月別アーカイブ: 2015年2月

神の出番(2015.2.22)

宣教題  「神の出番」                宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  マルコ2章1~12節

ここに登場する中風の人とその仲間たちは、自分たちの力ではなすすべもない課題に対して神の出番を望み、さらに彼ら自身が気づいていない最大の問題の解決に対して、権威ある神の出番の必要を促がされました。

1.主イエスにひたすら依り頼むときに
不自由を覚えていた「中風の人」は、お会いしたいと願っていた主イエスの所に彼の仲間たち四人によって運ばれてきました。彼らは、無礼を承知で、乱暴とも思える方法を用いました。
それに対して主イエスは、中風の人に憐れみの心を抱かれたというよりは、必死になって彼を主イエスの前につり下ろした仲間たちの信仰を見られました(5節)。彼らは、愛に促がされて、主イエスにひたすら依り頼んだのです。この信仰が、神の救いへの導きとなったのです。
このように、一人の人が主イエスに出会うために、その人をめぐる人々の愛と信仰と祈りのあることを知るのです。

2.罪を赦す主イエスの権威に触れるときに
主イエスは、仲間たちの信仰を見られて、「子よ、あなたの罪は赦される」(5節)と宣言されました。主イエスは、このことを通して因果応報を教えておられるのではありません。どんな病気をしていようと健康であろうと、どんなに苦難にあろうと幸せな生活を送っていようと、誰もが主イエスによって罪を赦していただくことなしに、神との交わりを回復していただき、本当に健やかに生きることはできないのです。
私たちは、主イエスが十字架上でご自身の命を投げ出して告げてくださった罪の赦しを聴きつつ(ルカ23章34節)、自分の罪の深さに気づくのです。そして、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」(11節)との権威ある御言葉に立って、魂も心も体も自由にされて自分の足で歩み始めるのです。

礼拝のご案内・行事予定(2015.3)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉が、わかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:15
第2礼拝 :AM10:45 ~ 12:00
第3礼拝 :PM 7:00 ~ 8:00
○成人科プログラム (毎週日曜日)
AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び    1階集会室にて
お話は毎回完結します。いつでもお入りください。
1日(日) 第1聖日 礼拝
「恵みにふさわしい生活」
1ペトロ1章13~16節
 祈りと証し
8日(日) 第2聖日 礼拝
「心の底から」
エフェソ4章17節~5章5節
主の再臨に備える
マタイ25:1~13
鎌野 健一
15日(日) 第3聖日 伝道礼拝
「美しい人生」
ルカ8章1~3節
契約の血
 マタイ26:26~29
 増永 茂
22日(日) 第4聖日 聖会礼拝
あなたがたの中におられる方
ヨハネ1章19~34節
捕えられたイエス
 マタイ26:47~56
大塚 章信
29日(日) 第5聖日 パームサンデー礼拝
「十字架の勝利」
マルコ10章32~45節
十字架上のイエス
マタイ27:45~56
佐藤 正雄

 祈祷会   恵みの分かち合い (毎週水曜日)   AM 10:30 ~12:00、PM  7:00 ~  8:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを、神さまに感謝するものです。

3月行事予定

1日  (第1聖日) 礼拝   聖餐式 3月誕生者祝福 新任教師研修会1 ファミリーコイノニア
8日  (第2聖日) 礼拝 新任教師研修会2 役員会
15日(第3聖日)   伝道礼拝 新任教師研修会3  Happy Sheep
22日(第4聖日)礼拝  春の聖会
29日(第4聖日)パームサンデー礼拝  JC&YC スプリングキャンプ    新任教師研修会4

4月行事予定

5日  (第1聖日)イースター感謝礼拝 4月誕生者祝福 洗礼式  CSイースター合同礼拝
召天者合同記念会
12日(第2聖日)礼拝 聖餐式 奉仕者任命式 教師研修会① 役員会 エノク会例会
青年会おたのしみ
19日(第3聖日)礼拝
26日(第4聖日)伝道礼拝 Happy Sheep

涙の出会い(2015.2.15)

宣教題  「涙の出会い」              宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  ルカ7章36~50節

ここに登場する一人の女性は、主イエスの足を自分の涙でぬらしています(38節、44節)。主イエスは、彼女を泣くに任せられ、その涙を受け入れ、喜んでおられます。この女性が主イエスに出会ったような出会い方で、私たちも主イエスに出会っていくことが大切です。

1.主によって罪の赦しをいただいた出会い
ファリサイ派のシモンが、主イエスを自分の家に招いて食事を共にするという交わりをしています。そこに「罪深い女」が入って来て、最大限の愛の業をしたのです(38節)。その行為は、悔い改める心をもった主イエスへの心からの信頼と、繰り返し尊敬の念を表し続けるものでした(45節)。主イエスがこの女性をどう見ておられたかは、そのたとえ話を通して明らかにされています(40~43節)。
主イエスによって罪が赦されたことを自覚した者は、惜しみない愛を表すようになるのです(47~48節)。主イエスに対する信仰が、私たちの罪を赦し、神に近づき、神と共に歩む新しい人生をつくるのです(50節)。

2.主を愛することを知った出会い
主イエスを迎え入れたシモンには、罪深い女がいただいていた信仰と真実さが欠けていました。その心は冷めたものでした(39節)。それゆえに、主イエスは、彼に多く愛することを語られ、また問いかけられたのです(40~43節)。
主イエスは、誰かを多く赦し、誰かを少なく赦しておられるのではありません。どんなに多く赦していただいているかを身にしみて分かっているか、そのように自覚していないかだけなのです。この罪が赦された喜びと感謝の思いをもって、愛の業に励むのです(44~47節)。
実に愛の源泉は、イエス・キリストを主と信じ、その十字架の贖いによって罪の赦しをいただいたところにあるのです。

神のわざを記憶し続ける(2015.2.8)

宣教題  「神のわざを記憶し続ける」       宣教 鎌野直人協力牧師
聖 書  ヨシュア4章1~24節、2テモテ2章8節

毎週、なぜ礼拝に来るのだろうか。祈るため、きよくされるため、安心のため、単なる習慣?。イエス・キリストを思うため(2テモテ2章8節)に集められている。では、具体的に何を思い出すのだろうか。

1. ヨルダン川を渡る
イスラエルの民がヨルダン川を渡り、十二の石の記念碑を建てることがヨシュア4章には記されている。ヨルダン川を渡る途中で、主はヨシュアに、十二人の男が十二の石を担ぎ、それを宿営の地に据えることを命令した(4章1~9節)。祭司たちは民が渡る間、ずっとヨルダン川の真ん中に立ち止まっていた(4章10節)。ヨルダン川の東岸に嗣業の地を得た部族も、民の先頭に立って川を渡り(4章11~13節)、この出来事を通してヨシュアは大いなる者とされた(4章14節)。そして、主の命に従って祭司たちが川から上がった時、川は元の状態に戻った(4章15~18節)。ヨシュアは、対岸のギルガルに宿営した民に十二の石の記念碑の意味を語った(4章19~24節)。

2. 十二の石の記念碑の意味
なぜ、このような記念碑を作ったのだろうか。ヨルダン川の流れが主の箱の前でせき止められたことを記念するためである(4章7節)。しかし、単なる自然現象が起こったのではない。これは、イスラエルの神が全イスラエルのためになされたわざである。そのような神のわざを記憶し続けるために、出エジプトの時と同じようにご自身の民を自由にし、民を回復する神に目を向けるために記念碑は作られた(4章23節)。そして、主のわざを記念し、それを記憶し続ける時、世代が変わっても同じように働かれる神を民は知り、恐れ敬いつつそのような神に従うようになる。そして、そのような神の民の姿を見た世界中の人々は、川や海を自由に動かすことのできる神とその力を知るようになる(4章24節)。記憶し続ける民は、宣教のわざに与るようになる。
礼拝は、十二の石の記念碑を見ることに比べられよう。イエス・キリストの十字架を思い、神が私たちを自由にし、回復したことを思い出す。そのような素晴らしい神を恐れ敬い、この方に従って行こうと改めて心に決める。そして、私たちの姿を見て、世界中がこの神の素晴らしさを知るようになる。礼拝という恵みは、私たちを世界へと宣教に遣わす。

伝えられる恵み(2015.2.1)

宣教題  「伝えられる恵み」           宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  1ペトロ1章9~12節

ペトロが証言するように、私たちは、福音を告げ知らせていただき、今も生きておられる主イエスを信じ受け入れ、主イエスと共に生きるのです。それほどに、主イエスは私たちに近い存在となってくださったお方なのです。ペトロは、そのことを生き生きと語り伝えています。

1.福音が伝えられる
「福音をあなたがたに告げ知らせた」(12節)との御言葉が響いています。それは、「この救いは」(10節)とあるように、ただ神の恵みによる「魂の救い」(9節)であり、今現に受けているもので、「終わりの時に」(5節)完成される救いの福音です。
なお、この魂の救いとは、単に心の救いを述べているだけではなく、主イエスを信じる人の生き方が大きく変えられる救いです。その人のうちに、愛と信頼と喜びが満ち溢れ、試練をも神への全き信頼へと純粋なものに変えていくのです(6~8節)。
この福音が今日まで告げ知らされてきたことは、大きな恵みでした。ですから、この魂を救う福音が、もっと早く、多くの人々に伝えられることが、私たちの切実な願いなのです。

2.聖霊に導かれた人を通して伝えられる
ペトロは、救い主がまだ訪れていなかった旧約時代を振り返っています。預言者たちは、やがて訪れる救いの時を待ち望みつつ、それが誰を意味し、どういう時を指しているかを探求し、注意深く調べたのでした。そして、彼らの「内におられるキリストの霊」によって、キリストの十字架の苦難と復活の希望の光を示してきたのです(10~11節)。しかも彼らは、それが自分たちの時代に実現するのではなく、やがてその福音によって救いにあずかる人々のために仕えているとの自覚を持っていました(12節a)。
福音は、今に至るまで、聖霊に導かれて福音を告げ知らせる人々によって届けられてきました。その恵みは、天使たちも見たいと切望しているのです(12節b)。そして、この福音を告げ知らせることは、私たちにも託されています。そのためにも、私たちは、まず福音の恵みをしっかり味わい、大切に見つめ直すことが必要なのです。