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2019年1月20日

失望しないで(2019.1.20)

宣教題 「失望しないで」          宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 ルカ18章1~8節
創造主である神に造られた私たち一人ひとりは、内側から出て来るものが言葉となり、それが祈りの言葉となって表れてきます。「祈り」とは何なのでしょう。

1.どなたに向かって
「初めに、神は」とあるように(創世記1章1節)、神を初めに置く生活、神を第一とする生き方が、本来の人間の姿です。その生き方をしていくならば、「天にまします我らの父よ」との主の祈りが、私の祈りとなります。
この神に祈ることにより、神との対話と交わりが生まれます。ここに登場する「一人のやもめ」のように、神に訴えるところに、神からの応えを聞くことができます。

2.どのような時にも
主イエスは、失望しないで絶えず祈るように語られました。順風満帆な状況下においても、このたとえ話にあるように悲観的な状況下においても、人は祈ることに困難を覚えるからです。そのように祈りを困難にする一番の原因は、神を信じ、信頼できないという、人の内側にある心の暗さからくるのです。
しかし、どのような時にも、神に祈り叫ぶことのできる人は幸いです。

3.どのようにして神は
そのように失望しないで神に祈り続ける者に、神は必ず道を開いてくださいます(7節)。神の裁きは、人にベストだという応えをくださることです。
その応えとは、主イエスが再び来られる時だけでなく、すでに来られた時と同様に、一人ひとりが信仰を抱いて神に向かっているか、神に呼ばわり祈る信仰を見失っていないかと問いかけておられます(8節)。神の救いを「あなた」のものに!

聖書朗読(0.7MB)

メッセージ(8.6MB)