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福音の本当の味わい(2021.6.27)

聖 書

これは、律法の行いによってではなく、キリストの真実によって義としていただくためです。なぜなら、律法の行いによっては、誰一人として義とされないからです。(ガラテヤ2章16節b)

礼拝音源(30.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編57編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章15~16節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「福音の本当の味わい」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 458 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

パウロは、福音の真理に従って歩むことの大切なことを語ってきました。それでは、その福音の真理とは何なのでしょう。そのことが明らかにされることによって、福音の本当の味わいを知るのです。

  1. 神の気前のよさのゆえに

律法を守りながら神の前を歩んできたユダヤ人は、神はどうしてこんなにたやすく罪人を赦すのかと、つぶやいたのでした(15節、ルカ15章29~32節参照)。しかし、神に過去の罪が赦され、無罪であると宣告され、受け入れられ、正しい者(義人)として取り扱われるのは、律法を行うことによっては誰も不可能なことなのです。

神の愛の真実は、キリストの十字架によって明らかにされました。それは、気前よすぎる恵みです。そこに現されたキリストの真実に支えられてこそ(2テモテ2章13節)、キリストに対する信仰の基盤は決して揺らぐことがないのです。

2. キリストのうちに飛び込むゆえに

このように、人が義とされるのはキリストの真実によるのだということを知ったゆえに、「キリスト・イエスを信じました」との信仰体験を語っています(16節)。これは、キリスとのうちに飛び込むように、自分の人生をキリストにかける信仰です。このようにキリストを信じることによって、福音の本当の味わいを知った者たちの証しが生まれます。

キリストの真実に対して自分自身の存在をかけた信頼が、真実な生き方につながっていくのです。

 

 

福音の真理に歩む(2021.6.6)

聖 書

彼らが福音の真理に従ってまっすぐ歩いていないのを見て、私は皆の前でケファに言いました。(ガラテヤ2章14節a)

礼拝音源(25.5MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ガラテヤ3章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編33編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章11~14節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「福音の真理に歩む」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
6月誕生者祝福 イザヤ書63章9節
賛  美 543 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ユダヤ人であれギリシア人であれ誰であっても、同じ一つの福音の真理にとどまり続けることは(2章5節)、福音の真理に生きることであり、歩み続けることです(14節)。

1.偽ることなく  11~13節
ペトロとパウロは、先のエルサレム教会においては、福音の真理を確認し合いました。ところが、アンティオキア教会では、パウロがペトロを「面と向かって」非難しています(11節)。ペトロは、当初は異邦人キリスト者たちと愛餐と聖餐の交わりを持っていました。ところが、エルサレム教会からユダヤ人キリスト者が訪れるや、彼は神を畏れるのではなく人を恐れて、徐々にその交わりをしなくなったのです(12節)。そのような偽りは、他のユダヤ人キリスト者たちやバルナバまで巻き込むことになりました(13節)。
このように、福音の真理を信じることと裏腹の行動をとることが、神の恵みを無駄にしてしまい(2章21節)、教会の中に壁を作ってしまうのです。

2.福音の真理に向かって  14節
ここでパウロは、ペトロたちが「福音の真理に従って(向かって)まっすぐに歩いていない」と指摘しています。そのように私たちも、福音の真理を捉えていると思っても、生活や習慣のすべてが一瞬にして変えられていないというのが現実です。とりわけ、お互いのこれまでの生活習慣の相違に捉われて、福音の真理を見失わせることがあります(1コリント1章22節、24節参照)。
私たちは、自らの生活や習慣を点検しつつ、福音の真理に従って、またその方向に向かって歩みを進めるキリスト者であり教会でることが大切なのです。