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勝利への道(2022.7.10)

聖 書

主はヨシュアに言われた。「今日、イスラエルのすべての人々の目の前で、あなたを大いなる者とする。私がモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、彼らが知るためである。(ヨシュア記3章7節)

礼拝音源(33.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア記3章1~17節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「勝利への道」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 507 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

大いなる救いの計画をお持ちの主は、主の民を出エジプトからヨルダン渡河そして約束の地への旅を導かれました。臨在の主に導かれて、一つになって進みました(民数記9章18節)。その勝利の道を可能にしたのは、主の恵みと民の信仰によりました。

1.勝利の保証
水量が増し、流れの速度が速くなる時期のヨルダン渡河でした。主は、恵みをもってこの道を導かれたのです。祭司が担ぐ「主の契約の箱」は主の臨在のしるしであり、彼らが民を先導して足が水につかるや川の流れがせき止められ、川の真ん中に立ちとまっている間中民たちは渡河したのです。
このように、臨在の主は御自身の民を導かれ、途中でその導きを放棄される方ではありません。しかも、「今までに一度も通ったことがない」(4節)未知の道を進む時にも、思いがけない方法を用いて道を開かれるのです(マタイ28章20節)。

2.勝利の条件
ですから、この臨在の主に従えばよいのです。ヨシュアを通して祭司たちに命じられ(3節、8~14節)、それに民が従ったのでした(14~17節)。奇跡が起きたから渡河したのではなく、主とその御言葉に対する信仰に伴う従順によりました。

さらに、「身を清めなさい」(5節)とあり、生活上の外的な清めという以上に、内的な清めが求められます。すなわち、罪と汚れから清められ続け(1ヨハネ1章7~9節)、主の前に謙って、主に全く信頼し続けることです(ヘブライ12章1~2節)。
臨在の主は、常に先頭に立って、道を示し、切り開いてくださるお方です。

敗者復活の福音(2014.4.27)

宣教:川原﨑 晃 牧師
聖書:ヨハネ16章33節 1ヨハネ5章5節

福音という言葉には、味のある響きがあります。福音は、誰もが聞かなければならないものです。そして、福音を聞いたなら、心を開いて受け入れ、福音に生きることが大切です。この福音の本体は、イエス・キリストご自身です。

1.「負けの味」を知り尽くしていてくださる
私たちが「世に勝つ」ことを願うのは、「世で苦難がある」中に、負ける経験を踏むからです。失敗する、負けるということは、挫折感や敗北感がつきまと い、恥をかいたり、面子もなくなったりします。誰も敗北者になることを好みません。さらに、強くなったら負けない、一生懸命やれば失敗しない、この信心を していたら不幸にならない、信仰をもったら苦しみはなくなるなどと考えがちです。
さて、キリストご自身が、地上の生活のスタートから十字架の死に至るまで、苦しみの連続でした。これを神の大失敗と言う人がいますが、キリストは、人が 経験する苦難や罪や死といったことを知り尽くしてくださったのです。そのような経験をする私たちのところに、キリストがおられるのです。

2.「勝ちの味」を経験してくださった
キリストの救いは、敗者復活の福音です。キリストが捕らえられて十字架に架けられて殺されてくださったお姿は、人の目には敗者としか映らなかったでしょ う。しかし、神の前に立つ私たちは、罪と不信仰の結果、当然神の怒りに触れて滅びへと向かう者でしかなかったのです(ルカ23章41節)。そんな私たちを 救うために、キリストは、苦しみと痛みと辱めのどん底から復活されて勝利者となられたのでした。このようにして、キリストは、勝ちの味を経験されたので す。
それは、私たちが苦難に勝ち、罪に勝ち、死に打ち勝つ勝利者とされるためでした。これは、「イエスが神の子であると信じる者」が与ることのできる勝利で す。それは、私たちがキリストに結ばれて生きるときに、キリストが勝利されたことを共に経験するのです。ここから、「勇気を出しなさい」との人生が始まる のです。

勇気ある日々(2014.2.2)

宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖書 : 使徒言行録23章6~11節

キリストは、十字架の受難を前にして、弟子たちに「しかし、勇気を出しなさい」(ヨハネ16章33節)と語られ、また宣教の前進を命じられるなかから、パ ウロに「勇気を出せ」と語っておられます(使徒言行録23章11節)。キリストは、今日の私たちにもキリストを信頼し続けて生きる勇気を必要としておられ ます。

1.苦難の中にあって
キリストは、私たちに「世で苦難」を経験することを避けるようにとは言われませんでした(ヨハネ16章33節)。その苦難には、試練があり、嘆きもあり、闘いもあるでしょう。それによって、キリストのものとされた信仰者が、整えられ、造り上げられるのです。
同様に、教会も苦難を経験することによって前進してきました。パウロは、キリストを証しすることが最も難しいと思われたユダヤの最高法院の議員たちに対 して、キリストが救い主であることを証しするチャンスを与えられました。しかも、彼は不思議な方法で、危機一髪のところで助け出されました(使徒言行録 23章6~10節)。伝道の画期的な展開は、迫害などの危機の中で推進されていくのです。

2.主の勝利に与る
私たちは、世にある苦難にあっても、キリストの十字架と復活によって明らかにされた究極的な勝利に与っています(ヨハネ16章33節)。それは、私たち の罪と死という最大の敵に対する勝利です。従って、勇気を出すとは、このキリストの勝利に信仰によって与ることなのです。
さて、パウロは、願っていた通りに最高法院においてキリストを証しできたことにより元気づけられました。にもかかわらず、その夜、勝利の主がパウロのそ ばに立たれて、エルサレムでと同じように、ローマでもキリストを力強く証しすることが必ずできると語られたのです。伝道の画期的な展開は、キリストの臨在 の確かさの中で推進されていくのです。私たちは、ただキリストに信頼し(マタイ14章27節)、勇気ある日々を歩ませていただくのです。