旧約聖書」カテゴリーアーカイブ

神の記憶、神の記念(2022.8.7)

聖 書

それは、地のすべての民が主の手の力強さを知るためであり、またあなたがたが常に、あなたがたの神、主を畏れるためである。(ヨシュア4章24節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨシュア1章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編122編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア4章1~24節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神の記憶、神の記念」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
8月誕生者祝福 詩編65編5節
賛  美 394 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの日常には、礼拝をはじめとして、神こそが主であることを深く知るための中断される恵みの時が与えられています。それは、主によってヨシュアに率いられた神の民たちが、主によってストップをかけられた時も同様でした(4章1節~5章9節)。

1.主の記憶の中に覚えられていることを知る
ヨルダン渡河は、主の民にとっては驚くほどの喜びの経験でした。それらは全て、「主」の主導によって、ヨシュアや民たちを用いてなされました。このように主に覚えられている恵みを「記念」して(7節)、12部族ごとに川底から石を拾ってギルガルに据え、この石を見るたびに主の恵みを想起したのです。こうして彼らは、「主の手の力強さを知」り、「主を畏れる」ことを証ししたのです(24節)。
私たちは、今も変わらずに永遠の主イエスの記憶の中に覚えられています(ヘブライ13章8節)。私たちのすべての信仰体験は、主から出ているのです(詩編103編2節)。

2.主の記念を覚えて歩む
記念の石は、二ヵ所に立てられました(8~9節)。川の中に立てられた石は、それまでの荒れ野の生活に終止符を打ち、陸地に立てられた石は、これからの歩みを象徴して立てられました。後者のギルガルに立てられた記念の石は、主の救いの御業が確かであることを語っています。これは、今日の洗礼(1ペトロ3章21節)と聖餐(1コリント11章24~25節)の記念をもって信仰生活を整えていただくことに通じます。また、主の生きた証しを語り継ぐことを語っています(21~23節)。
私たちは、主の恵みに触れ続け、福音宣教に備えさせていただきましょう。

生きた信仰(2022.7.17)

聖 書

主なる神、イスラエルの聖なる方はこう言われる。「立ち帰って落ち着いていれば救われる。静かにして信頼していることにこそあなたがたの力がある。」(イザヤ30章15節abc)

礼拝音源(32.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編65編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ書30章15~22節
使徒信条 93-4  1A 一  同
教団信仰告白 (別 紙) 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「生きた信仰」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
入会式
賛  美 510 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イザヤ書が開示する信仰は、臨在信仰に生きることについて大きな示唆を与えます。聖なる主は(15節)、私たちを恵もうと待ち、憐れもうと立ち上がられる公正の神です(18節)。私たちは、いかなる時にもこの主に対する生きた信仰を抱きつつ歩むのです。

1.静かにして信頼する  15節
南ユダ国は、二度の国家的な危機に見舞われました。最初は、アラムとエフライム同盟が攻撃してきた時です。主は、イザヤを通して「気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはならない」(イザヤ7章4節)と告げられ、臨在の主に信頼するように勧められました(同9節、14節)。次は、アッシリア帝国が攻撃してきた時です。主は、「静かにして信頼していることにこそ」(30章15節)と語られ、信仰に立つように勧められました。
「静かにして」とは、主の中に身を沈めるようにして信頼することです(出エジプト14章13~14節、詩編46編9~10節)。そこには、人の信仰の備え(イザヤ37章14~15節、列王記下20章20節)と主の最善の御業がありました(イザヤ37章36~38節)。

2.敏感に応答する  18~21節
それゆえに、信仰者は「主を待ち望む者」(18節)であり、主に「叫ぶ」(19節)者であり、主を「見る」(20節)者であり、主が「語る言葉を聞く」(21節)者となるのです。とりわけ、主に導かれて右に行こうが左に行こうが、「これが道だ、ここに行け」と羊飼いである主の「背後から」の声に敏感に聞き従って行くのです(21節、詩編23編4節)。
私たちは、特別な選択を迫られる時だけでなく、日常生活のあらゆる場面において、主が語られる御言葉に敏感に応答していく生きた信仰者であらせていただきましょう

勝利への道(2022.7.10)

聖 書

主はヨシュアに言われた。「今日、イスラエルのすべての人々の目の前で、あなたを大いなる者とする。私がモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、彼らが知るためである。(ヨシュア記3章7節)

礼拝音源(33.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア記3章1~17節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「勝利への道」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 507 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

大いなる救いの計画をお持ちの主は、主の民を出エジプトからヨルダン渡河そして約束の地への旅を導かれました。臨在の主に導かれて、一つになって進みました(民数記9章18節)。その勝利の道を可能にしたのは、主の恵みと民の信仰によりました。

1.勝利の保証
水量が増し、流れの速度が速くなる時期のヨルダン渡河でした。主は、恵みをもってこの道を導かれたのです。祭司が担ぐ「主の契約の箱」は主の臨在のしるしであり、彼らが民を先導して足が水につかるや川の流れがせき止められ、川の真ん中に立ちとまっている間中民たちは渡河したのです。
このように、臨在の主は御自身の民を導かれ、途中でその導きを放棄される方ではありません。しかも、「今までに一度も通ったことがない」(4節)未知の道を進む時にも、思いがけない方法を用いて道を開かれるのです(マタイ28章20節)。

2.勝利の条件
ですから、この臨在の主に従えばよいのです。ヨシュアを通して祭司たちに命じられ(3節、8~14節)、それに民が従ったのでした(14~17節)。奇跡が起きたから渡河したのではなく、主とその御言葉に対する信仰に伴う従順によりました。

さらに、「身を清めなさい」(5節)とあり、生活上の外的な清めという以上に、内的な清めが求められます。すなわち、罪と汚れから清められ続け(1ヨハネ1章7~9節)、主の前に謙って、主に全く信頼し続けることです(ヘブライ12章1~2節)。
臨在の主は、常に先頭に立って、道を示し、切り開いてくださるお方です。

信仰によって(2022.7.3)

聖 書

信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た者たちを穏やかに迎え入れたので、不従順な者たちと一緒に滅びることはありませんでした。(ヘブライ11章31節)

礼拝音源(34.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編100編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編42編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア記2章1~24、
ヘブライ11章31節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰によって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
7月誕生者祝福 箴言3章5~6節
賛  美 458 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」(ヘブライ11章6節)。主なる神への信仰を持って、信仰によって生きることは、何にもまして大切なことです。「信仰によって、遊女ラハブは」、どのような信仰を抱いていたのでしょうか(同11章31節)。

1.聴従する信仰
ヨシュア記は、主の約束に立って、主の恵みにより、信仰をもって従っていく者たちの信仰の戦いの歩みを証言しています。
ラハブは、二人の偵察者をエリコの追っ手から逃れさせようとしました(1~7節)。彼女は、目撃者ではありませんが、神の民の出エジプト以来の神による勝利を聞いていましたし、カナンの地を主が与えておられることを知っていました(8~11節)。
ラハブの信仰は、主とその御言葉を聞いて、自らの全存在をかけてそれに従ったのでした(詩編40編7~8節)。そこに、異邦人のラハブに、救いの道が開かれたのです。

2.踏み込む信仰
主とその御言葉に聴従したラハブは、主の中に踏み込んでいく行動となった信仰でした。それは、ヨシュアたちが「足の裏で踏む」ことと同じ信仰に基づいた行動でした。ラハブは、瀬戸際に立たされたところで、大胆に信仰に立って行動したのです(4~7節、12~16節)。こうして、ラハブの信仰は生きたものとなりました(ヤコブ2章25~26節)。
なおラハブは、深紅のひもを約束として、その約束をしてくださった主を信じて救いに与りました(17~21節)。私たちは、主イエスが十字架を通して救いを成就してくださったことを信じ、主の中に踏み込む信仰の歩みをするのです。

 

一つになって(2022.6.26)

聖 書

主があなたがたと同様に、同胞にも安息を与え、あなたがたの神、主が与える地を彼らに継がせるためである。(ヨシュア1章15節a)

礼拝音源(30.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨエル3章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編96編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア1章10〜18節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「一つになって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 411 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主から委ねられた使命は、モーセからヨシュアと神の民へと展開されていっています(1章1~9節)。このように、主は今日にいたるまで、またこれからも、主の使命を神の人また神の民を信頼して委ねられるのです。

1.主とその御言葉に信頼する
ヨシュアが主とその御言葉の約束を信頼して従ったところに、主の臨在の確かさがありました(7~9節)。そして、神の民たちも「皆立ち上がり」(2節)、主とその御言葉に信頼して従ったときに、主の臨在の確かさがありました(16~17節)。
この後、ヨシュアと神の民が御言葉から離れずに御言葉に従っていったところに、ヨルダン川があり、山地があり、エリコがありましたが、主は道を開かれ、勝利を与え、祝福をもたらされました(11章15節)。
主は、福音宣教において同じようにして展開されていきます。

2.主の民と協同する
神の民が、主の約束の地に入っていくために食料の準備をするように命じられました(10~11節)。主は整えられた民の行動を通して、その地を得させなさいます。また、ヨルダン川の東側に住む二部族半の勇士も結束してヨルダン川を渡って他の部族の人を助け、共に安息のともなった祝福を受けることが命じられています(12~15節)。そこには、民全体の承認と同意と服従の表明がありました(16~17節)。
主の群れを通して主の使命が遂行されていくとき、主の僕と協同する信仰の仲間を用いられます。福音は、このように一つになって宣証されていくのです。

 

聖霊による祝福(2022.6.5)

聖 書

私はあなたの子孫に私の霊を あなたの末裔に私の祝福を注ぐ。(イザヤ書44章3節b)

礼拝音源(25.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 使徒言行録1章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ書44章1〜5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖霊による祝福」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
6月誕生者祝福 ガラテヤ5章25節
賛  美 343 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イザヤ書は、神の民がバビロン捕囚から解放されて、神の救いの慰めに与ることが語られています。そこには、やがてイエス・キリストの初臨から再臨に至る救いの全貌が預言されており、永遠の聖霊がどのように臨まれるかを明らかにしています。

1.主の御業を成し遂げられる
主は、御自身が選び、造られた民の罪を消し去り、罪を想い起すことなく、罪を消し去り贖われます(43章25節、44章1~2節、22節)。そして、聖霊を子孫にまで注いで祝福され(44章3節)、新しい命を生みだし(同4節)、「主のもの」とされます(同5節)。この聖霊による御業は、出エジプトを通しての神の救いと約束の地に導かれるときにも成し遂げられたことでした(63章10~14節)。

私たちが主イエスによる永遠の救いに与らせていただいているのは、聖霊によってです。今も間断なく注がれている聖霊に私たちが満たされることにより、私たちは活性化され、主の御業は進められていきます(32章15節)。

2. 主の御言葉と一体となって働かれる
聖霊は、聖書の御言葉を用いて、御言葉と結びついて一体となって語りかけてくださいます(59章21節)。御言葉が働くときには、聖霊がその人のなかに働くのです。聖霊が一人ひとりに注がれ、一同が聖霊に満たされたとき、主イエスの福音が語られました。そして、主の救いの御業と教会の歩みが展開されて行きました(使徒言行録2章)。

私たちが聖霊と御言葉によって生かされ続け、聖霊と御言葉の器として生き続けているところに、教会が造られていくのです。

 

 

強く、雄々しくあれ(2022.5.22)

聖 書

強く、雄々しくあれと、私はあなたに命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行っても、あなたの神、主があなたと共にいるからだ。(ヨシュア1章9節)

礼拝音源(25.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エフェソ5章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編100編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア1章6〜9節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「強く、雄々しくあれ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 新聖歌486 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主は、ヨシュアと共に歩んでくださる支えと導きの中で、「強く、雄々しくあれ」(6節、7節、9)と励ましておられます。主は、ヨシュアが弱さを感じ、おびえていたことを見通しておられたからです。

1.主が導かれるから
主が与えていてくださる約束の地に導かれることは、かつてモーセを通して語られていたことでした(申命記31章7~8節)。モーセと共に歩まれた主の導きは、絶えることがなく、誤りはありませんでした。神の民の弱さを見抜いておられた主は、回り道と思われる中を通されました(出エジプト13章17~22節、民数記9章15~23節)。それは、ヨシュアに対しても同様で、主が共に歩まれる導きは確かなことだったのです(5節、9節)。
主が共におられる導きを必要としない人は、ひとりもいません。教会も主の導きを必要としています。皆が、それに従えるように招かれているのです。

2.主の導きに従えるように
それゆえに、導き主がモーセを通して命じられた「律法」の教えや戒めを守り行い、それからそれることなく歩み続けることが祝福を受けるために大切なことでした(7節)。それは、御言葉を蓄え続け、思い巡らし、喜んで従っていくことでした(8節、申命記6章6~7節)。
ヨシュアは、主の導きに従うことができるように主が共におられたので、「成功をおさめ」祝福されたのです(8~9節)。同様に私たちは、世に勝利されている主が共にいてくださるので、主によって勝利者とされるのです(ヨハネ16章33節)。

 

新しい時代の始まり(2022.5.15)

聖 書

あなたの命の続くかぎり、誰一人あなたの前に立ちはだかる者はいない。私がモーセと共にいたように、私はあなたと共にいる。あなたを見放すことはなく、あなたを見捨てることもない。(ヨシュア1章5節)

礼拝音源(29.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ4章23節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編29編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア1章1〜5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しい時代の始まり」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 467 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「ヨシュア記」は、モーセからヨシュアに信仰とそのあり方が継承されていくことを語っています。「私の僕モーセは死んだ」(2節a)との書き出しは、新しい時代の転換点となったことと、信仰者とその群れがだれと共に歩むかを明らかにしています。

1.人と共に歩む  1~4節
「モーセの従者」ヨシュアは、モーセに仕えることを通して恵みの経験をし(出エジプト33章11節)、失敗の経験もしました(民数記11章28節)。このように、モーセと共にいたことで、単なる知識の受け継ぎでなく、人格的な信仰の交わりに与ったのです。それは、主イエスの弟子も同じ経験をしています(ルカ10章1節、ヨハネ13章34~35節)。
そして、ヨシュアは「あなたとこの民は皆立ち上がり」と語られたように、神が約束され与えていてくださる恵みの世界に進んで行きました(2節b~4節)。その信仰の一歩は、信仰の戦いを神の民と共にする歩みとなったのです。

2.主と共に歩む  5節
主はモーセと共におられたように、ヨシュアと共におられました。この主の臨在は、この後ヨシュアと神の民が山積みする困難や問題の中を通されても、恐れや不安が支配する中にあっても変わりませんでした。
「御顔(臨在)こそ、わが救い」(詩編42編6節)とあるように、主は御言葉に立って歩む信仰者の方を向いて、顧み、恵みを注ぎ続け、祝福と力の源となってくださいます。
私たちは、主イエスから使命を受け継いでいます(マタイ28章19~20節)。そこに立つ度に、「いつもあなたかだと共にいる」との主イエスの約束を喜び味わうのです。

 

間違いのない憐れみの主(2022.5.8)

聖 書

女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎内の子を憐れまずにいられようか。たとえ、女たちが忘れても私はあなたを忘れない。(イザヤ49章15節)

礼拝音源(32.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ガラテヤ3章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編27編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ49章14〜16節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「間違いのない憐れみの主」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 11 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

母親は、自分の子どもを体をはって愛します(ルカ2章48節)。そこには、憐みの主の御心を思わせるものがあります。ところで、私たちは、憐れみの主がどのような方であり、その憐れみが今も変わらずに注がれていることを知ることが大切です。

1.決して忘れることのない方
70年のバビロン捕囚の経験をするイスラエルの民は、虚無的になりました(14節)。そこで、憐れみの主は、主に忘れられ捨てられたと思い込む彼らに、手を替え品を替えて励まされます。母親が忘れるようなことがあっても、主は決して忘れることはなさいません(15節)。主は御自身の手の中に御自身の民の名を刻み込むようにして、どこまでも守られます(16節)。
主イエスが「私は、あなたがたをみなしごにはしておかない」(ヨハネ14章18節)と語られたように、私たちは主の前で忘れられてはいないのです(ルカ12章6節)。

2.贖ってくださる方
主が御自身の民を決して忘れなさらないのは、主が「贖い主、聖なる方」(49章7節)だからです。贖いの主は、他者に渡ってしまっていたものを再び代価を払って買い戻して御自身のものとされるのです(イザヤ書43章1節)。
私たちは、主イエスの十字架の贖いによって、永遠の滅びから永遠の救いにあずかった者です。ですから今、主イエスの十字架を仰ぎ見て立つのです。さらに今、主イエスの十字架の側近くに立って、母と子の関係のみか互いの新しい関係を造っていただくのです(ヨハネ19章26~27節)。そして、主の憐れみを受けつつ歩むのです。

歓喜、歓喜、歓喜(2022.1.2)

聖 書

そのように、私の口から出る私の言葉も空しく私のもとに戻ることはない。
必ず、私の望むことをなし私が託したことを成し遂げる。(イザヤ55章11節)

礼拝音源(28.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書43章18〜19節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編96編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編100編1〜5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「歓喜、歓喜、歓喜」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 17 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神の民の礼拝において用いられてきたのが、詩編100編です。神が命じておられることは(1~2節、4節)、どこまでも神の恵みによるものでした(3節、5節)。それへの信仰の応答は、「喜び」と「感謝」が鍵語となって展開されています。

1.喜びと感謝をもって賛美をささげよ
神の民は、喜びと感謝をもって主を賛美し礼拝をささげています(1節、2節b、4節)。この喜びと感謝は、神の恵みとして与えられるものです。そして、その歓喜の極致が「主こそ神と知れ」とあるように、体験的に主を知ることです(3節a、詩編22編4節参照)。
主は、御自身の御心が現わされるように人を造られ、主のものとされ、主の民として導かれます(3節bcd、エフェソ2章8~10節参照)。そこから生まれる歓喜は、口先だけのものではなく、喜んでささげる感謝となって具体的に表されます(4節)。ここに、天の御国を味わうことのできる豊かな人生が展開されていくのです。

2.喜びながら主に仕えよ
詩編100編は、神の民がバビロン捕囚から解放され、神殿が再建され、礼拝が回復された歓喜を歌っています(詩編126編1~3節参照)。つまり彼らの歓喜の根拠が、神御自身とその救いのにあったのです。その応答としての生き方が、礼拝者として「喜びながら主に仕え」ることなのです(2節a)。
「喜びながら主に仕え」の後に続く何かは、私たち一人ひとりと教会が祈りつつ、創造的に考え、具体的に生み出されていくことが求められています。

 

神の言葉のすごみ(2021.12.26)

聖 書

そのように、私の口から出る私の言葉も空しく私のもとに戻ることはない。
必ず、私の望むことをなし私が託したことを成し遂げる。(イザヤ55章11節)

礼拝音源(25.9MB)
※申し訳ございません。データが途中で終わっておりました。
修正分をアップしております。よろしくお願いいたします。

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書60章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編103編1〜5節
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ55章8〜13節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神の言葉のすごみ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 54 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

最初のクリスマスを経験した人々は、神の言葉を聞いて受け入れ、その事実を担いました。それは、人が想像した以上のことが神によって成されるという、神のすごみとも言えることでした。私たちも同様に、その神の救いの御業に与る経験をするのです。

1.人の思いや道を超えて  8~9節

イザヤを通して、バビロン捕囚から解放される神の救いの預言がなされています。憐れみの神は、御自身の民を回復させるために、恵みの招きをされています(55章1~7節)。

この神は、御自身と思いや道と人の思いや道とを比較されながら、人がそれを簡単に把握したり、理解したり、納得したりできないほどのものであると語られます(8~9節)。

したがって、神が私たちを導いておられるとの畏敬の念を抱き、神への信頼へと堅く立たせていただくことが必要です。神の思い・御計画・みこころは、私たちには計り知れないものがあるのです。

2.神の言葉を成し遂げられる  10~11節

神は、御自身の思いや道を「私の口から出る私の言葉」とある神の言葉を通して明らかにされます。神の言葉には、御自身のお考えや御計画が込められており、それを人が受け入れるならば、御言葉が持つ救いと命と力がその人の現実となっていくのです。

イザヤ書には、イエス・キリストによって成し遂げられた救いの御業と人の真相が語られています。その御言葉を信じ受け入れ、信頼して歩み出すならば、私たちが祈り願った以上のことを実現させてくださる神のすごみを経験するのです。そこに、絶えることのない歓喜と祝福があるのです(12~13節)。

 

大いなる見もの(2021.11.14)

聖 書

すると、柴の間で燃え上がる炎の中に、主の使いが現れた。彼が見ると、柴は火で燃えていたが、燃え尽きることはなかった。(出エジプト3章2節)

礼拝音源(41.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨエル3章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編16編
会衆祈祷 一  同
聖  書 出エジプト記3章1〜12節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「大いなる見もの―燃える柴―」 工藤弘雄師
祈  祷
賛  美 新聖歌409 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

燃える柴!何と大いなる光景でしょうか。もろく、燃えやすく、価値なき柴が燃え続けるとは!これこそ神の民の象徴、憧れ、幻です。モーセはこれに生きました。大いなる見もの!その燃える柴に見るクリスチャンとはどのようなキリスト者でしょうか。

1、火を受けたキリスト者
火がすべてを焼き尽くし、輝かせ、燃え上がらせるように、第1にすべての罪、汚れを十字架の祭壇で聖霊の火により焼き尽くされ、第2に焼き尽くされたゆえに聖霊の臨在に輝き、第3に聖霊により救霊と愛のわざに燃えるキリスト者と言えるでしょう。

2、履き物を脱いだキリスト者
靴を脱ぐ!それは何を意味するでしょうか。第1に権利の譲渡です。モーセもヨシュアも主の前で靴を脱ぎ、主に全権を明け渡しました。第2に主に下駄を預けるように主を全く信頼することです。第3に僕になりきり主を拝し、主に栄光を帰すことです。

3、神の重荷をわが重荷とするキリスト者
モーセはここで神のはらわた、重荷、痛みを知らされました。第1に同胞の苦しみをつぶさに見、第2に同胞の叫ぶ声を聞き、第3に同胞の痛みを確かに知りました。主はカルバリーまで降られました。行けモーセ!モーセはエジプトに遣わされたのです。

聖霊の火を受け、主の前に靴を脱ぎ、救われていない同胞への神の重荷を持っていますか。バックストン、ウィルクス、澤村、小島、本田先生方は燃える柴の存在でした。「バックストンの流れ」(別紙プリント参照)に生きる私たちも燃える柴となりましょう。

魂を生き返らせてくださる神(2021.11.7)

聖 書

主は私の魂を生き返らせ御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。(詩編23編3節)

礼拝音源(27.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エフェソ5章14節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編121編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編23編1~6節
1ペトロ2章24〜25節
使徒信条 93-4  1A 一  同
証し
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「魂を生き返らせてくださる神」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
11月誕生者祝福 1ペトロ1章3節b
賛  美 226 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

信仰の先輩たちは、何を信じ、どう歩んだかを知って、それに倣って生きることが大切です。その人たちに共通していることは、神に信頼する歩みをされたことでした。その神は、「魂を生き返らせ」てくださるお方です(詩編23編3節)。

1.魂を癒やしてくださる
羊飼いにたとえられている主なる神は、不安・疑い・恐れ・疲れを経験する私たちに、必要なものを備えて与え、共に歩み、危険から守り、勝利を与え、憩わせてくださるお方です(詩編23編1~4節)。そして、豊かに溢れるほどの恵みと慈しみをもって、喜ばせてくださるお方です(同5~6節)。
そのために、「魂の牧者であり監督者(見守る方)」である主イエスは、私たちの魂を最も傷つけている罪を十字架によって赦し、魂を癒やし、主のもとに立ち返らせてくださったのです(1ペトロ2章24~25節)。私たちは、十字架の主に信頼するのみです。

2.絶えず主のそばに導いてくださる
「私は乏しいことがない」とは、万事が思うように都合よくいくといった時ばかりではありません(詩編23編1~2節)。時には「死の陰」と思われる恐れを経験したり、「苦しみ」に出会ったりします(同4~5節)。
しかし、主はいつもご自身の面子にかけて、必ず「正しい道」そして勝利の道へと導いてくださいます(同3節)。「あなたは私と共におられる」と、主の臨在こそが私たちの救いです(同4節)。主イエスがいつまでもそばにいて寄り添い、その恵みと慈しみの確かさ、深さ、強さをもって導いてくださるからです。

黙示録とデジタル世代(2021.3.14)

聖書

見よ、私は新しいことを行う。今や、それは起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。確かに、私は荒れ野に道を荒れ地に川を置く。(イザヤ43章19節)

礼拝音源(27.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編51編19節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編29編
会衆祈祷 一  同
聖  書 黙示録11章7~13節
イザヤ43章19節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 579 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「黙示録とデジタル世代」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 463 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

1.ヨハネの黙示録と掛けてデジタル世代と解きます
言葉には、使う人の地域性、考え方、価値観等が表れます。生まれた時からインターネットが普及していた世代は、デジタルネイティブやZ世代と呼ばれています。便利だけど不景気の中に育った、最新の世代です。私達は世代が異なると文化の違いから、理解できず、戸惑い、批判する事が多くなります。
信仰継承から、現代用語を使ったメッセージをしてきましたが、その用語を使っていると思っていた方から、意味を知らないと言われた事がありました。予想外に世代が短く分かれていることに驚きました。新しい言葉が次々と出て来る様に、新世代も次々と現れ、お互いの理解と伝えることが難しくなっています。
黙示録は難解だと言われ続け、以前は11章9節を見て、世界中の人が同時に見るということを理解されず、あり得ない事だと言われていました。

2.その心は
理解が難しいかもしれませんが、聞けばきっと解かるでしょう。
黙示録は研究が進み、良書も増えているようです。信仰を持って神の言葉に耳を傾けるとき、聖霊によって教えられます。デジタル世代や異なる世代の人は、生きて目の前にいます。聞く耳さえあれば、解らない事は聞く事ができます。そして、解りあえたとき、共に信仰に生きる事ができるのではないでしょうか。
私たちには不可能と思えることを、神は新しい事として実現します(イザヤ43:19)。神の言葉にも、人の言葉にも、耳を傾ける事が大切です。

すべての人の避けどころ(2020.9.20)

聖書

神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
(詩編46編2節)

礼拝音源(25.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編68編20~21 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 121編1~8節
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編46編1~12節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 57 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「すべての人の避けどころ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 484 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神は、天地を創造され、人を救い、歴史の中で力を示し続けてこられました。そして、人が苦しみ悩む中において逃れ場のようになってくださり、必ずそこにおられて助けてくださいます(1節)。それが、イエス・キリストにおいて明らかにされました。

1.恐れを経験する中での逃れ場
人は、危険から身を避けて、安心して身を寄せることのできる逃れ場を必要としています。人生や世界の危機によって、揺れ動き混乱し不安に陥るとき、神がわたしたちの避けどころとなってくださるので、「わたしは決して恐れない」者としてくださいます(3~4節、7節)。
人生の嵐に遭遇するときの恐れのとき、罪の力と罪がもたらす良心の呵責からくる恐れのとき、死と死後の審きに対する恐れのときの逃れ場は、イエス・キリストの十字架と復活によってもたらされた救いにあります。

2.信頼を置くべき神
私たちは、そうした恐れの中にあっても、神がおられるので動揺することがないのです(5~6節)。そして、力に満ちた主が私たちと共におられるので(8節、12節)、神にしがみつき、信頼を置くのです。十字架に死んで復活してくださったイエス・キリストが共に歩み続けてくださいます。
ですから、私たちは、自分の思いや考えや生き方を貫くことを捨てて、イエス・キリストが自分自身の救い主であることを知ることです(11節)。そのイエス・キリストを信じるとは、主が成し遂げてくださった救いの御業を仰ぎ見ることです(9節a)。