月別アーカイブ: 2022年3月

信仰は実践的なもの(2022.3.27)

聖 書

口でイエスは主であると告白し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。(ローマ10章9節)

礼拝音源(31.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編8編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ19章38〜42節
ローマ10章9節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰は実践的なもの」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 448 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「アリマタヤ出身のヨセフ」と共に「ニコデモ」(3章1節以下)は、十字架に死なれた主イエスのお体を引き取るという行動をすることにより、「イエスの弟子」であることを公にしました。このように神は、一人ひとりに相応しい出る幕を用意しておられます。

1.主イエスにどこまでも愛されているから
主イエスは、慈しみと慰めに満ちたお方です。それは、主の弟子たちを守り通されたことを通して明らかです(18章19~20節)。
それに対して、ニコデモは主イエスを弁護できないで沈黙し(7章50~51節)、彼も主の弟子であることを「隠していた」のです(38節)。そこには、他の人の顔や評判に恐れやすい心があり、神を信頼し切れない姿があります(12章42~43節)。
しかし、主イエスは、そのようなニコデモを始めとする主の弟子たちに、深い豊かな愛を注ぎ、最後まで愛し通されました(13章1節)。

2.主イエスのために生きるようになるため
主イエスの葬りに際して、それまでひそんでいたニコデモの信仰が公に表されました。主の教えも数々の奇跡も成しえなかったことを、主の十字架の死が彼を引き寄せ、イエスを主として見える形で崇めて生きるようになったのです(39~40節)。
「口でイエスは主であると告白」(ローマ10章9節)するとは、心で信じたことを口と存在と行動をもって表すことです。つまり、イエスを主として従っていくことを行為に表し、主イエスのために生きることです。このように神によって出る幕が設けられたことを通して、私たちが神の祝福を周囲に及ぼす者とされていくのてす。

礼拝ご案内・行事予定(2022年4月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

 

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日) 第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00
第2礼拝 :AM 10:45 ~ 11:45
第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00
○成人科プログラム (毎週日曜日)
AM9:30 ~ 10:15 楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。
3日(日) 第1聖日 礼拝
「新しく造られること」
ガラテヤ6章11~16節
十字架上での祈り
ルカ23:32~38
鎌野 健一
10日(日) 第2聖日 パームサンデー礼拝
「主に立ち帰るために」
マタイ26章17~35節
十字架による救い
ルカ23:39~43
山崎 勝
17日(日) 第3聖日 イースター感謝礼拝
「人生は空しいものではない」
ヨハネ21章1~14節
よみがえられたキリスト
ルカ24:1~12
増永 茂
24日(日) 第4聖日 伝道礼拝
「キリストの招きには限界がない」
ヨハネ6章22~40節
祈りと証し

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~11:30、PM 7:00 ~ 8:00

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。

4月行事予定

■ 3日(第1聖日)礼拝 4月誕生者祝福 奉仕者任命式
■ 10日(第2聖日)パームサンデー礼拝 聖餐式 教会学校教師研修会(1)
■ 17日(第3聖日)イースター感謝礼拝 洗礼式
■ 24日(第4聖日)伝道礼拝

5月行事予定

■ 1日(第1聖日)礼拝 5月誕生者祝福  3~5 塩屋聖会(神学校)
■ 8日(第2聖日)母の日礼拝 銀婚式
■15日(第3聖日)礼拝 バルナバミッション祈祷会
■22日(第4聖日)子供礼拝
■29日(第5聖日)伝道礼拝 質問受付会

目指す地へ(2022.3.20)

聖 書

そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。(ヨハネ6章21節)

礼拝音源(28.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編4編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章16〜21節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「目指す地へ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 462 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ここでは、「あなたはどこに行くのか」、そして「どなたと一緒に行くのか」と問いかけています。そうした中から、「目指す地に」向かう主の弟子たちが自らの真相を知らされ、主イエス御自身の真実を知るように導かれています。

1.自らの真相を知る  16~19節
弟子たちは、主イエスによって「強いて」舟に乗せられました(マタイ14章22節)。主イエスは、深い意図をもって成されたのです。ところが弟子たちは、逆風に悩まされるという試練に遭い(同14章24節)、どうにもならない状態に置かれました。
このように主イエスは、私たちの信仰の旅路や教会の歩みにおいて試みることを通して、私たちの罪深さや弱さや足らなさといった真相を知らせ、信仰の深みへと導かれます。それはまた、神の御前にも、人の前にも、真の謙遜を学ばせるために通される恵みの経験でもあります。

2.主イエスの真実を知る  19~21節
主イエスは、恐れろうばいする弟子たちに、「私だ。恐れることはない」と声を掛けられました。弟子たちは、恐れゆえに主イエスを見失っていたのです。そして、「私だ」との声が聞こえなくなっていたのです。
私たちも同様です。恐れを抱くような危機に遭遇したとき、そのただ中におられる主イエスの声を聞けるかどうか、そこに信仰生活の勝敗はかかっています。こうした危機のただ中に真実な主イエスの臨在を覚え、「私だ、恐れることはない」との御声を聞きつつ、主イエスに導かれて「目指す地に」向かって歩むのです(申命記33~34章)。

蒔くことと刈り取ること(2022.3.13)

聖 書

自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。(ガラテヤ6章8節)

礼拝音源(27.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編2編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ6章6〜10節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「蒔くことと刈り取ること」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 514 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

この聖書箇所には、「蒔く」ことと「刈り取る」ことについてのテーマで語られています。私たちが信仰とその歩みに蒔き続けるものに対して、神が刈り取らせられることを教えています。何を蒔き、何を刈り取るのでしょうか。

1.良いものを分かち合う  6節
救いの神は、日々に私たちを担っていてくださる恵みに立って(詩編68編20節)、「おのおのが自分の荷を負」い(6章5節)、「互いに重荷を担」っています(同2節)。
この荷を負うことの大切なことの一つに、御言葉を語り教える者とそれを教えられる者とが、互いに神の国に仕えていきます。前者は御言葉の真理を学んで得た良いものを、後者は働きによって得た良いものを、共に神から授かった賜物として「分かち合」うことによって(1コリント9章11節)、「愛をもって互いに仕え」(5章13節)ているのです。これは、聖霊による交わり(コイノーニア)です。

2.聖霊に蒔く生き方をする  7~10節
霊の人は、神への奉仕、他の人の霊的・実際的必要を満たすために「蒔く」労苦をするように勧めています。神を尊ぶことは、他の人も尊ぶからです(7節)。それは、「自分の肉に蒔く」(5章19~21節)のではなく、「霊に蒔く」(同22~23節)ことにより、失望落胆して投げ出すことなく、時のある間に機会を生かして「善を行う」ことです。
それに対して、神が終わりの時に「刈り取り」をされます(マタイ16章27節)。神の恵みによって「永遠の命を刈り取」るのですから、怠惰になることなく、高慢になることもなく、日々に聖霊に蒔く生き方をしていくのです。

負うべき重荷(2022.3.6)

聖 書

互いに重荷を担いなさい。そうすれば、キリストの律法を全うすることになります。 (ガラテヤ6章2節)

礼拝音源(30.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編1編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ6章1〜5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「負うべき重荷」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
3月誕生者祝福 1ペトロ1章8~9節
賛  美 459 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

聖霊に導かれ、聖霊によって歩みまた進む信仰者たちが(5章16節、18節、25節)、「霊の人」です(6章1節)。その人たちは、他者との愛の実際的な関係が培われている人たちです(5章13~14節、22節)。そして、重荷を負って歩むことに生きる人たちです。

1.互いの重荷を  1~2節
霊の人は、柔和な主イエスによって自分たちの重荷を負っていてくださることを知っています(マタイ11章28~30節)。ですから、その人は、「過ち」に陥って罪責や自責の念といった重荷を抱えている人たちを、聖霊が結ばせてくださる実である「柔和な心」で回復させようとするのです。そのためには、自らも過ちに陥ることとのないように、謙虚であり続けることが大切です。
このようにして「互いに重荷を」担い合って生きることが、互いに愛し合うことであり(ヨハネ13章34節)、愛をもって互いに仕えていくことになるのです(5章13節)。

2.自分の荷を  3~5節
人と人との比較の中で生きていると、自分を欺いたり、間違った誇りを持ったままの中を過ごします。しかし、神の御前に自分自身を吟味しながら歩むことにより、人間理解が変えられ、他の人との関係と交わりが豊かなものになります。
そのような私たちは、次のような自分の荷を負っています。罪と死と滅びという自分が負っていた荷は、主イエスが十字架に架かられて代わって負ってくださいました(詩編68編20~21節)。そして、自分の全うすべき責務という荷は、神から託されています。教会は、このような「自分の荷を負う」ことを知る者たちの集まりです。