ヨハネ」カテゴリーアーカイブ

聞く力に応じて(2022.9.18)

聖 書

イエスは、このように多くのたとえで、人々の聞く力に応じて御言葉を語られた。(マルコ4章33節)

礼拝音源(31.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ガラテヤ3章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編91編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章40~52節
マルコ4章33節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聞く力に応じて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 57 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちには、主に聞くための恵みの時が与えられています(サムエル上3章9節、イザヤ50章4節)。ここでは、主イエスの招きの御言葉に対して(ヨハネ7章37~38節)、人々に「聞く力」が備えられていたかを問いかけています(マルコ4章33節)。

1.聞き分ける力をもって 40~46節 主イエスの招きの御言葉を聞いた群衆や下役たちの間には、さまざまな反応が起こり、対立をもたらしています。それは、聞き分ける力を失っていた彼らが、どのような心で主イエスを十字架に架けたかを物語っています。 このように、人は、主イエスが語られることに対して受け入れて信じるか、それを拒むかに分かれます。私たちは、主の声と自分の声、主の声とサタンの声、主の声とこの世の声とが区別できる聞き分ける力を失わないようにしたいものです。私たち主の「羊はその声を聞き分ける」(ヨハネ10章3節)のです。

2.聞こうとする力をもって 47~52節 祭司長やファリサイ派の指導者たちは、主イエスに対する偏見と固定観念に支配されて聞こうとせず、群衆を非難し、断罪しています(47~49節)。それに対して、ニコデモは主イエスの御言葉を想起し(ヨハネ3章3~8節)、主に聞こうとしています。 私たちは、聞きすぎているために、新鮮な思いで聞こうとする意欲を、教えられようとする謙虚さを、大切なことをとらえる注意力を失わないで、「わたしにも聞かせてください」(讃美歌21 57)と自らへの語りかけを聞きたいものです。「聞く耳のある者は聞きなさい」(マルコ4章9節)とは、聞こうとする耳です。

満ち足れる祝福(2022.8.21)

聖 書

私を信じる者は、聖書が語ったとおり、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる。(ヨハネ7章38節)

礼拝音源(32.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編62編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章37~39節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「満ち足れる祝福」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 404 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

感謝と喜びの仮庵祭が最高潮に達した時に、主イエスは「立ったまま、大声で」、「渇いている人は誰でも」と人々を招かれました(37節)。主イエスは、今も同じように、心の渇き、魂の渇きを覚えている私たちを招いておられます。

1.満たされる祝福があるから
私たちは、様々な悲しみ・空しさ・失望・不安・恐れ・心の痛みをもったままで過ごしています。主なる神は、そのような私たちの魂の渇きを満たそうとされます(詩編42編1~2節a)。
それに対して私たちは、何かをするのではなくて、ただ主イエスの「もとに来て」水を飲むように、主イエスを「信じる」のです(37~38節)。聖霊という「生ける水」が注がれることによって、主イエスとその十字架の救いを信じさせていただき、魂の渇きを満たしていただくのです(39節、12章23~24節)。私たちは、悔い改めとへりくだる心をもって信じるのみです。

2.溢れ出る祝福があるから
このように満たされる祝福は、その人の全存在を通して他の人々への祝福となっておのずと溢れ出ていきます(38節)。それは、「聖書が語ったとおり」魂が生きかえり、どのような時でも流れ出る聖霊の結実です(エゼキエル47章1~12節)。
主イエスの十字架のとなりにいた犯罪人のひとりは、悔い改めて主イエスに依り頼み、執り成し祈りました(ルカ23章39~43節)。この祝福が、今も流れ続けています。それは、魂を満たされた私たちを通して溢れ出る祝福なのです。

今、この時に(2022.8.14)

聖 書

そこで、イエスは言われた。「今しばらく、私はあなたがたと共にいる。それから、私を遣わした方のもとへ帰る。(ヨハネ7章33節)

礼拝音源(31.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ55章6節,7節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編57編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章25~36節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「今、この時に」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 280 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ヨハネによる福音書は、主イエスの十字架と復活という「イエスの時」を意識しながら福音を語り伝えています(30節、33節)。私たちは、その時を覚えつつ、信仰の歩みをしていくのです。
1.偏見なく主イエスを見る  25~31節
エルサレムの市民たちは、公然と大胆に語られる主イエスを見て、主イエスを捕らえようとするユダヤの指導者たちに対して疑問を持ち始めました(25~27節)。そこで主イエスは、御自身を遣わされた真実な神のもとから来たことを宣言されたのです(28~29節)。これに対して、主イエスを拒む指導者たち(30節)、信じ受け入れる群衆たち(31節)と分かれました。
主イエスは、御自身を偏見なしに見る群衆たちの信仰を不十分だとされませんでした。それは、ニコデモに対しても同様でした(3章1~15節、7章50~51節、19章39節)。

2.今、主イエスを見いだす  32~36節
続いて主イエスは、あからさまにではなく、これから御自身がたどっていかれる道、すなわち十字架と復活の道に至る道筋を明らかにされました(33~34節)。それに対するユダヤの指導者たちは、的外れな理解しかできず、失望さえしています(35~36節)。
ところで主イエスは、それとは全く反対の方へと御自身の弟子たちを導かれ、死の壁を突き抜ける道を明らかにされました(13章36節~14章6節)。主イエスは、「今しばらく」と私たちにも語っておられます。ですから、「今」という機会を逃すことなく(イザヤ55章6~7節)、主イエスを受け入れ、見いだし続けていくのです。

どこまでも真実に(2022.7.31)

聖 書

しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不正がない。(ヨハネ7章18節b)

礼拝音源(32.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編51編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章14~24節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「どこまでも真実に」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 451 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ユダヤの人たちにとって仮庵祭という喜ばしい祝いの時に、その指導者たちは主イエスに対する殺意を抱いていました(19~20節)。そのような中にあって、主イエスは「真実な人」であり(18節、14章6節)、信仰者にも真実であるように語っておられます。

1.分かることにおいて  17節
主イエスの教えは人々を驚かせるほどのもので、お遣わしになった父なる神からの教えでした(15~16節)。そのことが分かるのは、父なる神の「御心を行おうとする者」です(17節)。
主イエスの教えが分かったら、主イエスを信じるのではありません。まず信じたら、真実な主が分かってくるのです。そして、神の御心を行おうと願うことは、自分自身を主イエスに委ねていくことです。私たちは、この点において真実でありたいものです。

2.求めることにおいて  18節
主イエスは、御自分の栄光ではなく、遣わされた父なる神の栄光を求めておられます。そのことによって、御自身が真実な者であることを証しされたのです(18節)。それに対して、ユダヤ当局者たちは、自分たちの栄光を求め、不真実な有様でした(19~20節)。続く主イエスの反論は、見事です(21~24節、5章1~9節)。
ところで、父なる神は、主イエスの十字架と復活において御自身の栄光を現しなさいました(12章27~36節)。そして、私たちがこの主イエスの救いを信じることにより、神の栄光が現わされるのです。私たちは、この点においても真実でありたいものです。

礼拝ご案内・行事予定(2022年8月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日) 第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00 第2礼拝 :AM 10:45 ~ 11:45 第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00 ○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15 楽しい聖書の学び 1階集会室にて お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。
7日(日) 第1聖日 平和聖日礼拝
「神の記憶、神の記念」
ヨシュア4章1~24節
放蕩息子
ルカ15:11~24
鎌野 健一
14日(日) 第2聖日 礼拝
「今、この時に」
ヨハネ7章25~36節
エリヤ1生きて働かれる神
第一列王17:1~16
鎌野 健一
21日(日) 第3聖日 伝道礼拝
「満ち足れる祝福」
ヨハネ7章37~39節
エリヤ2 火をもって答える神
第一列王18:20~40
増永 茂
28日(日) 第4聖日 礼拝
「キリスト者の装い」
コロサイ3章12節、14節
エリシャ1 霊の二倍分
第二列王2:1~15
鎌野 健一

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~11:30、PM 7:00 ~ 8:00

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。

8月行事予定

■ 7日(第1聖日)平和聖日礼拝
■ 14日(第2聖日)礼拝 ギデオンラリー
■ 21日(第3聖日)伝道礼拝
■28日(第4聖日)教区一斉講壇交換礼拝 CS振起日合同礼拝9:15~

9月行事予定

■ 4日(第1聖日)創立75周年記念感謝礼拝・洗礼式
■ 11日(第2聖日)長寿祝福礼拝
■ 18日(第3聖日)礼拝
■ 25日(第4聖日)伝道礼拝 オープンチャペル ジュニアジャンボリー(舞子の丘)  

すべてに時がある(2022.7.24)

聖 書

そこで、イエスは言われた。「私の時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備わっている。 (ヨハネ7章6節)

礼拝音源(32.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編50編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章1~13節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「すべてに時がある」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 403 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イザヤ書が開示する信仰は、臨在信仰に生きることについて大きな示唆を与えます。聖なる主は(15節)、私たちを恵もうと待ち、憐れもうと立ち上がられる公正の神です(18節)。私たちは、いかなる時にもこの主に対する生きた信仰を抱きつつ歩むのです。
私たちは時間を等しく与えられているので、それをどのように使うかが問われます。
主イエスは、父なる神が定められた時を絶好の時とされました。私たちもその時を人生の絶好の時としたいものです。

1.キリストの時
この時人々は、かつて神の民が神の救いを経験し、その後も神の導きをいただき養われたことを感謝する仮庵祭を祝っていました。ガリラヤからエルサレムに向かわれる主イエスに対して、ユダヤ人は敵対感情を持ち、群衆は傍観者のようになり、イエスの兄弟たちは評論家のようになって、主イエスに対する信仰は生まれませんでした。
主イエスを憎み、殺そうとする「世」の罪に対して(7節)、神の審きの極まる時、神の愛の極まる時となったのが、主イエスの十字架の事実でした。この時に、主イエスによる救いが現されたのです(6節)。

2.一人ひとりに備えられた時
主イエスに神の時があったように、私たちにも時があります。それは、一人ひとりが「私が救い主イエスを十字架に架けた」ことの罪を認め、主イエスに対する信仰の応答をする時です。 そして、主イエスを信頼して歩んでいく時、神はすべてを絶好の時としてくださり、神の最善へと導かれます(コへレトの言葉3章1~11節)。私たちは、自分で設定した時でなく、神に設定していただいた好機を知って、主イエスと共に「時」を過ごすのです(2テモテ4章6節、8節)。

唯一の希望(2022.6.19)

聖 書

シモン・ペトロが答えた。「主よ、私たちは誰のところへ行きましょう。永遠の命の言葉を持っておられるのは、あなたです。(ヨハネ6章68節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編34編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章60〜71節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「唯一の希望」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 522 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちには、主イエスを信じる信仰によって希望のある人生へと導かれます。その希望は、聖霊によって神の愛が心に注がれ、決して失われることのない永遠の命を得ていることから生まれます(ヨハネ3章16節、ローマ5章5節)。

1.失望したままで終わりません
主イエスから離れ去り、共に歩まなかった人たちがいました(66節)。彼らがそのようにした理由は、自分たちが考えていたような主イエスではなかったからです(41節、60~62節、64節、67節、70~71節)。当てがはずれて、失望したからです。後のペトロも一時そのようになりました。
しかし、主なる神は、イスカリオテのユダに対してそうであったように、決して御自身の方から私たちを捨てられることはありません。ですから、聖霊が御言葉を用いて語りかけてくださることを信じることが必要です(63節、65節)。

2.いつまでも続く希望をいただいています
それでは、彼らが主イエスから離れ去って救いに与らないとするなら、誰のところに行けばよいのでしょうか(68節a)。主イエスのところに踏みとどまり、すがるほかありません。
キリスト信仰のメッセージの中心には、十字架とともに復活があります。主イエスが死を打ち破られて復活されたので、私たちには絶望はありません。ですから、一人ひとりが主イエスを個人的に、主体的に信じて、体験的に主イエスを知ることが必要です(68節b~69節)。そこから、いつまでも続く希望があふれるのです(ローマ4章17~18節)

 

命あふれて(2022.6.12)

聖 書

これは天から降って来たパンである。先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は永遠に生きる。(ヨハネ6章58節

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ16章13節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編33編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章52〜59節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「命あふれて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 56 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスを個人的な救い主また主として信じ受け入れるまでは、永遠の命に生きることができません。それは、一度限りのものではなく、繰り返し信じ受け入れ続けていくことによって、永遠の命にあふれる歩みとなるのです。

1.主イエスと一体となって生き続ける  55~56節
主イエスを食べるとは、主イエスを信じて一体となることであり、その血を飲むとは、主イエスの命にあずかることです(53~54節)。主イエスに一人ひとりが「とどまる」すなわち一体となるとは、主イエスと人との区別がなくなることではなく、主イエスにある命と恵みの祝福が、その人のものになることです(56節)。
主の聖餐によって明らかにされたように(1コリント11章26節)、私たちは主イエスを信じる信仰によって、いつも主イエスと結ばれ続け、豊かな祝福に与り続けるのです(ヨハネ15章5節)。

2.キリストのために生き続ける  57~58節
主イエスが父なる神から遣わされ、父なる神のために御生涯を生きられたように、私たちが命の源である主イエスによって、主イエスのために充実した歩みをすることが、「永遠に生きる」ことです(57~58節)。
ところで、「食べる」(54~58節)とは、むさぼり食うという意味があります。それは、その人に代わって他の人が食べるのではありません。そのように私たちは、主体的な信仰の貪欲をもって、主イエスと一体とされ、主イエスのために「永遠に生きる」という視点で生き続ける一人ひとりであり、群れであるように招かれているのです。

 

 

永遠の命を生きる(2022.5.29)

聖 書

よくよく言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。(ヨハネ6章47節)

礼拝音源(37.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編32編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章41〜51節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「永遠の命を生きる」 川原﨑晃主管牧師
聖 餐 式 新49
祈  祷
賛  美 120 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、「私は命のパンである」(48節、ヨハネ14章6節)と語られる主イエスに招かれています。主イエスは、その招きに一人ひとりが応答することにより、永遠の命を生きるようにされるのです。

1.永遠の愛に引き寄せられて  41~46節
「私は天から降って来たパンである」(41節)との主イエスの発言が、ユダヤ人にとってはつぶやきの種となり躓きともなりました。主イエス御自身が神であることを明らかにされたからです。それは、主イエスが十字架に架かられたことに対して、自分たちとは関係のないこととした人たちの躓きと相通じます(1コリント1章18節)。
このように神との関係がズレてしまった罪人を、神は永遠の愛をもって「引き寄せ」てくださいます(44節、エレミヤ31章3節)。そして、主イエスのもとに来て、神が語られることを聞いて従うように招いておられます(44~45節)。

2.永遠の命を得て  47~51節
私たちが「永遠の命を得て」生きるために、十字架と復活を通して御自分の命を「与え」てくださった主イエスを「信じ」受け入れることが必要です(47節)。「私は命のパンである」(48節)と言われる主イエスは、私たちのこの世における日々の生活を新たに造り生かされるだけでなく、死にも勝利して「永遠に生きる」ようにされるからです(50~51節)。
永遠の命を生きる人生は、常に望みに満ちた新しさ、前進する力、死への勝利をいただいたねばり強さがみなぎっています。永遠の命を生きるのは「あなた」自身です。

 

キリストの招きに限界はない(2022.4.24)

聖 書

イエスは言われた。「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6章35節)

礼拝音源(29.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編68編20〜21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章22〜40節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストの招きには限界はない」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 433 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、「天にまします我らの父よ」と呼びかけ、父なる神と向き合って生きいくことが大切です。そのために、父なる神と私たちとの懸け橋となってくださったイエス・キリストが、どういう方かを知る必要があります。

1.もう一つの命を与える方  26~35節
主イエスは、「よくよく(アーメン アーメン)」(26節、32節)と語られて真実の限りを尽くしてくださいました。ですから、永遠から永遠までおられる神との交わりのうちにある命を得ることができるように懸け橋となってくださった主イエスを「信じること」です(27~29節)。そして、その命を与えるために、「私が命のパンである」と言われた主イエスの「もとに来る」ことです(32~35節)。
十字架に死んで復活された主イエスは、全世界よりも重いもう一つの命を分け隔てなく与えてくださる方です(マタイ16章26節)。

2.大地のような方  35~40節
ヨハネは、厳しい試練の中にあって、主イエスを次のように紹介しています。主イエスのもとに来る者は決して飢えることがなく、主イエスを信じる者は決して渇くことがなく(35節b)、主イエスのもとに来る者を決して追い出されず(37節b)、主イエスを信じる者が皆永遠の命を得て、終わりの日に復活するのです(39~40節)。
主イエスは、私たちが厳しい試練に遭っても、そこから回復させ、強め、力づけ、揺らぐことのないようにしてくださる大地のような方です(1ペトロ5章10節)。ですから私たちは、主イエスのもとに「来て」、横たわるようにして「信じ」お任せするのです。

人生は空しいものではない(2022.4.17)

聖 書

イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちは誰も、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であると分かっていたからである。(ヨハネ21章12節)

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エフェソ5章14節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編16編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ21章1〜14節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「人生は空しいものではない」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 352 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主の弟子たちは、主イエスから以前お聞きしていたように(マタイ26章32節)、ガリラヤで復活の主にお会いました。彼らは、空しさを覚えるような暮れていく道ではなく、しだいに明けていく光の道を歩いていきました。

1.復活の主はすぐそこに 1~5節
弟子たちは、何週間か前に復活の主とお会いして大喜びしたにもかかわらず(ヨハネ20章20節)、はや不安を覚えながら漁に出ました。彼らは、何の収穫もない状態で一夜を過ごし、空しさの中を信仰の後戻りしているありさまです。このように、復活の主を見失っていたのですが、復活の主がおられないというのではありませんでした。復活の主は、そこに立っておられたのです(4節)。
今日の私たちは、揺れ動く諸状況の中にあって不安を覚えますが、主イエス御自身(ヘブライ13章8節)と神の御言葉(マタイ24章35節)は変わることはありません。

2.復活の主との新たな交わりに 5~14節
この時復活の主は、愛に満ちた指示をされ、命の交わりを持とうとされました(5~6節)。復活の主が手ずから食事を整えてくださり、弟子たちの労苦も用いてくださったのです(8~13節)。このように主イエスが備えてくださった感謝の食卓は、これまでも新たな交わりを生みました(マタイ26章26~30節、ルカ24章30節)。
主イエスを信頼して歩む者は、いかなる時も主イエスの恵みと憐れみの交わりの人生が備えられています。それは、永遠の御国での永遠の主との交わりにもつながるのです(ヨハネ14章1~2節)。

信仰は実践的なもの(2022.3.27)

聖 書

口でイエスは主であると告白し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。(ローマ10章9節)

礼拝音源(31.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編8編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ19章38〜42節
ローマ10章9節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰は実践的なもの」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 448 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「アリマタヤ出身のヨセフ」と共に「ニコデモ」(3章1節以下)は、十字架に死なれた主イエスのお体を引き取るという行動をすることにより、「イエスの弟子」であることを公にしました。このように神は、一人ひとりに相応しい出る幕を用意しておられます。

1.主イエスにどこまでも愛されているから
主イエスは、慈しみと慰めに満ちたお方です。それは、主の弟子たちを守り通されたことを通して明らかです(18章19~20節)。
それに対して、ニコデモは主イエスを弁護できないで沈黙し(7章50~51節)、彼も主の弟子であることを「隠していた」のです(38節)。そこには、他の人の顔や評判に恐れやすい心があり、神を信頼し切れない姿があります(12章42~43節)。
しかし、主イエスは、そのようなニコデモを始めとする主の弟子たちに、深い豊かな愛を注ぎ、最後まで愛し通されました(13章1節)。

2.主イエスのために生きるようになるため
主イエスの葬りに際して、それまでひそんでいたニコデモの信仰が公に表されました。主の教えも数々の奇跡も成しえなかったことを、主の十字架の死が彼を引き寄せ、イエスを主として見える形で崇めて生きるようになったのです(39~40節)。
「口でイエスは主であると告白」(ローマ10章9節)するとは、心で信じたことを口と存在と行動をもって表すことです。つまり、イエスを主として従っていくことを行為に表し、主イエスのために生きることです。このように神によって出る幕が設けられたことを通して、私たちが神の祝福を周囲に及ぼす者とされていくのてす。

目指す地へ(2022.3.20)

聖 書

そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。(ヨハネ6章21節)

礼拝音源(28.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編4編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章16〜21節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「目指す地へ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 462 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ここでは、「あなたはどこに行くのか」、そして「どなたと一緒に行くのか」と問いかけています。そうした中から、「目指す地に」向かう主の弟子たちが自らの真相を知らされ、主イエス御自身の真実を知るように導かれています。

1.自らの真相を知る  16~19節
弟子たちは、主イエスによって「強いて」舟に乗せられました(マタイ14章22節)。主イエスは、深い意図をもって成されたのです。ところが弟子たちは、逆風に悩まされるという試練に遭い(同14章24節)、どうにもならない状態に置かれました。
このように主イエスは、私たちの信仰の旅路や教会の歩みにおいて試みることを通して、私たちの罪深さや弱さや足らなさといった真相を知らせ、信仰の深みへと導かれます。それはまた、神の御前にも、人の前にも、真の謙遜を学ばせるために通される恵みの経験でもあります。

2.主イエスの真実を知る  19~21節
主イエスは、恐れろうばいする弟子たちに、「私だ。恐れることはない」と声を掛けられました。弟子たちは、恐れゆえに主イエスを見失っていたのです。そして、「私だ」との声が聞こえなくなっていたのです。
私たちも同様です。恐れを抱くような危機に遭遇したとき、そのただ中におられる主イエスの声を聞けるかどうか、そこに信仰生活の勝敗はかかっています。こうした危機のただ中に真実な主イエスの臨在を覚え、「私だ、恐れることはない」との御声を聞きつつ、主イエスに導かれて「目指す地に」向かって歩むのです(申命記33~34章)。

どうしたら信じられるか(2022.2.20)

聖 書

あなたがたは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を調べているが、聖書は私について証しをするものだ。 (ヨハネ5章39節)

礼拝音源(29.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編149編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ5章31〜47節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「どうしたら信じられるか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 54 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

信仰者は、大きなことばかりでなく小さなことにも、ありとあらゆることを主イエスとその御業と御言葉を信じて歩んでいきます。それは、どういう信仰なのでしょうか。

1.信頼する  31~40節
主イエスは、自ら神として働いていることを明らかにされました(5章17~18節)。そのことを「証し」したのは、洗礼者ヨハネであり(33~35節)、主イエス御自身の御業であり(36節)、父なる神御自身であり(32節、37節)、聖書そのものです(39節、46節)。
しかし、ユダヤ人たちは、主イエスの語ることは信じるに値しないと決めつけ、主イエスのもとに来ようとしませんでした(40節)。それは、「父のお言葉を自分の内にとどめていない」で(38節)、主イエスを小さくし、その御言葉を軽く考えていたからです。
私たちは、主イエスとその御業と御言葉に対して、全き信頼を持ち続けて歩むのです
(37節b、1ペトロ1章8~9節)。

2.誠実である  41~47節
ユダヤ人たちは、神を愛し敬っていると言いつつ、神の栄光を求めて神に喜んでいただこうとするより、人からの栄誉に心を奪われていました。それが、主イエスを軽んじて十字架に架けることにつながっています。そこには、主イエスとその御業と御言葉に対する誠実さはありませんでした。
イスカリオテのユダは、不誠実の中を歩みましたが(マタイ27章3~5節)、パウロは主イエスとその救いを知って、誠実な歩みに変えられました(45節、フィリピ3章7~8節)。
私たちは、主イエスとその御業と御言葉に対して、誠実な歩みを続けるのです。

死から命へ(2022.1.30)

聖 書

よくよく言っておく。私の言葉を聞いて、私をお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁きを受けることがなく、死から命へと移っている。(ヨハネ5章24節)

礼拝音源(30.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 黙示録3章8節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編146編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ5章19〜30節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「死から命へ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
献 児 式
賛  美 456 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「今も働くのだ」と語られた御子イエスによって(17節)、「死から命へ」と移された(24節)ことを知った人々は、「驚き」の経験をします(20節、28節)。その驚きは、御子の真実な救いの御業を語る御言葉でした(19節、24節、25節)。

2.その源には「キリストの従順」があった  19~23節、30節
御父と御子は、完全な一致と調和を持っておられます(19節、30節)。そこには、御父の御子に注がれる愛があり、御父は御子に「大きな業」を示されました(20節)。それは、霊的命を失った人に命を与えて生かし(21節)、御父に代わって御子に裁く権威を与えられたのです(22節)。それにより、人々が御父と御子を敬うようになるのです(23節)。
こうして、御子は、御父から出た救いの御計画に対して全く従順でした。御子は、十字架の死に至るまで従順を学びながら、御子に従うすべての人々にとっての永遠の救いの源となられたのです(ヘブライ5章7~10節)。

2.その極みは「キリストの永遠の救い」である  24~29節
御子は、すべての人を霊的な「死から命へと」移し、御子がお持ちの「永遠の命」を与えて生きるように招いておられます(24~26節)。そして、御子に聞き従うならば永遠に生き続け、御子の命の賜物を拒み続けるならば最終的な裁きがあります(27~29節)。それゆえに、御父を信じ、御子が語られる言葉を聞き取って受け取り、聞き従うのです(24~25節)。
私たちは、御父からいただいた人生を受けとめて感謝し、いつも御父の前に構えないで素顔で向き合い、御子の永遠の救いの中を歩み続けるのです。