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ヨハネ

唯一の希望(2022.6.19)

聖 書

シモン・ペトロが答えた。「主よ、私たちは誰のところへ行きましょう。永遠の命の言葉を持っておられるのは、あなたです。(ヨハネ6章68節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編34編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章60〜71節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「唯一の希望」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 522 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちには、主イエスを信じる信仰によって希望のある人生へと導かれます。その希望は、聖霊によって神の愛が心に注がれ、決して失われることのない永遠の命を得ていることから生まれます(ヨハネ3章16節、ローマ5章5節)。

1.失望したままで終わりません
主イエスから離れ去り、共に歩まなかった人たちがいました(66節)。彼らがそのようにした理由は、自分たちが考えていたような主イエスではなかったからです(41節、60~62節、64節、67節、70~71節)。当てがはずれて、失望したからです。後のペトロも一時そのようになりました。
しかし、主なる神は、イスカリオテのユダに対してそうであったように、決して御自身の方から私たちを捨てられることはありません。ですから、聖霊が御言葉を用いて語りかけてくださることを信じることが必要です(63節、65節)。

2.いつまでも続く希望をいただいています
それでは、彼らが主イエスから離れ去って救いに与らないとするなら、誰のところに行けばよいのでしょうか(68節a)。主イエスのところに踏みとどまり、すがるほかありません。
キリスト信仰のメッセージの中心には、十字架とともに復活があります。主イエスが死を打ち破られて復活されたので、私たちには絶望はありません。ですから、一人ひとりが主イエスを個人的に、主体的に信じて、体験的に主イエスを知ることが必要です(68節b~69節)。そこから、いつまでも続く希望があふれるのです(ローマ4章17~18節)

 

命あふれて(2022.6.12)

聖 書

これは天から降って来たパンである。先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は永遠に生きる。(ヨハネ6章58節

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ16章13節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編33編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章52〜59節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「命あふれて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 56 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスを個人的な救い主また主として信じ受け入れるまでは、永遠の命に生きることができません。それは、一度限りのものではなく、繰り返し信じ受け入れ続けていくことによって、永遠の命にあふれる歩みとなるのです。

1.主イエスと一体となって生き続ける  55~56節
主イエスを食べるとは、主イエスを信じて一体となることであり、その血を飲むとは、主イエスの命にあずかることです(53~54節)。主イエスに一人ひとりが「とどまる」すなわち一体となるとは、主イエスと人との区別がなくなることではなく、主イエスにある命と恵みの祝福が、その人のものになることです(56節)。
主の聖餐によって明らかにされたように(1コリント11章26節)、私たちは主イエスを信じる信仰によって、いつも主イエスと結ばれ続け、豊かな祝福に与り続けるのです(ヨハネ15章5節)。

2.キリストのために生き続ける  57~58節
主イエスが父なる神から遣わされ、父なる神のために御生涯を生きられたように、私たちが命の源である主イエスによって、主イエスのために充実した歩みをすることが、「永遠に生きる」ことです(57~58節)。
ところで、「食べる」(54~58節)とは、むさぼり食うという意味があります。それは、その人に代わって他の人が食べるのではありません。そのように私たちは、主体的な信仰の貪欲をもって、主イエスと一体とされ、主イエスのために「永遠に生きる」という視点で生き続ける一人ひとりであり、群れであるように招かれているのです。

 

 

永遠の命を生きる(2022.5.29)

聖 書

よくよく言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。(ヨハネ6章47節)

礼拝音源(37.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編32編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章41〜51節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「永遠の命を生きる」 川原﨑晃主管牧師
聖 餐 式 新49
祈  祷
賛  美 120 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、「私は命のパンである」(48節、ヨハネ14章6節)と語られる主イエスに招かれています。主イエスは、その招きに一人ひとりが応答することにより、永遠の命を生きるようにされるのです。

1.永遠の愛に引き寄せられて  41~46節
「私は天から降って来たパンである」(41節)との主イエスの発言が、ユダヤ人にとってはつぶやきの種となり躓きともなりました。主イエス御自身が神であることを明らかにされたからです。それは、主イエスが十字架に架かられたことに対して、自分たちとは関係のないこととした人たちの躓きと相通じます(1コリント1章18節)。
このように神との関係がズレてしまった罪人を、神は永遠の愛をもって「引き寄せ」てくださいます(44節、エレミヤ31章3節)。そして、主イエスのもとに来て、神が語られることを聞いて従うように招いておられます(44~45節)。

2.永遠の命を得て  47~51節
私たちが「永遠の命を得て」生きるために、十字架と復活を通して御自分の命を「与え」てくださった主イエスを「信じ」受け入れることが必要です(47節)。「私は命のパンである」(48節)と言われる主イエスは、私たちのこの世における日々の生活を新たに造り生かされるだけでなく、死にも勝利して「永遠に生きる」ようにされるからです(50~51節)。
永遠の命を生きる人生は、常に望みに満ちた新しさ、前進する力、死への勝利をいただいたねばり強さがみなぎっています。永遠の命を生きるのは「あなた」自身です。

 

キリストの招きに限界はない(2022.4.24)

聖 書

イエスは言われた。「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6章35節)

礼拝音源(29.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編68編20〜21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章22〜40節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストの招きには限界はない」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 433 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、「天にまします我らの父よ」と呼びかけ、父なる神と向き合って生きいくことが大切です。そのために、父なる神と私たちとの懸け橋となってくださったイエス・キリストが、どういう方かを知る必要があります。

1.もう一つの命を与える方  26~35節
主イエスは、「よくよく(アーメン アーメン)」(26節、32節)と語られて真実の限りを尽くしてくださいました。ですから、永遠から永遠までおられる神との交わりのうちにある命を得ることができるように懸け橋となってくださった主イエスを「信じること」です(27~29節)。そして、その命を与えるために、「私が命のパンである」と言われた主イエスの「もとに来る」ことです(32~35節)。
十字架に死んで復活された主イエスは、全世界よりも重いもう一つの命を分け隔てなく与えてくださる方です(マタイ16章26節)。

2.大地のような方  35~40節
ヨハネは、厳しい試練の中にあって、主イエスを次のように紹介しています。主イエスのもとに来る者は決して飢えることがなく、主イエスを信じる者は決して渇くことがなく(35節b)、主イエスのもとに来る者を決して追い出されず(37節b)、主イエスを信じる者が皆永遠の命を得て、終わりの日に復活するのです(39~40節)。
主イエスは、私たちが厳しい試練に遭っても、そこから回復させ、強め、力づけ、揺らぐことのないようにしてくださる大地のような方です(1ペトロ5章10節)。ですから私たちは、主イエスのもとに「来て」、横たわるようにして「信じ」お任せするのです。

人生は空しいものではない(2022.4.17)

聖 書

イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちは誰も、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であると分かっていたからである。(ヨハネ21章12節)

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エフェソ5章14節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編16編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ21章1〜14節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「人生は空しいものではない」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 352 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主の弟子たちは、主イエスから以前お聞きしていたように(マタイ26章32節)、ガリラヤで復活の主にお会いました。彼らは、空しさを覚えるような暮れていく道ではなく、しだいに明けていく光の道を歩いていきました。

1.復活の主はすぐそこに 1~5節
弟子たちは、何週間か前に復活の主とお会いして大喜びしたにもかかわらず(ヨハネ20章20節)、はや不安を覚えながら漁に出ました。彼らは、何の収穫もない状態で一夜を過ごし、空しさの中を信仰の後戻りしているありさまです。このように、復活の主を見失っていたのですが、復活の主がおられないというのではありませんでした。復活の主は、そこに立っておられたのです(4節)。
今日の私たちは、揺れ動く諸状況の中にあって不安を覚えますが、主イエス御自身(ヘブライ13章8節)と神の御言葉(マタイ24章35節)は変わることはありません。

2.復活の主との新たな交わりに 5~14節
この時復活の主は、愛に満ちた指示をされ、命の交わりを持とうとされました(5~6節)。復活の主が手ずから食事を整えてくださり、弟子たちの労苦も用いてくださったのです(8~13節)。このように主イエスが備えてくださった感謝の食卓は、これまでも新たな交わりを生みました(マタイ26章26~30節、ルカ24章30節)。
主イエスを信頼して歩む者は、いかなる時も主イエスの恵みと憐れみの交わりの人生が備えられています。それは、永遠の御国での永遠の主との交わりにもつながるのです(ヨハネ14章1~2節)。

信仰は実践的なもの(2022.3.27)

聖 書

口でイエスは主であると告白し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。(ローマ10章9節)

礼拝音源(31.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編8編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ19章38〜42節
ローマ10章9節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰は実践的なもの」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 448 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「アリマタヤ出身のヨセフ」と共に「ニコデモ」(3章1節以下)は、十字架に死なれた主イエスのお体を引き取るという行動をすることにより、「イエスの弟子」であることを公にしました。このように神は、一人ひとりに相応しい出る幕を用意しておられます。

1.主イエスにどこまでも愛されているから
主イエスは、慈しみと慰めに満ちたお方です。それは、主の弟子たちを守り通されたことを通して明らかです(18章19~20節)。
それに対して、ニコデモは主イエスを弁護できないで沈黙し(7章50~51節)、彼も主の弟子であることを「隠していた」のです(38節)。そこには、他の人の顔や評判に恐れやすい心があり、神を信頼し切れない姿があります(12章42~43節)。
しかし、主イエスは、そのようなニコデモを始めとする主の弟子たちに、深い豊かな愛を注ぎ、最後まで愛し通されました(13章1節)。

2.主イエスのために生きるようになるため
主イエスの葬りに際して、それまでひそんでいたニコデモの信仰が公に表されました。主の教えも数々の奇跡も成しえなかったことを、主の十字架の死が彼を引き寄せ、イエスを主として見える形で崇めて生きるようになったのです(39~40節)。
「口でイエスは主であると告白」(ローマ10章9節)するとは、心で信じたことを口と存在と行動をもって表すことです。つまり、イエスを主として従っていくことを行為に表し、主イエスのために生きることです。このように神によって出る幕が設けられたことを通して、私たちが神の祝福を周囲に及ぼす者とされていくのてす。

目指す地へ(2022.3.20)

聖 書

そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。(ヨハネ6章21節)

礼拝音源(28.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編4編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章16〜21節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「目指す地へ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 462 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ここでは、「あなたはどこに行くのか」、そして「どなたと一緒に行くのか」と問いかけています。そうした中から、「目指す地に」向かう主の弟子たちが自らの真相を知らされ、主イエス御自身の真実を知るように導かれています。

1.自らの真相を知る  16~19節
弟子たちは、主イエスによって「強いて」舟に乗せられました(マタイ14章22節)。主イエスは、深い意図をもって成されたのです。ところが弟子たちは、逆風に悩まされるという試練に遭い(同14章24節)、どうにもならない状態に置かれました。
このように主イエスは、私たちの信仰の旅路や教会の歩みにおいて試みることを通して、私たちの罪深さや弱さや足らなさといった真相を知らせ、信仰の深みへと導かれます。それはまた、神の御前にも、人の前にも、真の謙遜を学ばせるために通される恵みの経験でもあります。

2.主イエスの真実を知る  19~21節
主イエスは、恐れろうばいする弟子たちに、「私だ。恐れることはない」と声を掛けられました。弟子たちは、恐れゆえに主イエスを見失っていたのです。そして、「私だ」との声が聞こえなくなっていたのです。
私たちも同様です。恐れを抱くような危機に遭遇したとき、そのただ中におられる主イエスの声を聞けるかどうか、そこに信仰生活の勝敗はかかっています。こうした危機のただ中に真実な主イエスの臨在を覚え、「私だ、恐れることはない」との御声を聞きつつ、主イエスに導かれて「目指す地に」向かって歩むのです(申命記33~34章)。

どうしたら信じられるか(2022.2.20)

聖 書

あなたがたは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を調べているが、聖書は私について証しをするものだ。 (ヨハネ5章39節)

礼拝音源(29.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編149編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ5章31〜47節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「どうしたら信じられるか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 54 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

信仰者は、大きなことばかりでなく小さなことにも、ありとあらゆることを主イエスとその御業と御言葉を信じて歩んでいきます。それは、どういう信仰なのでしょうか。

1.信頼する  31~40節
主イエスは、自ら神として働いていることを明らかにされました(5章17~18節)。そのことを「証し」したのは、洗礼者ヨハネであり(33~35節)、主イエス御自身の御業であり(36節)、父なる神御自身であり(32節、37節)、聖書そのものです(39節、46節)。
しかし、ユダヤ人たちは、主イエスの語ることは信じるに値しないと決めつけ、主イエスのもとに来ようとしませんでした(40節)。それは、「父のお言葉を自分の内にとどめていない」で(38節)、主イエスを小さくし、その御言葉を軽く考えていたからです。
私たちは、主イエスとその御業と御言葉に対して、全き信頼を持ち続けて歩むのです
(37節b、1ペトロ1章8~9節)。

2.誠実である  41~47節
ユダヤ人たちは、神を愛し敬っていると言いつつ、神の栄光を求めて神に喜んでいただこうとするより、人からの栄誉に心を奪われていました。それが、主イエスを軽んじて十字架に架けることにつながっています。そこには、主イエスとその御業と御言葉に対する誠実さはありませんでした。
イスカリオテのユダは、不誠実の中を歩みましたが(マタイ27章3~5節)、パウロは主イエスとその救いを知って、誠実な歩みに変えられました(45節、フィリピ3章7~8節)。
私たちは、主イエスとその御業と御言葉に対して、誠実な歩みを続けるのです。

死から命へ(2022.1.30)

聖 書

よくよく言っておく。私の言葉を聞いて、私をお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁きを受けることがなく、死から命へと移っている。(ヨハネ5章24節)

礼拝音源(30.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 黙示録3章8節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編146編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ5章19〜30節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「死から命へ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
献 児 式
賛  美 456 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「今も働くのだ」と語られた御子イエスによって(17節)、「死から命へ」と移された(24節)ことを知った人々は、「驚き」の経験をします(20節、28節)。その驚きは、御子の真実な救いの御業を語る御言葉でした(19節、24節、25節)。

2.その源には「キリストの従順」があった  19~23節、30節
御父と御子は、完全な一致と調和を持っておられます(19節、30節)。そこには、御父の御子に注がれる愛があり、御父は御子に「大きな業」を示されました(20節)。それは、霊的命を失った人に命を与えて生かし(21節)、御父に代わって御子に裁く権威を与えられたのです(22節)。それにより、人々が御父と御子を敬うようになるのです(23節)。
こうして、御子は、御父から出た救いの御計画に対して全く従順でした。御子は、十字架の死に至るまで従順を学びながら、御子に従うすべての人々にとっての永遠の救いの源となられたのです(ヘブライ5章7~10節)。

2.その極みは「キリストの永遠の救い」である  24~29節
御子は、すべての人を霊的な「死から命へと」移し、御子がお持ちの「永遠の命」を与えて生きるように招いておられます(24~26節)。そして、御子に聞き従うならば永遠に生き続け、御子の命の賜物を拒み続けるならば最終的な裁きがあります(27~29節)。それゆえに、御父を信じ、御子が語られる言葉を聞き取って受け取り、聞き従うのです(24~25節)。
私たちは、御父からいただいた人生を受けとめて感謝し、いつも御父の前に構えないで素顔で向き合い、御子の永遠の救いの中を歩み続けるのです。

とこしえの愛(2022.1.23)

聖 書

イエスはお答えになった。「私の父は今もなお働いておられる。だから、私も働くのだ。」
(ヨハネ5章17節)

礼拝音源(28.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編130編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ5章9節b〜18節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「とこしえの愛」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 475 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

変わりやすいのが私たち人間です。しかし、決して変わることのない「天のお父さま」である神を信頼して生きていくならば、人生に安心が生まれます。
神の「とこしえの愛」は、どのように現され、実現されていくのでしょうか。

1.キリストによって現された
病気を癒やしていただいた人は、そのようにしてくださった方が誰であるかを知りませんでした(13節)。そんな彼に、主イエスの方から御自身を現しなさいました。そして、その人の人生を不幸に閉じ込めていたのは、肉体的病気というだけでなく、さらに深刻な罪の解決を得ないままで生活していたことと、その結果が永遠のさばきを刈り取るようになることを明らかにされました(14節)。
私たちは、十字架の身代わりの死をもって罪と永遠のさばきから解放してくださった主イエスに出会うことによって、人生は変えられいくのです。

2.キリストの働きは限りがない
これを聞いたユダヤ人たちは、主イエスを迫害し始めました(16節)。それに対して主イエスは、父なる神と御自身はともに変わることなく働いていることを明らかにされました(17節)。それに対して、ユダヤ人の主イエスに対する殺意は深まっています(18節)。
神の愛は、常に変わることなく一人ひとりに注がれ、その愛に基づく神の働きは休むことなく、制限されることもありません。そして、十字架に死んで復活された主イエスは、今も変わることなく働き続け、私たちを支えていてくださいます(申命記33章27節)。
私たちは、このように注がれたとこしえの愛に、心を開いて信仰の応答をするのです。

よみがえる人生(2021.11.21)

聖 書

イエスは言われた。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。(ヨハネ11章25節)

礼拝音源(26.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ11章25〜26節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
証し
宣  教 「よみがえる人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
幼児成長祝福式 詩編71編5~6節
賛  美 57 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、さまざまに失うという経験をします。その中で最後に経験するのが、「命を失う」という死に直面することです。その時に、いつまでも残る信仰と希望と愛によって(1コリント13章13節)、よみがえる人生へと導かれたいものです。

1.死を覚えよ
マルタとマリアは、病気のラザロが癒やされることを願って「主よ、あなたが愛しておられる者が病気なのです」と、主が最善をしてくださることを期待して、お任せしようとしました(11章1~6節)。しかしその結果は、愛する者の死という悲しみに直面したのです(同7~16節)。それでもなお彼女たちは、主イエスに「終わりの日の復活の時に復活する」との将来に望みを置いています(同22~24節)。
私たちは、死の現実に対して自らの人生のはかなさを痛感します。その死を覚えつつ、主イエスに望みを置くのです。

2.主イエスを忘れるな
ところで、主イエスは「私は復活であり、命である」と語られたように、十字架において人の罪の問題を解決しくださり、復活されて死の問題に解決を与えてくださいました。この主イエスを信じる者は、死の不安の中にあっても復活の命を与えられ、復活の時によみがえるのです。そして、罪のゆえに永遠の死を恐れる者には、主イエスを信じる今この時に、永遠の命が与えられ、新しく生きるようにされるのです(同25~26節)。
主イエスを信じる私たちは、死から命へと移されたよみがえる人生の歩みをします。その信仰に生きる歩みは、継承されていきます。

変えられる人生(2021.10.31)

聖 書

すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。(ヨハネ5章9節a)

礼拝音源(27.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ5章1~9節
使徒信条 93-4  1A 一  同
証し
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「変えられる人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 456 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

長年病気で苦しんできたひとりの人は、主イエスから「良くなりたいか」と尋ねられたことに応答して良くなり、生まれ変わらせていただきました。このように本気で問いかけられる主イエスは、どのようなお方なのでしょうか。

1. 見出し受け止めてくださる
このひとりの人は、何ともならない倦怠感と挫折感だけが残り(5節)、助けをえられないとの無力感を味わう(7節)日々を歩んでいました。主イエスは、このひとりの人の前に立ち止まり、彼を見られ、その窮状を知って、その悩みと痛みをご自身の身に受け止められました。本気で「良くなりたいか」と語られています(6節)。
心身の弱さだけでなく、人は誰もが罪の惨めさと死の恐れの経験をします。それらから、何とかならないかとあえぎ、諦め、無力感を持ちます。主イエスは、今もその惨めさを抱く一人ひとりを見出して受け止め、愛の眼差しをもって語りかけられるのです。

2. 起き上がらせ新しい歩みを造ってくださる
主イエスは、このひとりの人のすべて受け止め、担うとともに、起き上がらせ、なお深く関わっておられます(8節)。この主イエスの愛するという行動に応答した彼は、瞬時に良くなって、主イエスによって新しい歩みが造られていったのです(9節)。
続いて主イエスは、このひとりの人に「もう罪を犯してはいけない」(14節)と語られています。その罪と死に対する解決は、真実な主イエスと十字架と復活による救いにしかありません。主イエスは、今この時も「あなた」の前に立たれ、「良くなりたいか」と問いかけ、それに応答するように招いておられます。

信仰による望み(2021.10.24)

聖 書

そして、彼もその家族もこぞって信じた。(ヨハネ4章53節b)

礼拝音源(32.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章43~54節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰による望み」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 474 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、十字架と復活による主イエスの救いに与り、今も共に歩まれる主イエスの恵みに与り続け、再臨される主イエスに望みを置いて生きています。ここから生きた信仰が生まれます。その良い例が、「王の役人」にみる信仰でした。

1.主の御言葉を信じて一歩を踏み出す  46~50節
王の役人は、息子が病気で死にかけているという予想だにしなかった深刻な問題に直面していました。そのことに心を支配されていた彼は、主イエスに息子の癒しを繰り返し執拗に「頼んだ」のです(47節)。主イエスは、自分の無力を思い知らされていた彼に対して、冷たい返事をされましたが、彼は懇願し続けました(48~49節)。ついに彼は主イエスからお答えをいただき、「イエスの言われた言葉を信じて帰ったのです」(50節)。
事が思い通りに運ばなかったりすると、信仰がぐらつきやすくなります。王の役人のように、私たちも御言葉に従って一歩を踏み出す信仰が求められます。

2.さらに深く主を信じさせていただく  50~53節
主イエスは、しるしや不思議な業を見なければ信じない人々に対して(48節)、主イエスの御言葉を聞いて信じたサマリアの人たちを見よと言わんばかりに(41~42節)、主イエスの御言葉だけで十分な信仰に導かれることを証しされました(50節)。王の役人は、主イエスの御言葉を信じて帰って行くと、息子が癒されていたことを知り、もう一度「信じた」のです。しかも彼の家族全員の信仰を引き出すという祝福を体験しました(53節)。
信仰の確かさは、私たちの内にある何かでなく、仰ぎ見る主イエスにあるのてす。聖餐の恵みは、望みを抱いて、信仰の吟味をいただく時です(1コリント11章26~28節)。

喜びを共にする(2021.10.17)

聖 書

あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月ある』と言っているではないか。しかし、私は言っておく。目を上げて畑を見るがよい。すでに色づいて刈り入れを待っている。刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、蒔く人も刈る人も共に喜ぶのである。(ヨハネ4章35〜36節)

礼拝音源(27.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編26編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章27~42節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「喜びを共にする」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
長寿祝福・感謝の時
賛  美 459 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、一日を最後の日であるかのように遣わされて生きていくならば、人生を前向きに生きることができます。主イエスが神から遣わされ方であったように(34節)、弟子たちも主イエスに遣わされて生きることを喜びとするように導かれました(38節)。

1.主イエスの喜びを共にする
サマリアの女は、主イエスによって救われた喜びを人々に語らずにはおれませんでした。その証言はサマリアの人々の魂を揺り動かし、主イエスを信じる者とされました(30節、39~42節)。サマリアの女に成し遂げられた父なる神の御業は、主イエスの喜びでした(34節、ルカ15章5~7節参照)。
主イエスは、弟子たちを使命をもって遣わそうとされます。主イエスが福音の種を蒔いてくださり、弟子たちがその福音の実を借り入れことによって「共に喜ぶ」ことを願われてです(35~36節)。私たちには、この喜びを知る生き方に変えられ、その喜びが増し加わっていくことが願われています。

2.同労者と喜びを共にする
主イエスに遣わされた「ほかの人々が労苦し」、主イエスに遣わされた人々が実を刈り入れ「共に喜ぶ」ということは、今日に至るまで続けられています(使徒言行録8章参照)。そこには、同労者として喜びを共にするという恵みがあります(35~38節)。
このことを知るならば、共に感謝と喜びがあり、また自分を誇ることができないと謙虚にならざるを得ません。私たちは、いかなる立場であっても、神の国の建設に仕える喜びを共にするために、遣わされて生きる一人ひとりなのです。

満ち足りた人生(2021.9.26)

聖 書

しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。(ヨハネ4章23節)

礼拝音源(26.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1ヨハネ3章16節ab 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章19~26節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「満ち足りた人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 451
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、すべての人に福音を届けてくださり、救いの道を開いてくださいました。ここでは、その救いの道を私たちがどのように歩み、また生活するかを明らかにされました。

1.実質ある礼拝生活を
サマリアの女は、礼拝の場所の正当性を取り上げました(20節)。それに対して主イエスは、場所に捉われるのではなく、誰を礼拝するのかを「知っている」ことの重要性を語られたのです(21~22節)。そして、聖霊によって新たに生まれ変わらせていただき(3章3~6節)、真理である主イエスによって(14章6節)礼拝を献げることが、実質ある礼拝であることを明らかにされました(23~24節)。
私たちは、このように父なる神が求めておられる礼拝に応答していくことによって、父なる神に養っていただき、満ち足らせていただく歩みを続けるのです。

2.実質ある信仰告白を
実質ある礼拝生活は、主イエスとその救いの御業に信仰の応答をすることから始まります。そして、サマリアの女同様に、「あなたと話しているこの私が、それ(キリスト)である」(26節)ことを知って、主イエスを告白し続けることが必要です。
この時、サマリヤの女は、質的な大きな変化を経験しています。彼女が、主イエスに出会うまでの興味や関心事に勝って、主イエスを知って証ししたのでした(27~30節)。この霊的目覚めは、パウロも経験したことでした(フィリピ3章8節)。私たちが、イエス・キリストご自身を知ることに勝るものはありません。