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信仰の気づき

信仰の生まれるところ(2009.8.2)

題   : 「信仰の生まれるところ」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖書  : マルコ 9章14節~29節
ここには、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ以外の弟子たちの不信仰と、一人の父親の揺れ動く信仰が語られています。これらのことを通して、信仰が生まれるところには、必ず新たな信仰の気づきがあることを教えられます。

1.偉大な信仰の気づき
父親は、幼い時から「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊」に取り付かれた息子を癒していただきたい一心でいました。主イエスは、弟子たちの不信仰のゆえに成しえなかったことを忍耐して担い、「その子をわたしのところに連れて来なさい」(19節)と言われました。このように、人に求められることは、全能の主を信頼する素直さと、いかなることでも主イエスのもとに持って行くことです。
父親は、「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」(22節)と嘆願しました。それに対して、主イエスは、問題は父親自身にあることを指摘されたのです(23節)。この時父親は、「信仰のないわたしに」(24節)に気づいたのです。私たちも、様々な課題や問題に直面して、問題はこの自分にあると気づき、自分の信仰に思いを向けることです。これは偉大な気づきです。

2.時々刻々の信仰の気づき
この日、父親と息子は主イエスによって新しく立ち上がることが出来ました(25~27節)。
ところで、弟子たちは、悪質な霊を追い出せなかった理由が分かりませんでした(28節)。と言うのも、以前に主イエスから権威をいただいて遣わされた時には、悪霊を追い出すことが出来たからです(6章12~13節)。
信仰と祈りは(29節、マタイ17章20節)、時々刻々の継続と謙遜をもって主イエスの助けと導きを求めないと、無力になります。それは、祈りという敬虔な行為に力があるというのではなく、祈りは全能の神に信頼し、神の力に全く依存することなのです。この気づきがあるところに、信仰が生まれるのです。主イエスが、今日、どのように働いてくださるのか、期待したいものです。