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新約聖書

全体の益のために(2024.10.26)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるためです。( 1コリント 12章7節 )

礼拝順序

前  奏
招  詞 ガラテヤ 3章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 377 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 130編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 12章1節~11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「全体の益のために」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 411 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 聖霊によって信じる
パウロは、人々が、イエス様を救い主と信じることができたのは、聖霊によるのだと
言います。聖霊が、私の罪のためにイエス様が死なれたことをわからせ、「イエス様は私の救い主だ」との信仰を与えてくださったのです。人の知恵や知識によってではありません。聖霊によって信じた人たちがイエス様の体である教会の部分となって、教会が建てあげられていきます。

2. 同じ霊、同じ主、同じ神
キリストの体である教会として建てあげられ、成長していくためにそれぞれに違った賜物が与えられます。担う務めもそれぞれ違います。一つの同じ霊によって賜物があたえられ、同じ主に仕えます。また、いろいろな働きがあっても同じ神様がすべての人の中に働いてすべての働きをしてくださいます。こうして、キリストの体の部分である一人一人が、一つの体として成長し、働いていくのです。

3. 全体の益となる働き
パウロは、一人一人様々な違った賜物が与えられて、その賜物を用いて仕えていくようにと勧めます。教会の部分である一人ひとりが、それぞれ違った賜物を与えられ、異なる働きをしていきます。それは、全体の益になるためです。聖霊が一つの体として成長させてくださるからです。
私たちにもそれぞれ違った賜物が与えられています。賜物を用いて互いに支え合い、共に働いて、キリストの体として成長させていただきましょう。

失われない希望(2024.10.13)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

そればかりでなく、苦難をも誇りとしています。苦難が忍耐を生み、忍耐が品格を、品格が希望を生むことを知っているからです。この希望が失望に終わることはありません。私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。( ローマ 5:3~5 )

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ 3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 127編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ 5章1~11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
証  し
聖歌隊賛美 新聖歌101
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「失われない希望」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 472 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 信仰によって
パウロはローマの信徒たちに、私たちはイエス様を信じる信仰によって義とされ、神様との平和な関係を得るという恵みに導き入れられていると言います。イエス様を信じる前は、神様に敵対しているような関係でした。その敵対している関係から、イエス様の命によって神様と和解し、平和を得たのです。イエス様を信じた者は、この恵みの中に生かされているので、神様の栄光にあずかる希望があるのです。

2. 苦難から生まれる希望
神様と平和な関係に導き入れられた者に与えられる希望は、苦難にあっても失われません。イエス様を信じる者に与えられた聖霊によって、神様の愛がその人に注がれ、その人を支えているからです。その人は、苦難を耐え忍ぶことによって練られて、品性が生まれ、希望を生み出すことができる人になります。

3. イエス様の死によって
神様は「私たちがまだ罪人であったとき」イエス様が私たちのために死んでくださったことを通して、私たちへの愛を示されました。その神様の愛が、聖霊によって私たちに注がれ、希望を持ち続けることができるようにしてくださったのです。イエス様の命によって義とされ、神様との平和な関係の中に生きる者とされ、失われない希望をもって生きていくのです。
イエス様が私のために死んでくださったと信じ、神様との平和を得る恵みを受け取って、失われない希望の中に歩ませていただきましょう。

主の晩餐(2024.10.6)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

キリストが父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためです。 ( ローマ 6章4節b )

礼拝順序

前  奏
招  詞 1ペトロ 3章18節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 79 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 126編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 11章17~34節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「主の晩餐」 仁科共子牧師
祈  祷
聖  餐  式 新49
賛  美 299 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 474 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 教会の集まりの中で

パウロは、コリントの信徒たちの集まりが悪い結果を招いていると指摘しました。それは、彼らが集まる時、分裂があることを聞いたからです。パウロは、分裂があるなら、一緒に集まって食事をしていても「主の晩餐を食べることにはなりません」と言い、「主の晩餐」について教えます。

2. 主から受け、伝えたこと

パウロは、自らが主から受けた「主の晩餐」をコリントの信徒たちにも伝えました。イエス様が十字架につけられる前の夜、弟子たちに与えられたパンとぶどう酒によって守られるのが「主の晩餐」であり、これはイエス様の死によって与えられる罪の赦しと新しい契約による祝福を示します。イエス様が「私の記念としてこれを行いなさい」と弟子たちに命じられたので、弟子たちはイエス様を信じた者たちにこれを伝えました。

3. ふさわしいしかたで食べて飲む

パウロは、ふさわしいしかたで「主のパンを食べ、主の杯を飲む」ようにと教えます。つまり、イエス様の十字架が自分のためであったと信じ、イエス様の命に生かされている者であることをわきまえるのです。そして、イエス様がもう一度来られる時まで、「主の晩餐」にあずかる度にその意味を告げ知らせるのです。

「主の晩餐」にあずかり、復活のイエス様と共に生きる恵みを与えられていることを感謝して歩ませていただきましょう。

希望に満ちる日々(2024.9.29)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

キリストが父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためです。 ( ローマ 6章4節b )

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編118編23,24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 432 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編125編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ 15章13節
使徒信条 93-4 1A 一  同
証  し
賛  美  459 聖歌隊
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「希望に満ちる日々」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 14 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 474 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 希望の源である神
聖書は、神が希望の源であると言っています。聖書が教える神は「天と地を創造された」神です。神は造られたものを愛し、慈しんでおられます。その神が希望を与え、私たちを希望に満ち溢れさせてくださるのです。

2. 信仰によって
イエス・キリストを通して与えられる神からの希望は、「信仰によって」受け取ることができます。人間は神を信じず、神と無関係に生きています。しかし、神は、イエス・キリストの十字架の死と復活を通して、信じる者を喜びと平和で満たし、希望を持って生きることができるようにしてくださるのです。

3. 聖霊の力によって
この希望に満ちる生活は、聖霊の力によって保たれます。イエス・キリストを信じる者たちに与えられる聖霊は、喜びと平和に満たされて生きることができるように助けてくださいます。日々の生活が希望に満ちるように守り、導いてくださるのです。
神と無関係に生きている者は、失望したとき希望を見出すことが難しく、不安と悲しみの中に沈んでしまうでしょう。聖書は、神が希望の源であり、信じる者に喜びと平和を満たし、希望に満ちる日々を送ることができると教えています。この神を信じ、神からの希望を受け取っていきましょう。

新しい命に生きる(2024.9.22)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

キリストが父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためです。 ( ローマ 6章4節b )

礼拝順序

前  奏
招  詞 2コリント 5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 208 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 124編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ 6章1~11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野かをり副牧師
宣  教 「新しい命に生きる」 鎌野かをり副牧師
祈  祷
賛  美 14 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 521 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

1.古い人
パウロは、古い状態から新しくされるために、私たちに何が起こったのかを洗礼と接ぎ木のたとえで説明している。古い人とは罪にとどまっている人であり、罪の中に生きる人である。クリスチャンは罪に死んだ者だとパウロは言う。洗礼を授けられたということは、私たちがキリストの十字架に合体させられ、キリストと共に死に、キリストと共に葬られ、完全に死んだことが証明されたからだ。私たちの古い人が十字架で死んだから、私たちは罪から解放され、罪から自由になり、罪とは全く関係のない者とされた。

2. 新しい人
5節は「同じ状態に接ぎ木される」と訳すことができる。私たちはキリストに接ぎ木されて命を一つにされる。そして、キリストとは本質的に違う者であるのに、キリストに似た者となることができる。キリストが神によって復活させられたように、キリストに接ぎ木させられた私たちは復活の命、新しい命に生きる者とされた。日々、新しい命、命の新しさの中に生き、行動することができ、そのような歩みを選んでいくことができる者とされている。だから、私たちは罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者であることを認め、信じ、受け入れる。この恵みに感謝して、私たちが聖霊の助けによってキリストに似たものに成長することができるように、みことばに聞き従い、祈りつつ歩みたいと願う。

福音の前進に(2024.8.25)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

きょうだいたち、私の身に起こったことが、かえって福音の前進につながったことを、知っていただきたい。(フィリピ 1章12節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編118編23,24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 9 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編116編
会衆祈祷 一  同
聖  書 フィリピ 1章12~30節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科早苗師
宣  教 「福音の前進に」 仁科早苗師
祈  祷
賛  美 531 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

母教会の皆様と私自身の関係がフィリピ教会とパウロの関係に重なる。送り出し祈り続けてくださって、一つとなり福音が前進している。「神様どうして」と叫びたくなることが起きる時には、本当に重要なことを見分けるためには深い知識と洞察が必要だとパウロが教える。

1. 私の身に起きたことが福音の前進に(12節)。
パウロの獄中生活が「かえって」福音の前進につながった。未亡人で、伝道の能力もなく、感情すら自分の思うように働かない私であっても、主は用いてくださった。宣教は神様がご主権をもってその働きをすすめられていく。
「主がついてれば怖くはないと聖書のうちに書いてあります」(聖歌655)
2. あなたがたの祈りとキリストの霊のささえによって(19節)
パウロの力の源は教会の祈りであった。
3. キリストのための苦しみも恵み(29節)
人生の苦しみですら、恵みに変えることができるお方が共にいてくださる。

私たちの人生に「なぜ」の疑問が起きる時「このことが福音の前進のために用いられますように」と祈れる人になろう。

見つけた喜び(2024.7.28)

聖 書

『見失った羊を見つけましたから、一緒に喜んでください』(ルカ15章6節)

礼拝音源(35Mb)

礼拝順序

前  奏
招  詞 テトスへの手紙2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 211 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編111編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編91編1~16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「私が頼みとする方に守られて」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 443 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

3. 失う悲しみ、失われた悲しみ
イエスの周りには様々な人が集まってきた。その中には生まれはユダヤ人でありながら、律法を守ることのできない人々もいた。彼らとイエスが食事をするので、ある人は文句を言った。イエスはなぜこのようなことをしているのか、たとえで説明した。100匹の羊を飼う羊飼いがいたとして、1匹がいなくなったとき、羊飼いは、自分の羊が失われたことを悲しむ。その羊も失われてしまったことを悲しむ。

2. 見つけ出された喜び
そこで、羊飼いは羊飼いとして当然すべきことを行う。他の羊飼いに99匹を委ねて、荒野におき、自分は1匹の羊を捜しに行く。見つけ出すまで捜す。ついに羊の居場所を見つけたら、その羊を肩に担いで、喜びつつ家に帰る。そのとき、失われた羊は見つけ出されたことを喜ぶだろう。しかし、聖書は羊の喜びを語らない。

3. みつけた喜び
イエスがこのたとえで語ったのは、見つけ出した喜びである。羊はなにもできない一方で、羊飼いはその情熱で羊を見出し、それゆえに喜ぶ。そして、自分の羊を見出したからこそ、羊の価値以上の宴会を開き、自分と共に喜ぶように人を招く。無駄にも思えるほどの喜びである。神は見失われた者を見出すために人となられた。そして、その人を見出し、その人が立ち返ったとき、神は喜び、一緒に喜ぶようにと招く。「私の愛する子」であるあなたが見出されたからだ。

何をするにも、すべて神の栄光を現すために(2024.7.7)

聖 書

だから、食べるにも、飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。(1コリント 10章31節)

礼拝音源(32.6Mb)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 83 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編106編1~12節
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 10章23~33節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「何をするにも、すべて神の栄光を現すために」 仁科共子牧師
祈  祷
7月誕生者祝福 「詩編37編3~4節」
賛  美 536 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.自分の利益ではなく、他人の利益を
真実な神様を信じて生きる人たちは、自分のためではなく、他の人たちの益になることを求めるようにと教えられています。それは、弱い人のことを思いやる愛による生き方であり、人を造り上げていく生き方です。

2. 自分の良心のためではなく、他人の良心のために
偶像に献げた肉を食べることについて、再びとり上げています。市場で買った肉でも、信仰のない人に招かれたときに出されたものでも、何でも食べなさいと教えます。もし、誰かが「神殿に献げた肉です」と教えてくれたら、その人の良心のために、食べてはいけないと、教えてくれた人のことを思いやって行動するようにと勧めています。

3. 神の栄光を現すために
イエス様を信じて神様との交わりの中に入れていただいた者は、自由にされたものであり、すべてのことが許されています。しかし、すべてにおいて神様の栄光を現すために、益になること、人を造り上げることを選んで行動するようにと教えています。それは、どんな人のつまずきにもならず、人々が救われるためです。
私たちが、日常のすべてのことにおいて、他の人の利益を求め、他の人を思いやって行動していくとき、神様の栄光が現されて、人々の救いにつながっていきます

待ち続けた救い(2024.6.30)

聖 書

イエスは言われた。「起きて、床を担いで歩きなさい。」(ヨハネによる福音書 5章8節)

礼拝音源(39.2Mb)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 351 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編105編1~15節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 5章1~9節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「待ち続けた救い」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 481 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1待っている人

ベトサイダと呼ばれる池に病気の人、目の見えない人などが大勢横たわっている回廊がありました。その池の水が動く時に真っ先に入る人は、癒されると言われていたからです。大勢の人が水の動くのを待っていました。その中に38年も病気で苦しんでいる人がいました。

2 イエス様は見て、声をかけられた

イエス様は、この38年間病気で苦しんでいた人に目をとめられました。イエス様は、この人が病気で長く苦しんでいることを知って「良くなりたいか」と言われました。当然のことをあえて言われたような問いかけです。でも、この病人の答えは「はい」ではありませんでした。水が動いた時に入ることができない、という苛立ち、不満を訴える答えでした。長く待っている間に、水に入るということしか考えられなくなっていたのかもしれません。

3待っていた救い

イエス様はこの人に「起きて、床を担いで歩きなさい」と言われました。するとその人は病気が良くなって、立ち上がり、歩くことができました。イエス様は、この人が長い間、願い、待っていた方法ではなく、ご自身の言葉によって長い病気の苦しみから救われたのです。

イエス様の言葉によって与えられる救いを受け取りましょう。

神は真実な方です(2024.6.16)

聖 書

あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。(1コリント 10章13節b)

礼拝音源(30.8Mb)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編68編20~21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 208 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編103編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 10章1~22節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神は真実な方です」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 457 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 善い行いのために

1. 警告として起こったこと
パウロはイスラエルの先祖たちのことを例に挙げ、警告しています。そして、神様の御心に適う生き方をするように教えます。この警告は、彼らのように悪を貪る者とならないためです。そのために、偶像礼拝をしてはいけません、神様にだけ従いなさい、と勧めます。

2. 試練にも耐えることができる
イスラエルの先祖たちの中で、淫らな行いをしたり、神様の選んだ者を試みたり、不平を言ったりした人たちは滅ぼされました。それは、神様を信じず、御心に従わない生き方をしたからです。このことが伝えられているのは、今キリストを信じて生きる私たちを戒めるためだと教えています。ただし、神様を信じて御心に適う生活をしていくときにも、試練があります。神様は、その試練に耐えて生きることができるようにしてくださっているのです。

3. 真実な神様に信頼して
偶像そのものには何の力もありませんが、偶像を礼拝させようとするのは悪霊であり、悪霊と交わりを持つことになります。ですから、偶像礼拝を避けて、キリストの血と体によるキリストとの交わりに生きるようにと勧めます。耐えられない試練に遭わせることのない、真実な神様に信頼して神様との交わりの中に歩ませていただきましょう。

善い行いのために(2024.6.9)

聖 書

それは、私たちが善い行いをして歩むためです。(エフェソの信徒への手紙 2章10節b)

礼拝音源(30.1Mb)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 エフェソ2章1~10節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 204 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編102編1~23節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ2章1~10節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野かをり副牧師
宣  教 「善い行いのために」 鎌野かをり副牧師
祈  祷
賛  美 516 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 善い行いのために

1. 神の作品
 神さまは人を神のかたちに造られ、大地のちりから造られた人に、いのちの息、神の霊を吹き込まれて、人を生きるものとされた。神さまは、特別な存在として造られた人に、神さまが造られたこの世界を、神さまの代理人として、正しく管理する使命を与えられた。ところが、神さまに創造された最初の人が、神さまの命令、約束に背いてしまったことにより、人は神さまに背くものとなり、死ぬものとなってしまった。2章1節から3節には、そのような私たちの姿を表している。しかし、あわれみ豊かな神さまは、私たちを愛して下さった大きな愛のゆえに、イエスさまの十字架と復活、昇天によって私たちに救いの道を開いて下さった。私たちは神さまの恵みによって信じるものとされ、神さまのわざによって神の作品とされた。

2.善い行いのために
 神の作品とされた私たちは、神さまが前もって準備して下さった善い行いをして歩むように招かれている。自分の欲の願うまま、自分の目が正しいと思う歩みをしていた者が、ただ信仰によって救われ、恵みによって造りかえられ、神さまの賜物によって善い行いをして歩むことが可能となった。与えられている賜物、恵みによって、隣人を愛し、隣人に仕え、福音を伝える、善い行いに共に歩ませていただきましょう。

キリストにあって歩む(2024.6.2)

聖 書

あなたがたは、このように、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。(コロサイ 2章6節)

礼拝音源(30.5Mb)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ローマ 12章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 7 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩詩編101編
会衆祈祷 一  同
聖  書 コロサイ 2章6~10節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「キリストにあって歩む」 仁科共子牧師
祈  祷
6月誕生者祝福 「ローマ 15章13節」
賛  美 461 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. もうひとりの弁護者
1.キリストを受け入れた人の生活
キリストを受け入れた人は、キリストにあって歩み、キリストの内に根を下ろし、キリストの上に建てられなさい、と教えています。「歩み」は生活していくことです。その生活はキリストにしっかり根を下ろした生き方であり、キリストにあって人生を建てあげていくことです。

2.キリストに基づくものによって
伝えられた福音とは違った教えがコロサイの教会に入ってきて信徒たちを惑わしていました。パウロは、「人間の言い伝えに基づくもの」や「この世のもろもろの霊力に基づくもの」にとらわれないように気をつけなさいと教えました。「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠されている」(コロサイ2:3)ので、「キリストに基づくもの」によって歩むのです。

3.キリストにあって満たされて歩む
キリストの内には神の性質が満ち溢れており、キリストを受け入れた人は、キリストに満たされていると教えます。それで、キリストにあって生活していくことができるのです。
いつもキリストを心に置いて、キリストのことを考えながら生活していきましょう。キリストは、頭として私たちを教え、命を豊かに与えて成長させてくださり、感謝に溢れる生活を導いてくださいます。

人生の確かな土台(2024.5.26)

聖 書

それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて家を建てる人に似ている。洪水になって水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、びくともしなかった。(ルカによる福音書 6章48節)

礼拝音源(23Mb)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 マタイ 11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 493 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編100編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカによる福音書 6章46~49節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「人生の確かな土台」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 513 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. もうひとりの弁護者
1. 聞いて行う人と聞いても行わない人
イエス様は集まって来る人々に、多くのことを話されました。その人々に、聞くだけではなく、行う人になるようにと、教えられます。良い話を聞いたと、聞いただけで満足してしまう人がいたのでしょう。そうではなくて、教えられたとおりに生きていくようにと言われているのです。
2. 洪水に耐える家と耐えられない家
イエス様の言葉を聞いて行う人を、岩の上に土台を据えて家を建てる人に、聞いても行わなかった人を、土台なしで家を建てた人にたとえて教えられました。岩の上に土台を据えた家は、しっかりと建てられているので、洪水が来ても倒れませんでした。それに対して、土台なしで建てた家は、洪水に倒されてしまいました。二つの違った生き方を教えられています。
3.イエス様の言葉を聞いて行う生き方を
イエス様の言葉を聞いて行うとは、教えられた言葉のとおり実行していくということです。それが、岩の上に土台を据えて家を建てるような生き方です。私たちの人生には、洪水が押し寄せてくるようなことが起こります。そのようなときでも、洪水に倒れないでしっかりと建っている家のように、倒されてしまわない人生を生きていくことができるのです。イエス様の言葉を聞いて行う、確かな土台を据えた人生を歩ませていただきましょう。

永遠に一緒におられる方(2024.5.19)

聖 書

私は父にお願いしよう。父はもうひとりの弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。(ヨハネによる福音書14章16節)

礼拝音源(36.9Mb)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ 16章13節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 2 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編99編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 14章15~26節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「永遠に一緒におられる方」 仁科共子牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 342 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. もうひとりの弁護者
イエス様は、世を去って父なる神様のもとに移る時が近づいたことを知って、弟子たちに、もうひとりの弁護者を遣わして弟子たちと一緒にいるように神様にお願いしてくださいました。イエス様がそばにおられなくなっても、弁護者すなわち聖霊が一緒にいてくださると約束されました。

2. 愛の交わりの中に
イエス様を愛する人は、父なる神様とイエス様に愛され、「その人のところに行き、一緒に住む」と言われました。イエス様を愛する人とは、イエス様の戒めを守る人です。イエス様を愛しているので、イエス様の言われることを守っていこうとする人です。父なる神様、イエス様と愛し合う交わりの中に入れてくださるのです。

3.永遠に一緒にいる方によって
イエス様は弟子たちと一緒におられた間、弟子たちを教え導かれました。イエス様が、弟子たちを離れて天に昇られた後は、聖霊が弁護者として「すべてのことを教え」イエス様が話してくださったことを「ことごとく思い起こさせてくださる」ので、イエス様が一緒におられた時と同じように、その日々の歩みを教え導いていただくことができます。「永遠に一緒にいる」というのは、「いつも」ということですが、それはまた、「どんな時も」と言えます。永遠に一緒にいてくださり、教え導いてくださる方に信頼して、その導きに従う歩みをさせていただきましょう。

朽ちない冠を受けるために(2024.5.5)

聖 書

競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるために節制するのです。(1コリント 9章25節)

礼拝音源(30.5Mb)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 15 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編97編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 9章24~27節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「朽ちない冠を受けるために」 仁科共子牧師
5月誕生者祝福 「ヨハネの手紙三  2節」
祈  祷
賛  美 505 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.賞を受けられるように走る
パウロは福音に生きる生き方を、競技をする人に例えて語ります。競技場で走る人は、やみくもに走ることをしないで、賞を受けられるように走ります。そのように、目標に向かって、しっかり走りぬくようにと教えています。

2. 節制する
競技をする人は、冠を受けるためにすべてを節制すると例えをあげました。それは「キリストの福音を妨げないように、すべてのことを耐え忍んでいます」という福音のために生きる生き方を指しています。福音にあずかるためにすべてのことをしている、という生き方です。

3. 朽ちない冠を受けるまで
この世で冠を得ようとする競技者は、そのために節制をし、全てのことを整えて全力を注ぎます。節制するというのはたやすいことではありません、時には辛く、苦しいと思うことがあります。「朽ちない冠」は、神様のもとで受ける永遠の恩賞です。「朽ちない冠を受ける」望みを持つとき、節制していくことができます。この望みが与えられているので、全てのことを福音のためにして、生きていく力が与えられるのです。
福音にあずかり、朽ちない冠を受けることを望みとして、福音の力によって、生活のすべてを福音のために生きる歩みを導いていただきましょう。