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礼拝メッセージ

宿営の外に出て(2022.1.9)

聖 書

それで、イエスもまた、ご自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難を受けられたのです。 ですから、私たちも、イエスの受けられた辱めを身に負い、宿営の外に出て、御もとに赴こうではありませんか。(ヘブライ13章12〜13節)

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編96編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編65編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ4章21〜31節
ヘブライ13章12〜13節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「宿営の外に出て」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
成人祝福式 詩編119編105節、9節
1月誕生者祝福 ゼファニヤ書3章17節
賛  美 451 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「ガラテヤ4章21~31節」で語られていることを解説したのが、「ヘブライ13章12~13節」です。主イエスが苦難を受けながら「門の外」へ行かれたからこそ、救いの道が開かれました。その救いに与った者は、「宿営の外に出て」信仰の歩みを続けるのです。

1.束縛から自由な者となるために  ガラテヤ4章21~31節
ここでは、アブラハムの二人の息子を対比させつつ(創世記16~21章参照)、神の救いに与る道を明らかにしています。まず、女奴隷から生まれた子は、「肉によって生まれた」のであり、救いのために律法の奴隷となる者を代表しています。そして、自由の女から生まれた子は、神の「約束を通して」かつ「(聖)霊によって」生まれた者であり、信仰によって神の祝福に与っている者を代表しています。
私たちも後者の信仰に立つとき、成功しては誇り、失敗しては落胆しているような束縛から解き放たれて、自由と喜びをもって主イエスに従う道を歩み続けるのです。

2.聖なる者となるために  ヘブライ13章12~13節
神が聖なる方であられるように、信仰者も聖なる者であることが望まれています。それが私たちのものとなるための条件として、ガラテヤの信徒たちにあったような律法主義に生きる「宿営から外に出る」ことが必要です。
私たちには、出ようとしない宿営がありあります。律法主義とともに律法を無用として生きる生き方、世俗主義に留まっている生き方、自己中心主義に立てこもってしまっている生き方です。流された主イエスの血によって聖なる者とされるために、私たちは閉じこもっている「宿営の外に出る」ことが大切です。

 

歓喜、歓喜、歓喜(2022.1.2)

聖 書

そのように、私の口から出る私の言葉も空しく私のもとに戻ることはない。
必ず、私の望むことをなし私が託したことを成し遂げる。(イザヤ55章11節)

礼拝音源(28.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書43章18〜19節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編96編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編100編1〜5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「歓喜、歓喜、歓喜」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 17 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神の民の礼拝において用いられてきたのが、詩編100編です。神が命じておられることは(1~2節、4節)、どこまでも神の恵みによるものでした(3節、5節)。それへの信仰の応答は、「喜び」と「感謝」が鍵語となって展開されています。

1.喜びと感謝をもって賛美をささげよ
神の民は、喜びと感謝をもって主を賛美し礼拝をささげています(1節、2節b、4節)。この喜びと感謝は、神の恵みとして与えられるものです。そして、その歓喜の極致が「主こそ神と知れ」とあるように、体験的に主を知ることです(3節a、詩編22編4節参照)。
主は、御自身の御心が現わされるように人を造られ、主のものとされ、主の民として導かれます(3節bcd、エフェソ2章8~10節参照)。そこから生まれる歓喜は、口先だけのものではなく、喜んでささげる感謝となって具体的に表されます(4節)。ここに、天の御国を味わうことのできる豊かな人生が展開されていくのです。

2.喜びながら主に仕えよ
詩編100編は、神の民がバビロン捕囚から解放され、神殿が再建され、礼拝が回復された歓喜を歌っています(詩編126編1~3節参照)。つまり彼らの歓喜の根拠が、神御自身とその救いのにあったのです。その応答としての生き方が、礼拝者として「喜びながら主に仕え」ることなのです(2節a)。
「喜びながら主に仕え」の後に続く何かは、私たち一人ひとりと教会が祈りつつ、創造的に考え、具体的に生み出されていくことが求められています。

 

神の言葉のすごみ(2021.12.26)

聖 書

そのように、私の口から出る私の言葉も空しく私のもとに戻ることはない。
必ず、私の望むことをなし私が託したことを成し遂げる。(イザヤ55章11節)

礼拝音源(25.9MB)
※申し訳ございません。データが途中で終わっておりました。
修正分をアップしております。よろしくお願いいたします。

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書60章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編103編1〜5節
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ55章8〜13節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神の言葉のすごみ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 54 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

最初のクリスマスを経験した人々は、神の言葉を聞いて受け入れ、その事実を担いました。それは、人が想像した以上のことが神によって成されるという、神のすごみとも言えることでした。私たちも同様に、その神の救いの御業に与る経験をするのです。

1.人の思いや道を超えて  8~9節

イザヤを通して、バビロン捕囚から解放される神の救いの預言がなされています。憐れみの神は、御自身の民を回復させるために、恵みの招きをされています(55章1~7節)。

この神は、御自身と思いや道と人の思いや道とを比較されながら、人がそれを簡単に把握したり、理解したり、納得したりできないほどのものであると語られます(8~9節)。

したがって、神が私たちを導いておられるとの畏敬の念を抱き、神への信頼へと堅く立たせていただくことが必要です。神の思い・御計画・みこころは、私たちには計り知れないものがあるのです。

2.神の言葉を成し遂げられる  10~11節

神は、御自身の思いや道を「私の口から出る私の言葉」とある神の言葉を通して明らかにされます。神の言葉には、御自身のお考えや御計画が込められており、それを人が受け入れるならば、御言葉が持つ救いと命と力がその人の現実となっていくのです。

イザヤ書には、イエス・キリストによって成し遂げられた救いの御業と人の真相が語られています。その御言葉を信じ受け入れ、信頼して歩み出すならば、私たちが祈り願った以上のことを実現させてくださる神のすごみを経験するのです。そこに、絶えることのない歓喜と祝福があるのです(12~13節)。

 

この一事のために(2021.12.19)

聖 書

家に入ってみると、幼子が母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。(マタイ2章11節)

礼拝音源(29.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 テトス2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編100編1〜5節
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ2章1〜12節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「この一事のために」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
洗礼式 67
賛  美 258 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリスト礼拝こそが、クリスマスに最もふさわしい私たちのあり方です。東方の博士たちは、キリストに出会い、非常に大きな喜びに溢れてひれ伏し、礼拝をささげました(10~11節)。このことが、私たちに最も必要なことなのです。

1.キリストを知る
博士たちは、星に導かれて旅立ち、救い主に出会い、キリストを礼拝しました。キリストを拒絶して不安を抱いたヘロデ王、また聖書知識はあったもののキリストには無関心であった学者たちとは、大きな違いでした(3~8節)。博士たちは、大切な「宝の箱を開けて」献げました。黄金はキリストが真の王であることを、乳香は神と人との交わりの回復を、没薬はキリストの十字架の死を表しています。
私たちは、御言葉に導かれてキリストに出会い、その御前にひれ伏し礼拝を献げることを通して、キリストを知り続けるのです。

2.キリストによって揺り動かされる
博士たちは、「別の道を通って」いつもの日常の中へ帰って行きました(12節)。神と取引するように、神が語られることを聴き取り、それに服して従いました。それは、新しい歩みへの方向転換であり、神と共に歩み続ける新しい人生の旅路でした。
私たちは、キリストの前にひれ伏し礼拝を献げることを通して新しくされ、遣わされていきます(マタイ28章17節)。その日々の連続が、ついに天の御国におけるひれ伏す礼拝へと至るのです。キリストとその御言葉によって揺り動かされる聖徒の群れが、教会なのです。

神は私たちと共に(2021.12.12)

聖 書

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」これは、「神は私たちと共におられる」という意味である。(マタイ1章23節)

礼拝音源(31.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ40章9節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編130編1〜8節
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ1章18〜25節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神は私たちと共に」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 231 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスの御降誕の出来事は、神の愛の冒険でした。とともに、神の信頼の冒険でもありました。神が人となって私たちのもとに宿られ、私たちと共におられるほどに私たちを信頼され、私たちも神を信頼して神と共にいるのです。

1.神は私たちと共におられる
主イエスは、その系図に見るように、人間の罪と嘆きの現実の中に到来されました(1章1~17節)。それは、人間の力によるのではなく、聖霊による御業でした(18節、20節)。
この主イエスが来られた目的は、その名とされた「イエス」と「インマヌエル」とに明らかにされ、互いに結びついています(21節、23節)。
すなわち、主イエスは、神との間を隔てていた罪の赦しを十字架によって成し遂げられたことによって(イザヤ書59章1~2節)、神が私たちと共にいてくださいます。私たちは、「いつも」そして今日も主の臨在に囲い込まれているのです(マタイ28章20節)。

2.私たちも神と共にいる
それは、「マリアを妻に迎えた」ヨセフの信仰姿勢に見ることができます(24節)。すなわち、人間としての正しさを越えた(19節)、「恐れずマリアを妻として迎えなさい」(20節)との招きに、信仰によって応答しました。ヨセフは、沈黙の中で、神の前で思い巡らし(20節)、神の御言葉と御旨に従ったのです。
私たちは、神の前にひとりになり、神の御言葉と御旨に従う中から神と共にいることを知らされ、神への信頼へと導かれていくのです。

恵みがやってくる(2021.12.5)

聖 書

天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(ルカ1章28節)

礼拝音源(34.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編98編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編108編1〜7節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ1章26〜38節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みがやってくる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
12月誕生者祝福 ヨハネ10章10節b~11節
賛  美 461 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

御子イエスの御降誕の事実は、神の恵みがやって来たことを明らかにしました。ここに語られているマリアへの受胎告知は、マリアを通して、人はこの恵みと出会い、その恵みを受け取る必要があることを語っています(28節、30節)。

1.恵みに捉えられる
未婚の娘マリアにとって子を宿すことは、驚きあやしむことしかできないことでしたが、神の全能によって成し遂げられたことでした(35~37節)。同時にこの事実は、罪と悪に満ちた世界に独り子を送り込むと言う神の冒険でもありました。
マリアは、神の前から逃げることなく、神の御計画を信頼し、一切を託したのです(38節)。彼女にそうさせたのは、神の御言葉に促され、導かれ、支えられてのことでした(28節、30節、35節、37節)。同じように私たちは、主イエスによって成し遂げられた神の救いの恵みに捉えられて、飛び込んでいくのみです。

2.恵みにより方向づけられる
マリアがこのように恵みを受けたことは、大きな試練を通してでした(29節)。それは彼女が、「主の仕え女」として選び取った恵みの経験でした。そして、その後も数々の苦難を受けた中で、わが子が十字架に架けられるという経験をします(ルカ2章35節)。
マリアのこの恵みの経験は、パウロが「あなたがたには、キリストを信じることだけではなく、キリストのために苦しむことも、恵みとしてあたえられているからです」(フィリピ1章29節)と語ることと重なり合います。同じように私たちは、「キリストのために苦しむ」ことの恵みによって、信仰の歩みの方向づけをさせていただくのです。

闇の中に光が訪れる(2021.11.28)

聖 書

これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって高い所から曙の光が我らを訪れ
暗闇と死の陰に座している者たちを照らし 我らの足を平和の道に導く。(ルカ1章78〜79節)

礼拝音源(29.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ13章12節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編113編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ1章76〜79節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「闇の中に光が訪れる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 503 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

憐れみ深い神は、洗礼者ヨハネの働きについて(76~77節)、「曙の光」である主イエスの救いの御業について(78~79節)、ザカリアを通して語っておられます。
私たちは、それを捉えることのできる信仰の眼を持たせていただきたいものです。

1.光は闇に勝利した  78~79節
ルカは、主の御降誕を旧約聖書に預言されている約束に結び合わせて語っています(イザヤ8章23節~9章6節)。クリスマスの出来事は、争いという悲惨・社会の悲痛・人類の失敗・罪の暴挙といった「暗闇と死の陰」がもたらすことによって苦しむ人々に、「曙の光」である主イエスが訪れてくださり、神の救いの道を開いてくださいました。
そして、主イエスは私たち一人ひとりを支配している罪と死の暗闇から解き放つために、「低きに下って」くださり、十字架と復活による勝利と永遠の希望の光をもたらしてくださったのです(詩編113編4~8節)。

2.闇の中にあって光を証言する  76~77節
洗礼者ヨハネは、人々が主イエスを救い主として受け入れる「道を備え」る働きをしました。それは、彼が決して自分自身が人々に救いを与えることができるなどとは考えず、彼らに主イエスによる「罪の赦しによる救いを知らせる」ことでした。
神の憐れみによって救いに与った私たちには、他の人々の救いのために道備えをするように、各々にふさわしい働きを託されています。私たちが祈ること、信仰の証しをすることなどによって、主イエスが彼らを救いへと導いてくださいます。主なる神は、私たちが小さな洗礼者ヨハネとして生きることを期待し、待っておられるのです。

 

よみがえる人生(2021.11.21)

聖 書

イエスは言われた。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。(ヨハネ11章25節)

礼拝音源(26.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ11章25〜26節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
証し
宣  教 「よみがえる人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
幼児成長祝福式 詩編71編5~6節
賛  美 57 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、さまざまに失うという経験をします。その中で最後に経験するのが、「命を失う」という死に直面することです。その時に、いつまでも残る信仰と希望と愛によって(1コリント13章13節)、よみがえる人生へと導かれたいものです。

1.死を覚えよ
マルタとマリアは、病気のラザロが癒やされることを願って「主よ、あなたが愛しておられる者が病気なのです」と、主が最善をしてくださることを期待して、お任せしようとしました(11章1~6節)。しかしその結果は、愛する者の死という悲しみに直面したのです(同7~16節)。それでもなお彼女たちは、主イエスに「終わりの日の復活の時に復活する」との将来に望みを置いています(同22~24節)。
私たちは、死の現実に対して自らの人生のはかなさを痛感します。その死を覚えつつ、主イエスに望みを置くのです。

2.主イエスを忘れるな
ところで、主イエスは「私は復活であり、命である」と語られたように、十字架において人の罪の問題を解決しくださり、復活されて死の問題に解決を与えてくださいました。この主イエスを信じる者は、死の不安の中にあっても復活の命を与えられ、復活の時によみがえるのです。そして、罪のゆえに永遠の死を恐れる者には、主イエスを信じる今この時に、永遠の命が与えられ、新しく生きるようにされるのです(同25~26節)。
主イエスを信じる私たちは、死から命へと移されたよみがえる人生の歩みをします。その信仰に生きる歩みは、継承されていきます。

大いなる見もの(2021.11.14)

聖 書

すると、柴の間で燃え上がる炎の中に、主の使いが現れた。彼が見ると、柴は火で燃えていたが、燃え尽きることはなかった。(出エジプト3章2節)

礼拝音源(41.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨエル3章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編16編
会衆祈祷 一  同
聖  書 出エジプト記3章1〜12節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「大いなる見もの―燃える柴―」 工藤弘雄師
祈  祷
賛  美 新聖歌409 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

燃える柴!何と大いなる光景でしょうか。もろく、燃えやすく、価値なき柴が燃え続けるとは!これこそ神の民の象徴、憧れ、幻です。モーセはこれに生きました。大いなる見もの!その燃える柴に見るクリスチャンとはどのようなキリスト者でしょうか。

1、火を受けたキリスト者
火がすべてを焼き尽くし、輝かせ、燃え上がらせるように、第1にすべての罪、汚れを十字架の祭壇で聖霊の火により焼き尽くされ、第2に焼き尽くされたゆえに聖霊の臨在に輝き、第3に聖霊により救霊と愛のわざに燃えるキリスト者と言えるでしょう。

2、履き物を脱いだキリスト者
靴を脱ぐ!それは何を意味するでしょうか。第1に権利の譲渡です。モーセもヨシュアも主の前で靴を脱ぎ、主に全権を明け渡しました。第2に主に下駄を預けるように主を全く信頼することです。第3に僕になりきり主を拝し、主に栄光を帰すことです。

3、神の重荷をわが重荷とするキリスト者
モーセはここで神のはらわた、重荷、痛みを知らされました。第1に同胞の苦しみをつぶさに見、第2に同胞の叫ぶ声を聞き、第3に同胞の痛みを確かに知りました。主はカルバリーまで降られました。行けモーセ!モーセはエジプトに遣わされたのです。

聖霊の火を受け、主の前に靴を脱ぎ、救われていない同胞への神の重荷を持っていますか。バックストン、ウィルクス、澤村、小島、本田先生方は燃える柴の存在でした。「バックストンの流れ」(別紙プリント参照)に生きる私たちも燃える柴となりましょう。

魂を生き返らせてくださる神(2021.11.7)

聖 書

主は私の魂を生き返らせ御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。(詩編23編3節)

礼拝音源(27.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エフェソ5章14節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編121編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編23編1~6節
1ペトロ2章24〜25節
使徒信条 93-4  1A 一  同
証し
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「魂を生き返らせてくださる神」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
11月誕生者祝福 1ペトロ1章3節b
賛  美 226 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

信仰の先輩たちは、何を信じ、どう歩んだかを知って、それに倣って生きることが大切です。その人たちに共通していることは、神に信頼する歩みをされたことでした。その神は、「魂を生き返らせ」てくださるお方です(詩編23編3節)。

1.魂を癒やしてくださる
羊飼いにたとえられている主なる神は、不安・疑い・恐れ・疲れを経験する私たちに、必要なものを備えて与え、共に歩み、危険から守り、勝利を与え、憩わせてくださるお方です(詩編23編1~4節)。そして、豊かに溢れるほどの恵みと慈しみをもって、喜ばせてくださるお方です(同5~6節)。
そのために、「魂の牧者であり監督者(見守る方)」である主イエスは、私たちの魂を最も傷つけている罪を十字架によって赦し、魂を癒やし、主のもとに立ち返らせてくださったのです(1ペトロ2章24~25節)。私たちは、十字架の主に信頼するのみです。

2.絶えず主のそばに導いてくださる
「私は乏しいことがない」とは、万事が思うように都合よくいくといった時ばかりではありません(詩編23編1~2節)。時には「死の陰」と思われる恐れを経験したり、「苦しみ」に出会ったりします(同4~5節)。
しかし、主はいつもご自身の面子にかけて、必ず「正しい道」そして勝利の道へと導いてくださいます(同3節)。「あなたは私と共におられる」と、主の臨在こそが私たちの救いです(同4節)。主イエスがいつまでもそばにいて寄り添い、その恵みと慈しみの確かさ、深さ、強さをもって導いてくださるからです。

変えられる人生(2021.10.31)

聖 書

すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。(ヨハネ5章9節a)

礼拝音源(27.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ5章1~9節
使徒信条 93-4  1A 一  同
証し
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「変えられる人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 456 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

長年病気で苦しんできたひとりの人は、主イエスから「良くなりたいか」と尋ねられたことに応答して良くなり、生まれ変わらせていただきました。このように本気で問いかけられる主イエスは、どのようなお方なのでしょうか。

1. 見出し受け止めてくださる
このひとりの人は、何ともならない倦怠感と挫折感だけが残り(5節)、助けをえられないとの無力感を味わう(7節)日々を歩んでいました。主イエスは、このひとりの人の前に立ち止まり、彼を見られ、その窮状を知って、その悩みと痛みをご自身の身に受け止められました。本気で「良くなりたいか」と語られています(6節)。
心身の弱さだけでなく、人は誰もが罪の惨めさと死の恐れの経験をします。それらから、何とかならないかとあえぎ、諦め、無力感を持ちます。主イエスは、今もその惨めさを抱く一人ひとりを見出して受け止め、愛の眼差しをもって語りかけられるのです。

2. 起き上がらせ新しい歩みを造ってくださる
主イエスは、このひとりの人のすべて受け止め、担うとともに、起き上がらせ、なお深く関わっておられます(8節)。この主イエスの愛するという行動に応答した彼は、瞬時に良くなって、主イエスによって新しい歩みが造られていったのです(9節)。
続いて主イエスは、このひとりの人に「もう罪を犯してはいけない」(14節)と語られています。その罪と死に対する解決は、真実な主イエスと十字架と復活による救いにしかありません。主イエスは、今この時も「あなた」の前に立たれ、「良くなりたいか」と問いかけ、それに応答するように招いておられます。

信仰による望み(2021.10.24)

聖 書

そして、彼もその家族もこぞって信じた。(ヨハネ4章53節b)

礼拝音源(32.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章43~54節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰による望み」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 474 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、十字架と復活による主イエスの救いに与り、今も共に歩まれる主イエスの恵みに与り続け、再臨される主イエスに望みを置いて生きています。ここから生きた信仰が生まれます。その良い例が、「王の役人」にみる信仰でした。

1.主の御言葉を信じて一歩を踏み出す  46~50節
王の役人は、息子が病気で死にかけているという予想だにしなかった深刻な問題に直面していました。そのことに心を支配されていた彼は、主イエスに息子の癒しを繰り返し執拗に「頼んだ」のです(47節)。主イエスは、自分の無力を思い知らされていた彼に対して、冷たい返事をされましたが、彼は懇願し続けました(48~49節)。ついに彼は主イエスからお答えをいただき、「イエスの言われた言葉を信じて帰ったのです」(50節)。
事が思い通りに運ばなかったりすると、信仰がぐらつきやすくなります。王の役人のように、私たちも御言葉に従って一歩を踏み出す信仰が求められます。

2.さらに深く主を信じさせていただく  50~53節
主イエスは、しるしや不思議な業を見なければ信じない人々に対して(48節)、主イエスの御言葉を聞いて信じたサマリアの人たちを見よと言わんばかりに(41~42節)、主イエスの御言葉だけで十分な信仰に導かれることを証しされました(50節)。王の役人は、主イエスの御言葉を信じて帰って行くと、息子が癒されていたことを知り、もう一度「信じた」のです。しかも彼の家族全員の信仰を引き出すという祝福を体験しました(53節)。
信仰の確かさは、私たちの内にある何かでなく、仰ぎ見る主イエスにあるのてす。聖餐の恵みは、望みを抱いて、信仰の吟味をいただく時です(1コリント11章26~28節)。

喜びを共にする(2021.10.17)

聖 書

あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月ある』と言っているではないか。しかし、私は言っておく。目を上げて畑を見るがよい。すでに色づいて刈り入れを待っている。刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、蒔く人も刈る人も共に喜ぶのである。(ヨハネ4章35〜36節)

礼拝音源(27.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編26編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章27~42節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「喜びを共にする」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
長寿祝福・感謝の時
賛  美 459 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、一日を最後の日であるかのように遣わされて生きていくならば、人生を前向きに生きることができます。主イエスが神から遣わされ方であったように(34節)、弟子たちも主イエスに遣わされて生きることを喜びとするように導かれました(38節)。

1.主イエスの喜びを共にする
サマリアの女は、主イエスによって救われた喜びを人々に語らずにはおれませんでした。その証言はサマリアの人々の魂を揺り動かし、主イエスを信じる者とされました(30節、39~42節)。サマリアの女に成し遂げられた父なる神の御業は、主イエスの喜びでした(34節、ルカ15章5~7節参照)。
主イエスは、弟子たちを使命をもって遣わそうとされます。主イエスが福音の種を蒔いてくださり、弟子たちがその福音の実を借り入れことによって「共に喜ぶ」ことを願われてです(35~36節)。私たちには、この喜びを知る生き方に変えられ、その喜びが増し加わっていくことが願われています。

2.同労者と喜びを共にする
主イエスに遣わされた「ほかの人々が労苦し」、主イエスに遣わされた人々が実を刈り入れ「共に喜ぶ」ということは、今日に至るまで続けられています(使徒言行録8章参照)。そこには、同労者として喜びを共にするという恵みがあります(35~38節)。
このことを知るならば、共に感謝と喜びがあり、また自分を誇ることができないと謙虚にならざるを得ません。私たちは、いかなる立場であっても、神の国の建設に仕える喜びを共にするために、遣わされて生きる一人ひとりなのです。

愛の懇願(2021.10.10)

聖 書

私の子どもたち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、私は、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。(ガラテヤ4章19節)

礼拝音源(22.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ12章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編126編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ4章12~20節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「愛の懇願」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 512 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神の子とされていたガリラヤの信徒たちは、そのキリスト信仰が不確かになり、キリストから離れていきました。それに対してパウロは、彼らとの親しい交わりを回顧しつつ、信頼を込めて愛の懇願をしています(12節、19節)。

1.キリストの福音に留まり続けるように  12~15節
パウロは、律法から解き放たれて、キリストの救いに与る生き方に変えられました。ガラテヤの信徒たちは、世を支配するものから自由にされて、キリストによって新しい生き方をするようになりました。両者は、キリスト信仰に生き、キリストに従う者となって、互いに倣うものとなったのです(12節)。
そのガラテヤの信徒たちは、病と弱さを持っていたパウロを拒むことなく受け入れ、パウロが語るキリストの福音を素直に受け入れて幸いを味わったのです(13~15節)。この時の彼らに見る信仰をもって、キリストの福音に留まり続けることが大切です。

2.キリストが形づくられるように  16~20節
ところが、ガラテヤの信徒たちは、キリスト以外のものに土台を置いて生きることに逆戻りしていきました(16~17節)。そんな彼らにパウロは、熱い愛をもって十字架の福音を語り続けるのです(18節)。
そして、その信仰が成長していくことを願い、再び産みの苦しみをしました。その願いは、一人ひとり内に、かつキリストの体である教会の間にキリストが形づくられ、キリストの愛に満たされることでした(19節)。人が途方に暮れるようなことがあっても、キリストは失望させなさることはありません(20節、2コリント4章8節)。

神の子として生きる(2021.10.3)

聖 書

ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人でもあるのです。(ガラテヤ4章7節)

礼拝音源(32.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1テモテ1章15節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編65編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ4章1~11節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神の子として生きる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
10月誕生者祝福 2テモテ2章1節、8節
賛  美 12 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

本日の聖書箇所のメッセージの要約は、「あなたはもはや奴隷ではなく、子です」(7節)とある通りです。ここでは、私たちが神の子としての生涯をスタートし、神の子としての生涯を全うするように招かれています。

1.神の子とされる   1~6節
かつてのパウロは律法を遵守することに救いを見出していましたし(3節)、異邦人のガリラヤ人は「神でない神々の奴隷となって」その生き方に依存し束縛されていました(8節、10節)。そこには、迷信に縛られたり、自分で得た価値観に流され依存している人間の姿があります。
私たちは、そのようなところからキリストの十字架によって贖い出され、神の子として、神と共に生きるようにされたのです(4~5節)。そして、「御子の霊」すなわち聖霊によって「アッバ、父よ」と神に祈り、神に近づく者とされたのです(6節)。

2.神の子として育てられる   6~11節
さらに、神の子とされた者は、栄光の日に復活の体に変えられて永遠に生きるものとされるという財産を受け継ぐ「相続人」にされています(7節)。聖霊は、終わりの時まで神の子を育てられ、守り続けられるのです(6節、ローマ8章14~17節参照)。
にもかかわらず、私たちを福音から引き離して律法に生きることが魅力的になったり、迷信などに隷属させるという「逆戻り」が起こるのです(9節)。ですから、私たちは、今では神を知っている、いや知られている神の子として育てられているという恵みを絶えず確認することです。このためにも、聖餐の恵みにあずかり続けるのです。