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命あふれる人生(2021.9.19)

聖 書

しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」(ヨハネ4章14節)

礼拝音源(28.5MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編32編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章1~18節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「命あふれる人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 433
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの肉体の渇きや心の渇きを覚えるときは、繰り返し水分を求めます(13節)。ところが、主イエスは、魂の渇きに対しては「私が与える水を飲む者は決して渇かない」(14節a)と語られ、「神の賜物」について知らせてくださったのです(10節)。

1.「神の賜物」は与えられている

主イエスとサマリアの女との出会いは、一見偶然のように見えますが、主イエスの側からは必然のことでした。そこにおいて主イエスは、交わりをもっていなかったサマリアの女に、「水を飲ませてください」(7節)と求められたのです。そして、彼女に「永遠の命」を「神の賜物」として与えようとされたのです。
そのために主イエスは、彼女のうちにあった魂の病とも言える罪を具体的に示され、それからの解決の道を明らかにしようとされました(16~18節)。そうすることによって、彼女を主イエスが与えてくださる救いへと導こうとされたのです。一人ひとりが、この神の賜物を信じ受け入れることが必要です。

2.「永遠の命」があふれ出てくる
主イエスが与えてくださる「永遠の命」は、与えられた人を通して「湧き出る」のです(14節b)。すなわち、主イエスから与えられた永遠の命は、自分一人のなかにしまっておけないで、「踊り上が」るようにあふれ出て(使徒言行録3章8節)、他の人を癒やし生かすのです。サマリアの女は、この後そのように導かれました(ヨハネ4章39~42節)。

このように主イエスは、ご自身を信じ受け入れた者を通して、「永遠の命」が湧き出る新たな人生へと広げてくださいます。

 

 

 

思い違いをしないように(2017.11.5)

宣教題 「思い違いをしないように」    宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 ヤコブ1章12~18節

 主イエスを信じた者たちが「試練」の中に置かれることにより、それが「誘惑」となってしまうことがあります。その誘惑に対して「思い違いをしてはいけません」し(16節)、神がどのようなお方かを見通し、見極めることが大切です。

1.神のさばきを見通すように  13~16節
 信仰者として歩んでいこうとすると、誘惑に遭うという経験をします。神が罪の誘惑をされるのではありません。ただし神は、信仰者が誘惑に遭うことを許してはおられます。ですから、誘惑を甘く見るといった思い違いをしてはなりません。
 というのも、誘惑へと誘う「欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生」むからです。その死とは、神を離れた状態の霊的な死です。罪の結果である死をしっかり見通すとともに、神は義なるお方ですから、罪を正しくさばかれることを忘れてはなりません。罪と死に対して、人間の側からの解決はないからです。

2.神の賜物と御心を見極めるように  17~18節
 さばきの神を知ることで終わるならば、絶望に陥ります。しかし、そのような思い違いをしてはいけません。神の賜物は、それを贈る動機において不純でなく、良いものであり完全です。この創造者である神は真実であられ不変のお方です(17節)。その神の賜物中の賜物は、主イエスです。

 神は「御心のままに」、主イエスとその福音によって私たちを新たに生まれさせ、神の子としてくださり、神のものとしてくださいました。そのことが、神が造られた被造物の「初穂となさる」ためであったとは驚くべきことです(18節)。
私たちは、この神の賜物と御心をしっかりと見極めた信仰の歩みをするのです。