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2012年7月8日

成長をめざして(2012.7.8)

宣教題  : 「成長をめざして」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : ルカによる福音書  2章39節~52節

ユダヤの社会においては、過越祭に際して信仰の継承を家庭で行い(出エジプト12章26節以下)、エルサレム神殿に集まって礼拝をささげました(ルカ2章41~42節)。キリスト教会においても、幼子や少年たちの身体的・精神的・霊的成長を願っての取り組みが求められています。

1.全人格的に成長する
12歳になられた少年イエスは、身体的に、精神的に、霊的に成長されていきました(40節、52節)。また、神の愛と恵みに包まれ、対人関係において関わりをもてる社会的な成長もしていかれました。そして、「イエスは・・・両親に仕えてお暮しになった」のでした(51節)。
同様に私たちは、身体的・精神的・霊的存在として全人格的に成長していくことが必要です。とりわけ、聖書を通して、見えない神を信じ、死後の世界があることを信じ、自らの罪を知ってイエス・キリストの救いを信じることが大切なのです。
そして、幼い時から家庭で学び舎で、愛をもって周りの人々に仕えていくのです。そこで、愛と謙遜を学びつつ成長していくのです。

2.主の家で成長する
エルサレムに留まられたイエスは、学者たちとの問答をされていました。人々は、イエスの賢明な受け応えに驚いています。一方両親は血眼になって捜し、イエスを見つけてその姿に驚き、憤りにも似た言葉を語りました(43~48節)。それに対してイエスは、自分は神の独り子であり、父なる神から救い主としての仕事を委ねられているのですから「自分の父の家にいるのは」当然のことであると語られました(49節)。
同様に私たちは、父なる神の家である教会において、神の御言葉を聴き、それに応答することによって、神の仕事にいそしむ生活をつくっていくのです。今も変わらずに、イエスが私たちの「真ん中に座り」、その中心におられ、私たちと御言葉の問答をしてくださっています(46節)。私たちは、そのことに驚きを覚えつつ、繰り返し目を開いていただくなら、一人ひとりが新たにされ続け、成長していくのです。