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緊急の必要(2020.5.31)

聖書

酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、(エフェソ5章18節)

礼拝音源(29.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編51章12~14節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 16編1~11節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ5章18~20節
使徒信条 93-4 1A 一同起立
賛  美 342 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「緊急の必要」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 529 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主の弟子たちが、主イエスの十字架と復活の期間また昇天と聖霊降臨の期間に不安と恐れを抱きました。それは、主の再臨待望信仰に生きる人たちでさえ、いろんな機会に同じような経験をするものです。そうした時、聖霊に満たされていることが、緊急の必要となります(18節、ヨハネ14章16~18節参照)。

1.聖霊に満たされ続けよ  18節
私たちは、酒のみか、仕事、学び、遊びなどに酔わされて、自分を失ってはなりません。むしろ、今も常に聖霊に満たされ続けよと命じられています。それは、聖霊に支配され、聖霊に導かれていることです。
聖霊に満たされ続ける秘訣は、ペンテコステ後の主の弟子たちのように、一人ひとりが主イエスに主導権を明け渡し、主のものになることです。教会は、聖霊に満たされ続けることにより、主の恵みに満ちあふれ、主の命に活き活きと生きる聖徒の群れとなるのです。

2.キリストの支配に生きる  19~20節
聖霊によって「イエスは主である」(1コリント12章3節)と告白することは、心と人生の中心をキリストのご支配をいただいて生きることです。
そこから、信仰の仲間とともに、歌が語り合う言葉となり、「主に向かって心からほめ歌う」賛美が出てきます。そして、ついには「いつも、あらゆることについて」父である神に対して感謝が出てくるのです。
私たちは、日々の歩みの中で、聖霊に満たされ、キリストの支配に生きることに捉えられていることが大切です。その人生に区切りを与えるのが、聖日礼拝です。

 

聖霊に満たされて(2010.1.17)

宣教題  : 「聖霊に満たされて」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : 使徒言行録 6章8節~15節
主の弟子たちの中から選ばれた7人は、細やかな愛の奉仕を忠実に励む人たちでした。なかでもステファノは、キリストを証しすることと力ある業を行うことにも忠実でした。彼がそのように歩んだ秘訣は、「聖霊に満ちている」(3節、5節、10節)主の弟子だったからです。

1.健全な主の弟子である  8~10節
ステファノは、「恵みに満ち」ていました(8節)。彼は、救いの完成へと導く神の恵みを無駄にしたくないために、恵みによって主の業に励んだのです(1コリント15章10節)。また、「力に満ち」ていました(8節)。その力は、人をキリストとその救いに導くものでした(1章8節)。さらに、神を畏れ敬う「知恵に満ち」てキリストを証しし、弁明しました(3節、10節)。そして、主なる神に対する全き「信仰に満ちて」いました(5節)。聖霊に満たされるとき、主なる神を讃え、新しい言葉がつくられ、キリストの香りを放つ健全な主の弟子とされるのです(ヱフェソ5章18~20節)。
聖霊に満たされることは、信仰者が自由に選べる贅沢品ではありません。だれにとっても絶対に必要なものなのです。

2.輝いている主の弟子である  11~12節
素直に福音を受け入れられない人々は、ステファノに対して反対や妨害をしました。彼らの怒りは高まって、民衆がそれに加わるように動員され、偽証までさせています(11~14節)。ここに、自分の立場を守るためには手段をも選ばない人間の罪の姿が現れています。しかし、そのような中でもステファノの顔は、「さながら天使の顔のように見えた」のでした(15節)。これは、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」との信仰に生きる者の輝きです(ガラテヤ2章19~20節)。
キリストの救いの恵みが届けられるために、神は人を用いられます。しかも、環境や状況や条件に支配されることなく、聖霊に満たされた輝く器を用いられるのです。