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礼拝メッセージ

失われない希望(2024.10.13)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

そればかりでなく、苦難をも誇りとしています。苦難が忍耐を生み、忍耐が品格を、品格が希望を生むことを知っているからです。この希望が失望に終わることはありません。私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。( ローマ 5:3~5 )

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ 3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 127編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ 5章1~11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
証  し
聖歌隊賛美 新聖歌101
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「失われない希望」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 472 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 信仰によって
パウロはローマの信徒たちに、私たちはイエス様を信じる信仰によって義とされ、神様との平和な関係を得るという恵みに導き入れられていると言います。イエス様を信じる前は、神様に敵対しているような関係でした。その敵対している関係から、イエス様の命によって神様と和解し、平和を得たのです。イエス様を信じた者は、この恵みの中に生かされているので、神様の栄光にあずかる希望があるのです。

2. 苦難から生まれる希望
神様と平和な関係に導き入れられた者に与えられる希望は、苦難にあっても失われません。イエス様を信じる者に与えられた聖霊によって、神様の愛がその人に注がれ、その人を支えているからです。その人は、苦難を耐え忍ぶことによって練られて、品性が生まれ、希望を生み出すことができる人になります。

3. イエス様の死によって
神様は「私たちがまだ罪人であったとき」イエス様が私たちのために死んでくださったことを通して、私たちへの愛を示されました。その神様の愛が、聖霊によって私たちに注がれ、希望を持ち続けることができるようにしてくださったのです。イエス様の命によって義とされ、神様との平和な関係の中に生きる者とされ、失われない希望をもって生きていくのです。
イエス様が私のために死んでくださったと信じ、神様との平和を得る恵みを受け取って、失われない希望の中に歩ませていただきましょう。

主の晩餐(2024.10.6)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

キリストが父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためです。 ( ローマ 6章4節b )

礼拝順序

前  奏
招  詞 1ペトロ 3章18節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 79 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 126編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 11章17~34節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「主の晩餐」 仁科共子牧師
祈  祷
聖  餐  式 新49
賛  美 299 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 474 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 教会の集まりの中で

パウロは、コリントの信徒たちの集まりが悪い結果を招いていると指摘しました。それは、彼らが集まる時、分裂があることを聞いたからです。パウロは、分裂があるなら、一緒に集まって食事をしていても「主の晩餐を食べることにはなりません」と言い、「主の晩餐」について教えます。

2. 主から受け、伝えたこと

パウロは、自らが主から受けた「主の晩餐」をコリントの信徒たちにも伝えました。イエス様が十字架につけられる前の夜、弟子たちに与えられたパンとぶどう酒によって守られるのが「主の晩餐」であり、これはイエス様の死によって与えられる罪の赦しと新しい契約による祝福を示します。イエス様が「私の記念としてこれを行いなさい」と弟子たちに命じられたので、弟子たちはイエス様を信じた者たちにこれを伝えました。

3. ふさわしいしかたで食べて飲む

パウロは、ふさわしいしかたで「主のパンを食べ、主の杯を飲む」ようにと教えます。つまり、イエス様の十字架が自分のためであったと信じ、イエス様の命に生かされている者であることをわきまえるのです。そして、イエス様がもう一度来られる時まで、「主の晩餐」にあずかる度にその意味を告げ知らせるのです。

「主の晩餐」にあずかり、復活のイエス様と共に生きる恵みを与えられていることを感謝して歩ませていただきましょう。

希望に満ちる日々(2024.9.29)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

キリストが父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためです。 ( ローマ 6章4節b )

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編118編23,24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 432 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編125編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ 15章13節
使徒信条 93-4 1A 一  同
証  し
賛  美  459 聖歌隊
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「希望に満ちる日々」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 14 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 474 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 希望の源である神
聖書は、神が希望の源であると言っています。聖書が教える神は「天と地を創造された」神です。神は造られたものを愛し、慈しんでおられます。その神が希望を与え、私たちを希望に満ち溢れさせてくださるのです。

2. 信仰によって
イエス・キリストを通して与えられる神からの希望は、「信仰によって」受け取ることができます。人間は神を信じず、神と無関係に生きています。しかし、神は、イエス・キリストの十字架の死と復活を通して、信じる者を喜びと平和で満たし、希望を持って生きることができるようにしてくださるのです。

3. 聖霊の力によって
この希望に満ちる生活は、聖霊の力によって保たれます。イエス・キリストを信じる者たちに与えられる聖霊は、喜びと平和に満たされて生きることができるように助けてくださいます。日々の生活が希望に満ちるように守り、導いてくださるのです。
神と無関係に生きている者は、失望したとき希望を見出すことが難しく、不安と悲しみの中に沈んでしまうでしょう。聖書は、神が希望の源であり、信じる者に喜びと平和を満たし、希望に満ちる日々を送ることができると教えています。この神を信じ、神からの希望を受け取っていきましょう。

新しい命に生きる(2024.9.22)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

キリストが父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためです。 ( ローマ 6章4節b )

礼拝順序

前  奏
招  詞 2コリント 5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 208 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 124編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ 6章1~11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野かをり副牧師
宣  教 「新しい命に生きる」 鎌野かをり副牧師
祈  祷
賛  美 14 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 521 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

1.古い人
パウロは、古い状態から新しくされるために、私たちに何が起こったのかを洗礼と接ぎ木のたとえで説明している。古い人とは罪にとどまっている人であり、罪の中に生きる人である。クリスチャンは罪に死んだ者だとパウロは言う。洗礼を授けられたということは、私たちがキリストの十字架に合体させられ、キリストと共に死に、キリストと共に葬られ、完全に死んだことが証明されたからだ。私たちの古い人が十字架で死んだから、私たちは罪から解放され、罪から自由になり、罪とは全く関係のない者とされた。

2. 新しい人
5節は「同じ状態に接ぎ木される」と訳すことができる。私たちはキリストに接ぎ木されて命を一つにされる。そして、キリストとは本質的に違う者であるのに、キリストに似た者となることができる。キリストが神によって復活させられたように、キリストに接ぎ木させられた私たちは復活の命、新しい命に生きる者とされた。日々、新しい命、命の新しさの中に生き、行動することができ、そのような歩みを選んでいくことができる者とされている。だから、私たちは罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者であることを認め、信じ、受け入れる。この恵みに感謝して、私たちが聖霊の助けによってキリストに似たものに成長することができるように、みことばに聞き従い、祈りつつ歩みたいと願う。

イスラエルの王(2024.9.15)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

主はサムエルに言われた。「民の声を聞き入れ、彼らの王を立てなさい。」( サムエル記上 8章22節a )

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 6 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編121編
会衆祈祷 一  同
聖  書 サムエル記上8章1~22節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「イスラエルの王」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 14 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1.王を求める民
老いたサムエルは統治を二人の息子に委譲した。しかし、エリの子と同じように、サムエルの子たちも不正を行ったので、民の長老は王をサムエルに求めた。適切な統治のために諸国と同じようになるべきと考えたからだ。

2.王を求めることのリスク
主は民のことばを受け入れよ、と言った。民が拒絶したのはサムエルではなく、主であるからだ。出エジプト以来、民は、王である主を繰り返し拒絶してきたのだ。主は、人が王として統治することのリスクを、モーセを通して民に伝えた。王は、彼らの子どもを取り上げ、農作物を取り上げ、ついには彼らを自分の奴隷とする。さらに、主は彼らの叫びを聞かなくなる。王を二人、持つことはできないからだ。

3.正しい裁きか、戦いの勝利か
サムエルのことばに民は耳を傾けず、他国同様に王によって統治されることを願った。彼らは正しい統治よりも戦争における勝利を求めたのだ。サムエルは不満であったが、主は民の要求を受け入れるように告げた。
主を王とすることを拒絶するときに悲劇が訪れる。一方でイスラエルの王である主は、民の選択の行く末を分かっていつつも、彼らの選択を尊重し、彼らとの新たな関わり方を模索する。私たちの神は、問題だらけの選択をするような私たちを見捨てることはない。私たちに向き合いつつ、創意工夫をもって導かれる。

年老いてなお命豊かに(2024.9.8)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

年老いてもなお実を結ぶ 命豊かに、青々として。(詩編 92編15節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書35章1~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 300 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編121編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編92編1~16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「年老いてなお命豊かに」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 579 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.主を賛美することを喜ぶ
この詩編は、主に感謝し、主をほめ歌うことを喜びとする賛美です。朝に、夜ごとにと日々繰り返し主を賛美します。

2. 主の業を喜び歌う
主なる神様がしてくださったことを思いだして、そのみ業をほめたたえています。悪しき者に苦しめられるような時があっても、神様は悪しき者を滅ぼされ、勝利と喜びを与えてくださいました。その神様のみ業を賛美しています。

3.神の庭で命豊かに
神様に信頼する「正しい人」は、「主の家に植えられ、神の庭で茂る」木のように生きていくことができるのです。それは、「年老いてもなお実を結ぶ」豊かな命の生き方です。
イエス様の十字架と死からの復活により、永遠の命を与えられた私たちは、神様の庭に植えられた木です。そこで、豊かな命に生かされているのです。肉体は年と共に老い、衰えていきます。けれども、私たちの内なる人は日々新たにされ(2コリント4:16)、豊かに実を結び続ける人生を歩ませていただけるのです。慈しみとまことをもって共にいてくださる神様に信頼し、感謝をもって主なる神様を賛美する歩みを導いていただきましょう。年老いてもなお豊かに実を結ぶ命によって。

主の恵みに導かれて(2024.9.1)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

命あるかぎり 恵みと慈しみが私を追う。私は主の家に住もう 日の続くかぎり。(詩編 23編6節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 204 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編118編1~21節
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編23編1~6節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「主の恵みに導かれて」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 461 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.御名にふさわしく正しい道に導かれる
この詩編の作者ダビデは、主なる神様を羊飼いに譬えて神様の恵みを賛美しています。ダビデは、神様に選ばれて王となりましたが、その生涯において過ちを犯したこともありました。その度に神様は、彼の罪を指摘し悔い改めに導かれました。
彼は、神様がいつも共にいて、どんなことの中にも、主なる神様の羊としてふさわしく歩むように守られていることを経験してきたのです。

2. 災いを恐れない
ダビデの生涯には、苦難の日々を過ごした時期もありました。死を覚悟しなければならないような時もありました。そのような時も、神様が共にいてくださり慰めを与え、守り導いてくださいました。彼を苦しめる者の前でも、神様の祝福は豊かでした。

3. 恵みと慈しみの中に生きる
ダビデは、「私は主の家に住もう、日の続く限り」と、どのような時にも共にいてくださり、恵みを与え、慈しみをもって導かれた神様を信頼していくことを告白しています。
私たちの人生にも苦難の時があります。自分の欲や弱さのために過ちを犯すこともあるでしょう。それでも、私たちと共にいて恵みと慈しみをもって守り導いてくださる神様に従って日々歩ませていただきましょう。

福音の前進に(2024.8.25)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

きょうだいたち、私の身に起こったことが、かえって福音の前進につながったことを、知っていただきたい。(フィリピ 1章12節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編118編23,24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 9 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編116編
会衆祈祷 一  同
聖  書 フィリピ 1章12~30節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科早苗師
宣  教 「福音の前進に」 仁科早苗師
祈  祷
賛  美 531 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

母教会の皆様と私自身の関係がフィリピ教会とパウロの関係に重なる。送り出し祈り続けてくださって、一つとなり福音が前進している。「神様どうして」と叫びたくなることが起きる時には、本当に重要なことを見分けるためには深い知識と洞察が必要だとパウロが教える。

1. 私の身に起きたことが福音の前進に(12節)。
パウロの獄中生活が「かえって」福音の前進につながった。未亡人で、伝道の能力もなく、感情すら自分の思うように働かない私であっても、主は用いてくださった。宣教は神様がご主権をもってその働きをすすめられていく。
「主がついてれば怖くはないと聖書のうちに書いてあります」(聖歌655)
2. あなたがたの祈りとキリストの霊のささえによって(19節)
パウロの力の源は教会の祈りであった。
3. キリストのための苦しみも恵み(29節)
人生の苦しみですら、恵みに変えることができるお方が共にいてくださる。

私たちの人生に「なぜ」の疑問が起きる時「このことが福音の前進のために用いられますように」と祈れる人になろう。

信じる者に応えられる(2024.8.18)

聖 書

恐れることはない。ただ信じなさい」(マルコによる福音書 5章36節)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1コリント 15章54b~55節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 127 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編115編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコ 5章35~43節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 (493) 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「信じる者に応えられる」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 441 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 会堂長の願い
イエス様のところに会堂長が来て、「娘が死にそうなので、来て助けてください」と願いました。彼は、イエス様が娘に手を置いてくださったら、病気が治って生きることができると信じてしきりに願いました。イエス様はその願いを聞いて彼と一緒に出かけました。

2. 会堂長の失望
会堂長の家に向かっている途中で、彼の娘は死んでしまいました。会堂長の家の人が来てそのことを伝えた時、会堂長は、「間に合わなかった」と思って失望したことでしょう。けれども、イエス様は「恐れることはない。ただ信じなさい」と言われて、そのまま彼の家に行かれました。

3. 信じる者に応えられた
会堂長の家では、人々が嘆き悲しんで騒いでいました。イエス様が「子どもは死んだのではない、眠っているのだ」と言われると、人々は嘲笑いました。その人たちを外に出して中に入り、子どもの手を取って呼びかけられると、子どもはすぐに起き上がりました。会堂長の願いに応えられたイエス様のみわざです。
死者を生き返らせる神様の力は、死に打ち勝ち、永遠の命を与える力です。イエス様の十字架の死と復活を信じるとき、神様は私たちに応えてくださり、救いを与えてくださいます。

主にのみ仕える(2024.8.11)

聖 書

「あなたがたがもし心を尽くして主に立ち帰るなら、自分たちの中から異国の神々やアシュトレトを除き、主に心を定め、専ら主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はペリシテ人の手からあなたがたを救い出してくださる。」 (サムエル記上 7章3節)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編100編1~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 7 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編113編
会衆祈祷 一  同
聖  書 サムエル記上 7章2~17節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「主にのみ仕える」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 157 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 立ち帰る民
奪われた主の箱が戻って20年経ったとき、民は主を慕い求めるようになった。サムエルは、心を尽くして主に立ち帰るのなら、主に心を定め、主にのみ仕えよと民に問うた。民の心と行動が調和するとき、主は王としてイスラエルを救いに導かれる。イスラエルはサムエルの預言者としてのことばに応えた。

2. 仲保者サムエル
サムエルは民をミツパに集め、彼らを主への礼拝と罪の告白へと導いた。一方で、このときがチャンスだと考えたペリシテ人は攻め上ってきた。一方で、仲保者として民のために主に叫ぶように求められたサムエルは、その通りにした。主は仲保者の祈りに応えた。サムエルが祭司として焼き尽くすいけにえを献げているとき、主は戦われ、ペリシテを打ち破った。主の勝利のゆえにイスラエルの兵士はペリシテ人を追い払った。その場所はエベン・エゼルと呼ばれた。主に立ち帰っていなかったイスラエルは、別のエベン・エゼルで敗北を帰したが(4:1)、仲保者のわざと民の相応しい応答のゆえに、主の勝利が新しいエベン・エゼルで記念された。

3. 主の助け
主の助けは継続する。主の救いのわざは民を通して実現していった。仲保者であるサムエルがいたからだ。預言者であり、祭司であるキリストのわざゆえに、そのことばに応えて、心を尽くして主に立ち帰り、主に信頼する基本姿勢に生きたい。

愛によって平和に過ごす(2024.8.4)

聖 書

誰にも悪をもって悪に報いることなく、すべての人の前で善を行うよう心がけなさい。(ローマ 12章17節)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ 5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 16 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編112編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ 12章9~21節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「愛によって平和に過ごす」 仁科共子牧師
祈  祷
8月誕生者祝福 ローマ15:13 一同起立
賛  美 543 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.  互いに愛し合いなさい
教会はキリストの体であり、その部分である一人一人に異なった賜物を与えられて、教会が造り上げられていくとパウロは教えました。そして、その教会を造り上げる一人一人が互いに愛し合うようにと勧めます。イエス様を信じて、神の子どもとされた者たちが互いに愛し合うことが大切だと教えているのです。
2. 互いに愛し合って、共に主に仕える
相手を尊敬できなければ、互いに愛し合うことは難しいでしょう。互いを尊敬し、愛し合う時、共に励み、霊に燃えて主に仕えることができます。それは、希望が与えられ、苦難を忍耐し、たゆまず祈り続けることができる生き方です。必要なものを分かち合い、自分を迫害する人をも祝福することができます。お互いを大切に思う時、喜びも悲しみも共にすることができます。そして、思いを一つにして愛の交わりの中に生きることができるのです。
3. 善をもって悪に勝つ
愛し合う関係は、平和な関係です。この愛による平和な関係は、教会の外の人々にも、もたらすことができます。迫害するものを呪ったり、復讐したりしようとするのは、平和な関係ではありません。どんな人にも、愛のわざを行っていく時、悪に打ち勝って平和な関係を築いていくことができます。私たちに与えられている愛によって、すべての人と平和に過ごさせていただきましょう。

見つけた喜び(2024.7.28)

聖 書

『見失った羊を見つけましたから、一緒に喜んでください』(ルカ15章6節)

礼拝音源(35Mb)

礼拝順序

前  奏
招  詞 テトスへの手紙2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 211 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編111編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編91編1~16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「私が頼みとする方に守られて」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 443 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

3. 失う悲しみ、失われた悲しみ
イエスの周りには様々な人が集まってきた。その中には生まれはユダヤ人でありながら、律法を守ることのできない人々もいた。彼らとイエスが食事をするので、ある人は文句を言った。イエスはなぜこのようなことをしているのか、たとえで説明した。100匹の羊を飼う羊飼いがいたとして、1匹がいなくなったとき、羊飼いは、自分の羊が失われたことを悲しむ。その羊も失われてしまったことを悲しむ。

2. 見つけ出された喜び
そこで、羊飼いは羊飼いとして当然すべきことを行う。他の羊飼いに99匹を委ねて、荒野におき、自分は1匹の羊を捜しに行く。見つけ出すまで捜す。ついに羊の居場所を見つけたら、その羊を肩に担いで、喜びつつ家に帰る。そのとき、失われた羊は見つけ出されたことを喜ぶだろう。しかし、聖書は羊の喜びを語らない。

3. みつけた喜び
イエスがこのたとえで語ったのは、見つけ出した喜びである。羊はなにもできない一方で、羊飼いはその情熱で羊を見出し、それゆえに喜ぶ。そして、自分の羊を見出したからこそ、羊の価値以上の宴会を開き、自分と共に喜ぶように人を招く。無駄にも思えるほどの喜びである。神は見失われた者を見出すために人となられた。そして、その人を見出し、その人が立ち返ったとき、神は喜び、一緒に喜ぶようにと招く。「私の愛する子」であるあなたが見出されたからだ。

私が頼みとする方に守られて(2024.7.21)

聖 書

主は羽であなたを覆う。あなたはその翼のもとに逃れる。主のまことは大盾、小盾。(詩編91編4節)

礼拝音源(28.5Mb)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨシュア記1章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編108編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編91編1~16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「私が頼みとする方に守られて」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 461 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.全能者の陰に宿る
この詩編は神様に全く信頼している人へ、神様の保護と恵みをうたっています。神様だけをたより、神様が守ってくださることを信じ、すべてのことにおいて、神様を頼みとしています。

2.主の羽に覆われる
「わが逃れ場、わが城」と神様への信頼を告白する人を、神様は羽をひろげて覆い、脅かすものや疾病から守ってくださると言っています。この詩編を作った人の信仰の体験に基づくものであったのでしょう。「いと高き方を住まいとした」と、神様に信頼して共に生活していく生き方は、すべての道で守られる生活だと言っています。

3.わが頼みとする方が共におられる
神様に全く信頼する人は「神様を慕い、神様の御名を知っており、神様を呼び求める」人です。神様を慕っているので、神様は助け出そうと言ってくださいます。神様の御名を知っているというのは、お互いをよく知っており、親しい関係であることを示しています。このような愛による親しい関係のものとされているので、呼び求めるとき、神様は答えてくださり、苦難の時に共にいてくださるのです。
私たちも、この神様を頼みとして、守られている歩みを、日々導いていただきましょう。

キリストに倣う者(2024.7.14)

聖 書

私がキリストに倣う者であるように、あなたがたも私に倣う者となりなさい。(1コリント 11章1節)

礼拝音源(32.3Mb)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編107編1~22節
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 11章1~16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「キリストに倣う者」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 543 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.パウロに倣う
「何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい」と勧め、「私は、人々が救われるために、多くの人の利益を求めているのです」と言ったパウロは、そのような彼の生き方に倣う者になりなさいと言いました。

2.集会では秩序をもって
かぶりものを着けるということを取り上げて、男性、女性がそれぞれどのように秩序をもって集会に参加するかということを、教えています。それは、神様の創造の秩序にふさわしくあるようにということです。男女の区別はありますが、主にあっては同等です(11~12節)。また、当時のキリスト者や教会にある習慣を大切にしていくようにと教えます。それは、彼らが生きている時代の中で、益になること、人を造り上げることを求める生き方をしていくことです。

3.キリストに倣う者
パウロは自分がキリストに倣う生き方をしている者であるので、私のような生き方をしてほしいと、コリントの教会の人たちに勧めました。彼らにとっては、会ったことがあり、手紙によって教えているパウロがキリスト者としての生き方の模範でした。
私たちは、聖書を通して教えられて、聖霊の助けによってキリストに倣う生き方を導いていただきましょう。

何をするにも、すべて神の栄光を現すために(2024.7.7)

聖 書

だから、食べるにも、飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。(1コリント 10章31節)

礼拝音源(32.6Mb)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 83 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編106編1~12節
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 10章23~33節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「何をするにも、すべて神の栄光を現すために」 仁科共子牧師
祈  祷
7月誕生者祝福 「詩編37編3~4節」
賛  美 536 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.自分の利益ではなく、他人の利益を
真実な神様を信じて生きる人たちは、自分のためではなく、他の人たちの益になることを求めるようにと教えられています。それは、弱い人のことを思いやる愛による生き方であり、人を造り上げていく生き方です。

2. 自分の良心のためではなく、他人の良心のために
偶像に献げた肉を食べることについて、再びとり上げています。市場で買った肉でも、信仰のない人に招かれたときに出されたものでも、何でも食べなさいと教えます。もし、誰かが「神殿に献げた肉です」と教えてくれたら、その人の良心のために、食べてはいけないと、教えてくれた人のことを思いやって行動するようにと勧めています。

3. 神の栄光を現すために
イエス様を信じて神様との交わりの中に入れていただいた者は、自由にされたものであり、すべてのことが許されています。しかし、すべてにおいて神様の栄光を現すために、益になること、人を造り上げることを選んで行動するようにと教えています。それは、どんな人のつまずきにもならず、人々が救われるためです。
私たちが、日常のすべてのことにおいて、他の人の利益を求め、他の人を思いやって行動していくとき、神様の栄光が現されて、人々の救いにつながっていきます