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2013年7月7日

自由と愛(2013.7.7)

宣教題  : 「自由と愛」   宣教:   川原﨑 晃 牧師
聖    書  : 使徒言行録21章17~26節 1コリント9章23節
パウロは、いかなる時にもキリストを中心に置いて、ぶれない生き方をしました。そのパウロが、福音にあずかって真に自由な者とされ、かつ福音に共にあずかるためには、その自由が制約されてもキリストの愛に生きることを選んだのです。

1.福音にあずかる
パウロ一行はエルサレムに到着したとき、教会の人々の歓迎を受け、教会代表のヤコブや長老たちに挨拶をしました。そして、パウロを通して福音が異邦人に届けられたことの報告をするなかで、同行してきた異邦人教会の代表者を紹介し、献金がささげられた経緯や趣旨を語りつつそれを手渡したと思われます(17~19節)。この時パウロは、それらは「神が」なされた神の業であることを謙虚に証ししています。ここに、福音によって自由とされた者の生き方があります。
キリストの十字架と復活によって、私たちは永遠の滅びから永遠の救いにあずかることができたのです。この福音にあずかった者は、罪と死に支配されない自由な生き方をするようになるのです。

2.福音に共にあずかる
エルサレム教会の人々は報告を聞いて「神を賛美」しました。続いて彼らは、教会内にパウロを誤解して受け取っているユダヤ人信徒がいることを伝えつつ、その誤解を解くための対応策と(23~24節)、かつてのエルサレム教会会議で決定したことを守るべきことを提案しました(25節)。パウロは、異議を唱えることなく、間違えば命を奪われかねない危険な提案を受け入れたのです(26節)。彼をしてそうさせたのは、自由を制約されても、敵対する同胞を愛する愛からでした。愛のゆえに同化したのです。
パウロは、「それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです」と証ししています(1コリント9章19~20節、23節)。私たちは、福音に共にあずかるために、祈りを、奉仕を、献金をもって神にささげる生き方をするのです。