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福音のためなら(2019.5.26)

宣教題 「福音のためなら」       宣 教  石﨑善土伝道師 
聖 書 1コリント9章19~23節

1. 自由とは
 自由とは何でしょうか。イスラエルの民は、エジプトの奴隷であったとき、れんがを造ることを命じられ、ノルマを与えられ、厳しい労働を強いられました。断る権利がないのが奴隷です。神に導かれて解放された民は、安息日を与えられます。安息日は、労働をしなくて良い日です。労働を止められる事が、奴隷から解放されて、自由となった証拠でした。神が与えた自由は、しない事でした。

2. 不自由になる自由
 神は何にも支配されない、真に自由な方です。神はその自由を使って、ご自身を制約されています。神は不義も不正も、見捨てる事も決してしません。神は神として相応しくないことをしない事によって、神の本質を現わされます。ノアの洪水の後、二度と洪水によって滅ぼすことはしないと定め、ご自身を制限されました(創世記9章)。イエスは、荒野での誘惑において、石をパンに変える事を、しない事によってキリストである事を現わされました。パウロも神に倣って自らを制約し、自らすすんで「すべての人の奴隷になりました。」(19節)

3. 自発的な不自由
 私達は、神を愛し隣人を愛するように言われています。しかし、憎むことをやめられない相手、止めたいのに抜け出せない習慣が誰にでもあります。神は、従おうとする者に相応しくない事を、しない事に自由を使うように求めています。しかし、そんな事は出来ないと思う事があるのではないでしょうか。その、神に信頼しなすことをまず止め、祈ろうではありませんか。神は私達のどんな祈りでも、だれの祈りでも、神として聞かずにはいられない方なのですから。

聖書朗読(0.6MB)

メッセージ(10.8MB)