月別アーカイブ: 2018年12月

数えてみよ 主の恵み(2018.12.30)

宣教題  「数えてみよ 主の恵み」       宣 教  今田好一牧師
聖 書  詩編103編1~5節

主の2018年最後の礼拝を迎え、この一年をふり返って、主が与えてくださった恵みの数々を思い起こし、主に感謝を献げさせていただきましょう。

1.わがたましいよ、主をほめよ
全身全霊をもって主をほめたたえなければ、神への感謝を忘れてしまうほど、わたしたちは愚かで鈍い者です。神の恵みは湧き溢れる泉から、わたしたちに注がれ、潤され続けているのだから、そのことを忘れないようにしたい。わたしたちが、神の恵みを何一つ忘れないためには、ひとり静かに神の恵みを思い巡らすことが大切です。その時、感謝と賛美が終わることはないのです。

2.すべての不義を赦された者として
すべての不義を赦された者の神への感謝の理由を以下に六つ記します。
(1)わたしのすべての不義を赦してくださった。(2)わたしの家族のすべての病を癒してくださった。(3)死と滅びからの贖いを成し遂げてくださった。(4)恵みとあわれみとの冠を与えてくださった。

3.一生良いもので満たしてくださる
(5)神が創造主であり、養い主でもあられる。(6)わたしたちと教会を常に新しくしてくださる。わたしたちの肉体は衰えますが、永遠にきよめてくださる霊と共に、永遠の命を宿す栄光の体が与えられる日が来るのです。
わたしたちが、主の恵みを数え、主に栄光を帰し、今年一年の守りと励ましと、救いの恵みの確かさを喜び、新しい年に向かって若々しい命と力を更新していただき、御国を目指して歩みましょう。「数えてみよ 主の恵み」を!

聖書朗読(0.3MB)

メッセージ(10.3MB)

礼拝ご案内・行事予定(2019年1月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉が、わかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:15
第2礼拝 :AM10:45 ~ 12:00
第3礼拝 :PM 7:00 ~ 8:00
○成人科プログラム (毎週日曜日)
AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。
いつでもお入りください。
1日(火) 元旦礼拝
「愛の大きさが分かる場所」
エフェソ3章17~19節
6日(日) 第1聖日 礼拝
「愛による成長」
エフェソ3:14~19
雄々しくあれ
ヨシュア1:1~9
鎌野 健一
13日(日) 第2聖日 成人祝福礼拝
「向こう岸へ渡ろう」
マルコ4:35~41
約束の地
ヨシュア3:1~17
山崎 美鈴
20日(日) 第3聖日 伝道礼拝
「失望しないで」
ルカ18:1~8
神に仕える
ヨシュア24:14~15
増永 茂
27日(日) 第4聖日 礼拝
「主イエスの証人として」
マルコ5:1~20
祈りと証し

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~12:00、PM 7:00 ~ 8:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを、神さまに感謝するものです。

1月行事予定

1日 元旦礼拝
6日(第1聖日)新年礼拝 1月誕生者祝福 聖餐式
13日(第2聖日)成人祝福礼拝 成人祝福式  役員会
20日(第3聖日)伝道礼拝 ダイヤモンド・金婚式  バルナバミッション祈祷会
27日(第4聖日)礼拝 質問受付会 臨時役員会

2月行事予定

3日(第1聖日)教会総会礼拝 2月誕生者祝福 聖餐式  教会総会(定期総会)
10日(第2聖日)礼拝  役員会
17日(第3聖日)聖会礼拝  春の聖会
24日(第4聖日)伝道礼拝(神学生壮行礼拝)

グッド・ニュース(2018.12.23)

宣教題  「グッド・ニュース」       宣 教  川原﨑晃主管牧師
聖 書  ルカ2章8~20節
救い主の誕生の知らせは、とてつもない「大きな喜び」であり、すべての人々へのグット・ニュースでした(10~11節)。それは、主が知らせてくださった「出来事」です(15節)。

1.神が来訪された出来事  8~14節
「羊飼いたち」は、自分たちの仕事に忠実に励んでいた日常の生活のなかで、大きな喜びの知らせを告げ知らされました。神が彼らを用いられたのは、主イエスが羊飼いのようにして人々を救いに導くことを明らかにするためでした(詩編23編、ヨハネ10章10~11節)。
神が来訪された出来事において、神は羊飼いたちだけでなく、ヨセフやマリアたちも用いられています。私たちは、このことを通して、神が人を信頼していてくださること、イエス・キリストを信じようとする人の信仰を全力で守ってくださることを知ります。

2.人が救い主を探し出した出来事  15~20節
主が知らせてくださった出来事を見るために、急いで出かけた羊飼いたちは、誕生された御子イエスを「探し当て」ます(15~16節)。今も一人ひとりに必要なことは、羊飼いたちのように神の御言葉が出来事となった救い主を探し当てて、その救いに与ることです。
そこから、人の信仰の歩みは変わります。「大きな喜び」となった主イエスの救いが讃えられ、それが伝わっていきます。クリスマスは、この大きな喜びに与る信仰の決起の時であり、また再出発の時です。

聖書朗読

メッセージ

こんな所に(2018.12.16)

宣教題  「こんな所に」
宣 教  川原﨑晃主管牧師
聖 書  ルカ2章1~7節

主イエスのご降誕は、何と質素で、単純ですが、また崇高なことでしょうか。主イエスは喜んで「飼い葉桶に」宿られました(7節)。なぜ、「飼い葉桶」だったのでしょうか。

1.そこに神の導きを見い出すから
世俗の権力に弄ばれるかのように、ヨセフとマリア夫婦は、ナザレからヨセフの故郷ベツレヘムに帰っていきました。そこでの住民登録は、強いられてのことでしたが、そこに神のご計画が進められたのです。それは、預言者を通して約束されたことが(イザヤ9章1節、5節、ミカ5章1節)成就した出来事です。
このベツレヘムという世界の片隅での出来事が、皇帝の支配を超えて、神のご計画の中にあったことを知ります。同じように、私たちに起こっていることが、神の導きの中にあって起こっていると捉えることができるのです。

2.そこで真に主イエスと出会うから
「飼い葉桶に」寝かせられた御子イエスのお姿を通して、憐みの神が私たちのために低く、貧しくなってくださったことを知ります。さらに、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」とあるように、主イエスを迎え入れようとしない、閉め出している人の姿を知ります。そして、「飼い葉桶」に象徴されるように、主イエスは罪と汚れの中にある人のうちに宿られるお方であることを知ります。
私たちは、十字架の死から復活をされた主イエスを、自分の全存在と全生涯に迎え入れるという出会いを経験することが大切です。そこから、主イエスが、一人ひとりに輝きわたるお方として臨んでくださるのです。

聖書朗読(0.3MB)

メッセージ(9MB)

お言葉通り、この身に(2018.12.9)

宣教題  「お言葉通り、この身に」      宣 教  今田好一牧師
聖 書  ルカ1章26~38節

天使は、神の目的を果たすためにわたしたちに近づいてきます。しかし、わたしたちは、必ずしも天使の訪問を歓迎するとは限らないのです。

1.恐れないで信じなさい
突然現れた天使から、「…あなたは身ごもって男の子と産む…」(30~31節)と言われて、まだ男の人を知らないマリアは益々不安に陥ります。しかし、このことは、わたしたちの人生に神が介入されるということです。それはわたしたちにとって、願ってもないことである場合と、逆に平穏無事な生活が壊されかねない場合があります。しかし、神がわたしたちの内にイエス様の命を与えてくださるとき、わたしたちの古い命、古い心を粉々に砕いてくださるのです。

2.打ち砕かれた心
恐れと不安で心が打ちのめされていたマリアに天使は、「聖霊があなたに降り、…生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」(35節)と答えます。マリアはこの言葉をすべて理解したわけではありませんが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」(38節)と答えたのです。このマリアの『神のなさることに、わたしはもう何も申し上げることはありません。』という素直な信仰をもって、神は御子をその身に宿らせられたのです。
わたしたちがどんなに考えても神の御計画のすべてを知り尽くすことはできません。しかし、神はどんなことも成し遂げる力をもって、わたしたちの人生に関ってくださるのです。ですから、そのことを素直に信じることが大切なのです。わたしたちも、心に神の命、御子イエスを宿す者とならせていただきましょう。

聖書朗読(0.9MB)

メッセージ(7.5MB)

主の救いを待ち続けて(2018.12.2)

宣教題  「主の救いを待ち続けて」      宣 教  川原﨑晃主管牧師
聖 書  ルカ17章22~37節

 待降節は、誕生された主イエスを私たちの内に信仰をもって迎え入れる時です。同時に、全ての終わりの時に再臨される主イエスを待望し、備えをする時です。「人の子の日」(22、24、30節)に向け、どのように備えるのでしょうか。

1.平静な心で待つ  22~25節
 主イエスの再臨を静かな心で待望することが勧められています(23節)。思いがけない時突然に、必ず主イエスの再臨があります。主イエスの大いなる救いが完成されるまで(24節)、主イエスの十字架の贖いの御業を想起しつつ、それを基点として信仰の歩みをするのです(25節)。
 ルカはパウロと一緒に主イエスに仕えることによって、終りの時を生きる聖徒の生きざまを教えられました(使徒言行録)。そこで学んだことは、主イエスが再臨されることを計算に入れて、平静な心で生きることでした。

2.無頓着にならずに待つ  26~37節
 人が、主イエスの再臨に対して無頓着であることを戒めています。ノアの時代の人々に臨んだ洪水やロトの時代に罪深いソドムの町が滅ぼされたように、「人の子が現れる日にも、同じことが起こる」からです(26~30節)。その時は、救いの完成の時であり、また審きの完成の時です(31~37節、信徒信条参照)。
 主イエスは、ここで脅しておられるのではありません。警告されているのです。主イエスを信頼し、その再臨を忍耐して待つことを求めておられるのです。見通しがきかなくても、苦しみがあるとしても、主イエスの十字架の贖いが支えてくださるからです(1コリント11章26節)。

聖書朗読(0.8MB)

メッセージ(8.8MB)