聖 書
イエスは言われた。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。(ヨハネ11章25節)
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礼拝順序
| 前 奏 | ||
| 招 詞 | 2コリント5章17節 | 司 会 者 | 
| 頌 栄 | 29 | 一同起立 | 
| 祈 祷 | 司 会 者 | |
| 主 祷 | 93-5 A | 一 同 | 
| 交 読 | 詩編23編 | |
| 会衆祈祷 | 一 同 | |
| 聖 書 | ヨハネ11章25〜26節 | |
| 使徒信条 | 93-4 1A | 一 同 | 
| 牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
| 証し | ||
| 宣 教 | 「よみがえる人生」 | 川原﨑晃主管牧師 | 
| 祈 祷 | ||
| 幼児成長祝福式 | 詩編71編5~6節 | |
| 賛 美 | 57 | 一同起立 | 
| 感謝献金 | ||
| 奏 楽 | ||
| 頌 栄 | 27 | 一同起立 | 
| 祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
| 後 奏 | 
宣教要旨
私たちは、さまざまに失うという経験をします。その中で最後に経験するのが、「命を失う」という死に直面することです。その時に、いつまでも残る信仰と希望と愛によって(1コリント13章13節)、よみがえる人生へと導かれたいものです。
1.死を覚えよ
マルタとマリアは、病気のラザロが癒やされることを願って「主よ、あなたが愛しておられる者が病気なのです」と、主が最善をしてくださることを期待して、お任せしようとしました(11章1~6節)。しかしその結果は、愛する者の死という悲しみに直面したのです(同7~16節)。それでもなお彼女たちは、主イエスに「終わりの日の復活の時に復活する」との将来に望みを置いています(同22~24節)。
私たちは、死の現実に対して自らの人生のはかなさを痛感します。その死を覚えつつ、主イエスに望みを置くのです。
2.主イエスを忘れるな
ところで、主イエスは「私は復活であり、命である」と語られたように、十字架において人の罪の問題を解決しくださり、復活されて死の問題に解決を与えてくださいました。この主イエスを信じる者は、死の不安の中にあっても復活の命を与えられ、復活の時によみがえるのです。そして、罪のゆえに永遠の死を恐れる者には、主イエスを信じる今この時に、永遠の命が与えられ、新しく生きるようにされるのです(同25~26節)。
主イエスを信じる私たちは、死から命へと移されたよみがえる人生の歩みをします。その信仰に生きる歩みは、継承されていきます。
