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キリストに倣って(2009.12.13)

題   : 「キリストに倣って」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖書  : マタイ 1章18節~25節
クリスマスのメッセ-ジは、神が人を信頼された出来事を語っています。その結果、人が神を信頼し、人と人が信頼する関係に変えられていきます。このような信頼は、神の御旨に従うことによって生まれるのです。

1.キリストの従順
神が人となられたクリスマスは、私たちに希望を与えています。神は、先の「イエス・キリストの系図」に見た人間の罪の現実にもかかわらず、罪からの救い主イエスをお遣わしになったからです(21節)。そのためにキリストは、父なる神の御旨に従って、自ら十字架に架かって血を流し、罪の赦しを成し遂げてくださったのです。それによって、「神は我々と共におられる」という恵みに生きる道が開かれたのです(23節)。
このキリストが私たちの内に来てくださるなら、私たちの生活は一変します。また、キリストが私たちの内に来てくださると、キリストのために何でもするようになります。そして、キリストと共にいるなら、私たちは神のことがよく分かり、それが喜びとなります。

2.ヨセフの従順
ヨセフは、婚約者マリアの妊娠を知って、不信と疑惑で悩み苦しみ、彼女に対する愛に傷ついていたことでしょう。しかし彼は、このことを公然と問題にして訴えることをせず、ひそかに縁を切ることによって、世の人の非難を自分が負う決心をしたのです。彼は、そうした犠牲をもいとわない愛を持つ「正しい人」でした(19節)。
こうした決心の背後には、ヨセフに神の働きかけがありました(20節)。彼は自分の正しい決心を越えて、また自分の不安や恐れに動かされないで、神が語られる御旨に従ったのです(24~25節)。それは、彼が不動の境地を極めたというのではなく、ただ聖霊に動かされて神を信頼したからです。
神を信頼して、神の御旨に従うことが、キリストに倣うことなのです。そうすることによって、キリストの御心に近づく者とされるのです。

キリストに倣って(2008.2.24)

題   : 「キリストに倣って」   宣教:  鎌野 善三 牧師
聖書  : フィリピの信徒への手紙 2章1節~11節
キリスト教の中心は、キリストご自身です。クリスチャンは、常にキリストご自身を意識し、このお方の生き方に倣って歩む必要があります。パウロは、フィリピ教会の信徒たちに、そのような歩みがどういうものかを次のように解き明かします。

1.同じ思いとなる
私たちは、そんなに熱心なクリスチャンでないかもしれません。けれど「幾らかでも、キリストによる励まし」があるのなら、「同じ思い」となるように努めましょう。主が私たちのために命を捨ててくださったことを思うとき、私たちも他の人々のために、幾らかでも犠牲を払う生き方ができるのです。フィリピ教会にも意見の対立があったと思われますが(4:2参照)、どの教会もそんな問題を抱えています。しかし、主イエスに倣うなら必ず一致でき、みんなの「喜びが満たされる」のです。

2.へりくだる
一致の妨げとなるのは、利己心と虚栄心です。逆に一致をもたらすのは「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え」ることです。自分ができないことを他の人がやってくれていると考えるとき、教会は生きた「キリストのからだ」となります。へりくだるとは、「自分は何もできない」と言うのではなく、積極的に「他人のことにも注意を払う」ことです。もし何かをして「ありがた迷惑だ」と言われたときに、「ごめんなさい」と言えることこそ、本当のへりくだりです。

3.神に従う
主ご自身がへりくだりの最高の模範を示して下さいました。神の身分でありながら、自分を無にして、人間と同じ者になられました。さらに主は、父なる神の御心に従って、十字架の死に至るまで従順であられたのです。神の子であるお方さえ従われたのですから、私たちも当然そうすべきです。聖書を通して、悔い改めるべきことを示されたなら、奉仕の姿が問われたなら、献身の招きがあったなら、従順にその声に聞き従いましょう。従う者に、神は豊かな報いを用意しておられます。

キリストのことを思う機会が多ければ多いほど、私たちはこのお方に似たものとされます。本来私たちは、神の姿に似せて創造されたのですから。