日別アーカイブ: 2018.02.11

新しい革袋として(2018.2.11)

宣教題  「新しい革袋として」        宣教 今田好一牧師
聖 書  マルコ2章18~22節

ヨハネの弟子とファリサイ派の人々は断食していましたが、イエス様と弟子たちが断食していないことで、彼らの間に断食問題を巡る論争が生じたのです。

1.古いぶどう酒と古い革袋
古いぶどう酒とは、ファリサイ派の人々が厳格に律法を守って救われようとする信仰の在り方で、古い革袋とは、その考えに基づく信仰生活です。イエス様は婚礼の客と花婿のたとえをもって、そうではないと言われました。それはイエス様ご自身を花婿にたとえることで、わたしが真の救い主だと言われたのです。

2.新しいぶどう酒と新しい革袋
 新しいぶどう酒とは、救い主が来られた祝いの酒であり、主の十字架による罪の赦しを示します。それを入れる新しい革袋とは、救われた者の喜びと感謝を示しています。わたしたちには、新しいぶどう酒を注がれた、新しい革袋としての新しい信仰の歩を整えていくことが求められているのです。

3.新しい革袋として
 キリスト者とされた者の生活とは、第一に、礼拝が喜びの日となり、第二に、毎日祈るようになり、第三に、神と人に仕える者とされることです。この礼拝と祈りと奉仕という点においてわたしたちは新しい革袋へとされ続けるのです。
 わたしたちも、新しいぶどう酒を注がれた者として、主に向かって喜びと感謝と賛美をもって主をほめたたえ、新しい革袋としての信仰の歩みをしていきましょう。