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喜びを抱いて待つ(2020.11.29)

聖書

「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」(ルカ24章52~53節)

礼拝音源(26.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編24編9~10節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 96編1~13節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ24章44~53節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 236 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「喜びを抱いて待つ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 409 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

待降節は、救い主イエスの降誕を祝う備えをさせていただき、また再び来臨される主イエスを迎える備えをさせていただく時です。ここに語られている昇天される直前の主イエスの言動は、再臨の主イエスを待望する者の歩みを明らかにしています。

1.祝福がともなった喜びを抱いて 50~53節

ここには、良い言葉が溢れています。主イエスが良い言葉を語ってくださると、それは「祝福」となりました。そして、主の弟子たちが神に向かって良い言葉を語ると、「神をほめたたえていた」とある賛美する言葉となりました。

主の弟子たちは、礼拝をささげた後で「大喜びで」エルサレムに帰りました。その喜びは、主イエスの降誕に際してすべての人に届けられた喜びと同じです(ルカ2章10節)。

私たちは、「絶えず」主イエスの祝福に与り続け、神をほめたたえ続けて主の再臨を待ち望むのです。

2.聖霊による喜びを抱いて 44~49節

昇天された主イエスは、地上におられた時の御業を継続されました。そのために、すべての人に悔い改めと罪の赦しの福音を宣べ伝える人を用いようとされましたが、主の弟子たちはその重責を担い切ることができませんでした。そこで、彼らが聖霊に満たされて主の証人にされることによって進められたのです。その御業は、多くの主の証人によって今日にまで至っています。

福音に与るひとりの人が起こされることは、神の「大きな喜び」です(ルカ15章1~7節)。福音を宣べ伝えて神と同じ喜びに与るのが、主の再臨を待ち望む主の証人です。

 

喜びを物語る(2012.1.8)

宣教題  : 「喜びを物語る」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : ルカによる福音書   1章1節~4節

ルカによる福音書は、喜びの福音書と言われるほどに、主を讃え、喜んでいる内容で満ちています。そして、主イエス・キリストがどういう方であったか、何をなさった方であったかを物語り、主の恵みを伝えています。その結果として、人々が喜び物語る中に巻き込まれていくことを語っているのです。

1.「私が」巻き込まれる  1~3節
著者ルカは、異邦人の医者であり(コロサイ4章14節)、パウロと伝道を共にした協力者であり(フィレモン24節)、その殉教の死の時まで共にいました(2テモテ4章11節)。彼は、使徒言行録も書き記すほどにキリストに捉えられていました(使徒言行録1章1~2節)。
そんなルカが、実際主イエスを見聞きした人々の言葉を聴き、語り伝えるために仕える人々の言葉に耳を傾け、書き連ねられた言葉を熟読し、自らも「マルコによる福音書」などを基に詳しく調べて、順序正しく書いて伝えようとしたのです。
ところで、「わたしたちの間に実現した事柄について」と語っていますが、ルカ自らもそこに含まれ、巻き込まれているとの信仰に立っているのです。同じように私たちも、そこに含まれ、巻き込まれているのです。

2.「一人ひとりを」巻き込む  3~4節
ルカは喜びの物語を「テオフィロ」一人に語りかけています。彼が求道者であったか、信仰をもってまもない人であったかは不明ですが、彼に確かな信仰の決心が与えられ、信仰が強くされるようにと願って訴えかけているのです。そこには、主イエスの福音の喜びを味わい知った者の篤い思いがあります。
福音は、本来一人ひとりの魂に向かって注ぎ込むように語られるものですが、結果として、それが全ての人に向かって語り伝えられるのです。ですから、「私に語られているメッセ-ジである」との姿勢が一人ひとりに求められるのです。
私たちは、喜びの物語に巻き込まれる時を大切にして、そこから始まる喜びの出来事を生活の中で語り続け、書き表し続けていきたいものです。