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試練の中での喜び(2015.1.18)

宣教題  「試練の中での喜び」           宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  1ペトロ1章6~9節
聖書は、試練は逃れるべきものではなく、積極的に受けとめ、それを生かし、そこから希望を見つめていくことを勧めています。ペトロは、試練を経験している人たちと喜びにおいて一つとなり、喜びに支えられていることを語っています(6節、8節)。その喜びは、どこから生まれてくるのでしょうか。
1.神の栄光にあずからせていただいているから  6~7節
ペトロは、神からの生き生きとした希望、天に蓄えられている財産、準備されている救いの恵みの偉大さに圧倒されています(3~5節)。彼は、それにあずかっている喜びを人々と分かち合いたいと願っています(6節a)。
一方、ペトロは、必然としての、今しばらく間の、色々な試練という現実にも人々の目を向けさせています(6節b)。その試練は、決して不必要であり、無駄であるというものではありません。なぜなら、その試練のただ中にあって、信仰が試されることによって純粋な信仰が残こり、キリストの再臨のときに神の栄光にあずからせていただけるからです(7節)。
試練と悩みは切り離すことができません。しかし、キリストご自身が私たちの悩みを共感してくださり、私たちの傍らで支えていてくださるのです(ヘブライ4章15節)。
2. 魂の救いを受けているから  8~9節
このようにペトロは、キリストが再臨されるときに神の栄光にあずからせていただけるという救いが、いかに確かなものであるかを知っていました。さらにペトロは、キリストを直接に見ていない人々が彼と同じようにキリストの確かな救いにあずかって、キリストを愛し、キリストを信じ、歓喜していることに感動しています(8節)。それは、彼らがキリストによる全人格的な救いをいただいていたからであって、彼らの信仰の実りによるのです(9節)。
このように、試練の中にあっても、キリストに自分の全存在をゆだねることによって歓喜が生まれてきます。私たちの教会は、試練の中で、喜びに満ちあふれた力ある信仰者の群れであらせていただきましょう。