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2026年8月16日

われらの父よ(2026.8.16)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

祈るときには、こう言いなさい。「父よ」 ( ルカ 11章2節 b )

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編 46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 119編1~21
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ 6章9節 b
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科早苗師
宣  教 「われらの父よ」 仁科早苗師
祈  祷
賛  美 352 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科早苗師
後  奏

宣教要旨

原語の主の祈り一番最初は「父よ(パーテール)」子どもが使う親しさの呼びかけ。

1、わたしたちは神の養子とされた
「父」とは「すべての源」という意味。「父」とは「天におられる私の父の御心を行う人は誰でも、私の兄弟、姉妹、また母なのだ。」(マタイ12:50)と神様が教会の生き方の表現とされた。そこには慰め、愛、教育、一緒に神の国の建設という役目で前進し、共に傷つき、泣き、喜ぶ使命がある。教会は神の家族。

2、イエス様も試練で「アッバ」と叫んだ
マルコ14:36に「アッバ。父よ」とイエス様がゲッセマネで祈られる。大きく深く痛みに溢れるイエス様の祈りが「父よ」。わたしたちの主の祈りもこのイエス様の祈りと重ね合わされて一つとされている。

3、「我らの」は「わたしの」ではない
「わたしの神」と祈らないのは、私たちが教会の共同体に生きることこそ信仰の本質であることを教えてくれている。「人は一人でいるのはよくない」と言われる神様。われらとはクリスチャンでない方にとっても神様である。個人だけでなく全人類一緒に「われらの神」へ祈っている。「友情を一つにする信仰」を教えてくれている。
(結論)キリスト教の祈りは個人プレーでなく、チームプレイ。この主の祈りは「今日、祈れなくて苦しんでいる人の役に立つ」と自分が祈りの奉仕者になっていることに気づかされる。だから私たちは大胆に祈ろう。「我らの父よ」と。