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Kobe Central Church

キリストを中心として(2020.7.5)

聖書

子どもたち、主にあって両親に従いなさい。それは正しいことだからです。(エフェソ6章1節)

礼拝音源(29.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編46編10節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 32編1~11節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ6章1~4節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 396 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストを中心として」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
7月誕生社祝福 詩編100編1~2節
賛  美 546 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

教会は、あらゆる違いを超えて兄弟姉妹とされた者たちが集められています。支配者と被支配者を作り出すところではありません。ですから、妻も夫も、子供も両親も互いに兄弟姉妹と呼び合い、愛の関係を築き合うのです。

1.主にあって  1~3節
子供と両親の関係は、世の中の親子関係ではありません。キリストを中心として、兄弟姉妹の関係に生きるように召されています。ですから、子供に「両親に従いなさい」と命じるのです。それは、両親を敬って、両親が語る言葉に聞き従う姿勢を表しています。「それは正しいこと」だからです。
このように両親に従うことは、有無をも言わさない服従を意味しているのではありません。主イエスが天の父を愛し敬う仕方で天の父に聞き従われたように、子供は「主に結ばれている者」すなわち「主にあって」両親に向き合い聞き従うのです。それが、幸いをもたらす生き方であり、神のご厚意から与えられるのです(3節)。

2.主がなさったように  4節
同様に両親も、主にあって子供に向き合うのです。そして、特に父親は、信仰に基づく信念をもって、教え導くのです。それが、威圧的で独善的であれば、子供に反発と怒りを抱かせるでしょう。「主にあって」とは「主がなさったように」との意味があり、父親は、主の仕方を意識し、主の愛に倣おうとする姿勢が求められます。

こうした親子の関係は、兄弟姉妹の関係においても同様です(5章21節)。そこには、共に十字架のもとにひざまずき、天の御国を目指して旅する神の民の姿があります。

 

 

聞く力(2020.6.28)

聖書

イエスは、このように多くのたとえで、人々の聞く力に応じて御言葉を語られた。(マルコ4章33節)

礼拝音源(29.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 27編1~14節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ22章63~71節 マルコ4章33節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 57 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聞く力」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 497 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、最高法院の代表者たちから審問を受けておられます。それを通して、主イエスが語られたことを彼らが聞こうとしているか否かを問いかけておられます。
私たちが、主イエスが語られる御言葉を聞くとはどういうことなのでしょうか。

1.主イエスは何度も語りかけられる
主イエスが、ご自分を「メシア」だと言われても、代表者たちは信じませんでした(67節)。また、ご自身が「神の子」だと言われても、代表者たちは聞く耳をもちませんでした(70節)。しかし、こうした不当な裁判であっても、主イエスは語るべきことを語られたのです。この主イエスを知ることは、私たちの慰めであり、救いです。
主イエスは、私たちがどんな場面に置かれても、今も変わらずに何度も語り続けておられます。神の御言葉が開かれることによって、神の恵みの世界を知らせてくださり、御言葉の経験を与えてくださるのです(詩編119編130節)。

2.主イエスの語りかけを聞き損じてはならない
代表者たちが主イエスを裁判にかけたのは、処刑するためでした。彼らは、自分たちの考えが正しいと思い込む固定観念によって、心の自由を失っていたからです。そのために、主イエスが語りかけられることを聞き損じてしまったのでした。
主イエスは、この代表者たちだけでなく、私たち一人ひとりに「聞く力に応じて」語っていてくださいます(マルコ4章33節)。ところが、人は、聞き分ける力、聞こうとする力を失いがちです。私たちは、聖書に親しみ、熱心かつ謙遜に主イエスの語りかけを聞く力をいただき、御言葉信仰に生きる聖徒の群れとしていただきましょう。

 

 

礼拝ご案内・行事予定(2020年7月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

 

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日) 第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00 第2礼拝 :AM10:45 ~ 11:45 第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00 ○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15 楽しい聖書の学び 1階集会室にて お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。
5日(日) 第1聖日 礼拝
「キリストを中心として」
エフェソ6:1~4
ノアの箱舟
創世記7:1~24
鎌野 健一
12日(日) 第2聖日 礼拝
「キリストの前に立って」
ルカ23:1~12
バベルの塔
創世記11:1~9
山崎  勝
19日(日) 第3聖日 教団創立記念日礼拝
「捨てて得する」
マルコ3:1~6
アブラハムの旅立ち
創世記12:1~9
増永  茂
26日(日) 第4聖日 伝道礼拝
「キリストを十字架につけたのは」
ルカ23:13~25
祈りと証し

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~11:30、PM 7:00 ~ 8:00

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。

7月行事予定

■ 5日(第1聖日)礼拝 7月誕生者祝福 教会学校教師研修会2
■ 12日(第2聖日)教団創立記念日礼拝
■19日(第3聖日)礼拝
■26日(第4聖日)伝道礼拝

8月行事予定

■ 2日(第1聖日)平和聖日礼拝 8月誕生者祝福
■ 9日(第2聖日)礼拝
■ 16日(第3聖日)礼拝 ギデオン・ラリー
■ 23日(第4聖日)伝道礼拝
■ 30日(第5聖日)礼拝 振起日合同礼拝

記念日にすること(2020.6.21)

聖書

だから、人の子は安息日の主でもある。(マルコ2章28節)

礼拝音源(29.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 25編1~22節
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコ2章23~28節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 432 一同起立
牧会祈祷 石﨑善土伝道師
宣  教 「記念日にすること」 石﨑善土伝道師
祈  祷
賛  美 532 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

本日は、先週の花の日に続いて、父の日記念日です。この記念日には、父母に対して、感謝の気持ちを表さねばならないのでしょうか? その答えは、「いいえ」です。感謝は自分からするものであり、義務や強制されてしても、そこに喜びはありません。この記念日は、色々な事情で普段は表わすことが出来ない、感謝を表わすきっかけを与えてくれます。それによって、感謝出来ない状態から解放され、感謝できるようになり、喜びが伴います。しかし、感謝を表さなくてはならない、贈り物をしなくてはならないと思い始めると、縛り付けられ苦しいものになります。

旧約聖書で定められた、ユダヤ人最大の記念日、安息日も同様です。安息日は、休めなかった奴隷の状態から解放され、自由人として休める事を記念し、喜び感謝する日として定められました。しかし、言い伝えられている間に、ファリサイ派の人々のように、労働をしてはならないと縛られる日とされていました。

イエス様は救い主として、神様が解放するために与えたものを、縛り付ける事に利用している人のところへ来て、喜べるようにされました。安息日は人を縛るためにあるのではない(27)と、それを定めた『安息日の主』であるイエス様により解説されています。私たちもこのように、本当は解放されて喜ぶためにある事を、義務化し、縛り付ける理由にしてしまう事があります。イエス様が宣べ伝えられた福音は、あなたを様々な縛りから解放し、神の恵みに立ち返らせます。ファリサイ派の人々のように拒むか、弟子達のようにイエス様を信じて従うか、主は尋ねておられます。あなたはイエスの復活を記念する今日、どのように応答されるでしょうか。

 

 

キリストへの畏れをもって(2020.6.14)

聖書

キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。(エフェソ5章21節)

礼拝音源(32MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編100編1~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 19編1~15節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ5章21~33節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 361 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストへの畏れをもって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 505 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

愛の主キリストは、ご自身への「畏れ」をいだく者たちに、さまざまな「恐れ」から解き放って新しい生活へと歩み出させてくださいます。ここでは、キリストへの畏れをもって「互いに仕え合いなさい」と命じています(21節)。

1.妻も夫も互いに 

キリストにおいて一つの体とされたお互いは、キリストにあって兄弟姉妹です。それは、妻と夫の関係においても同様であり、互いに仕えることが求められます。

そこには、まずキリストが十字架の死に至るまで私たちを徹底して愛して、仕えてくださった事実があります。それゆえに、妻は「主に仕えるように」、夫に仕えるのです。夫はキリストが「教会のために御自分をお与えになったように」、妻を愛して仕えるのです(22~25節)。

こうして、妻と夫は、キリストの愛に対する深い感謝と信頼を抱きつつ、畏敬の念をもって互いに仕え合うのです(33節)。

2.キリストの体に連なる互いが 

このように、パウロは妻と夫が互いに仕え合うことを語りつつ、信仰者がキリストの体に連なることによって、互いが仕え合うことを通して教会が造り上げられていくことを勧めています(26~32節)。

エフェソにある教会が、初めの愛から離れてしまったために、悔い改めて初めの行いに立ち戻るように命じられています(ヨハネの黙示録2章1~7節)。これは、今の私たちへの問いかけでもあります。キリストへの畏れをもって応答していきましょう。

 

暗闇に立つキリスト(2020.06.07)

聖書

「だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。」(ルカ22章53節b)

礼拝音源(37MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 使徒言行録1章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 84編1~13節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ22章47~62節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 288 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「暗闇に立つキリスト」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
6月誕生者祝福 ローマ14章17節
賛  美 197 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、今は暗闇の支配する時であると語られました(53節b)。それは指導者たちだけのことでなく、イスカリオテのユダとペトロの内を暗闇が支配していることをも意味していました。そこに、主イエスは立ち続けておられたのです。

1.愛が崩される中に  47~53節
主イエスは、ユダが近づいてきたとき、深い悲しみをもって相対されました(47~48節)。彼の主イエスに対する裏切りには、愛を装って背き、友情を装って売り渡すという暗闇が支配していました。そのところに、サタンがつけ込んできました(1~6節)。
主イエスは、最後の晩餐に際しても(ヨハネ13章21~27節)、ユタが裏切る段に至っても「友よ」(マタイ26章50節)と呼びかけて、極みまで愛し抜かれました。
愛が崩れてしまっていく中にあっても、そこに主イエスは立ち続けておられます。

2.憐れみにすがる中に  54~62節
ペトロは、これまで懸命に主イエスに従い続けてきましたが、主イエスが捕らえられるや、「遠く離れて従った」のです(54節)。彼は、そこから道を踏み外しました(55~56節)。ついには、主イエスを三度まで否認する有様です(57~60節)。
この時ペトロは、変わらない主イエスのまなざしを思い起こします(61節、ヨハネ1章42節)。そして、悔いの涙を流します(62節)。憐れみに富んでおられる主イエスは、その悔いの涙に対して同情で終わることなく、十字架と復活、続くペンテコステの聖霊の恵みを通して、新しい任命と望みを与えられました(1ペトロ1章3~5節)。
主イエスは、ご自身の憐れみにすがり続ける者をこのように導かれるのです。

緊急の必要(2020.5.31)

聖書

酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、(エフェソ5章18節)

礼拝音源(29.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編51章12~14節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 16編1~11節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ5章18~20節
使徒信条 93-4 1A 一同起立
賛  美 342 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「緊急の必要」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 529 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主の弟子たちが、主イエスの十字架と復活の期間また昇天と聖霊降臨の期間に不安と恐れを抱きました。それは、主の再臨待望信仰に生きる人たちでさえ、いろんな機会に同じような経験をするものです。そうした時、聖霊に満たされていることが、緊急の必要となります(18節、ヨハネ14章16~18節参照)。

1.聖霊に満たされ続けよ  18節
私たちは、酒のみか、仕事、学び、遊びなどに酔わされて、自分を失ってはなりません。むしろ、今も常に聖霊に満たされ続けよと命じられています。それは、聖霊に支配され、聖霊に導かれていることです。
聖霊に満たされ続ける秘訣は、ペンテコステ後の主の弟子たちのように、一人ひとりが主イエスに主導権を明け渡し、主のものになることです。教会は、聖霊に満たされ続けることにより、主の恵みに満ちあふれ、主の命に活き活きと生きる聖徒の群れとなるのです。

2.キリストの支配に生きる  19~20節
聖霊によって「イエスは主である」(1コリント12章3節)と告白することは、心と人生の中心をキリストのご支配をいただいて生きることです。
そこから、信仰の仲間とともに、歌が語り合う言葉となり、「主に向かって心からほめ歌う」賛美が出てきます。そして、ついには「いつも、あらゆることについて」父である神に対して感謝が出てくるのです。
私たちは、日々の歩みの中で、聖霊に満たされ、キリストの支配に生きることに捉えられていることが大切です。その人生に区切りを与えるのが、聖日礼拝です。

 

礼拝ご案内・行事予定(2020年6月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

 

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日) 第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00 第2礼拝 :AM10:45 ~ 11:45 第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00 ○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15 楽しい聖書の学び 1階集会室にて お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。
7日(日) 第1聖日 礼拝 「暗闇に立つキリスト」 ルカ22:47~62 休会
14日(日) 第2聖日 花の日礼拝 「キリストへの畏れをもって」 エフェソ5:21~33 天地創造
創世記1:1~31
鎌野 健一
21日(日) 第3聖日 父の日・伝道礼拝 「記念日にすること」 マルコ2:23~28 人間の創造
創世記1:26~31
増永  茂
28日(日) 第4聖日 海外宣教日礼拝 「聞く力」 ルカ22:63~71 罪の始まり
創世記2:15~17、3:1~7
山崎  勝

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~11:30、PM 7:00 ~ 8:00

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。

6月行事予定

■ 7日(第1聖日)礼拝 6月誕生者祝福
■ 14日(第2聖日)礼拝 役員会
■ 21日(第3聖日)父の日・伝道礼拝  銀婚式
■ 28日(第4聖日)海外宣教日礼拝

7月行事予定

■ 5日(第1聖日)礼拝 7月誕生者祝福 聖餐式  教会学校教師研修会2
■ 12日(第2聖日)礼拝
■19日(第3聖日)教団創立記念日礼拝
■26日(第4聖日)伝道礼拝  

キリストの従順のゆえに(2020.5.24)

聖書

キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみを通して従順を学ばれました。(ヘブライ5章8節)

礼拝音源(29.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 14編1~7節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ22章39~46節
ヘブライ5章7~9節
使徒信条 93-4 1A 一同起立
賛  美 280 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストの従順のゆえに」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 303 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、キリストでさえ「学ぶ」必要があったこと、それが「従順」であったこと、それを学ぶのに「多くの苦しみ」を通してであったことに、驚きを覚えます(ヘブライ5章8節)。
主イエスは、十字架を前にオリーブ山で祈られたことを通して、ご自身どういう者なのか、私たちとどのような関わりをもたれたのかを明らかされました。

1.苦しみを伴った祈り
この祈りは、苦しみを伴う壮絶なものでした。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください」(42節)、神の裁きの杯を取り去ったくださいと祈られました(詩編73編7~8節参照)。そして、「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」(44節)と、死の恐ろしさのゆえに苦しみもだえて祈られました。主イエスは、立っていられないほど困惑し、恐れ、「ひざまずいて」祈られたのです(41節)。
なぜ、このように恐れられたのでしょうか。主イエスご自身が、全世界の罪を一身に負い、世の罪を取り除く神の小羊として十字架に架けられるからです。これまで、父なる神との交わりの断絶を経験したことのないお方が、その交わりを断たれるという「苦しみ」だからです。主イエスの「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15章34節)との十字架上の叫びこそ、その苦しみの極致でした。ここに、キリストの孤独があります。
主イエスは、今の私たち一人ひとりに代わって、この苦しみを伴う祈りをされたのです。

2.父なる神への服従の祈り
主イエスは、「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください」と願い祈りながらも、「わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」と祈られました(42節)。父なる神の御心とは、御子イエスが全ての人の罪の贖いを成し遂げることでした。主イエスはそれに従い通されたのです。
そして、このように主イエスは祈りながら、弟子たちに「誘惑に陥らないように祈りなさい」と二度にわたって言われました(40節、46節)。誘惑に陥るとは、神への信頼を失うことであり、失わせようとすることです。ですから、父なる神に信頼することに無感覚になって、信頼できなくなることのないように祈るのです。

主イエスの従順が、私たちの永遠の救いの源となりました(ヘブライ5章9節)。ですから私たちは、人となられた活ける神である主イエスを信じ仰ぎ見るのみです(讃美歌21 280番「この人を見よ」参照)。そして、「御心のままになさってください」と祈られた主イエスの祈りに支えられて、神の御心がこの私と私の人生の歩みに行われますようにと祈り、歩み出すのです。

新しい酒は新しい革袋に(2020.5.17)

聖書

また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。(マルコ2章22節)

礼拝音源(23.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エゼキエル36章26節a,28節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 15編1~5節
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコ2章18~22節
使徒信条 93-4 1A 一同起立
賛  美 56 一同起立
牧会祈祷 石﨑善土伝道師
宣  教 「新しい酒は新しい革袋に」 石﨑善土伝道師
祈  祷
賛  美 403 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ファリサイ派の人々は、習慣に従って断食をしていた。当時の信仰心の表明として、ごく普通のことでした。洗礼者ヨハネの弟子たちは、師が捕らえられた(1:14)ことを悲しみ、断食をしていました。それなのに、「なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」というのが、イエスに向けられた質問でした。

1.花婿のたとえ
批判に対して、主は今の状況を結婚の祝いの宴にたとえられました。イエス自身を花婿とし、花婿が共にいる喜びの席で、悲しみを表明する断食を行うのはふさわしくないとされました。表面的な行為としての断食を嫌われました。
花婿であるイエスが取り去られ時が来るとして、十字架に架けられる時が来ることを暗に預言され、その時には、イエスの弟子たちも断食をすると言われました。

2.布と革袋のたとえ
イエスは続けて、新しい時代が来ていることを、たとえを通して伝えられました。
新しい布は、洗うと縮んでしまう(最近の布はそうでもないようですが)。新しい布を、縮み切っている古い服に継ぎ当てると、新しい布が縮んで裂けてしまう。
新しい酒(ぶどう酒)は、発酵が進むとガスが出てくるため、伸びきった古い革袋に入れると、ガスによる膨張に耐えられず、袋が裂けてしまう。そうすれば、酒も袋もだめになってしまう。
この2つのたとえを通して、イエスのもたらした新しい教えと救いは、従来のファリサイ派や洗礼者ヨハネの弟子たちの生き方には収まらないと言われました。

3.従来の価値観との対立
上の三つ目のたとえは、当時のことわざとして使用され、私たちのまわりでも使用されることがあります。しかし、その中心にイエスがいるのといないのでは、全く違う意味になります。イエスのもたらした救いは、旧約聖書の時代から神によって計画され、約束されていたものでした。しかし、神の御心を知り、従うところから離れてしまっていた人々には、異質で新しいものとして捉えられました。そのため、イエスの教えは、彼らの教えと対立しました。それは、ファリサイ派や洗礼者ヨハネの弟子たちだけでなく、世界中の全ての宗教や文化と対立し、今も続いています。
私たちは、この地上で生きる限りは多かれ少なかれ、息苦しさを覚えます。それは、「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。」(ルカ12:51)ともあるように、イエスの教えと社会の価値観が対立し、私たちの中にある、この世に造られた価値観とも対立するからです。しかし同時に、イエスに従うとき、この世の価値観から解放されます。
息苦しさを感じた時こそ、神に近づくチャンスです。ありのままの本音を神にぶつけ、表面的ではなく御心を知り、あわれみと愛を受けていることを知り、日々の生活を喜ぶものと、ならせていただこうではありませんか。

悪い時代をどう生きるか(2020.5.10)

聖書

時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。(エフェソ5章16節)

礼拝音源(19MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨエル3章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 127編1~5節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ5章12~17節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 11 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「悪い時代をどう生きるか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
5月誕生者祝福 イザヤ書40章11節
賛  美 531 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

パウロは、先に「光の子として歩みなさい」(8節)と勧め、「暗闇の業に加わらないで」(11節)と語りました。その暗闇の業は、私たちが以前は普通に口にしていたこと、普通に行っていたことです(4章31節、5章3~5節)。これらは主に喜ばれる実を結ばないものでした(5章10~11節)。このような暗闇の業が作り出す「今は悪い時代」です(16節)。この時代に、私たちは、どのように歩めばよいのでしょうか。

1.目覚めて生きる  12~14節
暗闇の業が光であるキリストによって明らかにされることによって、今やキリストに信仰によって結ばれた者は光の中にある者とされました(13~14節a)。
そのように光とされた者は、キリストへの信仰の告白となり賛美となります(14節b)。これは、初代教会の洗礼式で歌われた賛美と言われており、キリストを通して神を信じるとはどういうことなのか、洗礼を受ける前と後ではどう異なるのかとの内容です。
詳しく味わってみます。自分について、世界について、神について知ろうとしないで漫然と生きているのが「眠りについている者」です。神を信じるということは、そのような眠りから目覚めていることであり、「死者の中から立ち上が」ることです。そうすることによって、自分が何者なのかを自覚し、この世界が何であるかを意識して、神に心を向けるようになるのです。そして、暗闇の中にまどろんでいた者が、「起きよ」と光へと呼び出され、キリストに照らされて生きるのです。
洗礼にあずかっている者は、いかなる時であっても「目覚めて生きよ」とのこの賛美の呼びかけを聞き続けて歩むのです。

2.知恵ある者として歩む  15~17節
悪い時代のただ中を生きるからこそ、「賢い者として、細かく気を配って歩」むのです(15節)。賢い者とは、「知恵」ある者であり、神から与えられた永遠の救いに関わる知恵を与えられている者です。そのように歩む秘訣は、こうです。
まず、「時をよく用いなさい」(16節)とあるように、単なる時間ではなく、機会あるいは時期や好機をわきまえて十分に生かすことです。自分たちが生きている世界がどのようなものであるかを自覚して、今の機会を逃さずに最善に用いるのです。
そして、「主の御心が何であるかを悟りなさい」(17節)とあるように、キリストの御心を悟って歩むことが、知恵をいただいていることです。その主の御心を悟って生きてこそ、今の機会が用いられるのです。そのためには、主の御心に生きたいと願うことです。主ご自身と親しく交わることです。
「今は悪い時代なのです」と言われる「今」は、パウロの時代のみでなく、代々の信仰者にとっても、私たちにとっても、私たちの子どもたちにとっても、常に「今」です。「今の悪い時代」のただ中を生きる者は、目を覚まし、主の御心を悟り、知恵ある者として歩み続けるのです。

 

変わる環境でどう生きるか(2020.5.3)

聖書

わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。(フィリピ4章13節)

礼拝音源(23.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ16章13節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 91編1~16節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ22章35~38節、フィリピ4章13節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 148 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「変わる環境でどう生きるか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 456 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、私たちの過去、現在、将来に解決と導きを与えてくださり、永遠に変わることのないお方です(ヘブライ13章8節)。ところで私たちの人生は、さまざまに変わりゆく環境と状況下に置かれます。

1.変わりゆく環境 

主イエスは、十字架にお架かりになられる前夜、「言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する」(37節、イザヤ書53章12節参照)と言われました。このようにして、主イエスは、私たちに代わって神から捨てられてくださったのです。神の愛の中を歩まれた主イエスのご生涯において、これほど大きく重大な変化はありません。

この時、主の弟子たちにも大きな変化が起こりました。彼らが主イエスに従うようになった頃と(35節、ルカ9章1~6節及び10章1~12節参照)、主イエスが十字架を前にされた時とは、逆のことが指示されたからです(36節)。しかも、危機が来るから、自らの身を守る態勢を取るように話されました(38節)。

このような環境の変化は、私たちにも訪れます。平穏であった日々が、突如苦難と言われる経験をするからです。

2.変わることのない主 

主イエスは、「わたしの身に必ず実現する」(37節)と言われたことを父なる神の御心とされ(ルカ22章42節)、それを「成し遂げられ」(ヨハネ19章30節)、父なる神に「ゆだね」切られました(ルカ23章46節)。その救いの事実は変わりません。

弟子たちは、この主イエスの配慮の行き届いた恵みを数えることができ(35節)、主イエスのとりなしの祈りの恵みに与ることになりました(ルカ22章32節)。

私たちは、パウロ同様に、さまざまな変わりゆく環境(境遇)に置かれますが、それに対処する秘訣を授かっています(フィリピ4章10~12節)。主イエスが願われるその御旨を知って仕えさせていだたく時に、それを可能にしてくださるのが主イエスだからです(同13節)。主イエスは、今も変わることなくとりなし祈り、備え、助け、力づけていてくださいます。ですから私たちは、このお方に堅く信頼を置くのです。

 

礼拝ご案内・行事予定(2020年5月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

 

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日) 第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:15 第2礼拝 :AM10:45 ~ 12:00 第3礼拝 :PM 7:00 ~ 8:00 ○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15 楽しい聖書の学び 1階集会室にて お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。
3日(日) 第1聖日 礼拝 「変わる環境でどう生きるか」 ルカ22:35~38 休会
10日(日) 第2聖日 母の日礼拝 「悪い時代をどう生きるか」 エフェソ5:12~17 休会
17日(日) 第3聖日 礼拝 「新しい酒は新しい革袋に」 マルコ2:18~22 休会
24日(日) 第4聖日 伝道礼拝 「キリストの従順のゆえに」 ルカ22:39~46 休会
31日(日) 第5聖日 ペンテコステ感謝礼拝 「緊急の必要」 エフェソ5:18~20 休会

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~12:00、PM 7:00 ~ 8:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。

5月行事予定

■ 3日(第1聖日)礼拝 ■ 10日(第2聖日)母の日礼拝 銀婚式 5月誕生者祝福 ■ 17日(第3聖日)礼拝  バルナバミッション祈祷会 ■ 24日(第4聖日)伝道礼拝 役員会 ■ 31日(第5聖日)ペンテコステ感謝礼拝 洗礼式  質問受付会

6月行事予定

■ 7日(第1聖日)礼拝 6月誕生者祝福 聖餐式 ■ 14日(第2聖日)礼拝  花の日行事 ■ 21日(第3聖日)父の日・伝道礼拝 ■ 28日(第4聖日)海外宣教日礼拝  Happy Sheep 6月  教会総会(定期総会)

仕える者(2020.4.5)

宣教題 「仕える者」           宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 ルカ22章24~34節

聖書朗読(0.5MB)

メッセージ(10MB)

 主イエスが十字架に架かられる前日まで、弟子たちは誰が一番偉いと思われているかと議論してきました(マタイ18章1~4節、同20章20~28節、ルカ22章24~27節)。それに対して主イエスは、十字架の救いの恵みに生かされて、「仕える者」に造られていくようにと語られます(26節)。

1. 試練によって  28~31節
 弟子たちは、主イエスがこれまで遭われた試練のときと同様に、この後の受難に対しても、一緒に踏みとどまって従い続けるように求められています(28節)。ところが、シモン・ペトロがそうであったように、このような試練のときにサタンによってその信仰がふるわれることがあります(31節)。
 主イエスは、そのような試練を通して、私たちを「仕える者」として造りあげていってくださいます。そして、天の御国における栄光の恵みに与らせてくださるのです(29~30節)。

2.主イエスによって 32~34節
 私たち自身の決心は、ペトロのようにしばしばつまずくことがあります(33~34節)。主イエスは、そのような者たちのために、「信仰が無くならないように」とりなし祈られます。後にペトロは、復活された主イエスによって信仰が回復され、その恵みを宣証していきました(32節)。
 主イエスが今も生きて私たちをとりなし続けていてくださることに、大きな驚きを覚えます(ヘブライ7章25節)。そのような恵みに与る私たちは、「仕える者」として造り変えられていくのです。

聖なる者にふさわしく(2020.3.29)

宣教題 「聖なる者にふさわしく」      宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 エフェソ5章1~5節

 初代教会は、迫害や自然災害や疫病といった問題のみか、不道徳や不一致や異端といった問題に遭っていました。そうした中にあって、すでに主イエスによって聖なる者にさているのですから、それにふさわしく歩むように命じています(3節)。

1.神の愛によって生かされるように  1~2節
 神に倣う者とは、神に愛されている神の子として、その愛によって生かされ、その愛を手本として愛することです(1節)。そして、主イエスが、ご自身を「いけにえ」として神に献げてくださるまでに私たちを愛してくださった、その愛に生かされて愛のうちを歩むのです(2節)。
 教会は、今日に至るまで、永遠の命が与えられているという確信のともなった希望をいだいて、信仰に基づく愛の共同体としての歩みをしてきました。いつまでも残るものは、この信仰と希望と愛に生きることです(1コリント13章13節)。

2.神を感謝して生きるように  3~5節
 続いて、聖なる者にふさわしくない言葉を口にしないことを命じています。それは、人を卑しめたり、自分をおとしめたりする不品行な言葉、神の不名誉となるような言葉を口に出してはいけないということです(3へ4節a)。そうでないと、偶像礼拝者となり、キリストと神の国を継ぐことができないからです(5節)。
 そこで積極的に口にする言葉は、神が備えて与えてくださるすべてのことに対して、神を感謝することです(4節b)。神が生きて働いておられることを信じて感謝し、神は変わることのないお方であることに望みをおいて感謝し、神が愛していてくださることを感謝するのです。

聖書朗読(0.5MB)

メッセージ(11MB)