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変わる環境でどう生きるか(2020.5.3)

聖書

わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。(フィリピ4章13節)

礼拝音源(23.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ16章13節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 91編1~16節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ22章35~38節、フィリピ4章13節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 148 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「変わる環境でどう生きるか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 456 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、私たちの過去、現在、将来に解決と導きを与えてくださり、永遠に変わることのないお方です(ヘブライ13章8節)。ところで私たちの人生は、さまざまに変わりゆく環境と状況下に置かれます。

1.変わりゆく環境 

主イエスは、十字架にお架かりになられる前夜、「言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する」(37節、イザヤ書53章12節参照)と言われました。このようにして、主イエスは、私たちに代わって神から捨てられてくださったのです。神の愛の中を歩まれた主イエスのご生涯において、これほど大きく重大な変化はありません。

この時、主の弟子たちにも大きな変化が起こりました。彼らが主イエスに従うようになった頃と(35節、ルカ9章1~6節及び10章1~12節参照)、主イエスが十字架を前にされた時とは、逆のことが指示されたからです(36節)。しかも、危機が来るから、自らの身を守る態勢を取るように話されました(38節)。

このような環境の変化は、私たちにも訪れます。平穏であった日々が、突如苦難と言われる経験をするからです。

2.変わることのない主 

主イエスは、「わたしの身に必ず実現する」(37節)と言われたことを父なる神の御心とされ(ルカ22章42節)、それを「成し遂げられ」(ヨハネ19章30節)、父なる神に「ゆだね」切られました(ルカ23章46節)。その救いの事実は変わりません。

弟子たちは、この主イエスの配慮の行き届いた恵みを数えることができ(35節)、主イエスのとりなしの祈りの恵みに与ることになりました(ルカ22章32節)。

私たちは、パウロ同様に、さまざまな変わりゆく環境(境遇)に置かれますが、それに対処する秘訣を授かっています(フィリピ4章10~12節)。主イエスが願われるその御旨を知って仕えさせていだたく時に、それを可能にしてくださるのが主イエスだからです(同13節)。主イエスは、今も変わることなくとりなし祈り、備え、助け、力づけていてくださいます。ですから私たちは、このお方に堅く信頼を置くのです。

 

野の花を見よ(2016.5.29)

宣教題  「野の花を見よ」           宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  マタイ6章25~34節

造り主なる神は、悠久なる大自然、大宇宙を造られ、それを支えておられます。そればかりか、「野の花」とりわけ小さな花のひとひらに至るまで、まことに緻密で用意周到に造られました。この「野の花」を注意して見ることにより、愛の神を知り、自らの生き方を問い直したいものです。

1.造り主を信頼する
造花には命がなく、生花には命があります。命を創造することは、人間の科学の世界には許されていないのです。真似はできても、命を創造することは、造り主の独壇場です(29節)。野の花が花を咲かせて精一杯生かされているように、人は神から与えられた命を精一杯生きるのです(30節)。ここに、生きる喜びがあります。
よく考えてみるならば(28節)、野の花が造り主によって育てられ、運ばれるままに生きるように、人は造り主に信頼して生きるのです。ですから、自分のことだけでなく他人のことまで心配したり、今日だけのことでなく将来のことまで思い悩んだりしないで(31~32節)、神を第一として神に信頼して歩むのです(33~34節)。

2.備えてくださる主を信頼する
花は人生の無常さも教えています(30節、1ペトロ1章24節)。確かに、人にはいつ何が起こるか分からないという世のはかない現実があり、また人生の終わりの時が必ず来ます。さらに、神に造られた被造物は、様々な弱さがあることにも気づきます。その弱さを最も覚えるのが、罪の解決を得ていない状態にある時であり、自らの死を覚える時です。
しかし、そこでこそ神の愛に触れ、主イエスの救いに出会う時なのです。主イエスの十字架の愛を信じる者の罪を消し去って罪を責め立てることなく、復活の主イエスを信頼している者が死の恐怖で追い立てられることはありません。ですから、備えられた神の恵みの中を生き、神の前にまっすぐに生きることです(33節)。

恵みが輝く幸い(2013.9.8)

題   : 「恵みが輝く幸い」   宣教:   川原﨑 晃 牧師
聖書  : 詩編90編1~17節
モーセは、朝目覚めたときに、まず主の「慈しみに満ち足らせ」てくださいと祈っています。さらに、自分の人生に一日が加えられたことを感謝し、困難に遭っても主の最善がなされることを信じて、「生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください」と願い求めています(14節)。それは、何をわきまえ、どんな幸いを告白する生涯なのでしょうか。

1.人間の限界を正しくわきまえる
この詩編には、人間の力の限界(3節)、人間の繁栄の限界(5~6節)、人間の秘密の限界(7~8節)、人間の齢の限界(9~10節)、人間と知恵の限界(12節)と語られています。そのほか私たちには、様々な限界をもっています。それらの限界をどう自覚し、どう考え、それらにどう対処していくかということが、その人の生き方を決定します。
ある人々は、そうした限界を無視した生き方をします。それは、個人だけでなく、社会の世相にも表れています。また、そうした限界に挑戦した生き方があります。それは、今日まで、さまざまな分野において発展をもたらしてきました。しかし、限界に挑戦することが、人間万能という錯覚と高慢にもつながってきました。

2.主に信頼して生きる幸いを告白する
モーセは、若い時には限界を無視し、限界に挑戦する生き方をしました。その彼が、自分の限界を知らされた上で、主に信頼して生きる幸いを告白しています(1~2節)。彼は、自分の生きることのできる日数が主に知られているという信頼をもって、主に祈りをささげています(12節a)。このように、人間のあらゆる限界を主は知っておられるということが、私たちを謙虚な信仰へと導くのです。そうした限界を知ればこそ、自分がどう生きればよいのか、その知恵を求め、また自分がなすべきことを確実に果たしていく力を求める姿勢が生まれるのです(12節b、17節b)。
こうした限界を越えさせるものは、実にイエス・キリストです。そこには、輝ける将来があるのです。