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福音の熱望

私たちが熱望するもの(2012.9.12)

宣教題  : 「私たちが熱望するもの」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : 使徒言行録 19章21~22節

ここに、パウロの宣教の途上における幻が語られています。それは後日、パウロが、「・・・何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので・・・」(ロ-マ15章23節)と同じことを伝えていますが、エフェソ伝道以前から彼の内にあった熱望でした。

1.福音の拡がりを熱望する
パウロは聖霊に導かれて、これまでエルサレムから始まり、ユダヤ、サマリア、小アジア、マケドニア、アカイア、そしてエフェソ伝道と進めてきました。その後に、「ロ-マも見なくてはならない」と、ロ-マそしてイスパニアへの伝道を神の御心と計画していたのです(ロ-マ15章24節)。その前に彼は、遠回りするように、マケドニアとアカイアの各州を通り、エルサレムに行くことを考えていました。
このような熱情は、どこから生まれてきたのでしょうか。それは、神が私たちを救おうとされた熱情からであり、その神の愛の熱情に打たれ、救いの恵みを信じ、従ったところから生じました。福音の拡がりを熱望する私たちは、福音のたすきを途切れることなく受け渡していくことが必要です。

2.福音の交わりを熱望する
パウロが、遠回りしてエルサレムに向かい、テモテとエラストをマケドニア州に先に送りだしたのには理由がありました。彼が、福音の拡がりに対する感謝をエルサレム教会に報告するときに、経済的に困難を覚えていた同教会に、異邦人教会からの献金を届けるためでした。彼がこうした行動をとったのは、ユダヤ人教会と異邦人教会が、キリストに在って一致するという福音の交わりを熱望したからでした。彼は、目前の急務を先行させつつ、福音に仕える歩みを踏みしめて行ったのす(ロ-マ15章25~29節)。
以上のように、パウロを熱望させた根底には、「・・・わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています」(フィリピ1章20節)との信仰がありました。これは、私たちの切望でもあります。

福音にあずかる(2008.6.1)

題   : 「福音にあずかる」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖書  : フィリピ 1章1節~11節
私たちが、いかなる状況下にあっても、またどのような時にも歓喜の生活を送ることは難しいものです。私たちの人生全般に喜びが満ち溢れているためには、イエス・キリストに結び合わされて、福音にあずかり、また福音にあずかり続けることが大切です。

1.福音にあずかっていることの感謝  3~8節
「福音にあずかっている」とは、イエス・キリストの十字架と復活によって現された神の救いの福音を聴いて、それを信じ救われたところから始まります。この福音の惠みを共有する私たちは、聖霊との交わり(2章1節)とキリストの苦しみにあずかりつつ(3章10節)、福音のために重荷を持って福音を伝えていくことにより、福音に生きる喜びを分かち合っていくのです。
フィリピ教会は、その誕生の最初の日から(使徒言行録16章11~40節)、この手紙が記された時まで、パウロの宣教の働きを共有してきました(フィリピ4章14~15)。パウロは、そのことをキリストの愛の心をもって受けとめ、感謝しています。
福音にあずかった者として、福音のために自らとその人生、そして時や財などを共有し、福音が広められていく喜びを経験したいものです。

2.福音にあずかり続けることへの祈り  6節、9~11節
私たちは、福音にあずかり続け、やがて「キリストの日」と言われる主の再臨の日に、主の御前に立つことのできるよう願っています。そのためには、それを成し遂げ全うさせてくださるイエス・キリストご自身に信頼し、任せていくことが大切です。
そして、私たちが、神を愛し、他者を愛し、キリストの体なる教会を愛する愛に富ませていただき、鋭い感覚を与えていただくことが大切です。それによって、何が神のみこころに適う重要なことであるかを判断させていただきつつ信仰生活を歩んでいくのです。
以上のことに、私たちの祈りの焦点が置かれていることが重要です。そうした中から、私たちはキリストの体なる教会に身を委ねるものとして、福音にあずかり続けていく喜びを経験したいものです。