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神の慰め

大きな慰め(2020.9.13)

聖書

イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。(ルカ23章46節)

礼拝音源(26.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編68編20~21 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 62編1~13節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ23章44~56節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 464 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「大きな慰め」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
洗礼式 (第二礼拝) 67
長寿祝福・感謝の時
賛  美 528 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

この箇所は、主イエスの十字架の最後の場面です。その主イエスの十字架による救いは、歴史と世界に大きな変化をもたらしました。それは、イスラエルだけではなく、全ての人にもたらされた大きな慰めです(ルカ2章25節)。

1.新しい生きた道が開かれたから  44~46節

神の御子が失われるということは、全世界を暗黒に追い込むことでした(44節~45節a)。しかし、「神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた」(45節b)ことに表されているように、主イエスは十字架の死をもって、神と人との間のあらゆる隔てを撤廃してくださり、その交わりを回復してくださったのです。

そして、「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」(46節)と、主イエスは父なる神に御自分の全てを委ね切られました。それゆえに、誰でも神に近づく新しい生きた道が開かれたのです。私たちは、この主イエスに揺るがない信頼をおくのです。

2.新しい神の御業が始まるから  47~56節

主イエスの十字架によって、神の救い、神の恵みの御業が始まりました。百人隊長は、神を信じなかった者でしたが、神を信じ始めるようになりました(47節)。群衆たちは、胸を打ちながら、自分たちの至らなかったこと、間違っていたことを認め、罪深さを知らされ、悔い改めへと導かれました(48節)。ヨセフという議員は、主イエスの御姿と御言葉に接し、心が変えられ、勇気ある人に変えられました(50~54節)。

主イエスの十字架によって、私たちの全ての闇が光へと移し変えられました。ここに、私たちの慰めがあります。この慰めを人に届ける者とさせていただきましょう。

 

 

 

慰めによって(2008.10.12)

題   : 「慰めによって」   宣教:   仁科 共子姉
聖書  : 2コリント 1章3節~11節
イエス・キリストによって新しくされたクリスチャンの人生にも苦難は無くなることはありません。それは,私達が苦難の中にあって神の恵みを体験し,それによって苦難の中にある人々を慰める者となるためです。

1.神の豊かな慰め
慰めを受けるのは苦しみの時です。クリスチャンにとっての苦難はイエス・キリストの苦しみを知る時であり、神の慰めを受ける時です。
私達はイエス・キリストの苦しみが私達の救いと慰めとなったことを覚え、その救いの恵みによって慰められ力づけられて生きる者とされているのです。神の慰めは豊かに私達に与えられます。
「神はあらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださる・・・」(4節)

2.神に信頼する者に与えられる慰め
パウロは死を覚悟したほどの大きな苦難の中で自分を頼りにするのではなく、神を頼りにしたと言っています。(9節)
苦難の中にある人を慰めることができるのは、その人と同じ思いになって苦難の中を共に歩む人です。
イエス・キリストは人としてこの世に来てくださり、人として苦しみを受けてくださいました。それゆえに私達の苦しみを理解して下さることができるのです。
私達がイエス・キリストにあって生きる生活の中で苦しみを受ける時、ただ神にのみ信頼するならば、神は豊かな慰めを以って私達を慰めてくださいます。そして私達は苦難の中にある人々に神の慰めをもたらす者とされるのです。

どんな時にも私達を愛してくださる全能の神に信頼しましょう。そして、神からいただく慰めによってあらゆる苦難の中にある人を慰めることができる者とならせていただきましょう。