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キリストが私たちの平和(2019.8.11)

宣教題 「キリストが私たちの平和」    宣 教  川原﨑晃主管牧師
聖 書 エフェソ2章14~22節

 誰もが平和に暮らしたいと望むのは、パウロの時代も今も変りません。ところが、平和を求めていながら、人間と人間の間に強固な「敵意という隔ての壁」(14節)があって、互いに疎外し、分断し、分裂し合っているのが現実です。

1.主の十字架こそが 
 敵意という隔ての壁がひとたび築かれると、取り除くのは何と難しいことでしょう。そうした人間の現実に対して、「実に、キリストはわたしたちの平和であります」(14節)と宣言しています。キリストこそが、「一人の新しい人を造り上げて平和を実現」されるからです(15節)。
 そのために、キリストは「十字架によって敵意を滅ぼされました」(16節)。そこには、人が神に対して敵意という壁を築いてきたという事実があります。また、神はご自身の正義と平和を私たちに要求して裁かれるのではなく、ご自身が十字架に架けられてまで、私たちに対する愛を貫かれたという事実があります。

2.主の十字架の道を生きることが  
 それゆえに、私たちは、キリストの十字架によって一つに結ばれているのです(17~18節)。ですから、私たちはキリストの平和を他の人に要求するのではなく、私たち自身がキリストに倣って十字架の道を生きるのです。
 ただし、その道は、孤立して歩むのではなく、教会において、信仰の仲間たちと共に歩むことによって培われていくのです。そこにおいて、神の家族として結ばれ、神の愛の交わりをもって生きるのです。聖霊の働きによる絆で結ばれ、聖なる神殿となって神の住まいとなるのです。キリストが自分たちの平和であることを存在の根拠に置く人々が加えられることを祈り、労するのです(19~22節)。

聖書朗読(0.7MB)

メッセージ(9MB)

平和を実現する人(2018.8.5)

宣教題  「平和を実現する人」       宣 教  川原﨑晃主管牧師
聖 書  ヤコブ3章17~18節

 平和は、人が常に限りなく求める神との密接な関係にある生活状態です。キリスト者は、それを生活の目標としつつ、それに生きるのです(18節)。

1.神の義がともなって 
 ヤコブは、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5章9節)との主イエスの御言葉に触れ、それが彼の心にありました。ただ、主イエス同様に(ルカ12章51~53節)、平和を実現するピースメーカーは、またトラブルメーカーでもあります。それは、苦悩する中で信仰を保ち、いかなる状況下でも信仰生活が建て上げられていくために必要なことです。
 私たちの家庭に、私たちの生きている場に神の義を実現していかなければ、本当の平和は実現しません。事なかれ主義に陥ることなく、神の義なくして、平和はないことの証しに生きる者とされましょう。

2.平和の心をもって 
 「平和を実現する人々は」、「平和のうちに」とあるように、聖霊に照らされて「上からの知恵」をいただいて神の前に謙虚にされ、平和の心をいただいていることが大切です(17節)。そのためには、十字架を前にして持っておらキリストの平和をいただいていることが必要です(ヨハネ14章27節)。
 平和を実現する人は、義の実を結ばせる種を忍耐をもって蒔き続けるのです。そうすると、主なる神が、愛をもって刈り取ってくださいます。ですから、理解を得られない関わりの場においても、平和な心で、祈りと愛をもって、主に助けていただきながら歩み続けていきましょう。

聖書朗読(0.2MB)

メッセージ(10MB)

真の平和の確立を(2017.10.1)

宣教題 「真の平和の確立を」        宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 ルカ12章49~59節

 これまで主イエスは、目を覚ましていなさいと語ってこられました。続けて、真の平和が確立されていくために、漫然として今の時を過ごすことがないように勧められています。

1.主の十字架のもとで  49~53節
 主イエスがご来臨された目的の一つが、「地上に火を投ずるため」でした。その火は、聖霊の火です(49節)。聖霊なる神は、主イエスの苦難のバプテスマである十字架による救いを明らかにされ、主イエスを信じさせてくださるお方です(50節)。
 この主イエスの前に頭を垂れて謙虚になるときに、真の平和が私たちの魂と心と体の全存在に臨むのです(マタイ9章2節、ヨハネ14章27節、20章19~21節)。
 ところが、主イエスが来られたのは「分裂」をもたらすためでもありました(51 ~53節)。しかしその分裂は、イエスを主と受け入れるか、拒絶するかによってもたらされるものです。私たちは、分裂に対しても心の備えをし、そうした状況にあっても真の平和が確立されていくことを祈り求めていくのです。

2.主が再び来られるまでに  54~59節
 主イエスは、二つの譬えをもって語られました。一つは、今の時を見分けることができないために、主イエスを信じる信仰の応答をしない人々に呼びかけています(54~56節)。二つは、その時が分かっていながら、ずるずると判断も決断もしないで最後まで主イエスを拒むことへの警告です(57~59節)。
 私たちは、聖餐の制定をされた主イエスを想起しつつ(1コリント11章23~26節)、確かな永遠の弁護者イエスとその贖いの十字架をいつも拠り所とし、主が再び来られる終わりの時を覚えて、聖霊の促しによる決断と導きをいただいて歩み続けるのです。そこに、真の平和がもたらす交わりが生まれるのです。