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主の貧しさと私たちの豊かさ(2016.12.11)

宣教題  「主の貧しさと私たちの豊かさ」       宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  2コリント8章1~9節

クリスマスの主の誕生は「飼い葉桶の中に」(ルカ2章12節)おいてでしたが、ここに「身を無にし」(フィリピ2章6~7節)、「貧しくなられた」(2コリント8章9節)お姿が現れています。それによって、わたしたちが「豊かになるためだったのです」。これが「主イエス・キリストの恵み」です(9節、2コリント13章13節参照)。

1.キリストの貧しさ
本来、「主は豊か」なお方です。キリストこそが、万物一切の創造者、所有者、支配者であられ(ヨハネ1章3節)、愛と恵みをお持ちの神であられます(同18節)。
このお方が、「あなたがたのために貧しくなられた」のでした。すなわち、天地の主なる神の独り子が、処女の胎に宿られてこの世に生まれてくださいました。罪を他にして人が経験する同じことを経験してくださいました。地上の最後においては十字架に架けられて命を与え尽くし、すべての人の罪の身代わりになって神に捨てられてくださいました(マタイ27章46節)。キリストは、これほどまでの貧しさの極限にまで至ってくださったのです。このキリストご自身を知っているかと問われています。

2.私たちの豊かさ
このような驚くべき犠牲は、ひとえに私たち罪人のためでした。一人ひとりが自ら罪人であることを認め、その罪を悔い改めてキリストを信じるならば、罪は赦され、神の子とされ、永遠の命を与えられ、永遠の栄光にあずかるという神の豊かさをいただいた新しい歩みが始まるのです。
このキリストの恵みが本当にわかったならば、「慈善(恵み)の業においても豊かな者」とされるのです(7節)。それは、私たちの献身の表明である献金の恵みです(5節)。私たちが、キリストの恵みに富み続けるならば、その心から出る感謝と喜びをもって献金や奉仕に恵まれ続けていくのです。