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権威ある新しい教え(2017.8.13)

宣教題  「権威ある新しい教え」       宣教 今田好一牧師
聖 書  マルコ1章21~28節
 
安息日の会堂に来られたイエス様が、そこで語られた権威ある新しい教えについて見ていきましょう。

1.権威ある者として
 当時は、礼拝の順序や役割が決まっておらず、多くは、律法学者が教えていました。そんな中、人々はイエス様の教えに非常に驚きます。何故なら、律法学者の権威は、人間的権威者の教えを引用して作られた権威であり、イエス様の権威は、人格に本来備わっていたものだったからです。つまり、言葉が人となられたのがイエス様です。権威ある者として語られたその証拠は、神の子、救い主であるという事実に基づいていたからなのです。

2.汚れた霊を追い出す
 イエス様は、言葉によってだけではなく、御業によってもご自身の権威を明らかに示されました。汚れた霊は、イエス様がだれであるかを、そして何をしに来られたのかを知っていました。ですから、彼らは「かまわないでくれ。」と叫んだのです。しかし、イエス様は汚れた霊の本来の目的をご存知であられたので、「黙れ。この人から出ていけ」と、言葉によって汚れた霊を叱られ、御業によって追い出されたのです。ここに御言葉と御業によるイエス様の神としての権威が表されているのです。
私たちがこのところから学ぶべきことは、この世の権威を恐れる必要はないということと、汚れた霊の業を見分けて、それを退けるということです。そのためには、イエス様の御言葉と御業の権威に対する、不動の信仰が、教会にとっても、私たち一人一人にとっても必要なのです。