月別アーカイブ: 2019年7月

神の国は近づいた(2019.7.28)

宣教題 「神の国は近づいた」       宣 教  石﨑善土伝道師 
聖 書 マルコ1章1~15節

 マルコによる福音書は、主にペテロから聞いた事を書き記しています。その中心は、神の子イエス・キリストの福音です(1節)。そのため、イエスの生い立ちに関する記載は一切なく、福音が伝えられ始めるところからはじまります。

1.イザヤの預言
 福音は、救い主であるイエス・キリストより先に、洗礼者ヨハネが活動を開始したときから始まります。しかし、それより700年も前に、旧約聖書に預言として書かれています。神は福音の備えを、私達が命を与えられるはるか前から計画されていました。神ははるか昔から、私達を愛し、福音を計画されました。

2.ヨハネの預言
 ヨハネは罪の赦しを得させるため、悔い改めの洗礼を宣べ伝えました(4節)。福音は、神からの赦しをもたらします。私達は神に罪を悔い改めるとき、赦されます。そのためには、自らが罪人である事が判り、認める必要があります。
 ヨハネは、水で洗礼を授けましたが、聖霊で洗礼を授ける方が来ることを預言しました。

3.イエスの預言
 イエスが現れて、ヨハネから洗礼を受けたとき、聖霊が天から降って来ました。聖霊は神ご自身であり、天から降って来られます。地上にあるものではなく、神からしか与えられません。聖霊は神の力を与えます。イエスは荒れ野で誘惑を受けますが、聖霊の導きによって勝利し、神の福音を伝え始めました(14節)。神が王である王国が近づいたとイエスは預言します。王国の民は王に守られ、豊かになります。神の国に入るには、罪の赦しとともに、悔い改めて与えられます。

聖書朗読(0.9MB)

メッセージ(11.9MB)

礼拝ご案内・行事予定(2019年8月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉が、わかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日) 第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:15 第2礼拝 :AM10:45 ~ 12:00 第3礼拝 :PM 7:00 ~ 8:00 ○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15 楽しい聖書の学び 1階集会室にて お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。
4日(日) 第1聖日 平和聖日礼拝
「受けた恵みを忘れずに」
エフェソ2:11~13
エリシャ2 器と油
列王下4:1~7
鎌野 健一
11日(日) 第2聖日 礼拝
「キリストがわたしたちの平和」
エフェソ2:14~22
エリシャ3 ナアマン将軍の癒し
列王5:1~14
山崎 勝
18日(日) 第3聖日 教団創立記念礼拝
「キリストの期待」
ルカ19:11~27
神に背いたヨナ
ヨナ1;1~17
増永 茂
25日(日) 第4聖日 伝道礼拝・振起日礼拝
「主こそ救い」
エレミヤ17:1~14
祈りと証し

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~12:00、PM 7:00 ~ 8:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを、神さまに感謝するものです。

8月行事予定

■ 4日(第1聖日)平和聖日礼拝 8月誕生者祝福
■ 11日(第2聖日)礼拝 聖餐式
■ 18日(第3聖日)礼拝 ギデオン・ラリー ソーメン大会 次期公用聖書説明会 役員会
■ 25日(第4聖日)振起日合同礼拝・伝道礼拝(講壇交換) エノク会例会

9月行事予定

■ 1日(第1聖日)創立73周年記念感謝礼拝 洗礼式 9月誕生者祝福 聖餐式
■ 8日(第2聖日)長寿祝福礼拝 敬老感謝会 役員会
■ 15日(第3聖日)伝道礼拝
■ 22日(第4聖日)伝道礼拝 次期公用聖書説明会
■ 29日(第5聖日)伝道礼拝

神の匠のわざ(2019.7.21)

宣教題 「神の匠のわざ」       宣 教  川原﨑晃主管牧師 
聖 書 エフェソ2章1~10節

 本箇所では、キリストを信じるようになる前(Before)と、キリストを信じるようになった後(After)の違いを、対比して見せています。そこには、神の匠としての見事な恵みのみ業が明らかにされています。

1.どんなにひどい状態であっても   1~6節
 私たちのキリストを知る以前について明快に語っています。「以前は自分の過ちと罪のために死んでいた」(1節)のであり、将来の望みがない状態でした。それは、この世の価値観だけに基づいて「過ちと罪を犯して歩んでいた」のであり(2節)、肉の欲、肉の思いに基づく生き方を追い求めていたのでした(3節)。
このように死んでいた私たちは、「神の怒りを受ける」ばかりの状態でした。
 「しかし、憐み豊かな神は」、怒りによって裁くことをせず、滅ぼすことをせず、その愛ゆえに独り子イエス・キリストを遣わして救いの道を備え、新たに造り変えてくださったのです(4~6節)。神の恵みだけがそれを可能にしました。

2.どんなに見事な神の作品に   4~10節
 神の救いは、キリストにおいて成し遂げてくださった恵みの働きによって実現しています(5~6節)。神の愛と憐みのゆえに、死んでいた者が生きる者とされたのです。このように「救われたのは恵みによる」のであり、救いへの途上にあるのでも、救いのために努力しているのでもなく、救われた者として苦闘しているのです。この神の恵みは、信仰を通して私たちに働くのです(8~9節)。

 このようにして、「わたしたちは神に造られた」神の作品であり、神が備えてくださった「善い業を行って歩む」のであり(10節)、キリストに結ばれた者としてキリストを現わし続けていくのです(7節)。誇るならば、この神のみ業を!

聖書朗読(0.9MB)

メッセージ(13MB)

祝福の担い手(2019.7.14)

宣教題 「祝福の担い手」     宣 教  川原﨑晃主管牧師 
聖 書 ルカ19章1~10節

 主イエスは、ザアカイに「今日、救いがこの家を訪れた」(9節)と言われました。訪れたとは、出来事が起こったということです。主イエスはこの出来事を通して、神の救いの祝福の担い手は、どういう人なのかを明らかにされました。

1.どういう出会いをするか 
 ザアカイは、この世の価値は富にあると考えてはいたものの、それでは本当の納得のいく人生を送れないという寂しさを覚えていました。徴税人を仲間としてくださる主イエスを見るために、彼はその踏み台として「いちじく桑の木に登った」のです(4節)。これは、何かの踏み台をもって主イエスを見ようとする人間の魂の状態を表しています。
 そんなザアカイに向かって、主イエスは彼の名を呼び、招き、交わりを持とうとされました(5節)。彼は、主イエスの御言葉をなぞるようにして、その救いの招きに引きずり込まれていきました(6節)。私たちひとり一人も同様です。

2.どういう生き方が生まれるのか 
 二つの問いかけを聞きます。一つは、つぶやく人たちのように、自分も罪人のひとりであることに気づいていないことはないか(7節、1テモテ1章15~16節)。
二つは、ザアカイのように、主イエスの救いの恵みに与って、心と生活が神の願われる価値観をもった生き方に変わっているか(8節、2コリント5章16~17節)。
 主イエスを受け入れて結び合わされたザアカイは、アブラハムと同じように神の祝福の担い手となりました。この救いの出来事は、ザアカイの家族に救いが及んでいく始まりとなったのです(9節)。これこそが、神から、隣人から失われていた、自分で自分を見失っていたひとり一人への救いの招きなのです(10節)。

聖書朗読(0.6MB)

メッセージ(10.7MB)

神の現実を見て生きる(2019.7.7)

宣教題 「神の現実を見て生きる」     宣 教  川原﨑晃主管牧師 
聖 書 エフェソ1章15~23節

 パウロは、神をたたえる賛美(1章1~14節)と神への祈りをささげています。(同15~23節)。その神への祈りは、神の現実を見て生きるためには、何であれば、どうあればよいのかを明らかにしています。

1.神を深く知らされ続ける  15~17節、20~23節
 パウロは、エフェソの人々の信仰と愛に対して「絶えず感謝しています」(15~16節)。そして、とりなしの祈りが展開されています(17~19節)。その最初の祈りが、「神を深く知ることができるように」との祈りです(17節)。
 神は、キリストを十字架に死なせ、復活させ、昇天させて神の右の座に着座させ、すべてのものを支配下に置かれました(20~21節)。そして、教会においてこの「神を深く知る」ことができるようにしてくださり、その恵みを受け取らせてくださったのです(22~23節)。
 神を体験的に知り続ける中から、神の現実を見ることができるのです。

2.神が心の目を開き続けてくださる  18~19節
 続いて、神が「心の目を開いてくださるように」と祈っています(18節)。ところが、現実は人が見聞きしていることにとらわれて、神を信じることに意味も価値も見い出さず、神の御旨を尋ねることなしに生きていることがあります。
信仰とは、この世の現実だけしか見ないことを止めて、神の現実を見て生きることなのです。ですから、神の招きによる希望、信仰者が受け継ぐべきものの豊かさ、わたしたちに対する神の力の絶大さという救いの現実を見ることができるように「心の目を開いてくださるように」祈るのです(18~19節)。

私たちは、神が祈りに答えてくださるとの信仰を抱いて生きるのです。

聖書朗読(0.8MB)

メッセージ(11.1MB)