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新約聖書

イエスに会って喜んだ人(2023.9.24)

聖 書

ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。(ルカによる福音書 19:6)

礼拝音源(34.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編103編3〜4節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 72 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編56編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカによる福音書19章1〜10節
使徒信条 93-4 1A 一  同
証 し
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「イエスに会って喜んだ人」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 461 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは人生の中で出会った人によって、大きな転機を迎えることがあります。

1 イエス様を見たいと思ったザアカイ
イエス様がエリコという町に行かれた時、そこでもたくさんの人がイエス様を見ようとして集まってきました。その中に徴税人のザアカイという人がいました。彼も、他の人と同じようにイエス様を見たいと思って人々が集まっているところにやってきました。でも、彼は背が低かったので群衆に遮られてしまい見ることが出来ませんでした。

2ザアカイとイエス様の出会い
ザアカイの背が低かったからというだけでなく、当時税金を集める仕事をしていた人たちは不正に税金を集めて私腹を肥やしていた人が多く、人々から嫌われていました。それで、ザアカイを助けてくれなかったようです。ザアカイは、こっそり木の上からイエス様を見ようとしました。ところが、ザアカイがいる木の下にイエス様がこられた時、木の上を見上げて「ザアカイ、降りてきなさい。あなたの家に泊まることにしている」と言われました。イエス様がザアカイに目をとめて声をかけられたのです。

3 喜んでイエス様を迎えたザアカイ
イエス様を自分のところに迎えたザアカイは、転機を迎えました。心を入れ替えて新しい生き方を始めたのです。喜んで、貧しい人を助け、不正に取り立てたものを償うと言いました。イエス様と出会って彼の生き方が変わったのです。

聖なる者とされている(2023.9.17)

聖 書

あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名と私たちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされたのです。(1コリント 6章11節)

礼拝音源(31.0MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書60章2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 464 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編55編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 6章1〜11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「聖なる者とされている」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 518 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

キリストが過越の小羊としてすでに屠られたので、そのキリストによる贖いによって神の恵みに与っている者とされている、だから古いパン種を取り除いて新しい生き方をするようにとパウロは教えました。(5章7節)
1.キリスト共に世を裁く者
キリストを信じたものは聖なる者とされており、終わりの時にキリストが世を裁かれる時、一緒にこの世を裁く者とされています。それで、教会内の争いを裁くことができるのに、それをしようとしていないことをパウロは責めています。

2.兄弟の間の争いを仲裁する者
「きょうだいたち」とパウロが言っている教会のクリスチャンたちの間に争いがあることを指摘します。それは大きな争いではなく、日常の生活をめぐる争いでした。そのような争いを仲裁する者がいないことを責め、クリスチャンではない人たちに争いを裁かせようとしていることを嘆いています。

3.聖なる者とされ、義とされている
5章11節に述べたような不正を行う者は「神の国を受け継ぐことはできない」ことを再び取り上げます。そして、「あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、・・・」と、そのような者であったが、すでに「聖なる者とされ、義とされた」と受けている恵みを確認させます。それは、「主イエス・キリストの名と私たちの神の霊によって」であり、人の知恵や努力によるのではありません。「洗われ」て聖められ、それによって神に「義と」認められました。聖なる者としての歩みを導いていただきましょう。

新しくされた者として(2023.8.13)

聖 書

新しい生地のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、私たちの過越の小羊として屠られたからです。 (1コリント5章7節)

礼拝音源(34.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編100編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 351 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編49編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 5章1〜13節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「新しくされた者として」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 520 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1 パウロ、罪を指摘する
パウロはコリントの教会の中に、不品行の罪を犯すものたちがいることと、そのことを容認していることが問題だと指摘します。それは、当時のコリントの社会の中では、当然のこととして受け入れられていました。そしてそれが、教会の中にも影響を与えていたのです。パウロは、彼らが主の日に救われるために彼らの罪を裁いたと言います。

2 古いパン種を取り除きなさい
わずかのパン種でも粉全体を膨らませるように、小さな罪でも全体に及んでいくことをあげて、古いパン種や悪意と邪悪なパン種を取り除くようにと命じます。それは、古い考え方や習慣を離れて、イエス・キリストによって与えられた命に生きることを教えているのです。それが、イエス・キリストの十字架の死による贖いと復活による永遠の命に生きることです。

3 邪悪なこの世にあって、新しくされた者として生きる
この世の人々と交際をしないでいるようにと教えているのではなく、教会の中にいる不品行な行いをする人たちを避けるようにと教えます。それは、イエス・キリストを信じて新しく生きる者とされたクリスチャンは、この世で生きていく者であり、邪悪なこの世にあって、聖なるものとされた生き方をするようにと言っているのです。それが世にあってキリストを証しする新しくされた者の生き方なのです。

逆風が来ても安心(2023.7.23)

聖 書

イエスが舟に乗り込まれると、風は静まった。弟子たちは心の中で非常に驚いた。(マルコ 6章51節)

礼拝音源(31.4MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編55編23節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコ 6章45〜52節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「逆風が来ても安心」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 433 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

I 働くことと休むこと
イエス様が弟子たちを舟に乗せ、向こう岸へ行かせたのは彼らを休ませるためでした。それは、群衆がイエス様を探してやってきたので、休むことを後回しにして彼らのために働いたからです。イエス様も弟子たちも休むことが必要でした。

II 逆風に悩まされている弟子たちを助けに行かれる
イエス様より先に向こう岸へ渡ろうとしていた弟子たちは、湖の真ん中で漕ぎ悩んでいました。逆風が強くて進むことが難しかったのです。イエス様はそれを見て、湖の上を歩いて近づいて行かれました。弟子たちは、イエス様が水の上を歩いて来るなどということは考えてもいなかったので、イエス様だとわかりませんでした。それで、恐れたのです。イエス様にそんなことができるとは思っていなかったのです。でも、それはイエス様でした。助けは思いがけないところから来ました。
III 舟に迎え入れる
イエス様は恐れている弟子たちに「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」と声をかけられました。それで、弟子たちはイエス様を舟に迎え入れました。その時、逆風は静まりました。神であるイエス様の力が現されたのです。
私たちも、自分の中にイエス様を迎え入れましょう。そして、イエス様によって逆風の中にも安心できる生活を与えていただきましょう。

キリストを土台とする人生(2023.7.10)

聖 書

イエス・キリストというすでに据えられている土台のほかに、誰も他の土台を据えることはできないからです。(1コリント 3章11節)

礼拝音源(30.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 コロサイ 2章7節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編42編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 3章10〜22節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「キリストを土台とする人生」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 390 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

パウロはクリスチャンたちを神の建物にたとえてクリスチャンの生き方を教えます。

I 土台はキリスト
パウロは「土台を据えた」と言い、その土台はイエス・キリストであると言いました。それは「神から受けた恵みによって」であり「賢い建築家のように」据えたのです。そして、いろいろな材料でその土台の上に建物を建てていく、それがクリスチャンの人生です。「金・銀・宝石」は永続的なものを指し、「木・草・わら」は長くは続かないものを表しています。土台は、揺るぐことのないキリストですが、どんな材料でどのように建てていくか注意して建てなければなりません。終わりの日にどのような建物であるかが明らかにされるからです。

II 神の神殿となっている
クリスチャンの人生を建物にたとえた後、クリスチャンは「神の神殿」であると教えます。神の霊がその人のうちに住んでおられるからです。キリストによって神と共に生きるものとしての人生を歩ませていただいているのです。

III すべてはあなた方のもの
この世の知恵で自分は知者だと誇るのではなく、神の知恵によって考えるようにと再び諭します。そうする時、すべてのものが神から与えられ、キリストのもの、神のものとして一つとされていることがわかり、分派はなくなるのです。

私たちは神の協力者(2023.6.25)

聖 書

私たちは神の協力者、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。 (1コリント 3:9)

礼拝音源(31.2MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書42章6節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編40編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 3章1〜9節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「私たちは神の協力者」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 414 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

パウロは、キリストを伝えてくれた人に目をとめ、その人たちを遣わされた神様に目を向けることができないのは、まだ信仰が成長していないからだと指摘します。

1 キリストにある幼子
コリントのクリスチャンたちは確かにイエス・キリストを信じて救われました。けれども、まだ聖霊によって生活することができていませんでした。それは、妬み争っていることに表れていると言います。その様子を「キリストにある幼子」と言い幼子なので真理の御言葉を理解する力がないと言っています。幼子は成長しなければなりません。

2 神に仕える者、神の協力者
パウロもアポロも人々を信仰に導くために神様に仕える者だと言います。そして、成長させてくださるのは神様だと教えます。コリントの教会を畑に例え、パウロもアポロもその畑に作物を植え、世話をする者だと言うのです。畑の持ち主である神様によって与えられた仕事を行なっていき、作物の収穫のため協力して働く者だと表現します。そして、仕える者ではなく、育ててくださる神様を信じて生きる者に成長するように教えます。

3 幼子から神の協力者へ
私たちも聖霊によって教えられ、神様のみ言葉によって養われて成長させていただきましょう。神様が成長させてくださいます。

あなたの罪はゆるされた(2023.6.18)

聖 書

イエスは彼らの信仰を見て、その病人に、「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。(マルコ2:5)

礼拝音源(29.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書30章18節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編39編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコによる福音書 2章1~11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「あなたの罪はゆるされた」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 442 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 人々の期待
イエスがカフェルナウムの家にいるという知らせが広がった。いやしや悪霊追い出しを期待して、人々はイエスのところに集まった。体の麻痺した男もイエスのところに連れて来られた。人々は屋根を剥ぎ、穴を開け、その人を釣り下ろして、この男をイエスの前に連れ出した。「神の国」の到来を語り、見せたイエスの姿は彼らのうちに信仰を生み出し、その信仰のゆえに彼らはこのような行動をした。

2. 罪のゆるしから生み出された論争
いやしを期待している男にイエスは「子よ、あなたの罪は赦された」(2:5)と言った。いやしを望んでいた人々の期待は裏切られたように思った。律法学者たちは、イエスが律法を破ったと考えた。罪の赦しは神殿で祭司によって与えられるものであったからだ。しかし、イエスはこれらを省略して罪の赦しを宣言した。

3. 罪を赦す権威
イエスが罪の赦しを宣言されたのは、からだのいやしが罪の赦しの現れであるからだ。それには全人格的な広がりがある。ちょっとした悪いことの積み重ねが、本人も親しい人も苦しめていくからだ。地上で罪を赦す権威を持つイエスは罪を赦し、人をその苦しみから解放する。実に力あるわざをなされたのだ。イエスがおられるところに、神の国があり、罪のゆるしが実現し、神の祝福が溢れ流れる。

神の霊によって知る(2023.6.11)

聖 書

私たちは世の霊ではなく、神の霊を受けました。それで私たちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。(1コリント 2:12)

礼拝音源(31.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書30章23節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編37編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 2章10〜16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神の霊によって知る」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 504 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

信仰が神の力によるものであることを伝えたパウロは、さらに神の霊によって神との交わりに入れていただいた者について教えていきます。

1.神の霊によって神を知ることができる
イエス・キリストを信じて神の霊を受けた者は、この神の霊を通して神がどのような方であるのかを知ることができるようにしてくださっています。人の知恵では神を理解することができません。けれども、神の霊は神のことをよく知っているので、神のことを明らかに示してくださるのです。

2.神の霊によってみこころを知る
神の霊を受けた者たちは、神が与えてくださったものがどんなものであるかを知ることができます。また、神のみこころを知ることができ、みこころに従う生活をすることができるようにしてくださいます。

3.キリストの思いを抱いて神とともに生きる
イエス・キリストを信じる者に与えられた神の霊は、私たちとともに住み、信じる者たちを神とともに生きるものとしてくださいます。それは、神との親しい愛の交わりの中に生きることです。その生き方を、神の霊は教えてくださるのです。
私たちが受けた神の霊によって、私たちを愛してくださる神を知り、神のみこころを知って神を愛し、神との愛の交わりの中に生きる生活をさせていただきましょう。

神の力によって(2023.6.4)

聖 書

私の言葉も私の宣教も、雄弁な知恵の言葉によるものではなく、霊と力の証明によるものでした。 (1コリント 2:4)

礼拝音源(34MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 箴言9章10〜11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編36編
会衆祈祷 一  同
聖  書 コリントの信徒への手紙一 2章1〜9節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神の力によって」 仁科共子牧師
祈  祷
6月誕生者祝福 詩編91編4〜5節
賛  美 457 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

神の知恵によって十字架にあらわされた神の力が救いの力であると語ったパウロは、続いて、この神の力は聖霊によって知ることができると教えていきます。

1. 神の霊と力によって伝える
パウロは、知恵や知識によって雄弁に語っても、聞いた人が信じることはできないということを経験して知りました。それで、コリントの人たちには知恵の言葉によらないで神の霊と力によって伝えた、と言っています。

2. 神の知恵によって語るもの
神の力によってキリストの十字架になされた救いの恵みをいただいた者には、聖霊によって神の知恵が開かれ、神の言葉と神のみわざを理解することができるとパウロは教えています。それは、「人の心に思い浮かびもしなかったこと」であり、神が「ご自分を愛する者たちに準備された」ものです。

3. 神の力による信仰
神の知恵によって、十字架にあらわされた神の恵みのわざは、神の霊と力によらなければ知ることができず、信じることができません。パウロは、神の聖霊と力によってキリストを伝え、聞いた人々が信じて、信仰に生きる者とされていると語ります。この世の知恵によってはできないことです。
私たちは、神の力によって神の恵みのわざを知り、信じることができるようにしていただき、信仰の生活を導いていただいています。神の力によって歩みましょう。

それぞれの言葉で聞いた(2023.5.28)

聖 書

すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした。(使徒言行録 2:4)

礼拝音源(31MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ 14章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編35編
会衆祈祷 一  同
聖  書 使徒言行録 2章1〜16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「それぞれの言葉で聞いた」 仁科共子牧師
祈  祷
聖餐式 新49
賛  美 404 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

イエス様が約束された聖霊が五旬祭(ペンテコステ)の時に与えられました。

1.聖霊に満たされて話しだした
イエス様は復活された後、弟子たちの前に現れ、生きておられることを示されました。そして、エルサレムで聖霊のバプテスマを待つように言われました。弟子たちは集まって心を合わせて祈っていました。そこに、聖霊が炎のように現れて弟子たちの上にとどまり、彼らは聖霊に満たされて「霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした」のです。

2.人々はそれぞれの故郷の言葉で聞いた
その頃、エルサレムにはたくさんの国々から来た人たちが住んでおり、五旬祭のために集まってきていた人たちもいました。弟子たちは聖霊によって、その人たちがわかるそれぞれの言葉で語ったのです。人々は話されたことがわかって、「彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」と驚きました。

3.キリストを証しするために
弟子たちに聖霊が与えられたのは、キリストの証人となるためです。「聖霊が降ると力を受けて・・・私の証人となる」(使徒1:8)とイエス様は言われました。
その通りに弟子たちは聖霊に満たされて、イエス様の福音を宣べ伝えました。
今、私たちにも同じように聖霊が与えられ、キリストを証しする者とされています。聖霊の力によって聞く人に伝わる言葉で伝えさせていただきましょう。

世界とあなたのための十字架(2023.5.21)

聖 書

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ 3:16)

礼拝音源(32.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 エレミヤ29章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編34編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ3章16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「世界とあなたのための十字架」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 430 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 世界を愛された神
 世界を愛する神がおられる。神は、この世界を造られたからこそこれを愛されるのだ。世界を大切にし、その最善を願っておられる。さらに、神は世界のために人を造り、この世界を整えてよくし、美しくし、豊かにする使命を与えた。そして、この使命を果たすことができるように力と、力を用いる自由を人に与えられた。

2. ひとり子を与えられた神
 与えられた力と自由を人は自分のために用いるようになった。その結果、自分も世界もだめにしていった。そこで、神は自らが愛する世界のために行動をした。アブラハムを選び、エジプトから救い、律法を与え、住む地へと導いた。世界を回復するためだ。しかし、民は世界を破壊し、自らを破壊しつづけた。神は彼らに警告を与えた。それでも応答しない民は自分の国から追い出された。そこで、神はひとり子であるイエスを送り、その働きのクライマックスとして彼を十字架に架けた。イエスがすべての破壊を自らの身に負ったので、人は罪から解放され、命の道を進むことができるようになった。

3. 信じる者に与えられる使命
 こうして、イエスのわざのゆえに、人がその使命を果たす道が開かれた。永遠の命とは、死後のことだけではなく、今、ここで人としての使命を果たす道をも表している。この道を進みなさい、御子を信じなさい、と神は私たちを招いておられる。神が与えてくださるこの素晴らしいプレゼントを受け入れ、神の働きに加わろうではないか。

十字架の言葉は神の力(2023.5.14)

聖 書

あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのです。
キリストは、私たちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。(1コリント1:30 )

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編85編9節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編33編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント1章18〜31節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「十字架の言葉は神の力」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 474 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

コリントの信徒への手紙では、「あなた方のために十字架につけられたキリスト」があなた方に伝えられた福音であり、神の知恵がキリストによって示されていると教えています。

1.十字架につけられたキリストは神の力
「十字架の言葉」は、イエス・キリストによって与えられる祝福の知らせです。言葉は、何かを伝えるための道具と言ってもよいでしょう。その言葉によって示された神の知恵が、信じるものを救う神の力なのです。

2.十字架につけられたキリストは神の知恵
世の知恵では、神を認めることができません。神のなさることを知ることもできません。人が自分の知恵で神の救いを得たと誇ることがないために、神はこの世では愚かだと思われる方法でキリストによる救いを与えられました。神の知恵によってキリストの者、聖なる者とされるためです。その神の知恵は十字架につけられたキリストに表されています。

私たちにとってキリストは、神の知恵であり、キリストによって神を知ることができます。また十字架につけられたキリストは、信じる者を義とし、聖め、贖われた者としてくださいます。これがキリストの十字架による救いです。
私たちの知恵では、計り知ることのできない神の知恵によって、キリストの十字架に表された神の力が信じるものを救う力です。

キリストの十字架によって一つに(2023.5.7)

聖 書

さて、きょうだいたち、私たちの主イエス・キリストの名によってあなたがたにお願いします。どうか、皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。(1コリント1:10 )

礼拝音源(32.4MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編68編20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編32編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント1章10〜17節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神はすべてを奪うのか」 仁科共子牧師
祈  祷
5月誕生者祝福 詩編20編6節
賛  美 411 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

「主イエス・キリストにあって聖なるものとされた人々」と呼びかける挨拶で始まった手紙は、10節から教会に起こっている問題を取り上げていきます。

1.分派の問題
コリントの人たちにイエス・キリストを伝えたのは、パウロ、アポロ、ケファといった人たちでした。そこから、誰によって洗礼を受けたから誰に付くと考え、分派ができていました。彼らは、自分にイエス様を伝えた人に対する感謝から、この人こそが素晴らしいと崇拝するような形に変わってしまったのでしょう。それが分派を生み出したのです。イエス・キリストの恵みではなく、「人」に目を向けた結果です。

2.十字架のキリストにあって一つになるように
キリストだけが十字架につけられた方であり、この方の死によって聖なるものとされていることを明確に伝えます。そして、人ではなくキリストに目を向けるようにと教えます。

「キリストの十字架が空しくならないように」キリストを伝えたとパウロは言っています。このキリストによる救いの恵みがはっきりする時、心と思いを一つにして、キリスト・イエスによって聖なる者とされたものにふさわしい生活ができるようになっていきます。人にではなくイエス・キリストに目を向けて進みましょう。

神の恵みを受ける(2023.4.23)

聖 書

神は真実な方です。この方によって、あなたがたは神の子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。(1コリント1章9節 )

礼拝音源(25.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 フィリピ1章2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編30編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント1章1~9
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神の恵みを受ける」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 451 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

使徒たちがイエス・キリストを宣べ伝え、コリントにはクリスチャンが増えていき、教会がたてられました。けれども、教会には色々な問題が起こってきました。この手紙は、それらの問題を解決して、キリストを信じる者としてどのように生活していくかを教えています。

1.キリスト・イエスにあって聖なるものとされた
手紙の始まりは挨拶です。この中でまず、「キリスト・イエスにあって聖なる者とされた人々」と彼らに呼びかけます。これは、キリストを信じた彼らがどのような者とされているかを確認させるためです。それは、聖なる者とされ、イエスを主とする者ということです。そして、キリスト・イエスにあって恵みを与えられたので、「すべての点で豊かにされた」と彼らが受けている恵みについて語ります。

2.主イエス・キリストとの交わりに入れられた
豊かに祝福してくださった神は、イエス・キリストとの交わりに入れてくださったのです。「交わりに入れられる」というのは、イエス・キリストとの付き合いが始まったということです。親しく付き合う関係になったのです。親しい付き合いをしていくのですから、互いを想い、尊重し合う関係になっていかなければなりません。
キリストを信じたものは、キリスト者にふさわしい生活ができるように、神の恵みを受けているのです。
今、私たちも同じ恵みを受けて祝福された生活を送ることができます。

よく知っておられます(2023.4.09)

聖 書

三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「私の羊を飼いなさい。」(ヨハネ21章17節)

礼拝音源(24MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編125編1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編28編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ21章1~19節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「よく知っておられます」 仁科共子牧師
祈  祷
4月誕生者祝福 詩編1編2〜3節
賛  美 475 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

イエス様がペトロをどんなに愛しておられたかを見て、イエス様の愛に生きることを教えられたいと願います。

1.イエス様とペトロ
イエス様がペトロを弟子とされてから、彼はずっとイエス様と一緒にいて、教え導かれていました。そのようなイエス様にペトロは、「あなたのためには命を捨てます。」とまで言える関係でした。でも彼は、自分の弱さのため、イエス様の裁判の場で、イエス様のことを知らないと三度も言ってしまいました。

2.イエス様はよく知っておられた
復活したイエス様が三度目に弟子たちに現れた時、それは特にペトロのためだったと言えるでしょう。イエス様はペトロに「私を愛するか」と三度質問されました。三度も同じ質問をされたペトロは「悲しくなった」のです。イエス様を三度知らないと言った時のことを思い出させたのでしょう。それでもペトロは、「主よ、私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」と答えました。
イエス様は確かにペトロのことをよく知っておられました。ですから「あなたの信仰がなくならないように祈った」とあらかじめペトロに話しておられました。(ルカ22:32)

このイエス様は、今私たちのためにも祈り、守り導いてくださっています。イエス様に信頼し、イエス様とともに生きる日々を導いていただきましょう。