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福音を信じ、福音を守る(2017.7.15)

宣教題  「福音を信じ、福音を守る」     宣教 小岩裕一師
聖 書  ガラテヤ3章1~5節

1.「だれがあなたがたを惑わしたのか」
「物分かりの悪い」(1節、3節)と、パウロは半ば呆れ驚いています。それは、偽教師たちに惑わされたのです。律法を守ることが救いの条件としているユダヤ律法主義者たちです。なんとペトロさえも、福音に立たずにその偽善に引きずりこまれてしまいました。それをパウロは厳しく叱責しました(2章11~14節)。ガラテヤの信者だけではなく、現代のキリスト信者も、いつのまにか、惑わされる危険があるのです。
律法主義の問題は、①神ではなく、人ばかり見えてしまうことです。(1章6~10節)。②キリストが教えキリストの救いを示す聖霊の証ではなく、異なる霊現象に惑わされることです。(4章8~11節)。③ただ、キリストの十字架を信じることが物足りなく感じ、自分の善行を付け加えることです(3章2節)。使徒たちが伝え、新約聖書に記され、わたしたちに伝えられた古い福音に堅く立つべきです。

2.「一つだけ確かめたい」
「一つだけ」に答えてほしいとのパウロの詰問です。「“霊”を受けたのは」(キリストの救いに与ったこと)は、「律法を行ったからですか」、「福音を聞いて信じたからですか」と、二者択一を迫っています。
ガラテヤの教会も、キリスト教の歴史においても、現代のキリスト教会も、いろいろな信仰的な問題を抱えています。原因追求や解決案の提示も必要でしょう。しかし、パウロは、ただ、この一つだけ、問うています。この一つだけには、妥協、曖昧さはないのです。
「福音を聞いて信じる」とは、「十字架につけられたキリスト」を、ただ信じて、義とされたことです。「このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」(6章14節)。「福音を信じ、福音を守る」ことに、パウロは命をかけていました。