日別アーカイブ: 2012.12.09

導く星(2012.12.9)

宣教題  : 「導く星」   宣教:   川原﨑 晃 牧師
聖    書  : マタイによる福音書 2章1節~9節

占星術の学者たちは、神が備えられた星の導きを受けて(民数記24章17節)、遠い道を旅し、ついに神の御子に出会うことができました。私たちの人生が、星という一時的に現れるものにではなく、いつも共におられる神に導かれることほど大切なことはありません。それによって、私たちの人生に新しい歩みが始まるのです。

1.神の導きは確かである
学者たちは、まだ真の神を知ることのない暗い世界に生きていました。それだけに、求めることにおいて熱心であり、真剣であり、切実であったと思われます。彼らは、特別な星の動きを自分たちの知恵や力によって判断してエルサレムまで導かれたのですが、そこには限界があって行き詰ってしまいました。彼らが御子イエスの誕生地ベツレヘムに導かれるのには、神の御言葉による導きが必要だったのです。
神の導きとその御言葉に対する信頼と服従に生きるときに、神は大いなる喜びをもって報いてくださいます。そこには、神が共におられるという確かさ、神の導きに誤りがないという確かさ、神の御言葉は偽ることがないという確かさがあるからです。私たち一人ひとり、教会、そして世界は、この神の導きを必要としているのです。

2.神の導きの中を歩み続ける
学者たちは異邦人でしたが、ひたすら神に向かう姿勢をもって、その導きに従う人たちでした。彼らには、神の御子イエスに出会う確信と喜びがありました。それに対して、エルサレムの人々は、ヘロデ王に対する恐れのゆえに、将来に不安を覚えました。祭司長や律法学者たちは、聖書知識を駆使して神の御子の誕生地を見出したものの、無関心で冷淡な態度をとりました。ヘロデ王にいたっては、ユダヤ人の王の座を奪われるのではとの不安から、憎悪の念に駆られたのです。
私たちは、神に対する無関心、冷淡、憎悪といった態度でいるのではなく、神の御子イエス・キリストの救いに与かる歩みを始めることが大切です。この神の救いと導きの中を歩み続けることは、人生の様々な不安や罪と死の恐れが取り除かれ、喜びに変えられる歩みとなるのです。これこそ、学者たちと同じ歩みなのです。