節
アッスリアによって崩壊させられた北イスラエルにあった「異邦人のガリラヤ」は、ユダヤの中心からみても辺境の地であり、人々が恐れと不安に包まれ、希望を抱くことのできない暗黒の地でした(8章22節)。「しかし」闇と死の支配にあったガリラヤの人々は、大いなる光を見、その上に光が輝き、喜び躍り、勝利を得たのです。
同様な出来事は、今日にいたるまで歴史の中に働かれた神の御業として現れ、罪と死の支配にあった私たちに及んだ神の救いの御業です(マタイ4章14~17節)。幸いな人は、この神に望みを置き(詩編146編5節)、希望の先取りをする人です。

2.希望の実現  9章5節~6節
「私たちのために生まれた」「私たちに与えられた」幼子は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」として主権をお持ちの神であり、救い主イエス・キリストにおいて実現したのです(5節)。この救い主こそが、変わることのなく全存在をかけて一人ひとりに熱情を注ぎ、その十字架の御業を通して、私たちの不安や恐れそして罪と死の闇の力から解き放ってくださいました(6節)。
この事実の前に、私たちの悔い改めは深まり、主イエスへの信頼と従順も深まっていきます。ですから私たちは、回心の深まりを経験することが求められています。

信じて待つ(2022.12.4)

聖 書

それゆえ、主ご自身があなたがたにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。(イザヤ7章14節)

礼拝音源(35.0MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 マルコ1章15節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編138編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ7章3~17節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信じて待つ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
12月誕生者祝福 コロサイ3章15節
賛  美 231 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

待降節のこの時節は、待つことを経験する日々です。それは、神の御子の到来を信じ、待ち続けた人々の歩みに連なることです。そして、神の約束の確かさに対して、神への信仰を広げることが求められています。

1.神の約束の確かさ
ユダの王アハズの時、隣国アラムとエフライムが同盟し、ユダに攻めてこようとしました。その民の心は動揺します。預言者イザヤは、「インマヌエル(神は私たちと共におられる)」との約束に立って、この難局に勝利するように語ります。「インマヌエル」の約束の確かさは、歴史を通して神が証ししてこられたからです(イザヤ41章10節)。
このインマヌエルの約束は、主イエスにおいて実現しました(マタイ1章21~23節)。私たちは、十字架による救いの道を開いてくださった主イエスによって、神と共にいることができるようになったのです。

2.約束してくださった神への信仰
共におられる神は、いかなる時にも決して下手なことはなさいません。ですから、静まって主の前に信じて待ち望みつつ、恐れずに御言葉に自らの根拠をおき続けることが必要なのです(4節、9節)。
信じて待つことは、信仰者一人ひとりと教会の信仰の大切な姿勢です。聖書が語る信仰の世界は大きくかつ広く豊かな世界です。「魂に救いを得て」いますので、「言葉に尽くせないすばらしい喜びに溢れて」いるからです(1ペトロ1章8~9節)。私たちは、この主イエスを信じる信仰に連なっているのです。

主の来臨の待望(2022.11.27)

聖 書

主の恵みの年と 私たちの神の報復の日とを告げ すべての嘆く人を慰めるために。(イザヤ61章2節)

礼拝音源(36.9MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ローマ13章12節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編130編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ60章19節~61章4節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主の来臨の待望」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 236 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

待降節から降誕節に向かうこの時節は、一年の中でも最も喜ばしい時です。私たちがこの「待降節」を過ごすときに、主イエスの来臨をどのように待望するのでしょうか。そこには、どのような意味があるのでしょうか。

1.二つの待望
イザヤ書は、神の御業を全歴史を貫いて預言しています。特に、救い主の二つの来臨が、さながら一つの来臨のように重なって語られています。第一の来臨(61章1~2節a、ルカ4章16~21節)、続いて第二の来臨(61章2節b~4節)と預言されています。
待臨節は、かつて来臨された御子イエスの御降誕を想い起しつつ待ち望み、やがて主イエスが再び来臨されることを期待しつつ待ち望み、心を向ける時節です。ですから、御子の御降誕を想い起して感謝の祈りをささげ、再び来臨される主イエスに対する待望信仰を抱いて備えるのです。

2.二つの時を待望しつつ
主イエスは、第一の来臨によって、私たちに仕えて救うために来られした。その極みが主イエスの十字架と復活の御業に現されました。第二の来臨は、栄光の王が栄光のうちに来られ、神の救いは完成し、神の栄光が輝き現れるのです(60章19~22節)。
その中心におられるのは、ただ一度限りの永遠の贖いの御業を成し遂げてくださった「神の小羊」である主イエスです(61章1~2節、ヨハネの黙示録21章22~23節、22章3~5節)。この御方こそが、永遠に変わることなく、信仰者を永遠の交わりの中に導かれるのです(61章3~4節)。

永遠につながる人生(2022.11.6)

聖 書

朝には、あなたの慈しみに満たされ すべての日々を楽しみ、喜ぶことができますように。 (詩編90編14節)

礼拝音源(31MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編68編20〜21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編90編1~17節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「永遠につながる人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
11月誕生者祝福 2コリント4章16節
賛  美 226 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

詩編は、神による人生は幸いなものであり(1編1節)、嘆きも神への感謝となって讃えているものが多くあります(150編6節)。同じように本編は、嘆きから讃美へ、そして永遠につながる人生の幸いを歌っています。

1.神に生かされている幸い  1~6節
詩人は、神を「あなた」と愛情をこめて讃えています(1~2節)。それは、「私はあなたがたを友と呼んだ」(ヨハネ15章15節)と言われる主イエスに対して、私たちが呼びかける信仰の言葉です。続いて神は、人は神に生かされていることを明らかにされ(3~6節)、その人生は意味をもって与えられている重い一生であることを伝えられました。

2.神に知られている幸い  7~12節
神は、人のすべてを知っておられます。何よりも過ちや罪を知っておられますから、十字架の贖いによって罪を赦してくださいました(7~8節)。十字架は神の祈りであり、この祈りだけが人を救いえるのです。また、人が生きる年数は限りがあり、突然のようにして終わりを告げられます(9~10節)。それは、私たちには天に至るステップですから(2コリント4章14~15節)、残された日々を感謝して生きるのです(11~12節)。

3.神の慈しみに生かされ続ける幸い  13~17節
神は、朝の目覚めとともに、神の慈しみを思うようにしてくださいます(14節)。そして、神の慈しみに満たされているならば、今この時も神が備えていてくださる働きに、胸を張って生きるのです(17節)。その恵みと慈しみに追われる日々は無駄ではありません(詩編23編6節)。そこには、永遠につながる人生があります。

信仰による勝利(2022.10.9)

聖 書

信仰によって、エリコの城壁は、人々が周りを七日間回ると、崩れ落ちました。 (ヘブライ11章30節)

礼拝音源(28MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 黙示録3章8節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編96編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア6章1~27節
ヘブライ11章30節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰による勝利」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
10月誕生者祝福 ヨハネ15章16節
賛  美 515 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

聖書は、恩寵(恵み)先行、信仰後続で貫かれています。ヨシュア記に見る出来事は、どこまでも主の恵みが先に進み、その恵みにとらえられ、満たされ、溢れ出しているところから生まれる信仰の戦いの記録です。

1.主によって
エリコを前にして、主ご自身がこの戦いの「軍勢の長」であることを明らかにされました(5章13~15節)。その主が、このエリコを「あなたの手に渡す」(2節)、それは完了していると宣言されました。ヨシュア記に一貫しているメッセージです(1章2節)。ところが、その戦いの作戦は(7~9節)、ヨルダン川を渡った時と同様に(3章)、戦闘態勢ではなく、主への礼拝行為とも言えるものでした(14~16節)。
私たちは、「主」の御前に、「主」の方を向いて仰ぎ、「主」と共に信仰の戦いの中を歩む礼拝者です。

2.信仰によって
エリコ陥落は、「信仰によって」成されました(ヘブライ11章30節)。確かな主の御言葉の約束に対して(2節)、「しなさい」「することができる」「そのようにした」と信仰の応答が繰り返されています(1~14節)。このように、「信仰によって」約束の御言葉をつかんでいたのです。
私たちは、聖書の御言葉の約束にたって、主の御前にひれ伏して祈り、従っていくことによって、信仰の戦いにおける勝利を得させていただけるのです。それは、個々人の信仰の生涯に、教会の歩みにおいて証しされています。

恵みへの招き(2022.10.2)

聖 書

主を尋ね求めよ、見いだすことができるうちに。主に呼びかけよ、近くにおられるうちに。(イザヤ55章6節)

礼拝音源(36.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 1テモテ1章15節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編98編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ55章1~7節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みへの招き」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖餐式 新49
賛  美 432 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ここには、主の救いの恵み(イザヤ53章)への招きに応答する者たちの祝福が語られています。「私はあなたがたと永遠の契約を結ぶ」(3節c)とは、主が一方的に与えられる恵みの契約であり、主イエスによる贖いの恵みでもあります(1コリント11章25節)。

1.命への招き  1~5節
主は、霊的な命と祝福に与りたいと渇き求め、主のみもとに「来る」者に、無代価で受け取れるように招いておられます(1節、4~5節)。そして、主の御言葉のみに集中して「聞き従い」続ける者の魂を豊かにし、魂が生きるようにされるのです(2~3節)。
この招きは、聖餐の祝いの時の招きに通じています。私たちは、「私のもとに来なさい」と招かれる主イエスによって魂は安らぎ(マタイ11章28~30節参照)、そのように招かれた礼拝によって「大いに慰められ」るのです(使徒言行録20章7~12節参照)。

2.赦しへの招き 6~7節
主が、人の側からは遠くにおられるように思える状況でも、そこには常に恵みの主はおられます。ですから、主への感謝の祈りをもって、「主を尋ね求め」「主に呼びかけ」るならばお会いできるのです(6節)。主との間の敷居は高くありません。
そして、「主に立ち帰れ」と招いておられます。それは、主と人とを間を遠ざけている良心の呵責また誘惑がもたらす罪を悔い改め、憐れみ「赦してくださる」主に立ち帰り続けることです(7節)。これこそが、勝利ある信仰生涯を歩むことにつながります。
私たちは、聖餐の祝いをするごとに、主イエスの十字架の赦しの恵みに与り続けるのです(1コリント11章25~28節参照)。

私たちを背負われる主(2022.9.11)

聖 書

あなたがたが年老いるまで、私は神。あなたがたが白髪になるまで、私は背負う。私が造った。私が担おう。私が背負って、救い出そう。(イザヤ46章4節)

礼拝音源(29.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編90編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ46章1〜13節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「私たちを背負われる主」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
長寿祝福・感謝の時 詩編68編20~21節
賛  美 549 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの1日1日は、主からのプレゼントの日です。その日々を私たちは主によって生かされているのであり(2コリント4章16節)、主に背負われて歩んでいます。恵み深い主は、主の民を背負い、救い出す方です(3~4節)。

1.背負ってくださる主
主の民を捕囚したバビロンが信奉していたのは、人が背負わなければならない神々で、真に人間を救うことはできませんでした(1~2節、6~7節)。しかし、主の民が信じた神は、唯一絶対の神であり、御自身の方から現れ、語りかけられ御業をなされる方です。永遠から永遠まで支配され、主御自身が決断されて、造られた者をどこまでも背負い続け、救いを全うしてくださる方です(3~4節、9~10節)。
十字架に死んで復活された主イエスは、いかなる時も、私たちの生涯を責任をもって背負い続けてくださいます(マタイ28章20b)。

2.背負われる私たち
背負ってくださる主は、日々に私たちの救いの神であり、死からも勝利させてくださいます(詩編68編20~21節)。このように預言されている方が、主イエスであり、私たちはこの方のもとに招かれ、安らぎを得ているのです(マタイ11章28~30節)。私たちの一番重い荷は、自分自身であり、その罪と死です。この私たちが、十字架と復活の主イエスに背負われているのです。
主は私たちに、「聞け」(3節)、「胸に刻め」(8節)と繰り返し立ち返ることを求めておられます。私たちは、この主に信頼するのみです(詩編62編9節)。

真の礼拝者(2022.9.4)

聖 書

主の軍勢の長はヨシュアに答えた。「履物を脱ぎなさい。あなたが立っている場所は聖なる所である。」ヨシュアはそのとおりにした。(ヨシュア5章15節)

礼拝音源(33.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ4章23節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア5章1〜15節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「真の礼拝者」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
9月誕生者祝福 2コリント5章18節b
賛  美 517 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの教会は、礼拝を中心とした歩みをしています。そして、「アンティオキア教会」(使徒言行録13章1~3節)としての宣教の使命をいただいています。そこにおける信仰の戦いのためには、礼拝者として恵みによる霊的な備えが求められます。

1.恵みによって主のものであり続ける  1~10節
主は、ヨルダン渡河をした神の民たちを「ギルガル」で一時ストップをかけられました。そうすることにより、過去の罪と汚れを転がし去られたのです。さらに、神の民たちが主のものとされたしるしとして、「割礼」施されました(2~9節)。その割礼を受けた者だけが「過越祭」で食する恵みの礼拝に与れたのです(10節、出エジプト12章48節)。
今、私たちは、主イエスの十字架の贖いの恵みによって主のものとされ、神第一に生きるように招かれています(ローマ12章1~2節)。その備えを礼拝ごとにさせていだたきつつ、信仰の歩みをするのです。

2.恵みによって自立している  11~15節
過越祭の礼拝後、神の民が食するマナは降ることがなくなり、これからは自分たちで自立して食物を得るようになりました(11~12節)。それは、今日の私たちが主の恵みによって信仰生活を送るなかから、自ら御言葉に聴き従って、神の知恵をいだたきつつ歩むことを意味しています。
そして、私たちは、信仰の戦いを共にしてくださる主の前に「履物を脱」ぐように全面的に主に信頼するのです(13~15節、出エジプト3章5節)。私たちは、礼拝ごとにそのようにさせていただくことにより、霊的な備えをさせていただくのです。

神の記憶、神の記念(2022.8.7)

聖 書

それは、地のすべての民が主の手の力強さを知るためであり、またあなたがたが常に、あなたがたの神、主を畏れるためである。(ヨシュア4章24節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨシュア1章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編122編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア4章1~24節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神の記憶、神の記念」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
8月誕生者祝福 詩編65編5節
賛  美 394 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの日常には、礼拝をはじめとして、神こそが主であることを深く知るための中断される恵みの時が与えられています。それは、主によってヨシュアに率いられた神の民たちが、主によってストップをかけられた時も同様でした(4章1節~5章9節)。

1.主の記憶の中に覚えられていることを知る
ヨルダン渡河は、主の民にとっては驚くほどの喜びの経験でした。それらは全て、「主」の主導によって、ヨシュアや民たちを用いてなされました。このように主に覚えられている恵みを「記念」して(7節)、12部族ごとに川底から石を拾ってギルガルに据え、この石を見るたびに主の恵みを想起したのです。こうして彼らは、「主の手の力強さを知」り、「主を畏れる」ことを証ししたのです(24節)。
私たちは、今も変わらずに永遠の主イエスの記憶の中に覚えられています(ヘブライ13章8節)。私たちのすべての信仰体験は、主から出ているのです(詩編103編2節)。

2.主の記念を覚えて歩む
記念の石は、二ヵ所に立てられました(8~9節)。川の中に立てられた石は、それまでの荒れ野の生活に終止符を打ち、陸地に立てられた石は、これからの歩みを象徴して立てられました。後者のギルガルに立てられた記念の石は、主の救いの御業が確かであることを語っています。これは、今日の洗礼(1ペトロ3章21節)と聖餐(1コリント11章24~25節)の記念をもって信仰生活を整えていただくことに通じます。また、主の生きた証しを語り継ぐことを語っています(21~23節)。
私たちは、主の恵みに触れ続け、福音宣教に備えさせていただきましょう。

生きた信仰(2022.7.17)

聖 書

主なる神、イスラエルの聖なる方はこう言われる。「立ち帰って落ち着いていれば救われる。静かにして信頼していることにこそあなたがたの力がある。」(イザヤ30章15節abc)

礼拝音源(32.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編65編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ書30章15~22節
使徒信条 93-4  1A 一  同
教団信仰告白 (別 紙) 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「生きた信仰」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
入会式
賛  美 510 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イザヤ書が開示する信仰は、臨在信仰に生きることについて大きな示唆を与えます。聖なる主は(15節)、私たちを恵もうと待ち、憐れもうと立ち上がられる公正の神です(18節)。私たちは、いかなる時にもこの主に対する生きた信仰を抱きつつ歩むのです。

1.静かにして信頼する  15節
南ユダ国は、二度の国家的な危機に見舞われました。最初は、アラムとエフライム同盟が攻撃してきた時です。主は、イザヤを通して「気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはならない」(イザヤ7章4節)と告げられ、臨在の主に信頼するように勧められました(同9節、14節)。次は、アッシリア帝国が攻撃してきた時です。主は、「静かにして信頼していることにこそ」(30章15節)と語られ、信仰に立つように勧められました。
「静かにして」とは、主の中に身を沈めるようにして信頼することです(出エジプト14章13~14節、詩編46編9~10節)。そこには、人の信仰の備え(イザヤ37章14~15節、列王記下20章20節)と主の最善の御業がありました(イザヤ37章36~38節)。

2.敏感に応答する  18~21節
それゆえに、信仰者は「主を待ち望む者」(18節)であり、主に「叫ぶ」(19節)者であり、主を「見る」(20節)者であり、主が「語る言葉を聞く」(21節)者となるのです。とりわけ、主に導かれて右に行こうが左に行こうが、「これが道だ、ここに行け」と羊飼いである主の「背後から」の声に敏感に聞き従って行くのです(21節、詩編23編4節)。
私たちは、特別な選択を迫られる時だけでなく、日常生活のあらゆる場面において、主が語られる御言葉に敏感に応答していく生きた信仰者であらせていただきましょう

勝利への道(2022.7.10)

聖 書

主はヨシュアに言われた。「今日、イスラエルのすべての人々の目の前で、あなたを大いなる者とする。私がモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、彼らが知るためである。(ヨシュア記3章7節)

礼拝音源(33.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア記3章1~17節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「勝利への道」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 507 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

大いなる救いの計画をお持ちの主は、主の民を出エジプトからヨルダン渡河そして約束の地への旅を導かれました。臨在の主に導かれて、一つになって進みました(民数記9章18節)。その勝利の道を可能にしたのは、主の恵みと民の信仰によりました。

1.勝利の保証
水量が増し、流れの速度が速くなる時期のヨルダン渡河でした。主は、恵みをもってこの道を導かれたのです。祭司が担ぐ「主の契約の箱」は主の臨在のしるしであり、彼らが民を先導して足が水につかるや川の流れがせき止められ、川の真ん中に立ちとまっている間中民たちは渡河したのです。
このように、臨在の主は御自身の民を導かれ、途中でその導きを放棄される方ではありません。しかも、「今までに一度も通ったことがない」(4節)未知の道を進む時にも、思いがけない方法を用いて道を開かれるのです(マタイ28章20節)。

2.勝利の条件
ですから、この臨在の主に従えばよいのです。ヨシュアを通して祭司たちに命じられ(3節、8~14節)、それに民が従ったのでした(14~17節)。奇跡が起きたから渡河したのではなく、主とその御言葉に対する信仰に伴う従順によりました。

さらに、「身を清めなさい」(5節)とあり、生活上の外的な清めという以上に、内的な清めが求められます。すなわち、罪と汚れから清められ続け(1ヨハネ1章7~9節)、主の前に謙って、主に全く信頼し続けることです(ヘブライ12章1~2節)。
臨在の主は、常に先頭に立って、道を示し、切り開いてくださるお方です。

信仰によって(2022.7.3)

聖 書

信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た者たちを穏やかに迎え入れたので、不従順な者たちと一緒に滅びることはありませんでした。(ヘブライ11章31節)

礼拝音源(34.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編100編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編42編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア記2章1~24、
ヘブライ11章31節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰によって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
7月誕生者祝福 箴言3章5~6節
賛  美 458 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」(ヘブライ11章6節)。主なる神への信仰を持って、信仰によって生きることは、何にもまして大切なことです。「信仰によって、遊女ラハブは」、どのような信仰を抱いていたのでしょうか(同11章31節)。

1.聴従する信仰
ヨシュア記は、主の約束に立って、主の恵みにより、信仰をもって従っていく者たちの信仰の戦いの歩みを証言しています。
ラハブは、二人の偵察者をエリコの追っ手から逃れさせようとしました(1~7節)。彼女は、目撃者ではありませんが、神の民の出エジプト以来の神による勝利を聞いていましたし、カナンの地を主が与えておられることを知っていました(8~11節)。
ラハブの信仰は、主とその御言葉を聞いて、自らの全存在をかけてそれに従ったのでした(詩編40編7~8節)。そこに、異邦人のラハブに、救いの道が開かれたのです。

2.踏み込む信仰
主とその御言葉に聴従したラハブは、主の中に踏み込んでいく行動となった信仰でした。それは、ヨシュアたちが「足の裏で踏む」ことと同じ信仰に基づいた行動でした。ラハブは、瀬戸際に立たされたところで、大胆に信仰に立って行動したのです(4~7節、12~16節)。こうして、ラハブの信仰は生きたものとなりました(ヤコブ2章25~26節)。
なおラハブは、深紅のひもを約束として、その約束をしてくださった主を信じて救いに与りました(17~21節)。私たちは、主イエスが十字架を通して救いを成就してくださったことを信じ、主の中に踏み込む信仰の歩みをするのです。