メニュー 閉じる

2019年7月22日

神の匠のわざ(2019.7.21)

宣教題 「神の匠のわざ」       宣 教  川原﨑晃主管牧師 
聖 書 エフェソ2章1~10節

 本箇所では、キリストを信じるようになる前(Before)と、キリストを信じるようになった後(After)の違いを、対比して見せています。そこには、神の匠としての見事な恵みのみ業が明らかにされています。

1.どんなにひどい状態であっても   1~6節
 私たちのキリストを知る以前について明快に語っています。「以前は自分の過ちと罪のために死んでいた」(1節)のであり、将来の望みがない状態でした。それは、この世の価値観だけに基づいて「過ちと罪を犯して歩んでいた」のであり(2節)、肉の欲、肉の思いに基づく生き方を追い求めていたのでした(3節)。
このように死んでいた私たちは、「神の怒りを受ける」ばかりの状態でした。
 「しかし、憐み豊かな神は」、怒りによって裁くことをせず、滅ぼすことをせず、その愛ゆえに独り子イエス・キリストを遣わして救いの道を備え、新たに造り変えてくださったのです(4~6節)。神の恵みだけがそれを可能にしました。

2.どんなに見事な神の作品に   4~10節
 神の救いは、キリストにおいて成し遂げてくださった恵みの働きによって実現しています(5~6節)。神の愛と憐みのゆえに、死んでいた者が生きる者とされたのです。このように「救われたのは恵みによる」のであり、救いへの途上にあるのでも、救いのために努力しているのでもなく、救われた者として苦闘しているのです。この神の恵みは、信仰を通して私たちに働くのです(8~9節)。

 このようにして、「わたしたちは神に造られた」神の作品であり、神が備えてくださった「善い業を行って歩む」のであり(10節)、キリストに結ばれた者としてキリストを現わし続けていくのです(7節)。誇るならば、この神のみ業を!

聖書朗読(0.9MB)

メッセージ(13MB)