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シャローム(2018.8.6)

宣教題  「シャローム」          宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書  エフェソ2章11~22節
 
 イエス・キリストとの出会いには、別離はありません。キリストが私たち一人ひとりにもたらしてくださるのが「平安」で、人と人との間にもたらしてくださるのが「平和」であって「シャローム」と呼ばれています。「実に、キリストはわたしたちの平和」なのです(14節a)。あなたは、このシャロームの世界に生きていますか。

1.以前は遠く離れていたが  11~13節
 ここに、人がキリストに出会う前の姿が描かれています。神の救いから「遠く離れて」、内に腐敗したものを持ち合わせ、キリストを知らず、天に国籍を持たず、救いの約束にも縁遠く、永遠の希望がなく、神を知らない者でした。まさに、キリスト抜きの人生(マタイ14章22~33節参照)、罪の赦しを得ていない歩み(マタイ9章1~8節)、死に勝利していない人生でした(ヨハネ20章19~23節)。
 キリストの最大の遺産である「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」(ヨハネ14章27節)と招かれるキリストの救いから、どれほど遠く離れていることでしょうか。

2.今やキリストによって  13~22節
 ユダヤ人と異邦人には、「敵意という隔ての壁」(14節)がありました。この敵意は、人の心の中にある罪の性質です。しかし、今や「キリストにおいて、キリストの血によって」(13節)、「こうしてキリストは」(15節)「十字架によって」(16節)、「二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊」されました(14節b)。
 このように、十字架上においてキリストの血が流されることによって神の義が貫かれ、その結果、キリストの平和(平安)がもたらされたのです。キリストは、神と私たち一人ひとりを神に近づけてキリストの平安で満たし、人と人との間をキリストの平和で織りなしてくださるのです(17~22節)。