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信仰による望み(2021.10.24)

聖 書

そして、彼もその家族もこぞって信じた。(ヨハネ4章53節b)

礼拝音源(32.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章43~54節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰による望み」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 474 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、十字架と復活による主イエスの救いに与り、今も共に歩まれる主イエスの恵みに与り続け、再臨される主イエスに望みを置いて生きています。ここから生きた信仰が生まれます。その良い例が、「王の役人」にみる信仰でした。

1.主の御言葉を信じて一歩を踏み出す  46~50節
王の役人は、息子が病気で死にかけているという予想だにしなかった深刻な問題に直面していました。そのことに心を支配されていた彼は、主イエスに息子の癒しを繰り返し執拗に「頼んだ」のです(47節)。主イエスは、自分の無力を思い知らされていた彼に対して、冷たい返事をされましたが、彼は懇願し続けました(48~49節)。ついに彼は主イエスからお答えをいただき、「イエスの言われた言葉を信じて帰ったのです」(50節)。
事が思い通りに運ばなかったりすると、信仰がぐらつきやすくなります。王の役人のように、私たちも御言葉に従って一歩を踏み出す信仰が求められます。

2.さらに深く主を信じさせていただく  50~53節
主イエスは、しるしや不思議な業を見なければ信じない人々に対して(48節)、主イエスの御言葉を聞いて信じたサマリアの人たちを見よと言わんばかりに(41~42節)、主イエスの御言葉だけで十分な信仰に導かれることを証しされました(50節)。王の役人は、主イエスの御言葉を信じて帰って行くと、息子が癒されていたことを知り、もう一度「信じた」のです。しかも彼の家族全員の信仰を引き出すという祝福を体験しました(53節)。
信仰の確かさは、私たちの内にある何かでなく、仰ぎ見る主イエスにあるのてす。聖餐の恵みは、望みを抱いて、信仰の吟味をいただく時です(1コリント11章26~28節)。

人生の嵐の中で(2008.11.2)

題   : 「人生の嵐の中で」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖書  : マルコ 4章35節~41節
主イエスが突風を静められた出来事は、世々の教会や信仰者がしばしば経験してきたことを現しています。舟は教会であり、主イエスがその水先案内人です。主イエスがいつも父なる神を信頼しておられたように、舟に乗り込む信仰者が主イエスを信頼しているならば、いかなる突風の中にあっても大丈夫なのです。

1.御子の御父への全き信頼
主イエスは、押し寄せてきていた群衆と距離を保つため、舟に乗って向こう岸に行こうとされました。宣教の働きの疲れを覚えられたこともあって、主イエスは突風の最中でも眠っておられました。
しかし、主イエスは単に休養をとられたというのではなく、神のみこころである宣教の働きが進められるために、ガリラヤ湖の東にある異邦人の住む地域に向かわれたのでした(5章1節)。ここでの主イエスの姿は、御子が御父の懐で憩うようにして、全てを委ねて信頼しておられることを現しています。
この全き信頼は、主イエスが十字架で苦しまれた時でさえも揺らぐことはありませんでした。聖霊が主イエスと交わりをもちつつ、支えておられたからです(ヘブライ9章14節)。

2.私たちの主イエスへの揺ぎない信頼
一方、弟子たちは激しい突風と戦っていました。自然の猛威を恐れている彼らに対して、主イエスは「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と言われました。
主イエスから「向こう岸に渡ろう」とみことばを聞きつつ、しかも主イエスが同舟して共におられたにもかかわらず恐れていたからです。そして、主イエスに対して非難する思いを持っていたからです(38節)。
このように弟子たちは不信仰でしたが、主イエスはあわれみをもって突風を静められました。その結果、主イエスに対する畏れの心を抱くようになった弟子たちは、もはや恐れる必要のないものを恐れないようになったのです(40~41節)。
信じて生きるとは、平凡な日々であろうと、荒れ狂う苦難の時であろうと、主イエスに対する揺ぎない信頼をしていくことです。そのためには、共におられる主イエス・キリストの真実に触れることが大切です。